―――だから、もうそれから3年になるのだろうか。



あの朝以来、両親と顔を合わせた事はただの一度もない。

目立つところに暗証番号のメモと共に置かれたクレジットカードは、いくら使っても止まるどころか請求書すら届く事はなかった。

それでも時々は帰って来ていたようだが、それは決まって光織が学校に行っている時で、
帰宅してからなんとなく違う空気を感じて光織がそう結論付けるだけではあったが。




一昨日病院で3年ぶりに対面した両親は―――当たり前だが何も語る事はなく、それどころか目を開ける事すら。
泣けるだろうかと半ば本気で心配していたのに、呆気なく涙は溢れた。

けれど頭の隅で、ああ学校に戻らなければ。授業に遅れてしまうと思った自分がいた事も、確かだった。






通夜、告別式、初七日と繰り上げの四十九日、納骨。
初めての法要をひとつずつ終えていく。

勿論分からない事ばかりであったが、誰が手配してくれたとか、そんなことまで頭は回らなかった。



すべて終わってしまえば、集まった少しばかりの親族たちもばらばらと帰ってしまう。
両親の勤めていた会社から、低めの女性の声で『遅くなるかもしれないが必ず向かう』という趣旨の電話を受けたからには帰るわけにもいかず、光織は住職に無理を言ってもう少しだけ居させてもらう事にした。

先程まで両親の遺骨を置いていた控室に一人で居るのは心もとなく、息抜きにと学校指定の革靴を履く。
境内の玉砂利の上を歩きながら、心は別の事を追っていた。


―――遺産。


親族の一人が皆に後押しされ、気まずそうに話しかけてきたのを思い出す。


―――死んだ二人には昔色々と世話になった。もしよければウチであんたを引き取りたいと思う。
その代わり―――




『相続の件ではこちらに従ってもらう』




両親はわりと裕福な人達だったようだ。

先のクレジットカードの件もそうだし、カードだけではどうにもならない事―――例えば高校の入学に必要な手続きや前払いの学費、制服に体操服などの細々とした経費―――
それらも例の“空気の違う日”に全て用意されていた。
それからこれは光織自身、つい先日知った事ではあるが、両親は新たにマンションを購入していたのだ。

それらの相続権は全て、法定相続人である光織にある。


―――頭が痛い。


考えたくもないのに、考えなければならない事が多過ぎて。
目が乾く。もうコンタクトを取ってしまおうか。
学校ではないし、親戚たちも帰ったのだから誰の目も気にすることはないのだ。

鏡も見ずに器用に指先で目から黒く着色された柔らかいレンズを剥がす。
途端、貧血と偏頭痛を同時に起こしたような目眩と痛みを感じ、光織はすっかり葉桜となった桜の幹に手をついて
そのまましゃがみ込んだ。








「ここ……みたいですけど」



八戒が些か不安気に、車内から辺りを見回す。

無理もない、
駐車場の入り口には海瀬家の名が掲げてあったものの、中には冠婚葬祭関係の会社名が入った車が一台停まっているだけだ。


「三蔵、先に行ってください。僕は社長に電話で確かめてみます」
「、あぁ」


車を降りても異質な空気は変わらず、三蔵はとにかく人を探して歩いた。

簡易テント等も組まれてはいるが、人の気配がない。
参列者も、住職も、肝心の娘も。


(無駄だったか…)


恐らく葬儀はもう終わったのだろう。その娘とやらもきっといい居候先が見つかったに違いない。
そう考えて引き返そうとした、その時。



三蔵は視界に人影を映した。








「どういう―――ことですか?」



動揺を隠せない声の八戒に、電話の向こうで観音が気楽に言う。


『だぁから、その娘は親戚にめちゃくちゃ嫌われてんだよ。』
「嫌われて……?」
『異質なものを受け入れられないガキばっか。ってことだろ』






「――おい、」



声を掛けたが反応がない。
聞こえなかったのかと、もう少し大きめな声で話し掛けようとして、ふと三蔵は気付いた。


平日の昼に制服を着て寺にいる子供。



まさか。


「『海瀬光織』か?」


何気なく名を口にすると、蹲っていた人物がバッと顔を上げた。


「あ、はい、えぇと、父と母の会社の方ですか?」


慌てて駆け寄る光織を見て、三蔵は一瞬呼吸の方法を忘れた。


そして同じく光織も、三蔵の双眼を見つめたまま、動けなくなる。





向かい合った二人の瞳は、同じ紫暗で。



確かにこの時何かが始まったのだ。



end.


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