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「ん?あんたがなまえか?」
「……!?」
目の前の男が一瞬目を見開いた後、なまえをまじまじと見た。全く見ず知らずの人に名前を呼ばれて、今度はなまえが目を瞬かせる。それから、男の顔を改めて見た。額から顔にかけて大きな目立つ傷のせいでそれ以外の印象がほとんどなかったが、よく見ると強面ではなく、やんちゃな少年のような顔をしている事に気づいて、少しだけ身構えていた気持ちが緩む。
「鶴蝶、いーから入ってこいよ」
部屋の奥から、イザナがめんどくさそうに言うのが聞こえ、鶴蝶と呼ばれた男は靴を脱ぐと家に上がった。そこではじめて、なまえは鶴蝶が結構大きな荷物を小脇に抱えていることに気づいた。
「イザナ、持ってきたぞ。ここでいいか?」
「奥の空き部屋に転がしとけ」
鶴蝶はイザナと何やら会話すると、なまえが私用に使っていいと言われた部屋に荷物を置きに行った。
「ねぇ、イザナ、あの荷物……」
「あ?テメェの布団だよ」
「え、うそ、ごめん」
「別にいいって。つか、ねぇとオレが困んだよ。あ、もしかして、オレと寝れなくなっちまうから、寂しいのかぁ?」
「……私、カクチョーさん、手伝ってくる」
完全におもしろがって揶揄ってくるイザナをスルーし、踵を返したなまえは部屋へ向かった。少し遠慮がちに、部屋の入口から様子を伺うと、中ではすでに鶴蝶が布団を広げているところで、なまえは慌てて鶴蝶に声をかけた。
「カクチョーさん、ありがとうございます。あの、あとは自分でやるので」
「いや、そこまでしろっていうイザナの命令だからな」
「あの、カクチョー、さんはイザナのお友達なんですか?」
命令された以上やるのが当たり前、という風に黙々と作業をする鶴蝶に、なまえが不思議そうな顔で尋ねる。
「……友達ではないな。イザナはオレの王だから」
「王、って王様……?、ふ、ふふっ……」
思いがけない鶴蝶の答えに、一瞬頭がフリーズするが、その後からじわじわと可笑しさがこみ上げてきて、なまえは思わず小さく吹き出した。あの、イザナが王様だなんて、絶対魔王か暴君か、やりたい放題をしているところしか想像できない。少なくとも、おとぎ話に出てくるような穏やかで人畜無害な王様ではないことはたしかだとなまえは思った。
「そんなに変な事言ったか?」
「ううん、そうじゃなくて、ごめんなさい……王っていうか、イザナ、むしろ魔王とか暴君っていうのがぴったりって思ったら、なんかおかしくて……」
なまえの内心などわかるはずもない鶴蝶が、突然吹き出したなまえを少し困惑したような顔で見た。なまえは慌てて頭を振って、鶴蝶の誤解を解こうと思ったことを口にするが、よく考えなくても、イザナに対してだいぶ失礼な物言いをしている事に気づく。しかし、鶴蝶はそれに対して怒るわけでもなく、むしろ、少し嬉しそうな顔でなまえをじっと見ていた。
「イザナは優しいか?」
まるで、初めて恋人を連れてきたときの家族みたいな調子で鶴蝶がなまえに尋ねる。
「うーん、優しいけど、ちょっと意地悪かなぁ」
「そうか。それは上々だ。気に入られたななまえ」
「ええー、そうかなぁ、単に珍しいオモチャみたいな扱いな気が……」
首を傾げながら、今までのことを思い返し、あくまで率直な気持ちを話すなまえに、なぜかとても嬉しそうに鶴蝶がニカッと豪快に笑う。その顔が、やっぱり少年みたいで、なまえはなぜか微笑ましい気持ちで鶴蝶につられて、笑顔になる。
「おい、テメェら、いつまでやってんだぁ?」
不機嫌そうなイザナの一声が、2人の間に流れていた穏やかな空気を一瞬にしてぶったぎる。それもなんだか可笑しくて、なまえと鶴蝶は顔を見合わせて笑った。
「そういえば、オレに敬語使わなくていいからな」
部屋を出て歩き出したところ、鶴蝶が不意に振り返った。
「え、でも……」
「いいんだ、多分オレの方が年下だから」
「えーっ!?」
躊躇うなまえに、鶴蝶がさもありなん、とばかりに、軽快に笑うので、なまえは思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


