きっと最初で最後のチャンス。
離すわけにはいかないと、握り締めるバトンをさらに強く握った。
ほぼ最下位からの追い上げ。
100m走の時の比じゃない程の全力疾走だ。けれど苦しくない、きつくない。足はぐんぐんと前へ進み、一人、また一人と追い越していく。
煩いはずの外野の声は聞こえず、ただただゴールしか見えていなかった。
頼むよ、頼むから、またあの日々に戻ってくれ。何なら前の世界に戻ってくれ。受験勉強が辛いなんてもう言わないから、頑張るから、逃げたりしないから
今走っているのは咲良の為であり、自分の為でもある。今だけはどうか許してほしい。今だけは、自分の為に。
込み上げる思いに僅かに目が潤む。歯を食いしばって必死に堪えながらラストスパートをかけた。
最後の直線で、ついに先頭を走っていた生徒と並ぶ。
その生徒も負けじと走るが、ゴール目前でついにあたしは最後の一人を追い越し一着でゴールした。あまりにも全力疾走だったもんですぐに足は止まらず、ゴールをだいぶ通り過ぎてからようやく止まる。
ぶっはぁあああああああああああすっげ疲れたぁあああああああああ!!!!
ちょっ……喉ヒューヒューいってる……ッ………おいこれ何年ぶりの全力疾走だ……走ってる時はそうでもなかったけどめっちゃきちぃ……おえっ……ゲホッ………
男子速過ぎだろ皆……そりゃそうか男子だし中学生だもんな……そりゃはえーわ…もう二度とできない気がするごぼう抜き………山下に何奢ってもらおう…
ぜーぜーと息を切らし両膝に手をつきながら呼吸を整え、ようやく荒れる息が落ち着いたところでゴールまで戻る。ふと顔を上げると、一緒に走った人達もゴール付近に居た人達も先生までも、唖然としていた。
あまりの注目度に一度呼吸が止まったが、へらりと笑ってピースをした。
その瞬間の歓声の凄さといったら。
空気が揺れるってこのことなんだろうなと、今体感した。
あ!!!!咲良!!!!そういや足から血出てたよ!!!?!?保健室!!!!!
でも待ってあたしトイレ行きたい!!!!!
急いで咲良の元へ走っていくと、白石と謙也くんに支えられていた。
「咲良!!?足大丈夫!?ぎゃああああああああめっちゃ血出てるじゃん保健室!!!!白石!!!!保健室!!!!」
「いや待て色々ツッコミどころがやな……」
「あたし連れて行きたいけどごめんトイレめっちゃ行きたい……!!!」
「………行ってこい…」
「白石咲良のこと頼んだよ!!!!謙也くんもトイレ一緒に行く!?」
「なんでやねん!!!」
****
咲良は保健の先生に手当をしてもらい、白石に支えられながらグラウンドへ向かう。
グラウンドへ戻る途中、トイレ帰りだろう理久と鉢合わせてしまった。
理久は気まずそうに踵を返す。
そんな理久を引き留めたのは、咲良だった。
「理久!」
びくりと理久は肩を揺らす。さっきは咲良が心配で一方的に話しかけてしまったが、そういえば別に仲直りしたわけではなかったのだ。何を言われるんだろう、またいらないことって言われてしまうのだろうか
「……何…?」
恐る恐る振り返り、咲良の表情を窺う。のと同時に、咲良は理久に正面から抱き着いた。
「咲良……?」
「ごめんね、ごめんね」
「何が…」
「あたし知ってたんだよ、理久が、嫌がらせ止めてくれたってこと」
「…………え?」
え?何?何で?
