夏休みが明けた。予定を詰め込んだ休暇期間を終え、数週間ぶりに足を踏み入れる校舎は久しく感じた。
昇降口で靴を履き替えていると聞こえてくる会話。
「バレー部の宮部長、さっき見かけたけど、ほんまかっこええよね〜背高いし顔良いってほんと…」
「わかる!治先輩もかっこええよなあ、インハイ優勝したんやろ?」
「侑くん、部長してて、イケメンでスポーツも出来て、とかやばいよね?!」
「やっぱ彼女も可愛いんかなぁ」
黄色い声で騒ぐ女子達の会話をくぐり抜けて廊下を歩く。
イケメンで、スポーツも出来て…、でも勉強の成績は悪いからな?!あと性格も悪いからな?!と心の中でツッコミを入れた。
黒リュックを肩に掛けて階段を登る。
久しぶりに着た制服の半袖シャツから出る自分の腕を見下ろすと、しっかりと日焼けしている。去年よりも焼けたんじゃないかと思うくらいには小麦色に近かった。
5組に入る前に、6組に寄って三分と茶川に挨拶をする。
「はよー」
「おお、みょうじ久しぶりやな」
「焼けたなぁ何しとったん」
「色々走り回ったなぁ。じいちゃんちとか、輪行で地方の島に走りに行ったりとか、開拓してた」
「自転車旅満喫しとんなあ。ま、みょうじは焼けても冬になったらすぐ戻るもんなぁ」
「陽に当たらなければなー。茶川と三分は?何してた?」
「俺は夏期講習でみっちり勉強や」
そういう茶川はメガネをかけている。
急に勉強する人になりましたみたいなのウケるわ、と三分と二人で笑い合う。
「真面目な茶川とは違って俺はゲーム三昧やわ」
「わかるぅ俺も。でも三分も進学だろ?」
「専門学校やし、受験もそんなでもないしなあ。みょうじは?進路決めた?」
「うん、一応な」
それからお互いにインハイの労りと今後のことを話して教室を出た。自分の教室に入ろうとすると「みっけ〜♪」という声が耳に入る。
久しぶりに聞いた声、振り向く前に衝撃が走った。肩に回された厚い腕。
「どーんっ」
「ぐえっ」
「お前なぁ、起きんの遅いねん」
俺の頭のすぐ上で話す侑は夏祭りぶりで、あの日の夜を思い出してドキッとしたが「よぉ、」と平静を装って返事をする。
後ろから角名と治も歩いて向かってきていた。
侑が言うのは朝練組と時間差があるから、朝の食堂でも会えなかったことを言っているんだろう。
「俺はもう朝練ないから普通の時間の出発でいいんだよ。楽だわ」
「昨日何時に帰ってきたん」
「それが夜、結構遅かったんだよなぁ」
「ふうん。…焼けとんなぁ」
侑の手が俺の首を触った。
その手つきに、何かが這い上がるような感覚を覚えて背筋が伸びる。
「っ、色々走り回ったからな。田舎に帰って、島行ったり、山登ったり…」
「あの写真のやつ?」
「そうそう、送ったやつ綺麗だったろ海」
「どこの海なん、あれ」
あれはなぁ…、と話しながら教室に入るとクラスの皆が侑に声を掛けてきた。
「宮!おはよー!おめでとう優勝! 角名も!」
「バレー部凄いなあ!」
「なあなあ、雑誌に取材された、てほんま?!」
あっという間に囲まれる侑と角名。まあ予想はしていたことだ。強豪稲荷崎男子バレー部、関西勢が制したインターハイ。そしてその主将が同じクラスにいる。
皆から注目されて当然だ。そして校内も朝からその話題で持ちきりなわけだ。
侑の背中をポン、と叩いて皆お前の話聞きたがってんぞ、行ってこい!という気持ちで押し出す。
席に座った俺は囲まれてクラスの中心にいる侑達を眺めた。
去年の俺なら悔しがって、内心素直に祝えなかっただろうな、と思う。凡人な分際ながらも、同級生に対する対抗心と劣等感から表面上祝いの言葉をかけながら、心の底ではあまり喜べていなかったかもしれない。
我ながら陰湿な性格だと自覚はしている。
でも今は違う。この目で侑達の戦う姿を見て、俺は自慢の友人達がこうして皆からすごいと言われることを誇らしく感じている。
