夏の終わりに
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時刻は、昼の十二時を迎える頃だろうか。
寝坊助な太陽がまだ空の頂点に達さない頃、意味もなく大声を上げながら部屋に走り込んできた男がいる。それは、目当ての者がいないと分かると、埃ひとつ被っていない黒色のソファに当たり前のようにどすりと腰かけ、不躾にも此方の顔を一瞥し、大きく溜め息をついた。
「俺はお前を癒す為に生まれてきた訳じゃない」
「俺だってエリオルに癒されたくなんかないね」
わざとらしく肩をすくめて首を左右に振る彼に睨みを返すとベッと舌を出してきた。それが少女の仕草なら愛らしいモノなのだが、三十路前のオッサンにやられた所で微塵も心に響かない
「ロズリアちゃんどこ行ったの?」
「友人と食堂」
「え、友人?え、誰。女の子?男?」
対象を友人とぼやかしただけで突然慌てふためき出した男は、ソファから立ち上がりズイズイと此方に歩み寄ってきた。距離どころか顔が近い。
「近い」
「男?どこの?お前の部下?」
このままではデコ同士がくっついてしまうほどの距離で瞳が交差すると、彼の海のような青く透けた左目に自分が写っているのが見える。こんなに近くで見る機会もあまりなかったな等と思いながら、瞳の中の自分を眺めると、中の自分がズイと近付いて見え
「おい」
鈍い音と共に鈍い痛みが額を襲った。
頭突きを食らわされたのだろう。反動で一瞬ぐらりと頭が首ごと後ろに揺れる。
「彼女を誘いに来たのはマーガレットで、彼女の同期」
「なんだ、マグちゃん!それならそうと早く言えよ」
さっきまでの眉間のシワはなんだったんだとばかりに、にぱっと子供のように笑顔になるとスキップしながらまたソファに帰っていく。───いや、
「いや帰れよ」
ここはルシオール隊が有する部屋のひとつで、別に出入りは自由だが、ほぼ四六時中俺がいる部屋なのもあり俺に用事のない隊員は寄り付かない。大抵は鍛練場にいたり、武器を磨いていたり、控え室にいる者は少ないが、資料を作成したり、まぁなにかと好きなように行動をしている。
しかし、こいつはフィンハースト隊に所属している。
ましてや一度もルシオールに正式に所属などしたことない、言ってしまえば部外者だ
「待ってたらロズリアちゃん帰ってくるでしょ?」
「知らん」
「いっつも一緒にいるくせに」
「別に、いつも一緒にはいない」
いや、確かに1日の中で一番誰といるかと問われれば勿論彼女が当てはまるのだが、それでもいつも一緒と俺が言うのは烏滸がましいというか、なんというか。
「ほんの数年前まではさ、エリ。いつも俺と一緒だったのにね」
そう呟いた男は、時が経つのは早いなと続けた。
「それはお前もだろ」
彼がグラハリッヒからフィンハーストに移籍したのが21歳の夏で、今俺たちは28歳にもなる。
ほんの数年前というほど近くもなく、かといって遠い昔の話でもない。それに彼の所属するフィンハースト隊は、昔から他の隊に混ざっての行動が多かったのもあり、所属している所が違うとはいえ、あまり離れた感覚もないまま時が流れた。
「ね、エリオル」
「なんだ」
名を呼んだ男に視線をずらす。やや右斜め前方に位置するソファに偉そうに腰かけていた男は、組んでいた足を組み換えてゆっくりと此方を見る。
「明日、何月何日か知ってる?」
そう言われて何気無く机に置かれた時計の日時を見ると、そこには「8月31日」と表示されていた。
秒数を表す数字が00を示す頃、同時に時計は12時14分を告げた。
「9月1日、だな」
「そ。つまり?」
「明日は新しい隊員が増えるな」
そう答えると、男は心底気に入らない答えだったと言わんばかりに眉をしかめて口は「はぁ?」と言いたげな形にかたまって、なんとも間抜けな顔をしていた。
「話の流れ的にそうじゃないだろォ」
とかなんとか言いながら、男はソファから勢いよく立ち上がると、また此方に詰め寄ってくる。
先程は机を挟んで向かい合わせだったというのに、今度は俺の椅子の真横に立ってきて、なんだなんだと考えているうちに、俺の襟元は彼の左手でグイと持ち上げられて、強制的に立ち上がる形にされていた
「なんだよ」
先程はデコ同士が当たるような距離だったが、今度は───こいつと、なんか考えたくもないが───それこそキスでもされそうな距離で目と目が合った。
「15年」
「は?」
彼の瞳の青に、写る自分の瞳は青く揺らいだ。
「俺達が会った夏から明日で15年だよ、エリ」
青は優しい色を帯びて、此方を見た。
吸い込まれそうな大海のような瞳を、一瞬まぶたが覆ったかと思うと、また開く。
「15年か」
噛み締めるようにその数字を口にすると、襟元を握りしめていた手は離れた。
「俺、人生でこんなに一緒にいれるのって、エリだけかもね」
冗談混じりにそう言って、ひとりで笑った彼の笑顔につられるように口元が緩んだ
「はやく結婚したらいいのに、お前」
「それはお互い様だろ」
「そうだな」
目があって、吹き出した。
そしたらなんだか止まらなくなって、声が出た。馬鹿みたいに笑って、笑って、意味もなく声をあげて、笑って。次第にお互いをくすぐりあってまで、無駄に笑わしあった。咳き込んでも止まらない笑いは、まるで壊れた2つの笑い袋のようだった。
どれくらい笑っていただろうか。目に涙をためるほど笑った友人が、ソファにふらふらと腰かけた様子を見て、流れるように自分もソファに雪崩れ込んだ。
荒れた息を整えるように、ゆっくりと深呼吸をする。
「明日式典が終わったら一杯付き合ってよ、エリ」
「依頼がなかったら、な」
そう返すと、男はまた勢いよく立ち上がる。
「じゃあ、また明日来るわ」
そのままひらひらと手を振って、部屋の外に出ていこうとする男に、声をかける。
「リュカ!お前、ロズリアを待つんじゃ?」
するとくるり、と此方を向き返った男はニッと歯を見せ
「今日は、いいや」
珍しくそう言った。彼の背中は、心なしか嬉しそうに、先刻スキップをしていた時よりも何故か楽しげに揺らしては鼻唄混じりに部屋をあとにした。
「あの歌、なんて歌だったかな」
20180902
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