魔女は伝説に出会う

一人ぽてぽてと砂浜を歩いて行くと、次第に人の数が減り、誰も居ない岩場へと辿り着く。
この海水浴場についてから、海から吹き付ける風に乗って微かに歌声が聞こえていた。決して大きくない声量なのにこの浜辺全体に響き渡る歌声。
私はまだ出会ったことはないが、よく母親から聞かされていた存在が頭を過る。

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大きな岩場は、人で賑わう浜辺から隠れられるような仕切りになっていて、私はその岩場の陰に身を隠した。

「居ないのかな」

周囲に人は居ない。この大きな岩場のおかげで見られることもない。
どこまでも青い海をぼんやりと眺めながら、探した。
すると、またあの歌声。はっきりとは聞こえないのに綺麗な声だと思えてしまうのはとても不思議な気分だ。
"彼女"達が歌う唄は知っている。魔女は、小さい頃から子守唄としてその唄を聴かされて育つからだ。
けれど歌詞は分からない。ただメロディだけが、私達魔女にずっと伝わっている。

「───…」

お母さんが奏でてくれたように、けれど自信がないので小さく鼻歌を奏でる。すると、どこからか聴こえてきた唄はピタリと止んでしまった。
やっべぇ……下手をこいてしまったか。
どうしよう、と少し落ち込んでいれば、すぐ近くで水が跳ねる音が聞こえた。
顔を上げてみると、目の前の海から顔が出ていた。綺麗な亜麻色の髪を持つ美女だ。

「今の、あなた?」
「そうです、こんにちは」
「もしかして魔女?」
「はい。あなたは人魚?」
「そうよ。わあ、初めて魔女に会った」

そう言って人魚は美しく笑い、近くの低い岩場へと飛び移った。
透き通るような青色の鱗は太陽の光でキラキラと瞬く。上半身は何も身に着けておらず、けれども厭らしさはない。どこまでも神秘的で、女性の私でも虜になってしまいそうだ。

「あなた、お名前は?」
「理久。16歳だよ」
「私はセイレーン、歳は秘密ね」

セイレーン、おいおいマジか。
私はその名前を聞いてギリシャ神話に登場する伝説の生き物を想像してしまう。セイレーンって言ったらあれやん、唄で惹きつけて船沈める怪物やん…

「失礼ね!船沈めるなんてしないわ!」
「あれ」
「そんな顔してたもの」
「すいません…」

口に出してしまっただろうかと慌てて口を押えたものの、どうやら顔に出ていたらしい。失敬失敬。

「賑やかだったから、ついつい来てしまったのだけど、まさか魔女に会えるなんてね。帰ったら皆に自慢しなきゃ」
「私もですね。人魚の唄は小さい頃から教えられてきてるけど実際に人魚に会った魔女はいなかったなあ」
「大昔、陸がまだまだ不便だった時代は海に居る私達との協力が不可欠だったから。今はそんなことないでしょう?だから少しずつ疎遠になってしまったって聞いたわ」

セイレーンは少し寂し気に、波音を立てる海へ視線を向ける。

「…でも、唄はずっと残ってたのねぇ」
「唄と一緒にね、言葉も伝わってるんですよ」
「どんな?」
「この唄が聴こえたのなら、応えなさい。いつまでも、どれ程時が経とうと、決してあなた達のことは忘れていないと。唄に乗せて応えなさい、って」

これを教えられた時意味が分からなかった。人魚が居るとは分かっていた。魔女が存在するくらいなのだから、海のどこかに必ず居るだろうと。
けど魔女と人魚にどんな関係性があったのかは知らなかったから、イマイチ言葉の意味を理解できなかった。
でもこうして出会えた今なら分かる。
薄れてしまった関係だが、それでも大昔に私達魔女の繁栄のための手助けをしてくれたことは忘れてはならない。魔女がこの唄を彼女達に歌うのは、敬意の証だ。

「泣けるわねぇ」
「陸での生活に何不自由しなくなってしまったから、人魚の元へ行くことはなくなってしまったけど、ずっとずっと、忘れてはいないよ。今度会えた時は私達魔女が手助けしなさいって教えられてきたから」

人魚に助けを求める度、それ相応の対価は渡していたのだろう。じゃなかったら頼むだけ頼んで疎遠になりましたなんて、恨まれているはずだ。
しっかりいい関係を結んではいたけど、時代の流れっていうのは恐ろしいものだ。

「理久、契約でもしましょうか」
「契約?」
「私とあなたで契約するのよ、お互い何か助けが必要な時にすぐ連絡できるように」
「わー!かっこい!契約!する!」
「ミーハーねぇ」

セイレーンはくすくすと笑って、自分の鱗を一枚私に渡した。

「これに、あなたの血を」

私は魔法で風を起こすと、人差し指の先に切れ目を入れる。そこから溢れる赤い血を鱗に一滴落とした。
途端に今まで見たことのない魔法陣が展開し鱗と共に消え去った。

「魔女との契約なんて、何世代振りかしら」
「お母さんに自慢しよー!!!」
「私もよ」

それから海での暮らしや、言い伝えにもない話をたくさんセイレーンから聞いた。自分は魔女とはいえ海の中は未知である。セイレーンから紡がれる御伽噺のような本当の話は、私の心を満足過ぎる程満足させてくれた。