26脱線の脱線

前日の土砂降りが嘘だったかのように晴れ渡った次の日。
しかしながら季節が夏であるため、湿気はいつもの倍感じられる。

「蒸し風呂……」

じわりとした汗を感じながらいつものストレッチをして、いつものコースをランニングする。昨日できなかった分今日は多目に走りたい。
倒れない程度に休憩を挟みながらただひたすらに走る。あー燃焼されてるーなんて暢気に喜びながら走るこの時間はとても好きだ。自分の世界を持つということは、ストレス軽減になるものだと思っている。趣味とかって大事。

ふと今日までを思い出してみる。
色々なことがあったなぁ……今じゃこんな普通に一緒にいるけど元は漫画のキャラ達。会えるなんて夢にも思ってなかった人達と会って話して騒いで。夢オチなんじゃないかと何度疑ったことだろうか。けれども現実、存在するのだ。世界はまだまだ知らないことがたくさんあるんだと、身をもって知らされた。
きっと咲良のことも、このままなあなあにはできないだろう。きっとどこかのタイミングで崩れる時がくる。確信は無いが、そう直感している。その時になって自分は正しい選択をすることができるだろうか。我が身が一番可愛いのは皆同じであり、自分だってそうだ。害が迫っているのだとしたらどうにかして逃れようとするのは当たり前。
そんな状況になっても、最善の選択を、自分で選ぶことはできるか。
もう誰にも迷惑はかけられないから。
…まあ白石にそんなこと言ったら怒られそうだけども。お母さんはいつでも心配性なのだ。

「頑張ろう」

無意識に出たその言葉は思いのほかあたしを前向きにしてくれて、「為せば成る!」と根拠も何も無い自信に変わった。人生そのほうが、どうにかなるものだろう。

気付けば既にコースを一回りしていて、合宿所に戻ってきていた。考え事をしているとあっという間だなーなんて思いながら水分補給をしていると、休憩に入っただろう彼らがちらほらと居る。
テニスって絶対きついよね、いやどのスポーツもきついけどさ。よくやるなぁ…

「理久も走ってきたんか」
「お、白石お疲れ」
「お疲れさん。こうも湿気強いと頭から水被りたいわー…」
「ちょっと待ってて!バケツ持ってくるね!!」
「冗談や冗談やめなさい。ちゅーか冗談やって分かってて言うてるやろ」
「白石を水責めするチャンスだからな」
「その言い方やめてくれ」

白石に捕まりバケツを取りに行くことは叶わなかった。水も滴るいい男と言うだろう、見せてほしい。

白石を見ていて、そういえば、と気になったことがある。
あたしはこうして何度も読んだ夢小説のように彼らと出会ったわけだが、まあ多分現状から推測するとあたしが誰かと恋に落ちる可能性は無いだろうと思う。
であれば、もしかすると、今後あたしと同じようにこの世界に真のヒロインとなる子が現れるかもしれない。
あたしが居る時点で、原作ではない。だとしたらこの世界は今まで読んできた数多の夢小説と同様、鍵となる女の子が居なくてはならない。
あたしではない。これは何か自信ある。
ぶっちゃけて言うと、誰かと恋したいと思わなかったわけでもない。こうやって実際会ってしまうとやはりかっこよくて可愛くて、恋仲になってみたいと少しでも思ってしまうのは仕方ないと思う。…いや、一度なってるんだけどね。記憶無いってだけで。
まあそれはいいとして。そんな女の子が現れた時あたしどうしたらいいんだろう。そっと応援……?手助け要員?あ、いや、必要ないのか。そういうヒロインに展開は付き物だ。あたしが何もしなくとも物語は進んでいくだろう。
もしもそんな日が来た時、来てしまった時。

あたしは彼らと距離を置き、全力で陰で萌えることができるのだ!!!!!!!!

「……理久、理久、急に黙ってどないしたん」
「あ〜〜〜〜そうだよ思い出したよ〜〜〜目まぐるしい状況の変化に気を取られてて忘れていたよ〜皆可愛い……」
「おい大丈夫か、具合悪なったんか?」
「今よくよく見てみると皆可愛すぎて無理……思い出してしまった昔の感覚…叫びたい衝動……」

噛み合わない会話に白石は困り果て、きっと暑さで気がふれてしまったんだろうと理久を医務室へ連れて行った。

****

医務室に連れていかれベッドに座らされる。
顔を両手で覆いぶつぶつと何かを呟く理久は薄気味悪い。

「ホンマに大丈夫か?吐く?」
「吐く……吐いていい?」
「トイレ行け」
「そうじゃなくて……!白石にしか言えないことなんだけど言っていい!?全部聞いた上で友達やめたりしない!?あたし達ズッ友!?」
「ええからはよ言えなんやねん」
「冷たいッ!けどいいや!いやほら、あたしにとって白石達は漫画のキャラクターだったわけなんだけどね?可愛いわけよ」
「意味がわからへん大事な部分すっ飛ばし過ぎやろ…」
「あたし跡部が一番好きで…!いや!みんな好きだったけど!まあ一番は跡部でね!とりあえずそれはいいんだけど本とかテレビで見る度「可愛い!!」って叫びながら悶えてたのね!?この世界になってから色々とありすぎて!すっかり忘れてたんだけど!今冷静に皆見てたらあの感情が溢れてきまして!あんたら見る度可愛いって叫びたくなるわけよ!「可愛い!!好き!!!!」って叫びたくなるんだよどうしたらいい!!?!?」

