「…………エリザベスの部屋?」
ゆっくりと上体を起こす。ガラスのローテーブルには俺の財布とカードキーケース。コートのポケットから落ちたであろう煙草とZippo ……
「起きた?お兄さん」
ガチャリと扉が開き、肌蹴たバスローブに濡れた髪のエリザベスが入ってきた。俺は慌てて背中を向ける。
「おいおいおいおい、なんつー格好してんだ」
「私の家よ。何がいけないの?」
「俺がいるだろ?男だぞ?」
「…………セックスしたいの?まぁ……良いけどあなたも先シャワー浴びてきてね」
「馬鹿野郎、ちげぇよ。ヤリたくねぇよ」
なんなんだ?調子狂う。エリザベスは面倒だと言わんばかりに顔を顰め、冷蔵庫から炭酸水のペットボトルを二つ取り出した。お決まりの赤いやつ。そのまま俺の方にやって来て、冷えたボトルが差し出される。うわ……風呂上がりの女の良い匂いがする。って、今はそんなこと言ってる場合じゃない。前世にいた、たった一人知ってる奴と話せたんだ。前みたいな馬鹿な過ちで関係を壊したくない。
「……なんでそんなに百面相してるのよ」
「考えてるんだ」
「この国で誰もが知ってる私を頑なにエリザベスって呼んでたこと?元カノにでも似てた?」
俺の隣に腰掛けたエリザベスは、今はエリザベスって名前じゃない。Bethって名前は言わば芸名。本名は花の名前だって事はウィキペディアにも書いてある。でも彼女の存在はエリザベスだとしか思えない。長い長い黒髪も、全てを蕩けさせる甘い琥珀色も、声だって同じ。俺は彼女に向き直ってその頬を包んだ。サバ読んでなくて本当に俺と同じなら27歳。あの頃よりも成熟した女になったエリザベスがびくりと跳ねる。
「………………死んだ奴に似てるんだ」
「………………その人は…あなたにとって、大切だった人?」
彼女は俺の瞳を覗き込む。
大切だったか?大切にしてたか?
「いや。…………大切だったけど、生きてる間は酷いことしてたし、素直になれなかった。居なくなってから気付いたさ。おれは …… あいつの事が好きだったんだ、って」
俺の言葉は止まらない。まだ嫌い合っていたあの頃の俺が傷付けようとした怯えた瞳も。娘を産んで抱き締めながらレギュラスの隣で笑う穏やかな色の瞳も。俺の目の前にあるのに、全ては一周した後なんだ。エリザベス・ブラックはもう死んだ。枝が折れて、娘とレギュラスを救うために散った生命は戻らなかった。ここにいるのは、俺達が穢して俺達が死に追いやったエリザベスの、次の生命。だから。
「謝りたかった、辛い思いばっかのあいつを抱き締めて、悪かったって、俺の事好きになれとか言わねぇから……ただ、よく頑張ったなって、言ってやりたかった。でも、あいつはもう死んで……俺だけなんだ。俺しかこの世界に居ないんだ。なぁ、エリザベス、エリザベス、辛かったよな?信じてた男に騙されてガキを孕まされて、それでもあいつと生まれた娘を心から愛して。どうやって死んだのか……いや、殺されたのかも俺は分からねぇ。でもお前のこと忘れた日は本当に一度もないんだ。俺、檻の中に放り込まれてもお前のことだけ考えてた。もう一度会いてぇな、って。悪かった……悪かった……… 」
