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年末の同窓会に参加したのは、ほんの気まぐれだった。たまたまバスケ部のOB会が同じ時期にあったから、ついでに出てみたというだけの話。まさか、そこにみょうじが来ているとは思わなかった。
運が悪いことに、自分とみょうじの席はテーブルのほぼ対角線上だった。席決めをした幹事を内心呪ったが、考え方を変えれば、一番自然に彼女の事を見ていられる席ではある。正直に言えば、見ているだけでいいとは思っていない。ただ、卒業して半年以上経った今、そもそもみょうじが今も深津の事が好きなのか、もしかしたら、考えたくもないが既に深い関係の男がいるのか、何もわからない。
高3のあの日、図らずもみょうじが自分の事を好きだと知って、深津もまた、自分の恋心をはっきりと自覚した。そうしたら、もう居ても立ってもいられなくて、当然目で追うだけでは満足できるはずもなく。ただ単純に自分の方を向いて欲しいという些細なことから、それこそ口に出すのもはばかられるような事まで、頭の中はみょうじの事でいっぱいだった。心の底から、今が引退した後で良かったと思うくらいには囚われていたと深津は思う。
子供の頃から感情を表に出すのが苦手だった。というよりは、自分では意思表示しているつもりだが、周りからは何考えているかわからない、と思われていたのだと思う。もちろん、そのきらいは今もある。そんな、何に対しても子供らしく興味を持つ素振りをまるで見せない自分を心配した両親に連れられて見学した中に、バスケがあった。自分でも、何故そこまでバスケに心惹かれたのかは覚えていない。ただ、全員がコートの中を縦横無尽に走り回り、高い高いゴールに向かって全力で飛び上がり、重たそうに見えるボールがゴールに魔法のように吸い込まれていくのが面白かった。自分もやってみたい、とはじめて強く思った。それから、自分の人生はバスケ一色だった。上手くなりたい、ハイレベルなゲームをしたい。興味があることはそれだけ。ゆえに、山王工業の門戸を叩いたのは必然だったと思う。
みょうじに対する気持ちが、バスケに対するものと同じかと聞かれれば、それは違うと深津は思う。確かに、熱量は近いものがある。ただ、根本的な何かが違っている。説明するのが難しいが、強いて言うなら、バスケの主語は自分で、恋の主語はみょうじ。バスケの事は自分次第でどうにでもなるが、恋は自分だけではどうにもならない。むしろ、主導権を握っているのはみょうじだ。
その、今も深津の心を掴んで離さない張本人を視界の端っこに捉えながら、深津は心の中で思わず舌打ちする。それは、みょうじに対してではない。みょうじの隣で彼女にしきりに話しかけている男に対しての苛立ちだった。
(あいつ……距離が近すぎるピョン)
もはや、みょうじというより、深津の目線は完全に隣の男にロックオンされていた。みょうじの隣の男が彼女に邪な気持ちを抱いているのは火を見るより明らかだった。恐らく、元クラスメイトであるその名も知らぬ男の顔を見ているうちに、ふと深津は奴が高校時代にみょうじに気持ちの悪い視線を送っていた男だと思い出す。ただでさえ、みょうじの隣に男が座っているだけで胸の奥がもやもやするのに、よりにもよって、それがみょうじに気がある男だという事が不愉快で堪らない。さらには、みょうじがその男に対して笑顔を向けているというのが、また気に食わない。まるで、不意打ちで死角から相手にボールをスティールされたときのような、こめかみの辺りがぴき、となる感覚。