「あの日、あの体育の日、また物盗られたり落書きされるのが怖くて、本当は体育行ってなかったの。物はどうしようもないけど、落書きされてたら皆に見つからないうちにどうにかしようって思って」
咲良はあたしを抱き締めながらぽろぽろと涙を流す。
「そしたら、理久が居て、全部聞いてた。盗られた物を取り返してくれたところも、ごめんねって泣いてくれたところも」
「………あー……マジか………かっこわる…」
「それでもあたし、理久に声がかけられなかった。理久に酷いこと言って傷つけたでしょ。それに、やっぱりまだ許しきれなくて、くだらないプライドが邪魔して、理久を独りぼっちにしちゃった…」
「傷つけたのはあたしが先なんだから、それは咲良が気にすることじゃないよ。独りになるのも当たり前だったんだから、何ともないよ」
「嘘だよ、無理に笑わないでよ、あたしを責めてよ」
「責めれるわけないでしょ、無茶言うなぁ」
「…………ごめんね理久、……ごめんね…」
消え入るようなか細い声で咲良はごめんと繰り返し呟く。
「咲良は何も悪いことしてないんだから謝ることないでしょ?あたしが謝らなきゃならないんだよ。ずっと、辛い思いさせてごめんね。辛いのに、一緒に居させてしまってごめんね。甘え過ぎたんだよね」
じわりと目に涙が浮かぶ。あたしがここで泣く資格があるのか。ないだろ。
ぐっと堪え、咲良の背中をぽんぽんと優しく叩く。
「あたしのせいで、辛い思いさせて、ごめんね……」
「でも理久は助けてくれたよ、あの日も、今日も。辛かったことなんか吹き飛ぶくらい、助けられたんだよ」
「だってあたしのせい…」
「もうしつこい!!!!!!」
「いっだ!!!!!!!」
まさかのみぞおちに咲良の拳がめり込む。ぐっ……ちょっ…………みぞおち的確……おえっぷ……
「もういいの!!!うじうじしつこい!!!!お互い悪かったってこと!!!!」
「ねえ咲良……今結構シリアスだったんだけど…」
「いつまでも落ち込んでらんないでしょ!!!背筋伸ばして!!!」
「あなたのパンチのせいで伸ばせないんですぅ……」
腹を押さえていると、ずっと放置されていた白石に咲良は向き合った。
「白石くん、あたし白石くんが好きだよ」
唐突な告白に白石もあたしも目を見開いた。
「咲良!!せめてあたしが居ないとこで言いなさいよ!!告白って第三者が居るとこでするもんじゃなくない!!?」
「いいから理久は黙ってろ!!」
「すいません!!」
白石は吃驚したようだったが、理久をちらりと見て小さく笑い、ごめんと咲良に言った。
「気持ちは嬉しいんやけど俺、好きな子居るから、ごめんな」
「え白石好きな子居たの!!?!?」
「理久うるっさい!!」
「今のは本当にごめんなさい!!すいません!!」
理久を再び一喝し大きな溜息をついた。
「うん、分かってた。見てれば分かるしね。ありがとう聞いてくれて」
「言うてくれておおきにな」
「ううん。はースッキリした!じゃあ理久!あたし千昭んとこ行ってるから!!今日帰り三人で何か食べに行こ!」
「行くぅうううう!」
じゃあなと言って咲良は走って行った。足の怪我が痛いのか、少しぎこちない走り方だったけど。
「おかしいなぁ……さっきまでの重い空気どこいったんだろ…」
「成瀬さんなりの気遣いやろ」
「そうかぁ………ていうか白石好きな子居たの?何で教えてくれなかったの?」
「知りたいん?」
「知りたい!咲良も知ってる子なの?どんな子?」
「鈍感でアホでうるさくて人の話聞かへん子」
「………………え………何がいいのそんな子……えぇー………何で…?」
「何でやろな、目離せへんねん」
「えーじゃあ同じクラス?そんな迷惑そうな子居たっけ……」
「(自分は絶対アホやないと信じて疑わないっちゅーところがアホやと思うんよなぁ)」
「何?教えてくれんの?」
「いーや、まだ教えへん」
「ケチかよ…」
****
体育祭は無事に終わり、何故かあたしは下級生の女の子達にもみくちゃにされまくった。
何であたしやねん。
千昭とも謝り合って、久しぶりに三人でご飯を食べた。離れていた分たくさん喋ることがありすぎて途中から喉が枯れてしまったのには笑った。
心から、こうやって笑い合える日がくるなんて思いもしなかった。咲良の笑顔に懐かしさを覚え、心の中で「ありがとう」を二人に呟いた。