―――翌日。
随分と早い時間から、彼らの姿はあった。
「……さて、当日になりましたが」
彼らとはもちろん、三蔵・八戒・悟浄・悟空。
いつも通り笑顔なのは八戒のみで、後の三者は何故かぐったりと青い顔をしていた。
「覚悟はできましたか?」
“覚悟”とは。
遡ること約18時間前―――
光織の誕生日パーティーを計画した直後のこと。
「――それじゃあ私、少し用事があるので出かけて来ますね」
「車を出しましょうか?」
「大丈夫、行ってきます」
そう言い、光織はパタパタと駆けて行った。
クーラーの効いた室内に残された男4人は、ドアが閉まった瞬間に溜め息を吐く。
「………」
無意識の内の行動だったのが見事に揃い、顔を見合わせた。
「溜め息なんか吐いてんじゃねぇよ猿。暑っ苦しい」
「暑苦しいのは貴様の頭だ。切れ、染めろ」
「あー!もうなんなんだよ!なんかすっげもやもやする!!」
「可愛らしいですよねぇ」
流れをまるで無視したかのような八戒の発言に、空気が止まる。
「……何だって?」
原因不明の渦を巻く感覚を持て余していた三人が見れば、八戒はいかにも涼しい表情で麦茶のグラスを傾けていた。
「気付いているんでしょう?自分達の中にある、光織に対する感情の意味、を」
からん、とグラスの中の氷が音を立てる。夏の日射しが一瞬、遠ざかる。
「な、それ…どういう……」
三蔵は顔を伏せ、悟浄は目線を逸らしていたが、悟空だけは未だに掴めていないように言葉を洩らした。
「気付いていないのならそれでも構いませんよ。“ライバル”は少ないに越したことはありませんから」
「……ライバルってことは、お前もか」
「えぇ、まぁ」
そう微笑むが、何故かその言葉は曖昧に濁る。
「おい、八戒」
「とにかく」
カタン、と音を立ててグラスがテーブルに置かれた。
「こうなった以上、僕らはライバルな訳ですし、お互い手を抜かずにいきましょう。明日はいい機会ですよ」
「手を抜かずに、って、八戒」
「分かりませんか?悟空」
クーラーが強く効いている筈なのに、何故か悟空は手に僅かな汗を握って。
「ぼやぼやしていると、誰かに光織を取られてしまうかもしれないってことですよ」
からん。
また氷が鳴った。
「正々堂々と、スポーツマンシップに則って。」
「選手宣誓かよ」
「下らねぇ…」
「恨みっこなしだかんなっ!」
「楽しそうですね、なんの話ですか?」
ふらりと現れた光織に、条件反射で悟空が顔を背ける。
「な、ない!なんでもないっ!!」
「オハヨー、光織ちゃん」
「お誕生日おめでとうございます」
「遅かったな」
そうですか?と首をかしげる光織に比べると、明らかに顔色の悪い男性陣。
恐らく眠れなかったのであろう、珍しくも目の下に隈を作っている悟空と、普段より眼が座っている三蔵に、煙草を朝からいつもの倍以上消費している悟浄は心の中で同情する。
女になど慣れきっている筈の悟浄でさえ頭を悩ます問題だ。
同じ空間で寝食を共にしている二人には相当に厳しいものがあるだろう。
問題―――そう、問題だ。それも重大な。
(何も知らねェ顔しちゃって)
ぼんやりと眺めていると、ふと光織がこちらを見る。
真正面からばっちりと目があってしまい、反射的にそれを反らした。
(…っ今時中学生でもこんな反応しねぇっての……!)
柄にもなく心臓が跳ねる。
「、悟浄?」
顔を背ける悟浄に、何を思ったか光織はそれを覗きこんだ。
「あ、あぁ?」
精一杯体を引き離して顔を向ければ、相変わらず何も知らない表情のままの光織が、かすかに微笑んで。
「行きましょう」
「……浄、…悟浄!」
ぼんやりとしていた思考が、光織の声で引き戻される。なんだか今日はイマイチ本調子が出ない。
「あぁ、わり」
ふと目を向ければ、カートに山と盛られた食品の間から光織がひょこりと顔を出していた。
マンションから車で30分程のショッピングモール。そこの地下にある大型スーパーへ至る道中も、着いてからも悟浄と光織の間に会話は少なかった。それは終始物思いにふけっている悟浄に光織が遠慮してしまったせいでもあるのだが。
「うっわ、すげぇ量だな」
カートを引き寄せて代わりに押すと、すみませんと苦笑して光織は何かを手にする。
「悟浄、どっちが好きですか?」
右手には赤のパプリカ、左手には黄色のパプリカ。
「……それなんか違うの?」
「………色?」
そりゃそうだろ、と突っ込みながらも、何故か顔がほぐれる。
「じゃ、赤ー」
「はい!」
ようやく悟浄らしさが戻り、光織も微笑んだ。
「それにしてもすげぇな」
「まだあるみたいです」
光織が悟浄に見せたのは、八戒のものらしき小さな字で埋められたレポート用紙。
「どんだけ気合い入れてんだか」
「悟浄ー!」
呼ばれて顔を上げれば、すでに数メートル先で光織が自分を呼んでいた。
ひらひらと手を振って、積まれた食材を落とさないように悟浄が歩いてくる。
それを確認して、光織は次の食材選びに取り掛かった。
(それにしても…悟浄ってかっこいいんだなぁ)
食べごろのアボカドを見極めながら考える。
先ほどからちらちらと悟浄を目で追っていたり、回りをうろついている女性を多く見る。
