休日の駅前はいつも以上に人でごった返している。改札を抜け、押し出されるように駅前のロータリーに着いたなまえは不意に腕時計を確認する。ナホヤと待ち合わせの時間は13時。時計の針は5分前を指している。当然のようにナホヤの姿はまだ見えない。その事に少し安堵して、なまえはバッグの中から手鏡を取り出す。出かける前に身だしなみは確認したものの、やはり気になってしまう。誰かから見られる事をここまで意識するなんて、はじめてだとなまえは思う。それが、相手がナホヤだからなのか、それとも、初めての休日デートだから、なのかはよくわからない。今日着てきたブルーのストライプのワンピース。1枚で着ていくべきか、それとも、アンダーにパンツを穿いていくべきか、昨日の夜さんざん悩んで決めたコーディネートだった。果たしてナホヤは気がついてくれるだろうか。そう思っただけで、胸がドキドキしてくる。
結局、屋上で髪の毛を触らせてもらったことは埋め合わせにならなかったらしく。あの日の夜にナホヤから、日曜日に水族館に行こうと誘われ、今に至る。不意に、屋上での事を思い出してしまい、なまえの顔があれよあれよという間に赤くなる。実はあれ以来、ナホヤと顔を合わせておらず、そういう意味でもなまえはとても緊張していた。
「……!」
刹那、周囲に響きわたるほど、けたたましいバイクの音がして、なまえが吃驚して音の方を見る。見れば、ロータリーに派手な装飾のバイクが1台入って来るのが見えた。
「ッ、ナホヤ君!?」
「よぉ、なまえ。待ったかァ?」
そのバイクが不意になまえの前で止まる。
乗っているのがナホヤだと気づくやいなや、なまえは目を見開いた。
「これ、ナホヤくんの?なんか、すごいね……」
「かっけーだろ?」
「うん、えっと……私にはよくわかんないかも……」
「お、やっぱそれめっちゃ可愛いじゃん」
「え?」
ナホヤがいきなりなまえをまじまじと見ながら、すこぶる機嫌が良い顔をした。
「彼女が可愛いとめちゃくちゃテンション、アガるワ」
「ッ、あ、ありがと……」
彼女、とか、可愛い、とか、一体どこに反応したらいいかわからないくらい、こそばゆくて胸がきゅんとなる。なまえははにかみながら、小さくそう呟いた。
「じゃ、行くか。なまえ、ケツ乗れよ」
ナホヤが首に引っ掛けていたヘルメットを外して、なまえに渡す。なまえはよく分からないまま、ヘルメットを受け取ると、不慣れな様子でナホヤのバイクに跨った。

「……!!」
ナホヤの掴まっとけよ、の一言がスタートの合図だった。独特のエンジン音とともに、まるで弾丸のようにバイクが走り出す。思っていた以上に強い初動になまえは慌てて、ナホヤの背中にぎゅっとしがみついた。
もの凄いスピードでナホヤのバイクが街の中を駆け抜ける。背中越しにでもわかる頬が風を切る感覚に、最初は思わず目をつぶってしまったが、少しづつ目を開ければ、見慣れた街並みがフィルムのように流れて行く。なまえは思わず感嘆のため息を漏らした。バイクはあっという間に都会を抜け、海岸沿いのワインディングロードに出る。視界がさらに開けたせいか、それとも、バイクに慣れたせいか、最高に気持ちいい風を感じてなまえの心が密かに踊る。最初に感じた不安はもう微塵もなくなっていたが、ナホヤの背中の温度が心地よくてなまえは身体を預けたままでいた。
初めての2人乗りの時間は思っていたよりずっと早く終わり、あっという間に水族館についてしまった。もう少し走ってたかったな、と、少し名残惜しい気持ちで、ヘルメットをナホヤに渡しながら、なまえは心の中で呟いた。
「なまえ、早く行こうぜ」
そんななまえの気持ちを知ってか知らずか、ナホヤが当たり前になまえの手を取り、入口に向かって歩き出す。ナホヤの手に触れた瞬間、なまえの心臓がどくん、と大きく鳴った。ドキドキと煩い心臓の音を振り払うように、小さく息を吐いて、なまえもまたナホヤの手をしっかり握り返した。


