照井芽衣子が消えた。
現実世界において、人間が突然『消える』なんてことはあり得ない。そんなこと、非現実的だ。
あたしをこの世界に来させた神のような力が無い限り、できることではない。
財前から話を聞かされた時、財前が一番動揺していた。上手く話を伝えられないらしく、とりあえず昼休みに話そうということでその時はすぐ教室へ戻らせた。
昼食は早々に食べ終えて、皆で屋上へ向かった。
屋上へ出る扉を開ければ少し冷たい風にぶつかる。眩しい太陽光に目が眩み、眉間に皺を寄せながら見上げた空は雲一つない青空だった。
「財前、どういうことや」
白石は財前の表情を窺いながら尋ねる。
尋ねられた本人は、自分も分からないと言いたげに首を横に振って、今朝の出来事を話し始めた。
朝、いつも通りに朝練を終えて教室へ向かった。朝礼間近の時間のため、既に教室には殆どの生徒がいる。照井芽衣子の隣に座るのが嫌でとても足取りが重かったそうだ。
けれど、自分の席へ目を向けてみると、その隣には別の生徒が座っていた。
近くの誰かと話すために一時的に座っているのかと思ったらそうじゃないらしい。完全にその自分の席のように座っていたそうだ。
別に知らない生徒ではない。同じクラスの人間だということは分かっていた。だが、昨日席替えをした覚えがない。そもそも他の生徒は昨日と同じ席だった。
不思議に思って、照井芽衣子の席に座っている彼に尋ねたそうだ。
何故この席に座っているのか、照井はどうしたのか、と。
財前の言葉に彼は固まって、首を傾げた。だいぶ困惑したその表情に財前も一緒に首を傾げてしまったそうだ。
そして彼は困った様子で、こう告げた。
『いやいや、前から俺ここやったやん……財前寝ぼけとるん?ちゅーか、てるい?って誰?誰の話?』
「………」
澄み渡る青空の下、ただただ沈黙しかなかった。
絶句するというのはこういうことなのだろう。
喋り終えた財前が深く息を吐く。それぞれ驚きながらも、何かを考えるように足元を見つめていた。
あたし達以外が、照井芽衣子を知らない。彼女が居た場所さえも既に別の誰かが居て、そもそも照井芽衣子が居たことすら無かったことになっている。
きっとこれが、約束を破った代償、『呪い』なのだろう。
「願いが呪いになる、だっけ」
確認するように咲良がぽつりと呟いた。その声に反応して咲良を見れば、こちらをじっと見つめる咲良と目が合う。
「…そもそもこの世界に存在していなかった彼女の存在を、この世界に捩じ込んだわけだから……願いが呪いになったとしたなら、そのせいで消えたんだと思う…」
そう言う自分もまだ半信半疑だ。確証はないが、実際消えているのだ。
「…なんか、夢みたいやな」
未だ信じられないというように、乾いた笑いを零した謙也くんが言う。
夢という言葉を聞いて、反射的に自分の首元に手を伸ばした。首に張り付いたガーゼが指先に当たる。
昨日、照井芽衣子につけられた傷だ。この傷があるということは、確かに昨日まで彼女は存在していたのだ。
「……どうなったんだろうね、あの子」
突然行方知れずになってしまった照井芽衣子を捜すかのように、咲良は屋上から見える街へと視線を移す。
心配なわけではない。ただ純粋な疑問だった。きっと殆どの人間が、同じ立場になった時そう思うだろう。
妙に精神をやられてしゃがみ込んでいる財前の頭をわっしゃわっしゃと撫でてやれば逆上された。慰めただけなのに。
****
あれから、びっくりするほど平穏な日々を送っている。
念のため愛梨ちゃんに照井芽衣子という人間を知っているか聞くと、答えはNOだった。聞いたこともないという。
彼女はどこに行ってしまったのか。呪いということは、ただ消えただけではないだろう。そもそも存在ごと消滅してしまったのか?あり得なくもないだろうな。