勝つ為に日々努力を重ねている姿を学校で、寮で、近くで見てきたからこそ、卑屈にならず素直に喜べる。
何より俺は、あの決勝の場でコートに立って必死でボールを追うアイツらがカッコよくて、心底痺れたのだ。
限界を超えても跳んで守って打ち込んで、闘う仲間を見て心が震えないはずがない。
そんな俺に妬みの気持ちなんて1ミリもなかった。
「ありがとう、取材はほんまやでー」
受け答えをしている侑を眺めてくすりと笑ったところに、萩沼さんが来た。
久しぶりに見る萩沼さんは髪が少し短くなっているように感じる。
「みょうじ君、久しぶりだね」
「久しぶり!まだ夏休みが続いて欲しかったよ…。萩沼さん、髪切った?」
「えっ、よくわかったね、すごい」
嬉しそうに笑う萩沼さんに俺も軽く笑って返す。
「男子バレー部優勝すごいよねえ」
「うん、決勝戦、生で見たけどすごかった」
「え、そうなの?」
「まじで、アイツらすげーよ…」
「ふふ、自転車部も3位でしょ?すごいよ、お疲れ様」
「…ありがとう」
少し照れながらお礼を言う。宮くんにはしっかり新聞部の取材受けてもらわないとね、もちろん自転車部にも!と新聞部として意気込む萩沼さんはやる気に満ちた顔で自席に帰って行った。
SHRが始まるまで、まだ少し時間があるなと携帯を出して適当にネットサーフィンをする。
スクロールをして液晶画面を眺めていると廊下側の窓が控えめにノックされた。
曇り硝子の向こうにいる人が誰なのか気になりながら、ゆっくり開けると佐倉さんが顔を覗かせた。
「お、佐倉さん久しぶり!」
「わぁ、焼けたねぇみょうじ君」
「はは、外走り回ってさ。あ、侑に用だった?」
「あっ、いや、おめでとうってそれだけ言えたらと思って…」
恥ずかしそうに語尾が小さくなる佐倉さんを見て、少し複雑な気持ちになった。
佐倉さんは侑が好きなのだ。そして、侑は俺のこと…。
いや、好きとは言われてないけど、好きと言われてるようなもんじゃないかと思う今日この頃。そんな佐倉さんを目の前にして、俺は素直に侑との恋を応援できる気がしない。
俺と佐倉さんが話している途中で侑が席に戻ってきた。
「お、人気者が帰ってきた」
「ふっふ、もっと褒めてもええで♪」
「侑。佐倉さん、」
廊下側の窓から覗き込む佐倉さんを示して、侑に声をかける。
「佐倉サン?おはよぉ」
「おはよう宮くん!インターハイ優勝おめでとうっ、すごいわぁ」
「ありがとう〜」
「ふへへ」
「何でなまえが嬉しそうにしてんねん」
「みょうじくん、自慢げやねぇ」
朗らかに笑う佐倉さんに「自分が褒められたみたいで嬉しい」と返すと侑の顔が少しムッとしたような顔で俺を見た。
本当にムッとしている訳ではなく、どうやら照れているみたいで珍しい。
いつも自信満々にもっと褒めろと言うくせに。
体育祭の後、寮の部屋で見たあの照れ顔を思い出して俺は口角が上がる。
「うちの侑くん、なかなかやるだろ〜?」
からかい半分、本音半分の気持ちで佐倉さんに笑って言った。
「喧しいわっ」
侑の手が俺の肩をバシッと叩いた。
俺は暴力はんたーい、と大袈裟に肩を守る。
「お前、女子の前だからって照れんなよ〜」
「はあ??ちゃうし、」
もう喋んな、と頬を両手で挟まれる。
女子の前で俺の顔を壊さないでくれ、お世辞にもイケメンとは言えない顔なのに更に酷くしてもらっては困るため抵抗する。
「ぶっさ〜!」
侑が吹き出しながら笑う中、佐倉さんが唐突に黙った。ぱちくりと瞬きをして、俺と侑を見ている。
「佐倉さん?」
「…お、お邪魔しました〜っ」
「えっ佐倉さん?!えっ」
帰っていく佐倉さんを窓から顔を出して目で追う。
お邪魔しました、って、全然お邪魔なんかしてないのに。ていうか、お邪魔しましたってなんだよ?!