俺はもう、目の前の “女優” に言っているのか、天国のエリザベスに言っているのか分からない。でも、涙が止まらねぇんだ。三十も近くなってこんなに泣くとか情けねぇ。でも言わなきゃ、許されなくても謝るしか出来ないから。彼女は俺の言葉の重さに顔を顰めている。そりゃそうだよな。絶対関わっちゃまずい野郎だって思ったに違いない。
それでも。俺は、彼女のバスローブの胸元に包まれていた。
「………………あなたが、そんな顔をしているのを見たならば。きっと天国のエリザベスは悲しむわ。だってよく知らないけど …… 優しい人なんでしょう?彼女」
「…………や、さ……しい?」
「ええ。酷いことをされても、家族を愛した。人を愛した。きっとどこまでも海のようにあたたかく深い心を持つ優しい女の人だったんだわ。だから、あなたにもこれからの未来を笑って生きて欲しいと願ってるはず」
子をあやすように、俺の髪を華奢な指先が撫でていく。俺は無意識でその身体を抱き締め返す。それはお前の前世なんだよ、と言えたら。あぁ、生きてる間にこうしてやれたら。
「…………あなたが私のことをエリザベスだと呼びたいのなら構わない。でも私はあなたの求めるエリザベスにはなれないわ。あなたがいつの日にか、私越しのエリザベスじゃなくて……誰か生きてる素敵な人と共に歩めるようになれれば、いいわね」
その声は、どんな演技をしてきた彼女のものよりも深く、優しく____エリザベスそのものだった。俺はまた声を上げて、泣いた。
「で?あなたは?此処の住人なのよね?」
「真下だよ」
あれから一時間。ガキみてぇに泣き腫らした顔の俺はエリザベス…………いや、本人が良いって言ったんだ。エリザベスって呼ぶ。エリザベスに風呂場に押し込まれた。街を一望出来る、俺の浴室よりでけぇガラス張りの浴室。生活感はあんまり無い。撮影で家を空けることが多いからだろうな。___でシャワーを借りた俺が置かれていた男物のバスローブ (不快だ。誰のだよ) … でダイニングに戻ると、彼女はエントランスから両手にピザとフィッシュアンドチップスの箱を抱えて戻ってきた。デリバリーを頼んだから一緒に食え、との事らしい。で、さっきの質問に至る。
「へぇ、結構稼いでるのね」
「………お前に言われたくない」
「私は家族もいないし、稼いでも使うことが無いから面白みの無い人生よ。楽しみは … こうやってデリバリーを頼むことくらいかしら。料理出来ないし。そうだわ!!一番大事なことを忘れてたわ!あなた、名前は?」
ジェノベーゼピザをもりもりと頬張りながらエリザベスは首を傾げる。
あー、言わなきゃダメ、だよな。俺の名前も職業も。いつか絶対バレることだし、彼女のキャリアを考えれば俺みたいな男と一緒にいるのは不味いかも。パパラッチなんてされた日には地獄だ。俺は少し躊躇ったけど思い切って決めた。キッチンを借りて手を洗い、さっきのローテーブルに置いておいたスマホを取り出す。で、まだ美味そうにピザ食ってるエリザベスの前に置いた。見せるのは……そう、俺のTwitterアカウント。
「Louis'ber …………?ルイベル?」
「………………俺」
エリザベスは持っていたピザを全て平らげると彼女も手を洗って自分のスマホ片手に戻ってきた。そして彼女の指先がスラスラと動いて、
ピコン!
______は?
なんで俺の通知が鳴るんだ?