やはり、なにがなんでも、あの日思いを伝えれば良かったのかもしれない、と深津は唇を噛む。言葉通り、卒業式に深津はみょうじに想いを告げる気でいた。多分、このまま卒業して離れてしまったら、悔いが残る気がしたから。しかし、卒業式当日、彼女は学校に来なかった。人づてに聞いたところによれば、前日にインフルエンザにかかってしまったらしい。それならば、1週間は寝込むだろう。見舞いに行きたい気持ちはあったが、ただでさえ具合が悪いときに、大して親しくもないクラスメイトの男に来られても迷惑以外の何者でもないと思ってやめた。そもそもそれ以前に、深津が秋田を立つ日まで間がなかった。卒業式が終わるやいなや、退寮の手続き、引越し準備、地元後援会への最後の挨拶回りなど、やらなければならない事が山積みで。あれよあれよという間に、出発の日がやってきてしまった。結局、彼女に思いを伝えないまま、深津は東京へと旅立った。
東京の新生活が始まれば始まったで、日々の練習と新しい生活に馴れるのに精一杯で、正直みょうじの事を思い出す余裕もなかった。ただ、時折夢を見た。夢の内容は決まって同じで、場所はあの日の教室。みょうじは眠ってなどいなくて、自分と違ってよく喋る真っ黒な瞳が深津を真っ直ぐ見つめている。
深津くんの事が好き――そう言ってはにかんだように笑うみょうじを、抱きしめたくて手を伸ばすところで、いつも目を覚ます。
夢の余韻が深津の胸の奥をキュッと締めつける。その後、じわじわと広がっていく、甘くて切ない何かが、未だ深津の胸の中にみょうじがいる事をはっきりと思い出させる。自分でも大概未練がましいとは思うが、こればかりは致し方ない。もし、またみょうじに会うことがあったなら。彼女の気持ちが変わっていないとわかったら。そのときはもう遠慮も手加減もしない、そう深津は強く思っていた。
(……!)
深津がほんの少し思いを巡らせている間に、深津の念が通じたのかみょうじの隣の男が席を立った。深津は心の中で小さくガッツポーズする。そればかりか、みょうじが初めて深津の方を見た。それだけで、深津の心臓が大きく跳ねる。当然、そんなことはおくびにも出さないで、深津はじっとみょうじの目を見るが、彼女は直ぐに目を逸らしてしまう。それが寂しくもあり、同時に少し嬉しくもあるのは何故だろうと思いながら、深津はそのままみょうじの方を見つめ続けた。すると、もう一度みょうじが深津と目を合わせる。さっき、逸らしたことを気にしているのか、少しバツが悪そうなみょうじの視線を待ち構えていたように捉え、もう逃がさないとばかりに絡めとる。そんな深津の圧を感じ取ったのか、みょうじの瞳が羞恥に揺れる。白い頬がじんわりと滲むように赤く染まっていく。それが、感情のせいなのか、飲み慣れないアルコールのせいなのかはわからない。それでも、揺らいだみょうじの瞳の奥で仄めく灯火を深津が見逃すはずもなく。渇望し探していた答えを、思わぬ形で得た深津がゴクリと生唾を飲み込む。これでもう、待ったなしと言わんばかりに、人知れずギアを上げる深津から逃げるように、みょうじが席を立った。
「深津」
隣に座っていた一之倉に呼ばれて、深津ははっとする。みょうじが居なくなった後も、気がつけばずっと視線を合わせたままだった事に、そこで初めて気がついた。
「大丈夫か」
「大丈夫ピョン」
何が、とは聞かなかった。ただ、一之倉が声をかけるくらいなのだから、自分は相当やばい顔をしていたに違いない。もちろん、それに気がついているのも一之倉だけだとは思う。
(……!)
少しだけ表情を引き締め直して、再びみょうじの席を見れば、さっきまで隣にいた男が戻ってきており、深津は心の中で舌打ちする。しかし、その直後、目の当たりにした男のある行動に深津は思わず目を見開いた。事もあろうに、みょうじの飲みかけのグラスに何か白い粉のようなものを入れたのだ。もちろん、男は巧妙に周りにわからないようにしたつもりだと思うが、一部始終を見ていた深津の目を欺けるわけがない。深津のこめかみが、ぴきっと不穏な音を立てる。
「イチノ、やっぱり大丈夫じゃないピョン」
「へ?」
「先に抜けるから、会計頼むピョン」
そう言って、一之倉に2人分の会費を渡す。それを受け取りながら、諸々のことを察した一之倉は黙って頷いた。
「深津」
席を離れて歩き出そうとした深津に、一之倉がん、と拳を突き出す。深津は無言で一之倉の拳に自分の拳を軽く合わせると、そのまま店の奥に向かって歩き出した。