18夢はいつか覚めるもので

恐怖の合宿から数日が経った。
あれから芽衣子ちゃんとは接触はしていない。元々学年が違うわけだから、用事が無い限り会うことはないだろう。
それにしても、何も無さ過ぎる。というのも、あの馴れ馴れしい態度は影を潜め当たり障りのない態度になったらしい。距離感が正常になったというか、必要以上に接してこなくなったそうだ。
怖い、怖すぎるぞ。何を考えているんだろうか。

これはこれで裏があるんじゃないかと、テニス部は警戒しているようだった。
それでも今までの心労を考えるとまあ良かったのか……?とは思う。
財前は相変わらず芽衣子ちゃんに対して苛々しているようで、その被害は徐々にエスカレートしていく。ちなみに被害を被っているのはあたしだ。もう何回パフェを奢ったか……!!しかも毎度毎度絶妙に高いやつ食いやがって!!いいけどよ!!!!

皆普通で、いつもと変わらなくて。
ただ一人を除いては。

合宿が終わってから、ほんの少しだけ白石の様子がおかしい。おかしいと言えば少し語弊があるかもしれない。
常に何かを警戒している節があるのだ。過保護の一歩手前とでも言うのだろうか、たまに見せるアホな白石はここ最近見ていない気がする。ある意味、原作通りの白石のような。
それは謙也くんも気付いているようで、どないしたんやろなと一緒に首を傾げていた。
何かあったのかと聞いても、逆に何で?と聞かれる。何でと言う白石には妙な威圧感があって、それ以上は何も聞けなくなってしまった。踏み込んでくれるなと、言われているような気がした。
別にそれが悪いわけじゃない。恋人同士だとしても入ってきてほしくない領域はあるだろうから。ただ気になるだけだ。白石が、あたしの知らない白石のようで少し不安になってしまったから。
まあ彼が何も言わないのなら、そっとしておくのが一番だろう。


今日は生憎の雨で、ザアザアと降りしきる雨の音をBGMに大人しく授業を受ける。ただでさえ眠くなる授業で雨音は犯罪である。寝ろと言っているようなもんじゃないのか。
時折船をこぎながらも毎時間必死に耐えた。そして毎時間謙也くんがあたしを見ては笑っている。許さねえ

「理久すんごいグラグラしてたね」
「眠かった……午後の授業はやばい…」
「いつ椅子から落ちるかと」
「いっそ落ちて目覚ましたかった」

帰りのホームルームを終えて、今日は部活が無いらしい咲良と一緒に帰ることになった。千昭は用事があるらしくホームルームが終わったと同時に教室を飛び出して行った。転ばないように気を付けてほしいものである。

「じゃあ帰ろっか」
「よっしゃー」

二人で廊下を歩き、下駄箱に差し掛かると芽衣子ちゃんが居た。少しどきりとしてしまったが、彼女が笑顔を向けてきたのでどこかほっとしてあたしも小さく笑う。

「理久先輩今帰りですか?」
「そうだよ。芽衣子ちゃんも?」
「これから部活です!理久先輩に挨拶しておこうかと思って待ってました」
「挨拶?」

何で?
咲良と二人で首を傾げると、彼女はえへへと照れ臭そうに笑った。

「歩いてくるの見えたので帰りの挨拶してから部活行こうかと思って!」

あ……あ?あー…そういうことか。

「そっかそっか。雨だから芽衣子ちゃんも帰りは気を付けて帰ってね」
「はい!…さようなら、理久先輩」

途端に背中に悪寒が走る。これ程までに冷たい『さようなら』を聞いたことがない。でも目の前の彼女はさっきと同じように笑っていて、幻聴かとも思ってしまった。
気のせいだ、気のせいだと、何故か必死に自分を言い聞かせる。

「……さよなら、芽衣子ちゃん」

よく分からない恐怖で手が震える。咲良は相変わらず不思議そうな顔をしていて、そんな咲良を引っ張るように学校を出た。

****

「さっきの子さぁ」

ザアザアと降る雨粒が傘に当たって軽い騒音だ。だけども今はそれが心地いい。小さくもない心の不安をかき消してくれるような気がするからだ。
雨の中を歩きながら咲良がぽつりと声を漏らした。

