ブォォォーというドライヤーの大きな音の割には柔らかい風が頭にかかる。

わさわさと手のひらで髪を触られて、時折撫でるように乾かす瀬名泉の手についつい寝落ちしそうになっている。

うつらうつらと船を漕ぎそうになるたびにクイッと引かれて後ろにいる瀬名にもたれた。

「眠いの?あとちょっとで乾くから我慢して。」

後ろから顔を覗き込まれて、瀬名のその整った顔が至近距離にあった。

整ってない俺の顔に顔を近づけられるなんて瀬名は物好きだな、と思いながら我慢できなくて意識を手放した。




瀬名に拾われてから1ヶ月がたっていた。

瀬名の仕事はアイドルとモデルらしい。
道理で顔やスタイルが良いわけだ。

初めて会った日、ここから出ていこうとした瀬名がここに住めば?とまるで猫を拾ってきたかのように俺にここに住むように言った。

そんな上手い話、世の中に転がってるわけないので普通に断って帰る場所もないけど出ていこうとすれば、じゃあ仕事をあげると言われ家事という仕事を俺はもらった。

住み込みで掃除や家事をする。それでお金をもらう。

立派な仕事だ。だけど、俺はすぐに今回もクビになるだろうと思った。だって今までの仕事も全部無気力すぎてすぐにクビになるからだ。

それなのに不思議と続いている。なんでだろう。

瀬名は言う。何で言われたことはちゃんと出来るのに今まで仕事が続かなかったのか、と。

俺は答えた。 やる気がなくなるから、と。

なぜと聞かれて、俺は生きる意味がないから、と素直に答えると瀬名は難しそうな顔をした。

別に瀬名が考えることじゃないのに。

まあ、こうして住む環境とお金を貰えていることはありがたいので俺も頑張りたいとは思っている。

薄汚い俺を綺麗にしてくれたお礼もある。だから、言われたことだけじゃなくてプラスアルファで動こうと思った。


今日は瀬名は電車を使って仕事に行った。いつもはバイクか車で出るけど、電車の今日に限って外は土砂降りだった。

朝は降ってなかったし、天気予報も雨が降るなんていってなかったから瀬名は傘を持って出ていなかった。

瀬名から与えられたスマホがピロンと鳴り、メッセージが表示された。

今から帰るという内容に、外を見て思いついた。

そうだ、傘を持って駅まで迎えに行こう。

内心、拾ってくれた飼い主に奉公する気持ちになりつつ傘を取って高層マンションを出た。

瀬名はびっくりするかもしれない。
瀬名の微笑んだ顔や俺が寝落ちした時の怒った顔、イラついた顔は見たことあるけどびっくりした顔はまだ見たことがない。

少しだけわくわくして足取りは軽かった。

そういえば、親が死んでからこんな気持ちになったことないかもしれない。

なんかそんな浮かれた自分がちょっとだけ気恥しくて水たまりを蹴りながら歩く。

しばらくしたら駅が見えてきて、駅の中には入らず外で瀬名が出てくるのを待った。

傘を指して立ちん坊している、俺の片手には瀬名用の大きく黒い傘。

俺を見たらびっくりするかな、ありがとう、って褒めてくれるかな。

どんな反応をするだろうと考えているとたくさん人が出てきて電車が駅についたのがわかった。

足早に出てくる人々の中に銀髪の人を見つけて瀬名だと気づいた。スタイルが良くてしっかりとした姿勢と歩き方に人混みの中でも瀬名だと分かる。

俺に気がつくかな。ウズウズするような思いで瀬名を目で追っていた。

駅から出ようとした瀬名の後ろから明るいオレンジ色の髪の男がやってきて、楽しそうに雨の中に飛び出た。

それを見た瀬名が驚いたような顔をしてすぐにオレンジ頭の男を掴んで、その人が持っている鞄に手を入れて折りたたみ傘を出した。

瀬名はその傘を広げてオレンジ頭の男と傘の中に2人で入った。
楽しそうに笑うその男を、呆れたような顔をしながらも笑う瀬名の顔を俺は見たことがなかった。

なんかすごく心臓が痛い。
心臓の下らへんが痛くて痛くて仕方ない。

持っている傘を前へ傾けて俺は自分の顔を隠した。

瀬名とその男は2人で駅から遠ざかっていった。

瀬名とあの人の関係は知らないけど、瀬名はあんな風に笑い合える人がいるんだ。

俺には誰もいない。いないけど最近は瀬名がいつもいるから少し勘違いしてた。

瀬名にはちゃんとそういう人が周りにいて、俺はやっぱり1人。

そうだよ、だって俺、拾われたドブ猫じゃん。瀬名の友達でも何でもない。

ただのそこら辺にいた薄汚い人間だ。たまたま瀬名のジョギングコースにいて、瀬名の良心で拾われただけで、そうじゃなかったら俺はそのままドブの中で生きてただろう。

