登校後、昇降口で靴を履き替えていると萩沼さんから声をかけられた。顔を見るのは保健室に運んだ時以来だ。
「みょうじくん!」
「!萩沼さん、おはよう。良くなった?」
「うん、一日休んだら回復した!保健室まで連れて行ってくれてありがとう、お礼言うの遅くなってごめんね」
萩沼さんはカバンの中から丁寧にラッピングされた袋を取り出した。
「えっ、え?」
「お菓子作ったの!良かったら貰ってくれると嬉しいんだけど…」
「そんな、俺むしろ萩沼さん嫌だったんじゃないかと申し訳なくて…昼休みに廊下であんな…」
「いやっ!びっくりはしたけど自分じゃ動けなかったから本当に助かったの」
「それなら…ちょっと安心…」
「だからね、貰ってほしいなって」
「…ありがとう。いただきます」
身長差により上目遣いで見てくる萩沼さんから袋を受け取った。
「回復して良かったよ。無理は禁物!」
「ありがとう、私小さい頃から体力なくていつも周りに迷惑掛けちゃうから」
眉を下げて笑う萩沼さんに、もしかしてその度にあの小池が隣で助けてきたんだろうか、と勝手な想像をしてしまった。
「俺も去年無理して結局寮まで侑におんぶしてもらって帰ったことあるよ」
「えっ?そうなの?あのミャーツムくんが?」
「うん、あの高さで背負われると良い眺めだった」
「あはは、確かにちょっと高くて怖そう」
談笑しながら階段を上がっていると後ろから萩沼さんの名前を呼ぶ声が聞こえた。
振り返ると小池が歩いてきていた。
「おはよう、ゆきくん」
「また置いてった」
「だって遅いんだもん」
じとり、と小池に見られて俺はとりあえず笑って返しておく。心配しないでも俺は萩沼さんとお前の間に取って入ろうなんて思ってないよ、と言いたいぐらいだ。
うわあ、空気が、、と思っていたところに「なまえ〜」と聞きなれた声と共に黒リュックの重みが増した。
「ぐえっ、下からリュック引っ張んな!」
「はよーす」
背の高い侑が階段を上がってきてすぐに俺を見下ろした。
「おはよう宮くん」
「萩沼サン、大丈夫なん?」
「うん、回復しましたっ」
萩沼さんに話しかける侑を小池がちらりと見た。
侑が小池を見下ろしてニヤリと笑う。
「何や、お邪魔やったなあ」
「別に」
「なまえ、邪魔しちゃ悪いから先行くで」
「邪魔って、おま…」
あからさますぎるその言いぶりに、調子が良いなあと思いながら侑に引っ張られるがまま、足を動かす。
階段は行き交う生徒達で騒がしい。
「宮先輩っ、おはようございまぁす」
「おはよーさん」
後輩女子に返事をするときゃっきゃと黄色い声を上げてすれ違う。
毎朝、このモテ具合を見せつけられる身にもなってほしい。
「宮先輩〜、腕離してくれませんかねぇ」
「強制連行やっ!」
「話聞いてねぇ」
ルンルンと歩いている侑にもはや引きずられる形になりながら教室に入った。
「何でそんな上機嫌なんだよ」
「え?朝から何かええ感じの男女2人見て、青春ってええなあって思っただけや。あの二人上手いこといったらええなあ、て応援してんのや」
「……ソウデスネ」
「何や!なまえ、まさか萩沼さんのこと、まだええな、って思ってるん?」
「ないない。つうか最初から思ってない」
これは少し強がりになるが、結果的に今はもう何とも思ってないのだ。現実を見せられた平凡な男子高校みょうじなまえは悟りを開いたとも言える。
「せやろ?あんな2人に入る隙間なんか無いもんな」
「……ソウデスネ。なんかいちいち刺さる言い方すんの何?」
「わざと刺してんねん♪」
にこにこと良い笑顔で言う侑に「この人でなしが、」と小さく吐き捨てて置いた。
「もっと他にも目ぇ向けてみな。案外、別のところで芽生えるもんもあるんちゃう…?」
「というと…?」
「せやから、恋に繋がる可能性はどこにでもあるっちゅうことや。例えば…もう目の前にあったりとか」
「え…目の前に…」
ここ最近の学校生活を思い返すも誰かといい感じになっている記憶はない。
自分の席に跨って座ったまま後ろを向いて話す侑に俺は声を潜めた。
「思い当たる節がない…」
「……はぁ、」
「何でため息つくんだよ」
「やっぱなまえには一生彼女とか無理や」