「え……ここに座るの本気?」
「あったりめーじゃん。やっぱ、イルカショーは最前列で見てぇじゃん」
「それはそうだけど、最前列はびしょ濡れになるみたいだけど?」
「大丈夫だって。ソウヤと何回も来てっけど、1回も濡れたことねーし」
「……」
半ば強引に押し通され、なまえとナホヤはイルカのプールの最前列に座った。根拠もなく自信満々のナホヤに対して、あきらかに水飛沫で濡れた周囲の床を見てなまえは一抹の不安を感じずにいられない。
程なく、派手な音楽とともに、プールサイドのステージに現れたインストラクターの指示で、一斉にイルカがジャンプする。派手な水飛沫と共に、流線形の艶やかな体躯が宙を舞う様子に、さっきまでの不安も忘れて、なまえは思わず身を乗り出して歓声を上げた。そんななまえの様子を密かに見つめるナホヤの眼差しがひどく優しかったことを、ショーに夢中ななまえは知る由もない。
一瞬も目を離せないまま、ショーはクライマックスを迎えた。インストラクターが、最後の大ジャンプです、と大きな声で呼びかけると、プール上のバーが今まで以上に高く掲げられる。プールサイドで指示を受けたイルカが一斉にバー目がけて跳ねる。まさに圧巻、とばかりに、高く高く舞うイルカ達をなまえもナホヤも呆けたように見つめた。
次の瞬間、プールにこれまでになく高いところから飛び込んだイルカの水しぶきがなまえとナホヤ目がけてバシャーン、と飛んでくる。防ぐ間もなく、大量の水を頭から被り、なまえもナホヤも見事にずぶ濡れになった。
「……」
「……、ぷふッ!」
一瞬何が起きたのかわからない、とばかりに、2人無言で見つめ合う。程なくして、なまえが堪らず吹き出した。
「なんだよ、いくらなんでも水かけすぎだろ、つめてッ!」
ぶるぶる、とまるで犬みたいに頭を振って、ナホヤが笑いながら悪態をつく。
「ほら、だから、言ったでしょ……でも、本当濡れすぎだよね」
やばい、なんか可笑しい、となまえがケラケラ笑う。花が綻ぶように破顔したなまえに、ナホヤの目が釘付けになる。
「あ、ナホヤくん、髪の毛がフワフワじゃなくなってる」
「あン?天パは濡れるとストレートになんだよ、ほら」
なまえの顔を見つめていた事を悟られないように、ぱっと視線を反らして、ナホヤがとれかけたパーマみたいに伸びた毛先を指差す。
「へぇ、そうなんだ……あ、私タオル持ってるよ」
そう言って、なまえはバッグから少し大きめのハンドタオルを取り出すと、おもむろに、ナホヤの頭をタオルで拭き始めた。
「……っ、」
急になまえの顔が視界いっぱいになり、ナホヤが思わず息を飲む。そんなナホヤの事などまるで気づいていない様子で、なまえは一生懸命ナホヤの髪をタオルで拭き続けている。タオルごしに感じるなまえの手の感触に、いやが上にも屋上での事を思い出し、今度こそ唇に噛みつきたい衝動がわいてくる。きっと、今ここでなまえに不意にそうしたら、屋上のときと同じく、吃驚した顔を目いっぱい赤くするに違いない。そんな顔を見たら最後、そこで止めてやれる自信がない。けれども、このまま大人しくしているのも性に合わない。そう思って、ナホヤはおもむろに、なまえの手首を掴むと、鼻先が触れるか触れないかの距離までなまえに顔を近づけた。
「……!」
突然、手を引き寄せられ、予想通りなまえは吃驚して目を見開いた。そこで初めて、自分がいかに無防備だったことに気付かされる。気づいたときにはもう手遅れで、もしかして、このままキスされちゃうのかも、と思ったら、なまえは反射的にぎゅっと目をつぶっていた。
「つか、くすぐってぇワ」
身構えるなまえを揶揄ったかのように、ナホヤは唇で額に軽く触れただけで、あっさり離れていく。それから、拍子抜けして呆けたままのなまえの手を取ると、何事もなかったかのように歩き出す。なまえは、未だにドキドキとうるさい心臓の音を全身で感じながら、ナホヤの手をぎゅっと握った。



「今日はすごく楽しかった。送ってくれて、ありがとう」
なまえの家の前でなまえが笑顔でナホヤにかぶっていたヘルメットを手渡す。
水族館の帰り、ナホヤがバイクでなまえを家まで送ってくれたのだ。
「オレもめっちゃ楽しかった。また行こーぜ」
バイクに乗ったまま、ナホヤが上機嫌に笑う。
「あ、そーだ、なまえ」
「え?」
何かを思い出したように、ナホヤが不意になまえの名前を呼ぶ。なに、とばかりにナホヤを見上げるなまえの腕を些か強引に引き寄せると、今度こそ本当に、掠めるようにちゅっ、と口づけた。
「ん。じゃあな、おやすみ」
「……ッ、!!」
不意をつかれて、何が起きたのかわからない、という顔でその場に固まるなまえにそう告げると、ナホヤはバイクで颯爽と走り去って行った。後に残されたなまえは、目をパチクリさせながら、今しがた自分の身に起きた事を思い出し、みるみるうちに顔が赤く染まっていく。恥ずかしいやら、嬉しいやら、あまりの事に、なまえはその場にしゃがみこんで、頭を抱えた。
「こんなの、不意打ちすぎるよぉ……」
ナホヤとの初めてのキスの感触を思い出しながら、間違いなく今夜は眠れそうにない、となまえは深いため息をついた。


06 三度目の正直


|index |
paraiso