73

俺の中に一つの疑問が生まれてからというもの、俺は侑をよく観察するようになった。
疑問を払拭するために。
この疑問は俺の勘違いだと、と証明するために。

「おはよー」
「はよう」

教室に入り前の席の侑と隣の角名に挨拶する。7月にもなると登校時点ですでに気温は高く、侑は下敷きをうちわ代わりに風を顔を送っていた。

黒リュックを机横に掛けていると侑が横を向いて俺を見てきた。下敷きから生まれる風が眩しい金色の前髪を揺らして額が見え隠れしている。

あの日、寮の部屋で侑に押し倒されて以来、何事もなかったのように普通に接しているが俺の中で生じた疑問は大きくなるばかりだった。

まず、よく目が合う。タレ目がちな大きくて眠そうな目がこちらを見ている。侑を観察し始めてからはよりいっそう視線を感じることが多い。

「何?」
「なんも」
「課題の写しならさせんぞ」
「まだ何も言うてないやん」
「予防線張ってんだよ」

言い返しながら携帯で適当にサイトを開く。
女性アイドルの記事が流れてきて写真付きのページを読んでいると侑が覗き込んできた。

「なんやこれ、なまえこんなん好きなん」
「好きっていうか、まあ、でも可愛くない?」
「また黒髪眼鏡やん。どんだけなん」

面白くなさそうな顔をして目を細める。
俺の好きなタイプの話になると明らかに不貞腐れる。

「アランくんと同じやん。アランくんアイドルのイベントまで見に行っとったで」
「まじで?あの尾白先輩が?」
「今は練習で忙しいやろうけど。アランくんミーハーやしな」
「へえ意外!」
「ちゅうか、こないなアイドルより可愛くてかっこえくて、おもろいやつおるやん」
「どこに?」
「目の前に」
「……げろげろぉ」
「あ?」
半目で顔を崩す俺に瞳孔を開く侑は俺の頬を手で挟んだ。

「もー、ひゃめろって」
「はっは、ぶっさ〜」

歯を見せて笑う侑。いつもと同じなのに、疑問が生まれてからこの笑顔も意識して見てしまう。

いかん、ちょっと離れよう。席を立つと侑が見上げてきた。
「どこ行くん」
「2年の教室」
「俺も行こかな」
「用事あるん?」
「ない」
「じゃあ来るな。お前が来たらえらいことになる」
「えー」
「待て!いいか、待てだぞ」

じいちゃんちのチロルに動くな、と言う時みたいに手で待て、を作った後、教室を出る。

廊下に出て階段を降り、奈良木の組に向かって歩く。目当ての教室の中を覗くとちょうど知っている顔を見た。

「理石くん、」
「あっ、ちわっす!」
「奥にいる奈良木、呼んでくれる?」

バレー部の理石くんが同じ組の奈良木に声を掛けてくれた。

「みょうじ先輩」
「奈良木〜、部室の鍵閉めたの最後だよな?ちょい貸して〜昼休み部室行く」
「分かりました、取ってきますね」

教室のドア付近で待っていると背中に衝撃がはしる。
「どーん」
「うぐっ」
頭上から聞こえる声と、ざわつき始めた2年の教室内に誰が来たか何て見なくても分かる。

「お前…何でここにいんだよ」
「遊びに来てん♪」
「……待てって言ったじゃん」

のしかかって来る侑を無視して奈良木を待つ。

まるでチロルみたいだな、と思う。家の中で移動する俺の後を着いてきては遊ぼう!と俺を鼻でつついてくるのだ。こちらが携帯を見ていてもお構い無し。

「侑さん、ッス!」
理石くんが侑に挨拶をしに来た。教室内の女子が侑を見て色めき立っている。「宮先輩やぁ」「何で来たんやろ」「朝から眼福〜」そんな声が聞こえてくるため、これ以上侑を調子に乗らせないでほしいと心の中で願う。

「お?理石やん。お前ちゃんと授業聞いとるんか?」
「はい!」
「いや、理石くんはお前より確実にちゃんと聞いてるだろ」
「俺やってちゃんと聞いとるわ」
「聞いてないし、寝てて後ろにプリント回してこないの毎回だろ」
「あれはわざとやねん」
「絶対、嘘。背中つついても無反応じゃん」

「みょうじ先輩お待たせしましたぁ、って…み、宮先輩…」

俺の肩に後ろから手を回し、俺の頭上で理石くんと喋っている侑を見て驚いている奈良木。
ジャンプの某漫画の定春という巨大な犬に噛まれた時の銀さんの気持ちになりかけている俺は奈良木から鍵を受け取った。