もしかして、高3にもなってふざけてる俺達のことを低レベルだとか、そんな感じに思われたか…?!
「侑のせいで俺の品が下がるぅ…」
「あ?元からないものを何言うてんねん」
「俺の品格馬鹿にすんなよ、高貴なオーラが見えんか?ほら?後光が差してないか?」
「アホか、お前に後光差しとったらクラス全員差しとるわ」
やっぱりなまえはアホやぁ〜、なんてケラケラ笑いながらまだ俺の頬を挟んで遊んでいる。
そんな侑を他所に俺はもっと侑と話さないで良かったんだろうかと走り去っていった佐倉さんが少しだけ気になった。
***
SHR後、始業式のために全校生徒が体育館に集まった。毎度の式の流れや校歌斉唱が順番に終わっていく。
始業式が終わると、インハイ表彰式の準備で少し時間が空いた。
生徒達の雑談にざわざわと賑やかになる。
3年5組の列に並ぶ俺に横にいた萩沼さんが声をかけてきた。
「表彰式、みょうじくんは前に出ないの?」
「ん?俺は賞とか獲ってないし出ないよ。うちからは茶川が3位、と三分がスプリント賞獲ってるから出るよ」
答えると俺の前に並んでいた侑が振り向いて俺と萩沼さんの会話に入ってきた。
周りよりも背の高い侑はクラスの列より頭一つ飛び抜けて目立つ。
俺を挟んで後ろに並ぶ角名もまた周りから、頭一つ高い位置でスンとした表情をしたまま何を考えているか分からない顔で前を見ている。
白いシャツから伸びる筋肉質な長い腕を頭の後ろに組んで萩沼さんを見下ろす侑。
小柄な萩沼さんとの身長差は大きい。
「こいつ、エース勝たすことだけに全部懸けて自分は普通の成績やねん。前に見たクリテ、、なんやっけ」
「クリテリウムな」
「せや、春のクリテリウムレースでも三分が優勝する為だけに全力出してん。普通、自分が勝ちたい、一等賞取りたいて思うやんか?」
「すごい…他の人のために全力って中々出来ないよね」
「そこがな〜、みょうじのかっこええとこやねん」
隣の6組の列に並び、俺の斜めにいた茶川も会話に入ってきた。
「みょうじくん、かっこいいなぁ!」
「え、待ってなに急に。皆、俺のこと褒めてどうしたいんだ?!」
「俺は褒めてはないで」
お前は褒めろ、と侑の背中を叩きながらツッコミを入れる。
「全てを懸けて走ってくれるて、託された方はかなり力になるし、去年の柴さんの気持ちがよう分かったわ」
茶川が笑って言うから、俺は少し恥ずかしくなる。
「縁の下の力持ち…!影の立役者かぁ!」
「いやあ、そんな大層なもんじゃ…」
「俺の3位はみょうじと一緒に取った3位やねん。ほんまに最後の最後まで一緒に戦ったもん」
な、と笑う茶川が良い笑顔しているから俺はもう胸の奥がじん、ときていた。
「茶川ぁ、お前…っ」
「はっはっは、照れるなや」
急に暑さを強く感じて、とパタパタと白シャツの前を掴んで風を作る俺に侑が目を細めて見下ろしてきた。
「…何顔赤くしてんねん」
「してねえわっ」
面白くなさそうに睨むような視線。その視線の温度差が自分の状態をさらに刺激するには十分で。
「耳まで赤くすな」
なぜそんなに怒っているか分からないが俺の赤面にいきなりキレたように冷ややかな目で見てくる侑。周りにいる萩沼さんと茶川が急に静かになった。
萩沼さんと茶川に侑がごめんな、と目線で謝る。