それは光織と同じくらいの年の少女からお姉さま、果てはお母様やお婆様世代まで、一様にうっとりとした目で悟浄を見つめているのだ。
(初めは怖かったけど、いい人だもんね)
仕事で疲れているというのに風邪をひいた自分の看病をしてくれたことを、光織は未だ忘れていない。
「なににやにやしてんの」
ごつん、と背中をカートで押される。
「、何でもないです!」
まさか『悟浄ってもてるんだなぁって考えてました』等と言えるはずもなく。
妙にぎこちなくなった光織といぶかしげな悟浄はレジへ向かうのだった。
「……よし」
「なんとかなりましたね」
立体駐車場の一角。
十数分かけて、なんとか荷物を積み終わった二人は妙な達成感に包まれていた。
「あっちぃ……」
「あ、私ジュース買ってきます。悟浄はコーヒーでいいですか?」
「無糖ね」
ぱたぱたとスカートの裾を翻しながら駆けていく光織を見送り、こっそりと悟浄はポケットに手を忍ばせる。
そこから引き出されたのは、雑貨屋の名前が可愛らしくプリントされた小さな紙袋。
先程の買い物中にトイレと偽り、少しだけ抜け出した隙に全力で買いに走った代物だ。
時間がなくてラッピングすらしてもらっていないし、中身だって何十万の宝石の類ではない。たかが数百円の、それだけのもの。
それでも、
「よろこんでくれっかな、」
小さく呟いた言葉に、自分でも鳥肌が立つ。
「……遅ぇな」
照れ隠しにだろうか、乱暴に前髪を掻き上げて、悟浄は少し離れた自動販売機へと向かった。
「………ふぅ」
夏特有のじめじめした暑さに息をつきながら、光織は自動販売機に千円札を食べさせる。
悟浄には無糖のコーヒー、
自分にはオレンジジュース。
しゃがみ込んで冷たい缶を拾いあげ、振り返り―――そして固まる。
(うっ……)
光織が最も苦手とする、“チャラチャラした若い感じの”男性達がやって来るところであった。
無意識の内に前髪を抑えつけ、目を隠す。
早々に立ち去ってしまえはいいのだと、うつ向いたまま歩き出す。
しかし、
「ねぇ!」
肩を叩かれた。
「お釣り忘れてる」
(わざわざ……!)
未だクラスメイトの男子に話しかけられるのでさえ苦手な光織だ。
(使ってくれて構わないのに…!)
「あ、ありがとうございます」
わざわざ760円を持ってきてくれた男性に軽く会釈をして、立ち去ろうとすると、
「ひとり?いくつ?」
他の仲間達も集まってくる。
「……っ」
「もしもし?聞いてる?」
「なにこいつ。サダコみてぇ」
「ばっかお前呪われんぞ」
ひゃははは、という気の抜けた笑い声がコンクリートの駐車場に響く。
「ここあちぃからさ、俺らの車行こうよサダコちゃん」
腕を、掴まれる。
「や、さわらなっ…!」
嫌悪感から振り払う。
やってしまったと思った時には既に遅かった。
「おいおい、舐めんなよサダコ」
もう一度腕を掴まれて、恐怖に身が竦む。
振り下ろされる手に反射的にきつく目を閉じるが、痛みも衝撃も襲ってこなかった。
代わりに、眼を開くと。
幾つもの黒や茶色の目玉がぎょろぎょろと光織を覗きこんでいた。
「うっ、わ」
「マジ?カラコンじゃなくて?」
「キモっ」
彼らと生活していて、忘れかけていた“正しい反応”。
そうだ、この眼は気持ち悪い眼、なんだった。
悲しくはなかった。
懐かしいような、そんな気さえした。
空いていた左手を、強い力で引かれるまでは。
ポケットの中の包みを、何と言って渡そうか。
そんなことを考えながら歩いていた。
ひゃははは、という気の抜けた笑い声が聞こえる。
「や、さわらなっ…!」
角を曲がった時、見たものは。
「うっ、わ」
「マジ?カラコンじゃなくて?」
「キモっ」
興味津々、といったように光織の眼を覗く男達だった。
カッ、と一瞬で頭に血が上る。
気付いた時には既に光織を引き寄せ、その腕を掴んでいた男を殴っていた。
「光織……」
ちらりと見た光織の眼に、光は、ない。
出会ったばかりの頃のような眼をしていた。
「お……い、行こうぜ」
殺気を放つ悟浄に恐れをなしたのか、男達はいそいそと去っていく。
追い掛けて後7、8発は殴りたかったが、今はそれより光織が先決だ。
「光織、光織ちゃん」
ぼんやりとしていた光織が、はっとしたかのように笑顔を取り繕う。
「あ、ありがとうございました!びっくりしちゃって……」
左手が前髪に伸びる。これも彼女の癖だ。前髪で目を隠そうとする。
最近はずっと見ていなかった、心の壁を、作ろうとする癖。
それをゆっくりと悟浄は下ろさせた。
光織の表情が、曇る。
「光織、」
光織の手をとり、その中に紙袋を落とす。
「これ……」
「開けてみ」
ところどころ皺の寄ったそれを、光織の指が開いていく。
中から現れたのは、
「…きれい」
シンプルなシルバーのブレスレット。
幾連にも連なるそれの内、一本だけが紫色の石を繋いで出来たものだ。
「綺麗だろ? 光織ちゃんの眼と、同じ色。すげぇ綺麗な紫」
白い掌からそれを取り上げて、そのまま光織の左手に巻く。
「お誕生日、おめでと。」
光織が少し、笑った気がした。
「ありがとう…悟浄」
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