なんで俺の通知欄に、【 Beth さんから フォローされました 】って ……
「Wait Wait Wait !!!!! 何やってんだよ」
「え?なに?フォローしてくれってことじゃないの?」
「馬鹿が!ちげぇよ!俺のプロフィール見ろ!俺は!!まぁ、簡単に言ったら身体売る仕事なんだ!お前みたいなムービースターが俺をフォローしたなんてなったらお前のエージェントやファンはなんて思うか …… 止めとけよ」
「じゃあリムる」
「はえぇな」
「やっぱりフォローする」
「やめろ!」
エリザベスはくすくすと笑った。何度か俺のフォロー欄を押していたけど最終的にはフォローしたまま。あーあ、まずいぞ。一時間後にはネットニュースだ。
「あなたがどんなお仕事をしてるのか、まだちゃんと知らないけど。私はそんなことで酷い言葉を言ったりなんかしないわ。だって私自身 “金持ち男とコールガールのワンナイト” で生まれた娘なんだもの。性に対しては社会よりも理解があるつもりよ」
「…………親、分かってたのか」
「……ええ。でも、親だと思ってないから。私が育ったのは孤児院で、そこの院長のおばあさんだけが頼れる人よ。だから、あなたが例え “身体を売るお仕事” をしてたとしても。その人生は私が歩むものだったかもしれないから。私は出来るだけリスペクトを持って友人になりたいと思うわ」
エリザベスはにこりと微笑む。あの頃と変わらない美しさに、歳を重ねたことによる女性らしさと色気が増した。他人をレッテルや血統、家系、職業で判断しないのはあの頃のグリフィンドール精神と変わんねぇらしい。
「…………で?ルイって呼べばいいの?」
「いや、…………… 仕事で女に呼ばれる名前をここでもお前に呼ばれるのは嫌だ」
我儘か?出会って一時間の女に俺は何を言ってるんだろうな?それでもエリザベスはフライドフィッシュにマスタードを付けて俺の口の中に放り込むんだ。無意識で食っちまった。やべぇ、ファンに殺される。
「…………お前が決めてくれ。俺だってお前のことを勝手にエリザベスって呼んでる」
「…………私が?あなたの名前を?」
「あぁ。日曜日に会ったから “Sunday” でもいいし、ピザを食いながら話してるから “Pizza” でもいい」
ハリウッドで活躍する女優に、俺を呼ぶ渾名を決めてくれなんて。なんて贅沢なリクエストなんだろうな。それでも彼女は顎に手を当てて、うんうんと悩む。会ったばかりの俺の為に時間を使って。子供みたいな願い事に耳を傾けて……こういう所、前から色んな奴らに人気だったよな。俺たちに縋るようになってからは笑顔が消えたけど。
「 Chevalier 」
「え?」
エリザベスが、俺を見上げて微笑んだ。
「 Mon Chevalier 」
「 …… シュヴァリエ?俺が?」
「ええ。あなたは私のシュヴァリエ」
Chevalier ___ フランス語で “騎士”
また前の知識が役に立とうとは。騎士なんて俺はガラじゃない。それはレギュラスの役目だろ?でも……何故だか、俺が前の世界でユニコーンに蹴られた時、何よりもこの女を守らなければという意思に駆られたことを思い出した。俺は彼女の柔らかな黒髪をそっと撫で、そして跪いた。
「 Ma reine 」
「…………守ってね、白き騎士さん」
「仰せのままに」
二つ目の世界で、俺達は互いだけが呼ぶことの出来る名前を決め合った。その日は、夜が明けるまでスナックとワインという絶望的に合わない組み合わせで二人、くだらない事で笑った。笑顔は、スクリーンで見るよりも何倍も美しかった。
「はっ、!!!いっで、いて、いて、頭が割れる」
眩しい朝陽に目を照らされて慌てて起きた俺は昨夜、ソファで手脚を投げ出して眠ってしまったことを知る。此処は俺の部屋じゃない。ひとつ上のエリザベスの部屋だ。夢じゃなかった。ずっと会いたかったあいつに出会えて、友人にまでなれた。今死んでも後悔はないほどに俺は満たされている。あぁ、あいつに礼を言いに行かなければ。今日も生きていてくれてありがとな、って。で?どこだ?あいつは、エリザベスは何処にいる?飲み過ぎたらしくフラフラとした足取りで立ち上がってキッチンを覗く。いない。上を向いてエリザベスを呼ぶ …… いない。降りてこない。
どこだ?まさか、俺と会ったから消えちまったのか?俺と会っちゃいけなかったのか?そういうルールでもあったのか?なぜ居ない?俺は急いで部屋の扉を開けて___
「あら、おはよう、シュヴァリエ。あなたすっごい寝相だったわよ。頭落ちてたわ」
とんでもない姿のエリザベスと目が合った。
「服を着ろ!!!!!」
「私の家だから良いでしょ!!声デカすぎるわ!うるっさ!」