「卒業生代表挨拶──」

3年間通った夢ノ咲学院の卒業式はアイドル科だけあって盛大だった。

別れを惜しむ在校生や未来に期待を秘めた卒業生、後輩に意志を継ぐ卒業生、様々な姿を横目に俺は1人の姿を探していた。

卒業式が終わっても賑やかな学校を抜けて卒業証書が入った筒を持ったまま近くの海に行く。

まだ肌寒い3月、冷たい海風が頬を撫でた。

目を凝らすと水色の制服姿を見かけて、探していた姿をやっと見つけた。

急ぐわけでもなくゆっくりとした足取りで向かう。

これから話すことなんて何も考えていないけど体が自然と動く。

砂を踏む足音に気づいたのか、海を見ていた顔を動かして俺を見た。


「羽風くん…」


少し寂しそうな顔で笑うなまえは羽風くんと俺を呼んだ。

結局、なまえの記憶は戻らなかった。

なまえは過去を思い出すこともなく、卒業を迎えた。

事故にあったあの日から今日の今日まで俺はなまえと「仲の良い友達」として過ごしてきた。ただの男友達として。俺と付き合っていた過去は知らないままだ。

結局、俺はなまえに本当のことを言う勇気がなかった。

今のままでいい、と。自分の知らない過去を知りたくないと言うなまえに本当は…本当は…と思いながら胸の奥底に閉じ込めたまま今日を迎えた。

今だって何でなまえを探しにここに来たのか分からない。ただ、卒業して離れてしまう前に本当のことを伝えたかったのかもしれない。

それでもやっぱりこうして本人を目の前にすると言い出しにくくて、口が重たかった。

「…皆まだ学校で騒いでるよ。戻んないの?」

「…うん、楽しそうだよね。でも何か寂しくてこうやって1人でいる方が落ち着くんだ」

「…なまえは卒業したらここを離れるんだよね」

「うん。羽風くんも朔間先輩とアイドル続けるんだよね?応援してるよ」

羽風くん。この言葉に何回胸を突き刺されただろう。

「まぁ、成り行きっていうか。あの人となら、やっていきたいなって思ったからさ。卒業してもなまえと会いたいし──」

連絡とろうよ、と言おうとした口はなまえの言葉に消された。


「…羽風くん。3年間ありがとう。羽風くんと一緒に遊んだの楽しかったよ。…実際、俺が覚えてるのは最近のことだけだけど、記憶がなくなった前のこととかもありがとう。多分、俺きっといっぱい羽風くんから良くしてもらってたんだろうなっておもって。…羽風くんはたくさんのファンがいてかっこよくて、きっとすごいアイドルになるんだろうなって思うんだ。俺は…ここを離れて多分皆ともうほとんど会わなくなると思う。羽風くんも今以上にどんどん仕事が来て引っ張りだこになっちゃうから、次会うのはほんと何年か後かな…。いや、もう何十年後だったりして」

くすくすと笑うなまえはそんな未来を想像しているのか肩を震わせた。

「その頃には…羽風くんも素敵な女性と結婚して…パパになって…可愛い子供がいて…幸せな家庭を持つアイドルになってるかな…」

なまえの目は遠く海の向こうを見ていた。その目の色がどんな感情を表しているのか分からない。

今、なまえは普通の家庭を持つ俺を想像してるんだろうか。奥さんがいて、子供がいて、パパと呼ばれる俺を。

なまえのいない未来。そんな未来が来るなんて考えるだけで胸が苦しくなった。

「…あれだけ女性にモテモテだったのに、ついに生涯の伴侶を見つけたか〜、それはもう運命だな!なんて言って居酒屋とかで話するのかなあ」

あはは、と笑うなまえの声は乾いていた。

そんな未来、俺は想像したくないよ…何でなまえがいないの?

俺と、なまえ、2人で生きていくっていう未来があってほしい。俺の隣になまえがいてほしいと願った気持ちはもうずっと前から変わっていないんだ。



「…羽風くんにはきっとそんな幸せな未来が来ると思う。大人になってそんな話ができるといいな。だから、いつか…また会う日まで…」

お互い元気で、と言いかけたなまえのことばを遮った。

「なまえ、2人で最初に海に行った日のこと覚えてる?」

俺の突然の問いになまえは少し目を見開いて首を傾げた。
*
「え…?…事故にあう前だったら…おぼえてないよ」

「なまえと2人で夕方、放課後にここに来たんだ。…仲が良かったよ。俺にとってなまえは一緒にいて楽しい友達だった。」

「……。」

「海に来てさ、何するわけでもなくただぼーっとしてて。適当に話してたんだよ。今日の授業まじ眠かった、とか明日の体育だるいとか…そんな話してたらなまえがいきなり貝殻拾いはじめてさ。何してんの、って言ったら海で拾った貝殻を好きな人に上げると両想いになれるんだ、とか言って。」