「ひっど。俺別にそんなに鈍感とかじゃないと思うんだけど。空気読むの得意だし…」
「せやろな。お前空気読みすぎて自滅するタイプやもんな」
「おい、言い過ぎ。察知能力には自信あるんだけど」
「全然機能してへんわ。鈍感にも程がある」
「はあ?」
「まぁ彼女できんは言い過ぎか。…恋人なら出来るかもな」
「えっ…俺に恋人?…できるかなあ」
「おい、妄想してすぐニヤケんのやめろや。目が腐る」
侑の大きな手が俺の頬を挟んだ。
「ひゃめろ」
侑の手を掴んで、頬から引っ剥がす。
「なあ俺、駆け引きは得意な方やから」
にっこりと笑う侑は多分女子が見たらすぐにきゃあきゃあ言いそうな笑顔だ。
「へえ?俺は…どうだろ。察するのは得意だけど駆け引きはなあ…」
頭を働かせてナンボの天才セッター侑様なら心理戦なんて得意中の得意なのかもしれない。
「…気ぃついたら完全に落ちとった、言うんもありやなあ」
ニヤニヤと笑う侑に俺はハテナを浮かべる。
話が噛み合わないことは多々あるが侑本人は気にすることなくどんどん話を進めていくから、慣れた今では何か言ってるな、程度に適当に聞き流している。
「外堀から埋めていくんアリやな。気づいた時にはTheEND…おおっ、最高や」
嬉しそうに顔を輝かす侑にまぁた何考えてんだろ、と思いながら俺は「楽しそうでイイデスネー」と適当に返しておいた。
***
午前の授業の移動教室で社会科教室に向かう途中、侑が横に来て、俺に教科書とノート、ペンケースを渡してきた。
「ちょお持って」
人に自分の教材を持たせておいて本人はハンズフリーで自由に歩いている。ジャイアンめ、ペンケース窓の外から投げ捨ててやろうか、と密かに思う。
「パシんな」
「重たいねん」
「箸より重いもの持ったことないお嬢様かお前は!」
「やってなまえのもんは俺のもん、ほな俺のもん持つのもなまえやろ?」
「ごめん角名ぁ、このクソジャイアン窓から捨ててきてくれない?」
後ろを歩く角名を呼ぶと、窓からじゃなくて屋上からにする?と提案してきたので親指を立てておいた。
教室に着いて各自自由に座る。話している侑に持ち運んだ教科書を返して、侑と角名を放置して俺が先に座った。
俺の隣に勉強ができる田中が座ったため、静かに授業が受けられそうだなと思った。
「あ、田中〜そこ俺の席やねん」
教科書を丸めて肩に置いた柄の悪い金髪頭が田中の目の前に立っていた。田中はギョッとしている。
そりゃそうだ。なぜ先に座ったのに、暗にそこを退けと言わなければならないんだ。
「田中が先に座ってたし、お前の席じゃないからな」
俺と田中を見下ろす侑をじとりと見上げた。どこまでもジャイアンで困る。
「え、ええよ。変わるし」
「えっ、田中、侑の言うことなんか聞かなくていいよ。むしろここに居て!俺の隣に居て!」
「懇願すんなや。田中クンありがとお」
にこにこ笑う侑に田中はひきつり笑いで席を外した。隣にドカッと座る侑を睨む。
「田中クンが譲ってくれたんやもん。おかしい事あらへんよな?」
「…半強制的に、だろっ」
本当にこのジャイアンは…、と呆れる。田中にごめん、と心の中で謝っておいた。
***
昼休み、自販機から教室に戻る途中、階段を上がっていると踊り場の所で萩沼さんが見えた。誰かと話しているようでちらりと、頭を動かすと小池だった。
2人から離れて上がっている俺には気づいていない。俺はちょうど階段の手すりのある壁から隠れていて見えていない。
階段の構造上、高低差はあれど聞こうとしなくてもその会話は耳に入ってしまう。
「俺が同じ組やったら、すぐに対応できたのに…」
「みょうじくんが助けてくれたから。大丈夫だったよ」
「大丈夫やないから倒れたんやろ」
「そ、そうだけど。本当に今回はみょうじくんのおかげで、」
「みょうじ、みょうじって…あんな宮の腰巾着がそんなにええんか」
「みょうじくんはそんな人じゃないよ…!」
「金魚のフンみたいなんに助けられて…」
「こら、ゆきくんっ…」
……え。
俺は自販機で買ったパックジュースのストローを口から離した。飲み込んだ液体の味が分からない。
こ、腰巾着…。金魚の…フン…?
小池の声がもう一度頭の中を巡った。
え…??俺そんな風に見られてんのか…??
突如浴びせられた、いや聞いてしまった会話に俺はショックを受けていた。まさか自分がそんな風に見られているとは思っていなかった。
(俺が…侑の腰巾着…。いやいやいや…。)
否定したい思いが溢れる。
教室に入って、席に座った。
侑と角名は治の教室に行っているようで不在だ。誰も座っていない前の席を見つめる。
段々ともやもやした気持ちが生まれてきた。なんだよ、腰巾着って…。
俺は別に侑に媚びへつらってなんかいないし、侑の顔色を常に伺って言いなりになっているわけじゃない。
そりゃ強引で横暴でジャイアンな奴だけど、俺はそんな侑に従順に従うようなつもりはない。
納得の行かない思いは膨れ上がる一方だった。
昼休みが終わる頃に教室に帰ってきた侑から話しかけられたが生返事になった。
俺の頭の中は『腰巾着』というワードでいっぱいになっていた。
***
部活が始まる前、制服を脱いで練習用のサイクルジャージに着替えながら茶川に聞いてみた。
「なあ、俺って周りから侑の腰巾着として見られてんのかな…」
そんなつもり全然ないんだけど、と言うと茶川はうーん、と言いながらロッカーを開けた。
「まあいっつも一緒におるイメージはあるなあ。みょうじと何かあったら、宮が出てきて言いそうっていうのは思われてるかもしれへんな」
「ええ…そんなバックに侑がいる的な見方されてんの…」
「去年宮と喧嘩して草取り行った時会ったよな?あん時も確か宮が横から入ってきたから喧嘩したんやなかった?」
「ああ…」
確かに二年の時に野球部のクラスメイトから頼まれた事を侑が「それはなまえの仕事ちゃうやろ」と口を出してきた事はあった。
「ま、俺は宮が出てきてもどうってことないけどな」
にこりと笑う茶川に、やっぱりこいつは秋田部長の気質があるな、と思った。
「そういう喧嘩売っていくスタイル怖いんですけど…」
「売ってないで?煽っとるだけや」
「確信犯、こっわぁ…」
敵に回したくない奴だと身内ながら恐ろしく感じる。ロッカーをパタン、と閉じてボトルを手にした。
俺は断じて侑の金魚のフンでも、腰巾着でもないのに…。そんな目で見られているなんてショック以外の何ものでもなかった。
ため息を吐いてジャージのジッパーを首元まで上げた。
ロードバイクを動かして茶川と部室の外に出る。
カチリ、とペダルにビンディングシューズを固定して、ペダルを軽く踏みつつサドルに腰を乗せる。
頬を撫でる風は気持ち良くて絶好の練習日和なのに、なぜか今日だけはペダルを回す脚が重く感じた。