教室に入るとなまえの笑い声が聞こえた。
「あ、羽風くんおかえり。」
俺の席に座って近くのもりっちと話していたなまえが俺に気づいて手を上げた。
「何話してたの」
「んー、ヒーローの話。」
屈託なく笑うなまえを見ると胸が締め付けられる。
「ふーん、お昼、屋上行くけど」
「あ、じゃあ俺も行こっと。」
廊下に出た俺についてくるようになまえが後ろからきた。
なまえは退院して学校に通い始めた。でも記憶は戻っていない。
何も覚えていないなまえは皆とは初対面と同じ。最初はとても大変そうだった。ついていけない話ばかりで困ったように無理やり笑いながら相槌を打つ姿に俺は目を逸らしたくなった時もあった。
それでもなまえは元々人付き合いが良かったしすぐに皆の中に入っていった。
それは、とてもいい事なんだろうけど俺は1日でも早くなまえに記憶を取り戻してほしかった。
思い出すきっかけになりそうな話や人を連れて来てみてもダメだった。どうしたらなまえの記憶が戻るのかなって。そればかり毎日考えてる。
「あー、屋上気持ちいいね。」
屋上のベンチで寝っ転がるなまえをちらりと見た。
「覚えてる?なまえ昼休みによくそこで寝転んでたんだよ。俺が起こしてあげたりしてたんだけどさ〜…」
「え、ほんと?でも確かにここ気持ちいいし昼寝するには最高だよね」
「…覚えてない?」
覚えてるって言ってくれたら…。そんな願いで聞いてみるけど答えなんてわかってる。
「……ごめんね羽風くん」
眉を下げて笑うなまえに分かってばいたけど気分が沈む。
「…なまえさ、俺の事、薫って呼んでたんだよ…」***
羽風くん、なんてよそよそしい呼び方じゃなくて薫、薫っていつも呼びかけてきていた。
「なんか俺も慣れないしさ、薫って呼んでよ」
軽く肩を竦めながら笑ってそう言えば、そうだねって返事が返ってくるかと思ったのになまえは地面を見つめて曖昧に笑った。
「…そうだなぁ…。でも俺は羽風くんって呼んだ方がしっくりくるし羽風くんじゃだめかな…?」
まさか断られると思わなかった俺は少しむっとした。
「…でも思い出すきっかけになるかもじゃん。」
なんで?少しでも早く思い出せばなまえも楽なのに。何でなの?
訳が分からないような気持ちになりながらなまえを見ると、なまえは起き上がって俺に向き直った。
「…俺正直、覚えてないって少し不便だけど無理に思い出さなくてもいいかな、って思うんだ…。」
「でも、思い出さないと…」
「皆、何にも覚えてない俺でも優しくしてくれるし…。なんか…自分が知らない自分のことを知るのって怖いなって…。だからこれからは…いや、過去も俺なんだけど俺として生きていきたいっていうか…」
俺、言ってることぐちゃぐちゃだな〜と笑うなまえに俺の方こそ頭の中がぐちゃぐちゃだった。
なにそれ…。
思い出さなくていいって、これからまた再スタートしたい、なんて。
そんなの俺とのこと思い出したくないってこと?
俺と付き合ってたことも何もかも思い出したくないってこと?
「なにそれ……」
「え…?」
思い出さなきゃ俺とのことなんて、何もなかったのと同然だ。
「…っ、なまえは、 俺と海に行ったことも、体育館の裏でサボったことも、…全部、全部覚えてないの?」
俺の口から強い口調で出た言葉になまえは、口を開いて何か言いたそうにしたけど、また閉ざした。
「…、羽風くん、ごめん…」
ぽつりと言ったなまえのごめん、が静かに屋上に消えていった。
…確かにそこにあった記憶はもう俺しか知らない過去なんだろうか。
なまえと手を繋いで笑った記憶も、海で初めてキスをした記憶も全部全部、なかったことになるんだろうか。
そこにあった愛がぽん、と手を叩いたように消えるのは置いていかれたようにすごく心寂しくて、怖かった。
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