「相当理久のこと嫌いだよね」
「えっ」

思わず声が出た。
あまりにストレートで、思ってもいなかった言葉だった。

「何で?」
「んー何となく……雰囲気?」

咲良は芽衣子ちゃんと殆ど接触したことがない。むしろ、さっきが初めてかもしれない。今まで散々関わってきていた白石達にでさえそんなこといは言われたことがなかったから余計驚いた。合宿でたまたま見てしまった彼女の闇を思い出して、ああやっぱりあれはあたしのことかと納得した。

「あれでしょ?財前くんが嫌がってる子。んでもって白石くん狙ってるっていう」
「そうそう」
「めっちゃ目の敵にされてるくない?」
「そうなのかなあ……まあちょっと怖いなーとは思ってたけど」
「まあ私も何となくそう思って言ってみただけだから、もしかしたら違うかも」

ごめんね、と咲良は申し訳なさそうに笑う。
きっと咲良の勘は正しい。
面倒くさいことにならなきゃいいなあと小さく溜息を吐いた。
俯きながら、決して少なくない交通量のある橋を渡っている時、目の前で何かが上へ動いた。その何かが行った方を見てみると、それは可愛らしいクマの風船だった。向こうから歩いてきた女の子が、手を離してしまったらしい。こんな雨の日に持ってきちゃだめじゃないか……なんて思いながらも思わず手を伸ばす。風船に括りつけられている紐には少し重しがついていて、何とか捕まえれそうだったのだ。

思わず手を伸ばして、片手を橋の欄干につく。
風船は掴めた。
けれども今日は雨だ。どこもかしこも濡れていて、あたしが手をついた欄干も例外ではない。
濡れた欄干はよく滑って、支えのなくなった体は前のめりになる。

あ、と思った時にはもう遅かった。
体は真っ逆さまに川へ落ちる。あこれ死ぬわ、と確信してしまった。落ちる最中、咲良の悲鳴とあたしの名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。

****

「ッ!?」

飛び起きると、そこは自分の部屋だった。あれぇ……橋から落ちた気がしたのだが。あれは夢だったのか。
まだ覚めない頭を無理矢理回転させるが、どう見ても自分の部屋で、体は濡れていない。
やけにリアルな夢だったなー咲良の悲鳴とか、すんげえ覚えてるのに。

「理久!!遅刻するよ!!」

下からお母さんの叫び声。時計を見るとうかうかしていられない時間だった。急いで部屋着を脱いで制服に着替えていた時、違和感を覚えた。
制服……あれ、こんな制服だったか?あれ?……ていうか髪が、長い。


まさか、と思う。


急いで朝ごはんを食べて家を出る。

まさか、まさか、そんな。
逸る気持ちを抑えつつ、小走りで学校へ向かう。その際周囲を見てみれば、皆標準語だ。誰一人として、関西弁を使う人は居なかった。


うそ、うそだ、本当に


懐かしい、見覚えのある校舎。校門を通り玄関へ入ると、懐かしい匂い。荒い息遣いを整えていると、前の方から名前を呼ばれた。聞き覚えのある声に恐る恐る顔を上げる。

「理久おはよ!超走ってたね〜寝坊したの?私も寝坊した!昨日あれからテニプリ読み返しちゃってさー!」


何も言葉が出なかった。
目の前に居るのは確かに咲良で、その喋り方はとても懐かしいもので。
思考が追い付かないし懐かしいしもう訳が分からなくて、じわりと目に涙が溜まると一瞬で溢れてぽろっと零れた。

「!!?理久何で泣いてんの!?遅刻じゃないよ間に合ったよ!?」

急に泣き出したあたしに咲良は狼狽えている。

戻ったんだと、理解した。
迎えることのできなかったあの次の日だ。

ここは、元の世界。戻ってしまったんだ。