一人の少女が消えたことで、あたし達は平穏を取り戻した。
けれども世界は何事もなかったように季節を巡らせる。
きっとこれ以上の面倒事なんて起きることはないだろう、そう感じながら
一人屋上で溜息を零した。
「あ、やっぱり居った」
扉の開く音がして振り返ると同時に聞こえた声。
「チッ………見つかった」
「舌打ちが聞こえた気したんやけども」
「マジか疲れてる?白石大丈夫?」
真剣な顔をして近付いてくる白石を見れば、うざいと言われた。いや、あんたにだけは言われたくない……
「最近肌寒くなってきたな」
「夏終了のお知らせ」
「心置きなく理久にくっつけるわー」
「カムバック夏!!!凱旋公演大歓迎!!」
そう叫べば隣から平手が飛んできてあたしの頭からいい音が鳴った。最近叩き方が上手くなって……手首のスナップかそうか。
「進路どうするか決めたか?」
「まだ二年生じゃん〜〜〜〜」
「あっという間に二年生も終わるんやで、ちゃんと先のこと考えなアカン」
「伊達に受験勉強二回もやってないしこれから三回目の受験勉強なんだよ気分も落ちるってもんだろうよ」
「その割に………いやなんでもない」
「その割に?何?そこまで勉強できてないなってか?何??」
スッと視線を逸らす白石の言わんとすることは分かる。同じこと二回もやってて成績は平均なのだ。うるせえ!!!何度やったって勉強は嫌いなんだ!!覚えられるわけがねえ!!
「理久は今のままが一番ええよ、人間らしくて」
「どういう意味だよおおおおおおおおお!!!!」
フォローの言葉がフォローになっていない!さらに傷を抉ってくるスタイル!その「なんて言ったらいいかな」って表情も傷つく!!お前聖書なんだろ!完璧なんだろ!そんなお前を見せろよ!!
「まーまー落ち着こ落ち着こ」
白石は誤魔化すように笑って、両手であたしの頭をわしわしと撫でる。それよく猫可愛がってるあれだよね?あたしもやるけど髪乱れるからやめてほしい
抵抗する気も起きないので黙っていると、白石の手がぴたりと止まり見上げてみればじっと見つめる白石の目と目が合う。何だよと怪訝な顔をしてみればちょっと噴き出して
「顔がうるさい理久も好きやで」
「今こそ肉弾戦をするべき……善は急げだ咲良呼ぼ」
「待て待て待て待て」
扉へ向かおうとしたあたしを白石が捕まえる。それと同時に誰かによって扉が開いた。
「こんなとこ居ったんか」
謙也くん財前、それに咲良と千昭だった。
未だに不思議なメンツだなと思うことがある。知り合った頃はこうなるとは思ってなかったなぁ……人生何がどうなるかわからないもんだね。すげえや。
咲良から、来る途中買ってきてくれたらしい飲み物を渡された。飲み物はまだ冷えていて、自分では滅多に買わない炭酸飲料だ。
どうというわけでもなく咲良を見やれば、にっと笑って
「三人で飲み比べしよ」
そう言って持っている飲み物を見せてきた。千昭も同じように自分の飲み物をジャーンと掲げている。
一度で三度美味しいということらしい。咲良らしいな。
季節が夏から秋へ移ろうとしている。見上げた空は夏の時より遠く感じて既に夏が終わっていたらしい。
いつまで皆と一緒に居れるだろうか。あとこの空を何度皆と見られるのだろうか。そう考えてしまうと少し寂しくなるが、まだ高校すら終わっていないのだ。
残りを数えるのではなく、これから作っていくであろう思い出を思い描いていたほうが充分有意義ではないか。
きっともっと楽しいことが待っているだろうな。
物語のようだった出来事に時折思いを馳せながら、あの頃には少なかった平穏を噛み締め一日一日を過ごしていく。
始まりのあの日、混ざってしまった世界にはしっかりと自分の居場所ができた。
ここが自分の生きる世界なのだと、今ならそう言えるだろう。
笑い合う彼らを見ながら、本来ならあり得なかったこの出会いに静かに感謝した。