「ほーん…奈良木クンねえ」

じろりと見下ろして何か観察するようにじっと見る侑。
人をそんな風に見るんじゃありません。とべしっ、と叩いておく。

「うちの駄犬がすまんな、奈良木」
手で制して奈良木に謝る。
「はぁ?誰が駄犬やて?」
「待て、も出来ないのかお前は」

「お散歩…」
ぼそりと呟いた奈良木の言葉に俺は吹き出す。侑は「あ?」とガンを飛ばすし、理石くんと奈良木は息を飲んでいた。

「ウケる、それそれ。定期的にお散歩しないと機嫌悪くなるやつな。ほら、行くぞツム。よしよし、」
手で喉をこしょこしょと擦ってやる。
犬扱いされた侑がキレて俺の脇腹を鷲掴みしてきた。
「ぎゃっ!」
「なんや腹立つ」
「飼い主に反撃する犬がどこにいるんだよ!」
「喧しいわ。行くで」
「立場逆転…」

呟く奈良木と理石くんに手を上げて、2年の階を去る。廊下には侑を見ようと立っている女子が多かった。
侑といると必然的に注目もされるわけで、女子の会話に俺の耳もダンボになる。

「ていうか、あの3年の人いつもミャーツム先輩の隣にいない?」
「何でやろ?バレー部やないよね」
「身長的に違うやろ。名前も知らんけど。何部?」
「何で仲良いんか不思議。体育祭もあのお題で一緒に走っとったし」
「ええよねぇ、男子やったらいつでも侑先輩の近くにいけるんやろ」
「いや私やったら一軍男子には近づけんわぁ。角名先輩くらい身長とかあってかっこよかったらええけど、普通の男子やったら逆に無理ちゃう?笑」
「わかるわぁ。隣に居るの辛くなりそう、いやでも、やっぱ羨ましいわあ」

え、結構ガッツリ言ってくるね君たち、泣いていい?
どっちかっていうと俺からじゃなくて侑から近くに来てるわけだからね?

そこんとこ、よろしくと思っても周囲から見たら、そう見えてしまうのだろうか。
凡人は辛すぎるよ、と肩を落としながら階段を上る。侑に至っては注目されることに慣れているため、何を言われても気にならないだろうし、そもそも聞く耳すら持っていないと思われる。

「まぁじで、お前何で来たんだよ…」
「一応、どんな奴か確認しとかな。変な虫ついたら困るやん?」
「…はぁ??」

変な虫って…どういう意味?
俺の勘違いでなければ、何だかそれは俺に好意があって、他に俺に言い寄る奴がいないかと気にしているように聞こえて仕方ない。

「変な虫、って…」
「ん?」

ニヤリと笑う侑。分からない、この笑顔が。
この間からしてくる思わせぶりな素振りは冗談なのか、俺を試しているのか、本気なのか。

面白そうに笑う侑に無言の返しをして階段を登りきる。聞いたら負けな気がする。勘違いしてんのか、って思われるのも嫌だしな。

振り返ってまだ階段を登りきっていない侑を見下ろす。

「……」

目の前にいるのは学校一有名でモテまくりで恋愛だって何にも困ることはない選り取りみどりの奴だ。そしてそもそも、俺は男。女子じゃない。

ここで女子なら確実に勘違いするはずだ。
えっ、そんなこと言うなんて侑くんって私のこと、好きなの?気があるの?って。

でも俺が勘違いしては大変なことになる。

「ほんと、そういう冗談、女子に言うなよー。絶対勘違いするからな。修羅場製造機か、お前はっ」

ふ、と鼻で笑って肩をすくめて両手のひらを上に上げる。
冗談には冗談で返そう、としたのに。

「…冗談言っとるように見えるか?」

急に真顔になった侑に、上げていた手の動きが止まった。

いつものようにおちゃらけた顔でも、面白がるような顔でも、飄々とした顔でもなく。
バレーの試合中に見たことがある真剣なあの顔で、俺を見上げていた。

胸の内がざらりと撫でられたようにザワついた。真っ直ぐに向けられる、その視線。

その内で何を考えているのかその表情からは読めない。俺はそこで初めて底知れない怖さを感じた。

他人の顔色を見て察するのは得意なはずなのに。読ませないその表情に、そういえば天才セッターは心理戦も得意なんだということを思い出させる。

一段、侑が階段を上った。距離が近づく。
俺は後ろに下がりたいのに足が動かない。

狙われたように目を逸らさない、そして逸らすことを許してもらえない。

冗談じゃなかったら、何なんだ。本気でそう思ってるわけじゃないだろ?

