「――ふぅ、」
襖を後ろ手に閉めて、光織は深く息を吐いた。
陽が沈み切らぬうちから始まった宴会――会食ではなく宴会だ、あれは――は、夜が更けても大層な盛り上がりで、捲簾と悟浄による野球拳が際どい所まで来た辺りでそっと座敷を抜け出した光織に気づいた者はいなかっただろう。
料理と酒と煙草の匂いが充満した胸の中を、外のひんやりとした甘い夜気と交換する。
よく磨かれた濡れ縁は月明かりに照らされて、光織はゆっくりと誘われるように進み始めた。
開かれた中庭に面した所で足を止め、大きく伸びをする。
どこかから水の流れる音がする。細く鳴く虫の声も。蛍は出ないのだろうか、一度見てみたかった。
そんな事を考えながら、すとんとその場に腰を下ろす。
ん、と声を漏らしながら仰向けに倒れれば、
「お隣、いいですか?」
月の光が覗き込んできた。
「あ、わ」
「あ、どうぞどうぞそのままで」
よっこいしょ、と濡れ縁に腰かける光明に、光織は飛び起きて乱れた服の裾を直す。
光明の着物からはふわりとやわらかい香りがした。
「女の子がいるっていうのに、おじさん達は嫌ですねぇ」
「え」
「野球拳」
あぁ、と光織は眉を寄せて、困ったように笑った。
今まで縁がなかったから少し驚いただけで、嫌ではないのだと伝えたくて。きっと光明には全て伝わっているだろうけど。
「お寺なのに、なんというか、こんな大騒ぎとかして大丈夫なんでしょうか」
「私もいつもそう思うんですけどねぇ、まああの面子で大人しくしていろという方が無理というか」
遠くの方で何かがひっくり返る大きな音と怒声、次いで笑い声と銃声が響く。
それもそうか、と、また少し光織は笑った。
ざぁ、と二人の間を心地良い夜風が吹く。
「三蔵たちの所で、何か不便はありませんか?」
ほらむさくるしい男所帯でしょ、という光明の言葉に、光織はゆるく首を振った。
「不便どころか、とても良くしてくださって」
本心だ。あの日から今日まで、この生活が嫌になったことなど一度もない。
毎日が楽しくて、輝いていて、自由でいいのだと守られて。
だからこそ、ほんの少し苦しい。
「――私、こんなに幸せでいいんでしょうか」
昼間の、両親の墓前に手を合わせてくれた悟空の姿が脳裏に浮かぶ。
光織はおれたちが守ると言い切ってくれた、あの真っ直ぐな瞳を。
「両親が亡くなって、まだ半年も経っていないのに、毎日私は笑っていて」
この姿をあの二人が見たらどう思うだろうか。
娘の幸せが一番? そんな風に言う人たちではなかったと思う。この時期に夏期講習にも行かないなんてと嘆いているかもしれない。親が死んだのに笑っているなんてと、失望してやいないだろうか。本当に不出来な娘だと、見放されては、いないだろうか。
ふと降りた静寂に、光織は我に返った。
何を言っているんだろう、こんなことを言われても人は困るだけなのに。変な子だと思われたかもしれない。ちゃんと振る舞うと決めたのに。
「……その、なんていうか」
「ご両親はあなたのことをどう思ってるでしょうね」
息が、止まりかける。
びくりと動きを止めた光織の肩に、そっと光明の手が触れた。
「亡くなった人がどう思ってるかはさておき、生きている人はあなたに笑っていてほしいと、そう思ってますよ」
「……え、」
「供養より施行、っていうんですが、まぁ詳しくはググってください」
恐る恐る、光織が光明を見上げると、その人は白く光る月を見ていた。
「三蔵があなたを――両親を亡くした女子高生を引き取ると言い出した時には天変地異でも起こるのかと思いました」
まぁ、ある意味天変地異みたいなものでしたけど、と。
「昔から手のかからない子でしたけどね、どうにも他者への興味関心が薄くて……そんなあの子が、あなたという他者を受け入れた」
「でも、私を引き取ったのは本当に偶然というか、無理矢理押し付けられたような感じで」
「光織さんも、もうこれだけ一緒に生活して気づいたんじゃありません?」
――三蔵は、嫌なことを黙って押し付けられるほどお人好しじゃありませんよ――
ざぁ、と、また夜風が通り抜けた。
「それは、」
「お師匠様」
どういう意味ですか、と前のめりになりかけた身体を押し止めたのは、聞き慣れた三蔵の声。
こちらへ向かってくる三蔵には光明の隣にちょこんと座った光織が意外だったのか、開きかけた口がそのまま、止まる。
「おや、噂をすれば」
「噂?」
「えぇ、あなたの話を、ね。光織さん」
「っ、あ、はい、その」
「何の話だ」
「三蔵、ガールズトークってやつですよ」
微笑んで茶化す光明に、三蔵は腑に落ちない様子で。
――あなたという他者を受け入れた――
――黙って押し付けられるほど、お人好しじゃありませんよ――
「おい」
「ひゃい」
「なに目ぇ逸らしてんだ」
「何でもないです……!!」
光明の言葉が耳の奥でリフレインする。
そんなことを言われたら、なんだか。
「わ、分からないです、けど、三蔵の顔が見れません……!!」
「あ?」
「いやー青い夏ですねぇ。 あ、蛍」
それが本当なら、本当に三蔵の本心ならいいのに、と、思った。
end.
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