本当に誰かどうにかしてくれないだろうか。ころころと変わる機嫌を隠そうとしないコイツの性格というよりは性質。
去年よりはマシになったものの、たまに出てくるこの『俺は今、不機嫌なんや』をあてられた時の理不尽さ。
侑と話す前までの俺なら「アッ,スイマセンッシター」と避けて視界に入らないように努めていたものの、宮侑の生態を知ってからは強くなったと思う。
基本的に同い年で、同じ男で、同じ男子高校生であることに変わりはないのだ。
容姿には随分と大きな差はあるが…。
「うるっさい、お前もう前、向けっ」
睨んでくる視線をシャットアウトして、侑の体を反転させるように無理やり筋肉の塊とも言えるがっしりした体を押しやる。
はぁ、恥ずかしい。と頬に手を当てながら自分の顔の火照りを気にする。後ろから角名の声が降ってきた。
「噛みつかないようにちゃんとしつけしてよ。威嚇しまくってんじゃん」
後ろをちら、と向いて薄く笑う角名に返す。
「チロルにさえ振り回される俺にそれ、言うか?」
「チロルと変わんないっしょ」
「いや、チロルは可愛いし、俺に癒しを与えてくれる存在だからな。ジャイアンとは天と地の差が「あ?何か言うた?言うたやろが?」いいから、お前は前を向けっ」
ぐるん、と凄みを聞かせて振り向いてきた侑をもう一度力尽くで前に向くよう押す。押してもぐぐぐ、と抵抗して後ろを見てくる侑と格闘していると角名が後ろで面白そうに笑った。
『ええと、では今から全国高等学校総合体育大会、インターハイ表彰式ならびに吹奏楽コンクールの表彰を行います。』
先生のアナウンスがマイクを通して体育館に響く。
『表彰される生徒、部活動は前に出てください』
「ほらっ、呼ばれたぞ」
まだ不機嫌そうな侑に横っ腹を小突いた。このままだと不機嫌オーラ全開で前に立つ可能性が十分にある。いや、確実に『不機嫌です』を顔に貼り付けていくだろう。なんていったって取り繕うということを知らない奴なのだ。
そんなことをしてしまっては表彰する校長にも申し訳ないし、ミャーツムかっこいいとか宮先輩素敵とか、目を輝かせている生徒達にも申し訳ない。
自分の人気を平気でへし折っていくこいつには何とか通常かそれ以上のコンディションで前に出てもらわなければ、と俺は考えた。
「宮せんぱぁい、かっこいいとこ期待してますよぉっ」
両手の親指を立てて見せ、にこりと笑って言ってみる。
「キッショ」
侑が俺の顔を一瞥して、吐き捨てるように言った。返ってきた反応に俺を瞳孔を開いた。
「あ…??キショいだと?ぜってぇー許さねえ、もういいわお前の心配した俺がバカだったわ、どこにでもいけ、知らん、地獄に落ちろ。俺のスペシャル大サービス返せ」
ぽんぽんと侑に投げ返して、ふんと顔を逸らす。同時に、侑の吹き出す声が聞こえた。
「ははっ、スペシャル大サービスて何なん」
歯を見せて笑う侑が楽しそうに鼻に皺を寄せる。その笑顔に周りの女子がほわりとしている。
はい、侑クンのコンディション戻りましたーー。
ほんっとうに世話の焼ける奴だ、と俺は内心安堵した。
「早く行けよ」
「ちゃん見とけや、居眠りしとったら許さへんで」
「へいへい」
前に出ていく茶川が笑いながら視線を送ってくる。「みょうじ、さすがやな〜」とでも言いたそうなその目に肩をすくめて応えた。