必死の形相でそう訴える理久を見る白石の目は大変冷え切っていた。心配した自分が馬鹿だったと、目がそう語っている。

「いやわかる!そんな顔になるのわかるんだけど!これは割と死活問題でして!中学生という年齢ながらも大人顔負けな超ハイレベルな容姿を持った君達のそんなギャップ!超可愛い!!!えっ…可愛い……中学生って何?あたしより年下のくせに同年代を思わせるその大人びた外見でありながら!中学生って!可愛すぎる……!!」

恐ろしいことにでも気づいてしまったとでも言いたげに語る理久をよそに白石は欠伸をしている。気味が悪いを通り越したようだ。

「白石!!真面目に聞いて!!!」
「これを真面目に聞くほうが無理やと思うわ。無理難題にも程がある」
「ねえ本当どうしたらいい?コート眺めながら叫びそうだよどうしようもう皆とまともにお話しできなくなっちゃう」
「俺とは話せとるやん」
「白石は全部知ってるからだよーあー白石可愛いなー綺麗な顔してんなー」
「………」

もう全てを吐き出したあたしに恐れるものはない。白石本人にだって言っちゃう。
「かっこいい」は当たり前。それを通り越して「可愛い、尊い」となってしまうのだ。あたしの場合は。
白石の顔をまじまじと見つめ、その可愛すぎる顔に耐えきれずベッドに顔を押し付けた。好きが生身ってやばい。

「理久」

呼ばれ、起き上がろうと顔を上げると同時に視界の端に腕が見えた。白石の左腕だ。

ギシ、と音を立て白石の腕が両端に見える。まさか真上に居るのか、そう思うと焦りが増した。

「俺らが理久にとって漫画のキャラクターやったことは、もう昔の話や。現にこうやって存在しとる。……今すぐ理久をどうにでもできるんやで」

どうにでもって何だ。煮て食うのか。やめろそんな要素求めてない。バトテニか?バトテニ今から始まるのか?生き残れる自信ないぞ

「…どうにでもというのは、一体……」
「知りたいか?」
「全然知りたくない…」

すると白石の笑い声が降ってきた。再びギシリと音を立て、彼はあたしの横に座ったようだ。
体を起こして自分もベッドの縁に座る。恐る恐る白石を見ると、彼は笑っていた。

「今はまだ教えたらんわ」
「一生知りたくない…」
「いや、いつかは教える。体に覚えさせる」
「カニバリズムだけはやめて…」
「何の話をしとんねん」

あんな話をしてもここまで受け入れてくれる白石は偉大だ…さすがは聖書。その異名に恥じぬ人間性である。

「白石がいつか好きな子できたら、一番白石を応援するね…!」

ヒロインになる子はきっと誰からも好かれ……………好かれるはず…。あれだろ、女嫌いだけど何かあいつ気になる、みたいな感じで話進んでいくんだろわかるわかる。その時は誰よりも白石を応援してあげて、絶対にくっつけてみせるから…!!
そう力強く拳を握ると、いつかやられたように顔を叩かれた。正面から。顔叩くってなんなの?

「すごく痛い!!」
「俺が受けた痛みはこんなもんやない」
「どうした?どこか痛むの?手当する?あたしできないけど」
「理久あれやろ、ホンマは高校生とか嘘やろ。小学生なんちゃう?小学三年生くらい」
「小学三年生がこんな頭いいわけないでしょ!」
「頭悪そうやから言うとるんやて」
「中の中です〜〜〜悪くないです〜〜〜」
「そういう返しが頭悪い言うとんのや。あーなんや小学三年生の皆に申し訳ないな。理久を何かに例えることできん。例えられた方が可哀想や」
「おいーマブダチに対してそんな言い草ないだろおいー」
「………」
「無視しないで〜」

出会った頃と逆転している。必死に白石と関りを断とうとしていたというのに、今じゃ白石に自ら絡みに行く始末である。無視しながらも、ねえねえと引っ付いてくる理久が可愛くて内心楽しんでいる白石のことなど理久は知る由もない。

「でさっきの話どうしたらいいと思う?」
「まあ他の奴らに迷惑かけたらアカンからな、ほなこうしよう」

そう白石から提案された「案」とは。

****

「…なあ財前」
「なんすか」
「理久は何しとるんやろ」
「部長にしがみついてますね」
「そういうことやなくて…」

白石から出された案、それは。
『叫びたくなるくらい我慢できなくなったら俺に抱き着きに来い』

何とも頭の悪い提案である。
白石としては理久が他の奴らを見て悶えるのはどうにも腹立たしい。さらに自分の居ないところで他の奴らに可愛いだとか好きだとか騒がれたら大変むかつく。ジェラっとするものがある。
ならば全て自分にのみぶつけてほしいと思ったのだ。

背後から理久にしがみつかれ、グエエエエエエと口から潰れた蛙のような声を出している白石を回りは遠巻きに眺めていた。皆、憐みと困惑の目を向けている。

「…理久、もうちょっと手加減してくれんか……」
「無理、もっと力強くできそう」
「現状維持で頼むわ」
「おああああああ可愛いが過ぎるぅううううう」
「内臓出そう…」


理久の推測はある意味で当たっている。
ただ、自分はあまり関係ないだろうと思っている点については完全に間違っているのだ。

「おい白石、そいつどうしたんだ」
「ああ…気にせんで跡部クン……暴走寸前の娘から身を挺して皆を守っとるとこや」
「そいつだけじゃねーな、お前もどうした」
「理久!お前のせいで俺もおかしな目で見られとるわ!」
「何だろう、全然申し訳ないと思わないわ」
「今日の夜はおかず抜き決定やな」
「よりによって夜!?それは勘弁してよお母さん!!」
「誰がお母さんや!!」

"親子喧嘩"なのか"痴話喧嘩"なのか。
目の前で繰り広げられる低レベル過ぎる争いに跡部は深い溜息をついた。