「ええ、そうなの…?」

「なにそれ、そんなの聞いたことないんだけど〜って言ったら、俺ルール!なんて言っちゃってさ、ほんとあれは笑ったよね」

「そんなこと言ったんだ…」

目を伏せて地面を見たなまえはぽつりと言葉を漏らした。


「それでさ、夕暮れの海に負けないくらいなまえが顔真っ赤にして、拾ったひとつの貝殻を俺にくれたんだ。これあげる、って。俺、面白くて なにそれ〜俺と両想いになりたいわけ?って笑ったらなまえ、黙って俺見てたよね。好きなんだ、ってなまえが言ったんだよ。…男なんて無理げろげろって普通なら思うはずだったのに、なまえを見て、なまえなら…好きになれるのかな、って思って俺からキスしてみたんだよ。そしたら全然嫌な感じとかなくて、キスして驚いたように照れてるなまえを見て可愛いなって思ったんだ。」

「……俺はそんなこと覚えてないよ…。」

「いいよ。俺が覚えてるから。なまえが覚えてなくても、そんな過去のこと忘れてても、俺が覚えてるから。俺が全部なまえの言葉も覚えてるから。絶対忘れない。」

「………。」

「なまえが俺を好きじゃなくっても、海に行ったあの日のことも、他のことも全部なまえが忘れても俺は忘れないよ。」

ポケットの中から白い巻き貝の貝殻を取り出して、なまえに見せた。

手の上にのっているそれを見て、なまえは何かに耐えるように唇を噛んだ。

「これね、なまえがくれたやつ。……あの日からずっと持ってたんだ。なまえが事故にあってからもずっと。ずっと。いつか思い出してくれるかな、って薫って呼んでくれるかな、ってずっと持ってた。これがあるとなまえが俺のこと好きだよ、って言ってくれてる気がして……。あはは、もうなまえは俺の事なんか好きじゃないのにね。…でも俺はこれをこれからもずっと、持つよ。何年、何十年かかっても、なまえが思い出さなくても俺はずっとなまえがくれたこれを持ってるから。」

真っ直ぐなまえの目を見て伝えると、胸の奥底にたまっていた何かが消えた気がしてすう、と楽になった。

多分、俺は伝えたかったんだ。なまえに。

なまえの記憶がなくても、俺はずうっと前から君に恋してる。
変わらずなまえのことが好きだ、と。

唇を噛んでいたなまえの顔が歪んで、息を吐いた。


「……っ、ずるいよ…」

「………。」

「そんなこと何で覚えてるの…。貝殻なんて…捨てちゃえばよかったのに…っ」

ポロポロとなまえの目から涙がこぼれ落ちた。

「薫は…ずるいよ…」

久しぶりに聞いた、かおるという言葉に俺はきゅう、と胸が締め付けられた。それはなまえも同じようでさらに涙が溢れるように目尻から落ちた。

「……思い出してたんだね。」

「…っ、ぅ……、せっかく…このまま離れられると思ったのに…っ、」

「俺は嫌だよ、そんなの」

「…薫は女の子と一緒になった方が幸せになれるんだよ…っ。だからっ、このまま…っ友達のままで…っ、いようとしたのに…」

「…俺はなまえと友達のままでいるのは辛かったよ。ずっと1日でも早く俺のこと思い出してほしいって思ってた。」

「…、薫は女の子といる方が輝いてるし、俺との先のない未来より、可能性のある未来を歩いてほしいんだよ…っ」

「…俺はなまえがいい。なまえはどんな子よりも俺にいっぱい好きをくれたよ。事故にあってなまえが記憶を失って思ったんだ。俺はなまえみたいにいっぱい好きを返してあげられてなかったなって。すごく後悔した。なまえからもらえる好きが当たり前だと勘違いしてたんだ。俺は馬鹿だったよ。だから気づいてから、ずっとなまえに好きをたくさんあげたかった。なまえと一緒にいる未来はきっと楽しくて俺を幸せにしてくれる未来だよ。」

「…っ、」

「…やっと、伝えられた。俺はなまえのことが好きだよ。だから、これからも俺と一緒にいてほしい。…こんな俺でもいいかな…。」

そっとなまえに近づいて、涙で濡れた頬を拭った。

「…薫は…っ、ほんとにずるい…っ、最後の最後に…っこんなの、」

「ごめんね。でも最後にしないでよ。ここがまた俺となまえの2人のスタートにしよう。これからのこと、話そう。」

腕を回してなまえを抱きしめると俺の腕の中でなまえは泣いていた。

「…あっ、なまえはまだ俺のこと好きでいてくれてる…?」

「…っ、当たり前…じゃん…っ、」

「…っ、よかった…。」

「薫を…嫌いになんて…なれない…」

「…ありがと。」

なまえの唇にそっと自分の唇を重ねた。事故にあって以来触れていなかったそこは久しぶりの感覚に懐かしいような、照れくさいような気持ちが生まれた。

「…ねぇ、なまえ。いつから思い出してたの」

「…事故から数ヶ月後くらい…」

「……、はぁ、ほんとよかった。俺本当にこのまま思い出してくれなかったら生きるの辛いって思ってた」

「…大袈裟だよ…」

「ほんとだって。…だってそれぐらいなまえのことが好きだから」

なまえの顔が赤くなって、俺から目を逸らした。

「……何か薫から好きって言われることほとんどなかったから変な感じ…」

「今度から気が滅入るくらいいっぱい言うから覚悟しといてよね〜」

もう涙は止まったなまえと俺は一緒に笑った。



好き、をたくさんの好きを渡していこう。
俺の未来はなまえが隣にいる未来。

2人で一緒に1歩ずつ歩いていこう。



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