09
動悸がする。
さっきから全く進んでない。
足は動かしているはずなのに、全身が拒否しているかのように足取りが重くて一向に進んでない。
こんなペースじゃ言われている時間に間に合わないだろう。
そうは分かっていても進まないものは、進まない。
数歩歩いては止まる、の繰り返し。
目的地に近づくたびに耳鳴りと頭痛がひどくなってくる。お腹も痛いし、まるで自ら地獄に向かいに行ってるようなもんだ。
それでも足を動かせば着くもので、視界の先にしばらく見ていなかった校舎が見えてきた。
携帯を見て時間を確認する。約束の時間から30分ばかり遅れている。
重たい足取りのまま、できるだけ校舎に近づいた。
あと100m。もう無理だ。これ以上近づくことはできない。さっさとここまで来たという証拠写真でも撮って帰りたい。
そもそも入るのに許可がいるアイドル科なんかに入れるわけないだろ、と思う。そして俺はここに来る途中にあることに気づいた。そういえば今日は4月に入ったばかり。
俺は3年になった。で、この間脅してきた朔間零は俺より一つ上なわけであいつはもうこの学校にはいないはずだ。
それなのに馬鹿みたいにアイツに恐れて言いなりになってここまで来てしまった自分に反吐が出そうだった。よく考えればわかることなのにそれさえも気づいていなかった俺。本当に馬鹿だ。
矛盾ばかりの可笑しな現状に苛立っていると、アイドル科の校舎のところで1人誰かが立っているのが見えた。
制服を着ているからきっと生徒なんだろう。何してんだよ、早く教室に入れよ。と自分のことは棚に上げているとなんとこっちに向かってきた。
何でこっちに来るんだ…!
予想外の事に驚いてすぐに踵を返した。
「あっ!待って!待って!」
今この場所に俺は1人しかいなくて、呼び止められたのは俺だと考えざるを得ない。同年代の子と話す耐性を持ち合わせていない俺は振り向けず歩く足を早めた。
「ちょ、ちょっと!みょうじくん…ですよね?」
俺の名前が出てきて足を止めてしまった。ちらりと俺を読んだ人を見た。
人好しそうな顔でウェーブがかかった髪、メガネをかけていて柔らかそうな雰囲気だ。
俺の名前を知ってるということはこいつも朔間零と絡んでいるやつなのか。とにかく俺は不審に思って咄嗟に否定した。
「ち、違います…」
「ええ?違う?困ったなぁ…。でも、みょうじくんが8時に来るからって…言われてて…」
ああ、まさかこいつは8時に来るのを信じて待っていたのか?来なかった可能性もあるだろうに。
「まだ来ないのかな…。」
ずっと待っている彼には少し罪悪感を感じたが俺は自分の身が可愛い。
「人違いなんで…じゃあ…」
「零くんに頼まれて待っているんですけど…。」
零くん…?おい、そいつはもう学院にはいないはずだろ?関わる予定ではなかったが、少し気になって聞いてしまった。
「あ、あの…朔間零って…もう卒業したんじゃ…」
「ああ、零くんは留年して今年も3年生なんです。」
「は…。」
そんなことって有り得るのか?まだ夢ノ咲にアイツがいるなんて…。ますます学校に行きたくなくなった。アイツのせいで俺の高校生活全部水の泡だ。
アイツに対する嫌悪感でいっぱいになっていたところで声をかけられた。
「君は…、夢ノ咲の生徒ですよね?」
「…まあ。」
「何科なんですか?」
「普通科…。」
「そうなんですね!今日普通科からアイドル科に変わってくるみょうじくんって子がいるんですけど聞いたことは…ないですか?」
…俺だよ!だけどそんなこと絶対言ってやらない。
「知らないです…。」
「そっかぁ…。はぁ、このまま来なかったらどうしよう…。俺3年初日から早々サボっちゃうことになるのかな…。」
うう…。俺のせいなのか。それは俺のせいなのか。
不登校になっている時点でサボりなんてどうでもいい俺は俺のせいで他人がサボることになるのは罪悪感でいっぱいになった。
ああ、どうしよう。名前を言ってしまうか、名前を言わずに帰るか。でもそうしたらこいつはずっとここで待つはめになってサボってしまうことになる…。どうしようどうしよう。
眉間に皺が寄るのを感じながら、罪悪感との押し問答に集中する。
「あ、君の名前は?」
「みょうじ…なまえ」
頭の中でぐるぐる考えている俺は名前をひれ伏していることなど忘れていてポロリと口から出してしまった。
あっ、と思ったが遅かった。
えっ?と見つめてくる大きな瞳にいてもたってもいられず目を背ける。
「ち、違…」
「よかったぁ!みょうじくんなんですね!はぁ、安心した…!」
心底ホッとしたような顔でふわりと笑ったコイツに少し救われた気がした。
「あ、もう時間もないから行きましょう!」
「ちょ、ちょっ!」
腕を取られて校舎へ向かって歩き出す奴に抵抗する。
「アイドル科なんて…。無理。今日はただアイツに言われてここに来ただけで…!」
「…、まあ普通科からの編入はあまりないけど今年は2年生にも転校生が来るらしいですよ。しかも女の子。だから…みょうじくんはそんなに目立たないと思いますよ俺は。」
まるで俺が考えていたことを見透かすかのようにそう言った。
「零くんがみょうじくんのために動いたってことは、きっとみょうじくんにとっても悪いようにはならないと思うんです。…零くんは悪い人じゃないですから、大丈夫。」
真っ直ぐ俺を見て話しかけてくる。
「あ、自己紹介忘れてました…!俺の名前は青葉つむぎ。よろしくお願いしますみょうじくん。」
ふわりと首を傾けて微笑んだ青葉の顔は紛れもなくアイドルそのものだった。
俺はとてもやっかいなことになったと感じたが、ずるずると連れていかれる中でこの先のことが全く想像できなかった。
ただ一つ、分かるのは既にアイドル科というものに対して全身が拒否反応を示しているということだけだった。