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テストが終わり、終業式の日まではあっという間だった。

終業式の後に行われたインターハイ壮行式。

全校生徒の前に男子バレー部代表として挨拶した侑は試合前の集中している時のような真剣な顔で生徒の前に立った。

『…思い出なんかいらん。これは僕らバレー部の信条です。前年の結果は過去のもの。僕らは最強の挑戦者として、今度こそ全国の頂点を目指して勝ちに行きます。』

関西訛りの気迫ある宮侑部長の決意表明にその場にいた生徒は息を飲んだだろう。

自転車部では茶川が侑とは反対に朗らかに挨拶した。

『練習で培ってきたものを全て出しきります。僕たち自転車部の強みは諦めない粘り強さです。どんな状況でも力を合わせて頑張ります。』

三分と俺は茶川の挨拶で気が引き締まった。インハイのレースはもう目の前まで来ている。

明日から始まる夏休みを前に、練習後一人でロードバイクに乗って走っていた。

時間も遅く、太陽はすでに地面の下に回ってしまっていて、星々が空に瞬いている。

夏の夜を自転車のライトを頼りに帰路を進む。男子寮手前の河原に差し掛かり、俺はペダルを回す足を止めた。

街中では見えない星たちも外灯の少ない河原なら多少は見える。

田舎にあるじいちゃんちで見上げる空はここよりももっと星がよく見えたな、と自然豊かな地方の空を思い出した。

ロードバイクを地面に倒して置いた。河原に腰を降ろしてただただキラキラと光る川面を眺める。遠くに聞こえる車の走行音、水の音を耳を澄ましていると地面を蹴る音が段々と聞こえてきて、誰かが走っているのだろうと察知する。

近づいてきた足音が止んで顔を上げる。意外な人物に俺は首を傾げた。

「侑?」
「っ、なまえ、何してんっ」
「ん、ちょっと休憩。そっちは?」
「軽く走っとった」

侑は首筋に汗を滴らせていた。Tシャツの襟をぐい、と引っ張ってその汗を拭いた侑が俺の右隣に座った。

「…川見とるだけか?」
「うん。何か落ち着いて」
「…ふうん」

黙って二人とも川面を見る。お互いに何を考えているかなんて分からないけど、無言のこの空気は嫌いじゃない。

「…明日から夏休みだなあ」
「練習漬けやな」
「ふ、侑の大好物じゃん。ドMだな」
「は?誰がドMや」
「ちょ、やめろ!押すなって!川に落ちる!」
「なまえも大概やろ」
「…まあキツイけど練習嫌いじゃないもんな」

手持ち無沙汰になって、適当に隣に生えている雑草をブチブチ抜いてみる。青臭い草の匂いが鼻を掠めた。また静かな空気が流れる。
生暖かい風が前髪を揺らした。

「…何考えとる?」

侑の顔を見る。薄暗い暗闇の中で目と目が合った。

「…もう3年かあ、早いなって。インハイ終わったら色々考えなきゃなあって…」

将来の事なんて何にも考えてなかったけど、特別何になりたいとかある訳でもない。
何も考えずペダルを回してきたがこれからは先のこととか、考えないといけないんだなと思うと悩ましい。

「友達がいて、毎日楽しくて、何も考えずペダルを回してきたけど…なんかなぁこの先のこと考えると不安だわ」

足元を見つめる俺とは反対に侑は空を見上げた。

「とりあえず…インハイまではそのままでええんちゃう」
「…うん…」
「全力でやり切って、その後考えれば。何でも同時に考えて全部上手くやれる奴なんておらんやろ。一つ一つ順番にやってけばええんちゃう」

ちゃんとやんねん。ひとつ、ひとつ。

「北さんかよ」
「そやけど、北さんよう言うとったやん」

あのいつも頼もしい背中を見せてくれた北さんの後ろ姿が昨日のことのように目に浮かぶ。
侑の言葉に背中を押された俺は、空を見上げた。

「だなあ…。…ははっ、やっぱ持つべきは親友だなー!」

心が軽くなった気がして侑の背中をばしっ、と叩くと侑は夜空から俺へと視線を下ろした。

「親友ねえ…」
「頼もしい親友がいて心強いわ」

笑うと侑は暗闇の先を見た。

「……それ壊したい、て言うたら?」
「……、」

俺の顔は笑ったままその動きを止めた。
壊したい、とは?俺と侑の関係性が崩れる、ということは。
また、侑の意味深な発言。
どういうことだってばよ。
困惑した俺は聞こえなかった振りをすることにした。

「…、そういえばさぁ、侑、今日の壮行会の後めっちゃ声掛けられてたじゃん。お前ほどじゃないけど、俺もインハイ頑張ってねって萩沼さんと佐倉さんが声かけてくれてさ。萩沼さんは夏休み明けたら記事書く、て」

そこまで言ったところで侑が面白くなさそうな顔をして睨んできていたので口を噤んだ。

「話、逸らすなや」
「…何の話してたっけ」
「親友やめる、言うたら」

ごくりと唾を飲み込んだ。

「…こ、困りますね」
「何で敬語やねん」

無理やり話を逸らしたのにダメだった。
侑の横顔を盗み見て地面に視線を落とす。

「…俺のこと嫌いなのか?」
「ちゃうし」

じゃあ、どうして。なんて言えるわけない。だってその後に返ってくる言葉を聞くのが怖い。俺の勘違いかもしれないけど、もしかしたら侑は俺の事…、という疑問がある以上、下手な動きは出来ないのだ。


「……俺は…」
親友やめるとか、嫌だけど。
と言う前に侑の左腕が伸びて俺の首筋に触れてきた。
ひたり、と首に添えられた長い指、親指が耳朶を掠める。

「なあ、これ、嫌?」

夜とはいえ真夏の気温は高い。侑の手から体温が伝わってくる。
ドクドクと自分の心臓が強く脈打つのがわかった。

嫌か?侑のこの手が嫌だと感じるか?別に嫌悪感は生まれてはいない。

「嫌、じゃないけど…」

何がしたいんだ、と侑の挙動を意識する。

「じゃあこれは、」

侑の顔がぐっと近づいてきて、少し肩が揺れる。固定された首、後ろに引きたくても引けないまま、額と額がこつりと当てられた。

一瞬、洗濯洗剤と侑の汗の匂いが鼻に入ってきた。

近距離、侑の金色の前髪が視界を占めている。あまりの近さに色素の薄い瞳の淵まで見えて俺は目を伏せた。

「嫌?」

この距離が嫌か?侑の首に触れる手も、匂いも近づいた顔も嫌ではない自分がいて、戸惑う。だからと言って『嫌じゃない』という回答もおかしくはないだろうか。
むしろ近すぎる距離に今まで感じていなかった動悸さえする。

「…分からん」

結局口から出た答えは曖昧なものだった。

なんて言ったら正解なんだ?
だっていつも距離感が近くて慣れてしまっているし、ド突かれる時も肩回してくる時も顔が近いし、羽交い締めにされるのは日常茶飯事だし…。
生理的に嫌とは感じていない。

俺の答えを聞いた侑の目の奥にいつの日か部屋で見せた熱っぽい視線を感じた。

彫りの深い顔は侑の目元に影を作っている。その奥で灯っている眼差し。速くなる心臓の鼓動。

普通、こんな距離取らないよな。
親友であってもここまで近づかないよな?

なあ、侑って俺のこと…好き…なのか…?

浮かんだ疑問。ずっと俺を悩ませている疑問。
クロかシロか。

どっちなんだよ。
聞く勇気はない。俺の馬鹿げた勘違いかもしれないし。

ぐるぐると考えていると侑が手を離した。
元に戻った距離感にホッとして静かに息を吐き出した。


嫌やないんや。

侑が小さく口の中で呟いた。

アホやなあ、逃げるなら今のうちなんに。
嫌て言わん奴が悪いよな。うん、そやな、悪いわ。ほんまアホやわ、馬鹿正直やん…あーあ、もう無理やで。

ぶつぶつと独り言のように言って、侑は俺を見た。狩りをする直前の捕食動物のような目で見据えられ、喉がひゅんとする。

暑さがこもる夜なのに、少し冷えた気さえした。

逃げるなら、とか何?
逃がす気なんてさらさらないような目をしているくせに。

侑の独り言に反応するようにカラカラな口の中から声を絞り出した。

「逃、げるとか、以前に…逃がす気…あんのかよ…」

何に対して、とか何について、とかそんなこと一切話していないのに、侑の言っていることが俺が考えていることと同じであれば、それは、きっとシロではなくクロなんじゃないだろうか。

俺の独り言に近い小さな呟きに侑がじろりと目を動かして、俺を捉えた後、ゆっくりと口元に弧を作った。
にんまりと笑う顔はすごくすごく楽しそうに見える。

「…なあ、わかってて、それ聞く?」

ほら、最初から逃がす気なんかないじゃん。

笑顔の侑が怖い。こういう笑顔の時は大体容赦ないのは分かっている。

「逃げれると思う? 」
「………」

唾を飲み込んでも乾ききった喉は潤わない。

クロだ。多分、これはクロだと思う。
侑は、俺のこと…。

どうしよう、どうすれば。ぐるぐる考えていると侑が俺を隣から見下ろした。

「まあその小さい脳みそでいっぱい考えるのは無理やろな」
「…な、」
「今は一時休戦や」

すくっと立ち上がった侑を見上げる。楽しそうに口元を緩めた侑は長い足を動かして河原の道端から道路に出た。

「帰るで」
「……う、ん…」

話は終わったんだろう。アキレス腱を伸ばす動作をしながら侑が走り出す準備をしていた。
俺もリュックを背負い直してロードバイクを立てた。

「インハイ終わったら、覚悟しときや」
「…は、」

言葉を置き去りにしたまま、侑は走り出した。どんどん離れていく背中を俺は見送ることしかできなかった。

やっぱりクロ確定ではなかろうか。

あいつ、俺のことが好きなのかも…。

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