「本当、びっくりした。カクちゃんが年下だなんて」
「ははっ、まぁ、大抵は驚かれるな」
イザナの家の真新しいキッチンに2人で並んで夕食の支度をしながら、笑い合う。頼まれた仕事を終え、さっさと帰ろうとする鶴蝶を引き留めたのはなまえだった。わざわざ自分の布団を届けてくれた鶴蝶をこのまま返すのはあまりに不義理だし、それに何よりなまえが鶴蝶ともう少し話したかった。よく考えれば家主のイザナに聞くこともなく、なまえが勝手に鶴蝶を引き留めた事になる。それに対して、イザナは特に何の反応もなかったが、「夕飯はカレーがいい」と、一言だけ告げて、気だるそうにリビングのソファに寝っ転がった。


「あ、イザナ、ジャガイモちゃんと芽取ってね!」
不意になまえが後ろを振り返り、広い作業台の端っこで小洒落たスツールに腰かけてじゃがいもの皮をピーラーで面倒くさそうに剥いていたイザナにそう告げた。
「はぁ?芽、なんてどこにあんだよ」
「あるじゃん、ほら、ここ!」
「はッ、こんな小せぇの気づくかよ」
「それ、毒だから。取らないと皆死んじゃうから」
「ちっ」
めんどくせぇ、と言わんばかりに舌打ちして、イザナが渋々、芽をピーラーのエッジで抉りはじめた。
「イザナにそんなことを言う女はなまえだけだな」
調理台に向かっていた鶴蝶が、まるで兄弟喧嘩を微笑ましく思う親戚のお兄さんみたいな顔で2人を振り返る。
「鶴蝶、こいつは女じゃなくてクソガキ」
「もう、また子供扱いする!」
人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべたイザナがなまえを親指の先で指差す。反射的になまえは口をとがらす。そんな様子でさえ、何故かとても幸せそうな顔で鶴蝶が見つめていた。

「じゃ、2人は施設で一緒だったんだ。なんだ、やっぱり友達じゃん」
オシャレなダイニングテーブルを3人で囲み、無事に出来上がったカレーを頬張りながら、なまえがイザナと鶴蝶を交互に見る。
「はぁ?違ぇよ。鶴蝶はオレの下僕」
「うわ、カクちゃんとおんなじこと言ってる」
「そりゃ事実だからだろ」
「ねぇ、どうしてイザナは王様なの?」
不意に素朴な疑問が浮かんで、なまえが鶴蝶に尋ねる。
「イザナは新しい国を作るんだ。国の名前は天竺。身寄りのない子供たちの楽園、イザナ、そうだろ?」
「お前、そんな昔のことよく覚えてんなぁ」
子供みたいに目を輝かせて話す鶴蝶を、半ば呆れたような顔で見ながら、イザナが小さく笑う。その不意に見せた、普段の意地の悪い笑顔ではなく、年相応の少年ぽさが残る笑顔に、なまえの心臓が大きく脈打つ。あまりに可憐な笑顔に、本当の天使みたいだとなまえは心の中で呟いた。
「すごーい!ね、私も天竺に入りたい!仲間に入れてよ」
「やだね。天竺は女人禁制なんだよ」
「ひどい!差別!」
「そーだな、ピンクの雪でも降ったら、入れてやるよ」
「なにそれ、そんなの絶対無理ってことじゃん!カクちゃーん、イザナが意地悪するんだけど?」
前言撤回、いつも通り意地悪な悪魔みたいな笑顔で揶揄うイザナを恨みまがしく睨みながら、なまえが大袈裟に鶴蝶に助けを求める。
「はは、なまえが相当気に入ってんだな、イザナは」
「はぁ?そんなんじゃねーよ」
「だったら、そんな意地悪しないでよね」
「だから、そんなんじゃねーって。調子に乗んなよ、クソガキ」
喧喧囂囂言い合う2人を、何故か無邪気な子供の喧嘩を微笑ましく見守る肉親みたいな顔で、鶴蝶が見つめていた。






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