「……というわけで、やってみてください。どうぞ」
「なっ……!?」






  
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7月に入り、だんだんと夏らしくなってきた。

夏服から露出する白い肌をじりじりと焦がす日射しに首筋の汗を拭いながら、光織は李厘の屋敷の前に立っていた。


もう、三日も李厘は学校に来ていない。

担任の話では風邪をこじらせたらしいのだが、そもそも彼女が風邪をひくということ自体が珍しい気がした。
繋がらない電話に、返ってこないメッセージ。
溜まったプリント類を届けるように担任から言われる前から既に光織は見舞いに行こうと決めていたのだ。


「それにしても……相変わらず」


絡み合った唐草のようなデザインの門はまさに見上げるばかりで、鬱蒼と茂る森や僅かに覗く屋敷の片鱗にただただ圧倒される。

一瞬の躊躇いの後にインターフォンに指をのせ、少しだけ力を込めればすぐにガチャリという音がスピーカーから聞こえた。


『……―――どちら様でございましょうか』

「あ、私、李厘さんと同じクラスの海瀬と申します」

『アポイントメントはとられておいででしょうか?』

「…はい……?」

『李厘お嬢様はご病気で床に臥されていらっしゃいます。申し訳ございませんがアポイントメント無しでは……』

「えと、それじゃあ……」

「海瀬光織…?」


とても静かなエンジン音の後に、聞こえたのは男の声。
聞き覚えのあるその声に、光織は振り返った。
さらりと黒い髪が揺れる。


「こんなところで……どうした?」
「お久しぶりです。紅孩児さん」


高級車から自ら降り立った紅孩児に、慌てたように運転席から黒服が駆け寄る。
しかしそれを制止して歩み寄る紅孩児に、光織は一礼した。


「李厘のお見舞いに」
「そうか、わざわざ悪いな―――おい、開けてくれ」

『こ、紅孩児様!?お帰りなさいませ!』


モニターを通して副社長の姿を見たのか、慌てたようにガシャン、という音と共に軋みながら門が開く。


「わ。……凄いですね」


お城だ、と単純に驚いている光織に、紅孩児は笑みの形に表情を変えてみせた。


「城というよりは…牢獄だな」


その自嘲気味な笑いが、心に止まった。








「お帰りなさいませ、紅孩児様」


重厚な造りの扉が開けば、そこには光織の想像通りに十数人の使用人が立ち並び、一斉に頭を下げる。
大理石に紅い絨毯が敷かれたエントランス。高い天井。お約束のようにシャンデリア。
お城だ。やはり。


「あぁ」
「お荷物を、紅孩児様」
「あぁ
「九州の支部長より会議参加の連絡が届いております」
「あぁ」
「例のプロジェクトですが、模擬試験を何度か行ったところ不都合が見られました。只今再調整中です」
「あぁ」
「玉面公主様よりご通達が――…」

「あ、あの……」


わらわらと、紅孩児の通る側から彼に付き従い、取り囲んでいく使用人達にのまれ、ひとり取り残されていた光織は恐る恐る声をかける。

ザッ。

とたんに人の波が足を止め、一斉に振り返り。


「あぁ、……悪い」


まるで存在を忘れていたかのようにそう呟いた紅孩児は、数歩戻ると何の躊躇いもなく光織の右手をとった。


「!」
「海瀬光織。李厘の友人だ。俺の名において今後、屋敷への出入りを自由にする」
「紅孩児さまっ…!?」


ざわざわ、とも、どよどよ、ともつかない騒めきの中、


「行くぞ」


とだけ光織に囁いて紅孩児はその手を引いた。
ふかふかとした絨毯に足を取られそうになりながら光織は慌てて歩き出す。
未だ呆気にとられたような黒服たちを振り返ると、言ってはいけないことだったのではないかと少し不安になった。


「李厘の部屋はこっちだ」
「あの、紅孩児さん?」
「何だ」
「その、手を」
「手?」


ずんずんと進んでいく紅孩児は、そう言われてようやく己の左手の在処に気づいたらしく。


「、っ!!」


慌てて手を放し、俯いた。


「……すまん」
「あ、や、別に、謝らないでください」
「いや……お前には既に決まった男がいるのに、」
「……決まった、男?」


何のことだと聞き返せば、やたらと顔の赤い紅孩児も不思議そうに光織を見た。


「玄奘三蔵と交際しているのではないのか?」












「こ……うさい?」
「玄奘三蔵でないのなら猪八戒辺りか。沙悟浄は考えにくい」


公債、高裁、虹彩、   交際。


「な、なんですかそれ!」
「?違う、のか?」


途端に真っ赤に顔を染め、尚且ついつもよりも幾ばくか高まった声に、光織らしくない箇所を見た気がして紅孩児も困惑する。


「悪い、俺の勘違いだったか」
「あ、いえ、はい、まぁそうなんですけど、謝らないで下さい」


そう呟いてから、二人は目を合わせる。

元々こんな話題になったきっかけを思いだし、微かに微笑んだ。



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