もう1段上がった侑はついに俺より高い位置から見下ろしてきた。
俺の上げかけた手を掴んできて、体が少し反応しかけた。変に反応すると俺が意識しているみたいに思われてしまう。されるがままに抵抗せず侑を見上げた。

平常心で、いつも通りに。

「なに…」
「冗談、やと思う?」

冗談だろ?と聞いたところで、肯定されるのか、否定されるのか分からない。否定された時に俺はどんな反応をしたら良い?即答できず頭の中で考える。

「……、」
口を開こうとした時、頭上にチャイムの音が鳴り響いた。遠くで走っていく音と話し声が聞こえる。俺たち以外誰もいない階段で、侑は綺麗に笑った。
その笑顔さえもぞくりと言いようのない怖さを感じる。

「予鈴、なったわ」

パッ、と掴んでいた手を離して侑が俺の横を通り過ぎ教室に向かっていく。

7月の暑さにしては、やけに暑く感じる。
俺の首筋は汗ばんでいた。


***

夜、風呂上がりに男子寮の廊下を歩いていると洗濯物を持った治がランドリールームに入っていくところを見かけて追いかけた。

「治〜」
「お?」

洗濯機に服を突っ込んでいる治の横に行く。侑と同じ似ている顔なのに、雰囲気は割と違う。
もちろん双子揃って、いたずらっ子のようなところもあるがそれでも違うところは多い。

おっとりささえ感じる優しそうな治と優しさの欠片もない侑。

言い過ぎか?俺が侑のジャイアニズムに毎度やられているために治の方がより人が良いように見えてしまうだけなのかもしれないが。

少なくとも、治は今日の侑みたいに獲物を見るような目で見てきたりはしないし、俺を絞めてくることはない。

「今日は治が洗濯係?」
「さっきツムとゲーム勝負して負けたんや」

悔しそうに頬を膨らます治に笑いが漏れる。俺は聞いてみたかったことを口に出してみた。治と2人だからこそ、聞ける。

「あのさぁ、…侑って今好きな人いるんかな。あ、これは女子から聞かれてな。宮くんって好きな人おるんかなあ、て。いつものやつ」

治が俺を目で見下ろした後、考えるように上を向いた。

「…好きな人ねえ。おると思う?」
「何で俺に聞くんだよ」
「なまえから見て、あいつ好きな人おると思う?」
「…どうだろ。バレー一筋って感じだし。逆にあいつ、好きな人が出来たらどうなんの?よくあるじゃん。好きな人の事ばっかり話す、とか。ちょっかいかけるとか」

治が俺をじっと見てきた。

「…好きな子ぉはいじめたいタイプやな。ちょっかい、かけまくっとるとは思うわ」
「へえ、分かりやすい奴だな」
「せやな。分かりやすいし、あからさまやと思うけど」
「ふうん…。でも最近女子にそんなちょっかいかけてるところ見てないし…やっぱ好きな人はいないんだろうな」

「…そやろか?心当たり、ない?」
「心当たり…?」

目を見てくる治に、俺は風呂から上がったばかりなのに嫌な汗をかきそうな気がした。
持っていたタオルを握って、手に滲んだ汗を誤魔化すように拭う。

「俺は、別に…」
「ふうん」

ゴウンゴウンと洗濯機の中で洗濯物が振り回されている音が耳に入ってくる。
考えたくないが治の言葉の意味を深く考えてしまう。心当たり、とは?
俺がまるでそのちょっかいをかけられている本人のように聞こえるのは勘違いだよな?

「…逆に治は知ってんの?双子だし、」
「気になる?」

にやりと笑う治に、意地悪だなと思う。こいつも侑と同じく面白がる時はとことん楽しむ奴なのだ。

「……いや?女子から聞かれただけだし…。まぁあいつパーソナルスペース広くて、誰にでもフレンドリーだしスキンシップ激しいし、判断すんのに意外と分かりにくいかもな」

「…それはちと違うなあ。誰にでも、ていう訳やないで」
「……」
「自分の線はあるし、そこを土足で超えて来る奴には容赦ないねん。人でなしの所以や」

俺は優しいからナチュラルに対応するけど、あいつはそれが出来へんねん、と笑う。

ああ、確かに。土足で入ってくる奴、気に食わない奴に威嚇する侑はいつも見ている。

「せやから、逆のパターンはウザイくらいしつこおて…」
「逆…?」
「自分から相手の内に入り込もうとした時は、」

言いかけた治はふ、と笑った。

「??」
「ま、言えんのは何するか分からんっちゅうことや。あいつほんま突拍子もないことばっかすんねん」
「うん、それは分かる。けど今の話とそれ、何の関係が、」
「気ぃつけや。何考えとるか分からんツム、俺でもたまに怖い時あるわ」

「……は、」
「大体アホなことしか考えとらんけどな」

垂れた優しげな目元とは裏腹にその目は楽しそうな瞳があった。

気をつけろ、とか。心当たりないか、とか。何でそんなことを言うんだ。
頭の中が混乱して俺は床に目を落とした。居心地が悪くて、いち早く退散しなければと思う。

「…俺、部屋戻るわ」
「ん、おやすー」

手をひらりと上げる治に おやすみ、と短く返して踵を返す。


俺の疑問をさらに深くさせ、あまつさえその疑問を確証に変えてしまえるようなことを聞いてしまった気がする。

ぐるぐると考えが渦巻いていて、脳みそはすでに疲労困憊だ。

逃げるようにランドリールームから出た俺は聞くんじゃなかった、と後悔した。

prev Back next ︎︎