やっぱり俺は1人。

持ってきた傘と一緒に駅から離れた。何も考えずに歩いて歩いて歩いた。

気づいたらいつの日か瀬名に拾われた公園に来ていた。

あのベンチの前だ。

立ち尽くして、何もない雨に打たれているベンチを眺める。

俺、ここで野垂れ死んでたはずなのに。

今ならまだ間に合うかもしれない。

さしていた傘を手から離した。バサッと地面に落ちた傘には目もくれず、ベンチに座った。

じわりとお尻に水が浸透する嫌な感覚がした。雨から遮るものがない俺はどんどん濡れて髪も服もびしょ濡れになった。

だんだんと強くなる雨に溺れ死にそうだ。ゆっくりとベンチに横たわった。

このまま死んだら明日の朝には誰か見つけてくれるだろうか。
寒くなってきて唇が震える。

1ヶ月だったけど、美味しいもの食べれて温かい風呂に入れて、柔らかい布団で寝れて幸せだったなあ…。

生まれ変われたら独りぼっちにならない人生を送りたい。

それだけだ。

打ち付ける雨に混じって目から生暖かいものが流れ出たのは涙かもしれない。

まあ、もう死ぬからどうでもいいか。

目を閉じて激しい雨音を聞きながら無になろうとしていると、雨音ではないバシャバシャという音が聞こえてきてだんだん音が大きくなってこっちに向かってきている。

誰か走ってるんだろうかと思った瞬間、服が上に引っ張られて横たわっていた体が持ち上げられた。

誰だ俺の死を邪魔する奴は、と目を開けると全く予想してなかった人がいて驚いた。

「何してんの!?馬鹿なの?!?!」

せっかくセットした髪や綺麗に扱っている服が雨に濡れるのは大嫌いだろうに、瀬名がそんなことお構い無しに俺を掴み上げていた。

「なんで…」

「帰ったらいないし、電話には出ないし!!そしたらこんな雨の中…!!死ぬ気?!」

瀬名のこんなに怒ったような顔初めて見た。瀬名はさっきみたいな笑った顔の方が何倍もいいと思うのに。

俺は瀬名にそんな怒らせるようなことしかできないのか。

「…ほっといて。迷惑かけないから。」

俺が死んでも瀬名には迷惑かからないだろう。むしろ俺みたいなドブ猫の居候がいなくなって快適かもしれない。

「馬鹿!!!大馬鹿!!!ふざけるな!!」

「…何でそんなに怒るの。」

「怒るに決まってるでしょ?!?!誰が死んでいいって言った?!」

「俺が死んでも誰も困らない。」

「俺が困るの!!」

「…何で?居候はいなくなるし、良いことばかりだよ…。」

「ほんっとに馬鹿!!!一緒に住んでる家族でしょ!?家族が消えたら悲しいでしょ?!」

うん、悲しいね。知ってるよ。その悲しさ。悲しくて悲しくて心が、胸が、張り裂けそうなくらい痛いんだよ。

そんな痛みを俺が死んだら瀬名は感じるって言うの?

「…おれ、家族なの?」

「…家族って思ってたのは俺だけなの?一緒に住んで一緒にご飯食べて一緒に過ごすのは血が繋がってなくても家族みたいなもんじゃないの?」

「…っ、か、ぞくなの…?」

「…俺はそう思ってるけど。」

「…っ、うっ、」

喉からこみ上げる嗚咽にうまく息ができない。この感情が何なのかもわからないけど、今は涙がとめどなく出てきて止まらない。

「…っ、か、さ…。傘をっ、わたそ、とおもっ…って…」

「え…?」

俺も瀬名も雨に打ち付けられていて、俺の頭の中はぐちゃぐちゃで俺が傘を持って駅に行ったことを伝えようとなぜか口から出ていた。

「…や、やっ…ぱり…っ、おれは…!1人だ、って…っ!」

喋るたびにひくひくと喉が震える。瀬名は俺を掴んでいた手を緩めてそれから、俺を覆うように抱きしめた。

「ああ!もう!!」

冷たくなった俺の体を温めるように手で体を摩っている。

俺より少しだけ背が高い瀬名が俺の顔を覗き込んできた。俺は泣いてぐしゃぐしゃの顔だろう。

「あれは仕事仲間で友達だから。…なまえは1人じゃない、俺がいるでしょ?」

「…俺は瀬名と友達じゃない…。瀬名のこと、っ知らない…」

「家族、なんだから友達なわけないじゃん。なら、これから俺のこと知って。話すから、一緒に過ごすから。」

「だからもう死のうとしないで。…家に帰ろう。」

強く抱きしめられて瀬名の温かさが体に伝わってきた。

瀬名の匂いとともに体に染み渡るこの温かさが何なのかまだ俺は知らない。

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