「―――そろそろ行くぞ」


ばさりと朝刊を折って、三蔵の視線が腕時計を確かめた。


「え、なに?今日三蔵送ってってくれんの?」
「光織の交通手段がねぇんだ。仕方ねぇだろ」


普段、悟空は自転車で登校する。

数日前に学校は自転車で30分足らずの所にあると言っていたから、歩けば一時間ほどだろうか。
車ならば15分。
足も治ったことだし、道さえ教えてもらえれば歩いて行けますという強がりは飲み込む。


「……すみません」


仕事で忙しい三蔵に余計な手間を取らせてしまったと光織が項垂れると、
三蔵が軽く視線を寄越した。


「いや……どっちにしろお前の担任にも挨拶くらいはしなきゃならんだろ」





校門で悟空と別れ、光織と三蔵を乗せた黒い外国車は駐車スペースへと向かう。
見慣れない、煉瓦造りのモダンな校舎。
行き交う生徒達も勿論見知った人などいるはずもなくて。
青々とした桜の若葉が朝日に輝くのを尻目に、光織はそっと息を吐いた。


「……辛気臭ぇ」
「……すみません」


緊張してしまって、と右手がいつもの癖で前髪を撫でつけようとする。ああ前髪ないんだった。

―――どんなところだろうか。
悟空は『普通の学校』と言っていたが、そもそも普通が分からない。
学校案内やパンフレットも穴が開くほど熟読したし、校則の一部と校歌は昨日のうちに覚えた。
転校なんて初めてで、と独り言ちれば、ちらりと三蔵がその表情を伺う。
所在無げに糊のきいたスカートのプリーツを織り込む光織は、それに気づかないままで。







「海瀬光織の保護者の玄奘と申します」
「海瀬光織です」


通された校長室で校長と軽く面談をし、担任になる教師の紹介を受ける。
生まれてこのかた転校も転入も体験したことの無い光織には初めてのことばかりで、正直戸惑った。
校長室の厚ぼったいカーテン。活けられた百合の花。
担任は男。
この学校に勤めてまだ3年という、若い教師。

宜しく、と微笑みかけられ光織もぎこちなく微笑み返してみせた。


―――どうしよう。


今、とてつもなく三蔵の手を握りたい。

勿論そんなことできるはずもないのだけれど、ああでもどうしよう。
馬鹿じゃねぇのかこの馬鹿娘がと三蔵に言ってもらえれば楽になる気がする。
また悟浄に「光織ちゃんってドMだよな」と言われてしまうけど。
見知らぬ部屋で見知らぬ人たちと対面しているというのは予想以上にきつい。

目を、見られている気がして。


「じゃあ教室に行こうか。この時間ならまだ朝のHRに間に合うからね」
「、はい」
「よろしければ玄奘さんもどうぞ」
「いや、これで失礼する」


ちらりと壁にかけられた時計に目をやると、普段なら三蔵がとうに仕事を始めている時間で、光織はいたたまれなく思う。
それを察したのか、部屋を出る際にぽん、と肩を小突かれた。
知らず知らずのうちに俯きがちになっていた光織を、遠慮なく紫暗が捉える。


「帰りは八戒か悟浄が迎えに来るはずだ。何かあったら悟空に言え。
……じゃあな」







「何ていうか……随分と淡白な人だね」


教室へと向かう廊下でそう言われ、光織は苦笑した。
この教師には理解できないかもしれない。

実際、光織だとて三蔵や悟空達と過ごした時間は長くない。それどころか一週間だ。
けれど先程の一言が三蔵なりの優しさであることは十分感じていた。
その証拠に今、こんなにも肩が軽い。


「親戚?」
「えぇ、まぁ……父方の伯父の子で」
「従兄弟か」
「はい」
「じゃあその目の色は海瀬一族の遺伝なわけだ」
「えぇ、そうなるんでしょうね」


三蔵とは親戚。それは先日、観世音菩薩に教え込まれた台詞だ。
目の色の話題に一瞬心臓が跳ね上がるが、幸いにも声は震えなかった。


(幸い、この眼のお陰で怪しまれることもないし)


皮肉なものだ、と軽く溜め息を吐く。


「うちのクラスはみんないいヤツばっかりだから、すぐに打ち解けると思うよ」


- 21 -

*前次#


ページ: