高校の時、1回だけ人を好きになったことがあった。
本気で、好きだった。そんな時が俺にもあった。
俺が恋したのは同性の遠い存在の人だった。誰にも打ち明けることなく、卒業と一緒に恋心も置き去りにして社会に出た。
当然だった。だって俺の恋した人は、目の前にでかでかと貼られたポスターに写っている遠い遠い存在。
俺はいつも見ることしかできなかった。今みたいに。
ポスターには 朔間零 と大きく書かれた文字と誰をも惹き付ける美貌を余すことなくさらけ出した本人が写っていた。
まるで同じ高校に通っていたという事実がなかったかのように感じるほど遠い存在になってしまった。
ほう、と吐き出した息を置いて踵を返して駅に向かった。
過去のことを思い出して淡い想いに浸りながら、駅のホームに着いた。
もう終電間際で誰もいない。肌寒い風が吹いて、そろそろコートが必要か、と考える。
電車が来るまであと5分。帰ったら風呂に浸かって早く寝よう。このむず痒くなった気持ちを寝て忘れてしまいたい。
誰もいない静かな空間で1人突っ立っていると、足音とともに隣に人の気配を感じた。
数mは離れているが、こんな時間に電車に乗るのはどんな人なんだろうと気になり、隣をちらりと見てみた。
同じ電車に乗るのは男性みたいで、背が高く、すらりとした体型をしている。
彼も気になったのか、こちらをちらと見て、それから息を飲んだ音がした。
「なまえ…?」
まさか自分の名前を呼ばれるとは思わなくて、びっくりした俺は返事をする余裕もなくこんな人知り合いにいたっけ、と思考をめぐらせた。
顔は帽子とサングラスをしていてよくわからない。空気に晒された喉仏がやけに白く見える。
「あ、の…。どこかで会ったことありますか…?」
どう考えても心当たりがないため、素直に聞いてみた。
俺の名前を知っている彼は帽子とサングラスを手早く取って、俺を見た。
帽子の下からあらわれた顔を見た瞬間、俺は頭がどうにかしてしまったのかと思った。
先ほどまで街中に張り出された大きなポスターの中にいた人が目の前にいるのだから。
「…さ、朔間さん?」
「…良かった。忘れられたかと思った。」
そんな、忘れるわけないのに。忘れたくても忘れられないほど俺の中にいたのに。
安堵した表情の後に少しムッとした顔で矢継ぎ早に声が返ってきた。
「携帯変えたのかえ?全然連絡つかんし…。」
「あ…。はい。」
高校卒業してすぐに携帯は変えた。断ち切るように。新しい自分として生きていくためにある意味決別したようなものだった。
「何で連絡先、教えてくれなかったんじゃ。」
「それは…」
何て返したらいいんだろう。あなたの連絡先が携帯にあると未練がましくて辛いから、なんて言えるわけない。
「あと、名前。」
「え?」
「昔は零先輩って呼んどったはずじゃが?」
「あ、ああ…。」
「朔間さん、なんて他人行儀な…」
「だって…朔間さんは俺が気安く呼んでいいような方じゃないですよ。」
そうだ。昔は零先輩って呼んでた。俺が精一杯、頑張ってできたアピールだった。少しでも仲良くなりたくて、後輩として可愛がられたくて、バカみたいに馴れ馴れしく呼んでた。回りには大神やアドニス、たくさん後輩がいたのに。脇目も振らず、その呼び方で呼んでは内心照れていた。
「あの時の俺は…ばかだったんで…」
ホームの先に視線をそらし、もうすぐ来るはずの電車を待つ。
今隣に立つ朔間さんは、あの時よりさらに輝きが増して、かっこよくなっていた。
置き去りにしていた想いがじわりじわりと湧き上がってきていて、早くこの場を去りたかった。
もうあんな苦しくてもどかしい思いをするのは嫌だから。
早く帰って、今日あったことは忘れたい。俺の生活にこんな非日常的なものはいらないんだ。
「それ、本気か?」
明らかに不機嫌そうな声だ。テレビに映る朔間さんは万人受けのキャラなのに、久しぶりに昔の朔間さんが見えて微笑ましくなった。
少し、苦しい。でも、嬉しい。
懐かしいあの頃に、少しだけ戻ったような気がした。
それも、一瞬で終わる。すでに電車が見えて、ホームに入ってきている。
ここで、またさよならだ。今日の再会だって偶然であって、次、なんてないだろう。
最後に本当に過去の自分を吹っ切るために俺は行動しなくちゃいけない。
ホームに着いた電車に2人で乗り込む。
「朔間さん、忙しいでしょうけどお身体に気をつけてくださいね。応援してます。」
うまく笑えているかわからないが、朔間さんの目を見て話す。
「今までも、これから。遠くで、見てますから。」
それだけ伝えて、ドアが閉まる前に、電車から出てホームへ降りた。
閉まる音とともに、振り返ると朔間さんは手を伸ばしたまま困惑した表情をしていた。
「ばいばい、零先輩。」
最後だけ呼ばせてほしい。
開いた手をひらひらと振って、愛想笑い程度に微笑んだ。
聞こえるはずがないのに、俺の発した言葉が分かったのか朔間さんは、目を見開いてドアに手を叩きつけた。
何か言っているが、聞こえない。そんな朔間さんを乗せて電車は発車し始めた。
俺は最後まで朔間さんを見てられなくて、背中を向けて改札の出口へ向かった。
終電を逃したタクシー代よりも、すぐにでも朔間さんと離れるのを優先した。
そうでないとあの時みたいに辛くて歯がゆくて、もどかしい想いに晒されそうだったから。
「さよなら。朔間さん。」
ぽつりと呟いた言葉は寒空に消えていった。
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