「これなんてどうですかっ?」
「……はぁ、」
「あ、それともこっちとそれで」
「……あの、八百鼡さん?」
確かお茶に呼ばれたのではなかったか。
それがどうしてこうなったのか、今、光織は八百鼡の部屋にて服に埋もれていた。
「何ですか?あ、次はこれ、着てみてください」
「あ、はい。じゃなくて、」
これ、と渡されたのはチャイナ風のカットソーとふわふわしたロングスカートで。
「え、いや、あの、かわいいんですが、その、李厘は…」
「紅孩児様がついていらっしゃいます」
「え……?」
「しばらく仕事で一緒にいてあげられなかったから、だそうですよ」
ふふ、と八百鼡がアジアンテイストのチェストをあさりながら嬉しげに言う。
「光織さん、紅孩児様に何か言いました?」
「何か、?」
「今まで、一度もそんなことなかったんです。紅孩児様はそれは博識だし、李厘様の事を大切に思ってらっしゃるけど、“具合いの悪いときは誰かに側にいてほしくなる”ということはご存じないと思うから」
紅孩児様自身、そうされたご経験はないんじゃないかしら。
「―――え、」
八百鼡に背を向けてカットソーに手を通していた光織は、思わず振り向く。
「李厘様からお聞きになっていませんか?」
チェストの前に座り込んだ八百鼡の手には、新たなエスニック風キャミソールが握られていて、光織は慌ててカットソーに袖を通し、同じように床に座り込む。
「当社の長は玉面公主様。李厘様の実母様にして、紅孩児様の義母様であらせられます。」
「それってつまり―――……」
「はい。紅孩児様は幼いときに亡くなられた前妻の羅刹女様のお子様。李厘様が後妻である玉面公主様のお子様です。お二人の実父であらせられる牛魔王様は既に亡くなられており、数年前までは紅孩児様の保護者は李厘様同様、玉面公主様でした。」
―――あぁ。
「しかし玉面公主様は紅孩児様に興味を持たれず、正妻のお子である紅孩児様は不等な扱いを受けることも多かったようです」
――――そう、か
「幼少時代にお母様を失われ、お父上は何より遠いお方。7つの時に義妹の李厘様と玉面公主様に対面して直ぐに牛魔王様は亡くなり……きっと」
「きっとひとりは……寂しかったですよね」
分かったような気がした。
どうして紅孩児は時々、あんなに悲しくて、自嘲に満ちた表情をするのか。
どうしてその表情が、懐かしく思えてしまうのか。
「……光織、さん?」
いきなりぽろぽろと涙を溢し始めた光織に、戸惑ったように八百鼡が声をかける。
悲しいのか苦しいのか、意味も分からず涙は沸き出て、あふれて、こぼれた。
あの表情は、よく知っている。
苦しい、悲しい、つらい。そんな感情が混じり合って、麻痺してしまった表情。
―――見慣れた、表情だ。
『暫く寝ていなかったようだからな……お前が来て安心できたか』
『え、もしかして……李厘はずっとひとりでここに?』
『どうだかな。俺は会社に行き通し、独角児と八百鼡も似たようなもので……』
『………ご両親、は』
紅孩児はそっと、眠る妹の髪を撫でた。
常時、あれほど活発な李厘の目下にはうっすらと隈ができて。
「………李厘、」
自分がくだらない仕事に身を投じている間、この小さな少女が不安や苦痛をを感じていたのかと思うと、やりきれなかった。
“兄”として、長年側にいたのに。
あの少女は、たった数ヵ月で見抜いたと言うのか。
「―――敵わないな」
そっと呟くと、それに被るかのように控え目にドアがノックされる。
「あの、紅孩児さん?」
光織だ。
紅孩児の返事を待ってドアを開けた光織は、ほの暗い室内ですやすやと眠る李厘を見て、安心したかのように僅かに目を細めた。
「悪いな、八百鼡の“着せ替え”に付き合わされたろう?」
「あ、いえ、いいんです」
制服姿に戻った光織は、ベッドサイドに座る紅孩児の隣にしゃがみ込む。
「紅孩児さん、」
李厘の寝顔を眺めながら、光織がふと囁く。
「光織、て呼んでください」
「、なっ……!?」
何をいきなり、と彼女を見ると、思いの外真摯な瞳とぶつかる。
「私は勝手に紅孩児さん、て呼ばせていただいてますから、紅孩児さんも名前で呼んでください」
「いや、それは―――」
「お願い、します」
「なぜそこまで、」
拘るのかと目で問えば、張り詰めた表情から少しだけ力が抜けたように感じた。
「特に拘っている訳では……なんとなく、なんですが」
「……」
「他人みたい、でしょう?“海瀬”って呼ばれると」
「それは」
「確かに私達、他人だったかもしれない。けど、もう、違いますよ、ね?」
ね?と、問う、普段ならば澄みきった鮮やかな紫の瞳は、照明のせいかはたまた違う何かか、ぼんやりと茶色く霞んで見えた。
「……というわけで、やってみてください。どうぞ」
「なっ……!?」
「“光織”です」
「しかしだな、」
「八百鼡さんのことは呼び捨てですよね」
「あ、あいつは付き合いも長いし、信頼できる俺の部下だ」
「妹の友達は信用できませんか」
「そういうわけでは……!」
「……っ、」
しどろもどろになる紅孩児をどんどんと追い詰める光織は、いきなり我慢しきれなくなったかのように、笑いだした。
「ごめんなさい、困らせるつもりじゃなかったんですけど」
「あ、あぁ」
目尻に溜った涙を指で拭いながら、光織はまた少し、笑う。
「私、そろそろ帰りますね。李厘が起きたらお大事に、学校で待ってるね、とお伝えください」
「あ、あぁ」
それじゃあ、と一礼して、呆気なく光織は部屋を出る。
「あ、そうだ紅孩児さん」
「なんだ」
「また遊びに来ますから、その時には」
名前、呼んでください。
end.
- 32 -
*前次#
ページ: