「光織ちゃん、光織ちゃーん」


存外近くで聞こえた悟浄の声で、一気に脳が覚醒する。
目を開ければ、飛び込んできたのは柘榴のように紅い悟浄の眼で。


「……ひぃっ」
「まだ寝かせといてやりてぇのは山々なんだけどよ、もーすぐ着くぜ」
「ごごごごごご悟浄! 近い! 顔すごく近いです!」
「俺の膝で爆睡してたのに今更〜」
「悟空、河童を光織から剥がせ」
「りょーかい!」


覆い被さっていた悟浄に慌てると、助手席から三蔵の声がして、後ろの席から悟空が顔を出す。
――車の、中?


「光織、お腹は空いてませんか? 喉は渇いてます?」
「え、あ、大丈夫です」


それは良かった、とルームミラー越しに八戒が微笑んでいるのが見える。


「もう高速下りましたからね」


あぁ、そうだ。
私はこれから三蔵の実家のお寺に行くところだったんだ。
窓の外は気づけば高速道路の壁が消え、田畑や低い民家が緑の合間に見えている。
夏だ。


              summer 2





「立派なお寺……」


思わず口から零れる。
金山寺、とかけられた門をくぐれば、心なしか気温が少し下がったように感じる。
止まぬ蝉時雨も遠ざかり、照り付ける陽射しも茂る木々で和らいでいた。
玉砂利を踏む音すら涼やかだ。


「光織、荷物、俺が持つからいいのに!」


神聖な、というか荘厳な雰囲気にしばし浸っていると、背後からの声で呼び戻される。
見ればボストンバッグを3つ担いだ悟空で。


「私のは少しなんで大丈夫――っていうかむしろ私がひとつ持ちます」
「へ? あぁ、だいじょぶだいじょうぶ! これ悟浄と三蔵のだからその辺に置いとけばいいし!」
「三蔵たちは?」
「車停めてくるってさ」


それより、と向き直った悟空は、キャップを被った頭を大きく反らして大きく大きく息を吸い――


「たっだいまーーー!!!」


叫んだ。
びりびりと大気を震わせる、恐ろしく元気な帰宅の挨拶に驚く暇もなく。
どこかでがらりと戸の開く音がして、見たことのある見慣れぬ姿が駆け寄ってくるのが見えた。


「光織!」
「江流くん!?」


紺色の作務衣を身に纏った江流くんは、いつもより大人びた印象で。
何だか妙にしっくりと来た。


「え、なんで江流くんがここに」
「あれ、光織知らねーの?」
「俺、ここに住んでんだよ」


あぁ、そういえば。
いつかの雨の夜、江流くんが初めての家出をしてきた時。三蔵が養い親のところへ帰せ、と言っていた。ということは、“三蔵のギリの父さん”がいるこのお寺が江流くんの家でもあるという事で、けれどもここにいるのは“養い親”で――


(複雑だ……)
「光織、荷物持ってやるから煩いのが来る前に行こうぜ」
「俺の持ったっていいんだけどー?」
「悟空、お前もしかして去年より縮んだか?」
「てねぇよ! ていうか! この前光織の誕生日の時にちょっと会ったろ!? 一瞬!!」
「あれは読みが外れて、」
「――そういやそんなこともあったな」


じゃっ、じゃっと玉砂利を踏み締める音と、聞こえてきた声に江流くんはあからさまに顔を顰める。
私も振り返れば、あの大きな門をくぐって三蔵たちが近づいてくるところだった。


「あの時はよくも好き勝手言って逃げやがったなチビ」
「あんたは来なくたってよかったんだぜ、おっさん」


非常に顔のよく似た二人が言いあっているのは不思議な光景だ。
これで血が繋がっていないというのに、このうえ更に“三蔵に超似てる”というその人が加わったらどんなことになってしまうのか。
あはは、いつものことですからねぇと笑う八戒も、いいからはやく休ませろと気怠げな悟浄も、この場になぜかとてもよく馴染んでいる。
――私、本当に来てもよかったのかな。

そんな風に思わず考え込んでしまったとき、カラカラと引き戸を開ける軽やかな音が再び聞こえ、そして。


「江流、お客様をいつまで外に立たせておくつもりですか」


届いたのは、優しい声だった。


「お師匠様! 光織、来いよ!」
「えええちょっと待って江流くん……!」


知らない人は緊張してしまうから心の準備をさせてくれ、なんて言う間もないままに手を引かれ、


「おや、かわいらしいお嬢さんだ」
「お師匠様、これ、俺が言ってた光織です」
「江流、女性に向かって、これ、なんて言っていたらいけませんよ」
「あ、あの、初めまして、私、海瀬光織と申します……!」


――金の、髪。
三蔵も江流くんも金髪ではあるけれど、それとは少し違う、柔らかい金色。
月の光が水に溶けだしたような、優しい色。
その人はにこりと、本当に優しく微笑んで頷いた。


「三蔵からも江流からも話は聞いていますよ。――ようこそ、光織さん」



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