「観世音菩薩」


キィ、と音を立ててドアが開き、入ってきたのは初老の男性。


「何だ二郎神。お前も社長室入るときくらいノックしたらどうだ」
「しましたよ8回も。
海瀬の件は如何されましたかな?」
「さぁなぁ……今、三蔵と八戒が交渉中だ」
「玄奘三蔵が?」


秘書である二郎神が露骨に眉を寄せる。


「大丈夫なのですか?」
「八戒がついてる。心配すんな」


頬杖をついて、デスクの引き出しから何かを取り出した観音は、それを二郎神にも見えるように滑らかな卓上に投げ出した。


「!―――これは」
「海瀬光織の写真だ」
「紫暗の瞳、ですか……」


なるほど、と納得したように二郎神が呟く。


「紫暗同士ならば“保護者”と銘打っても違和感はありませんからな」
「ククッ―――そんなこと関係ねぇよ」
「菩薩?」


暗い紅に塗られた長い爪が光織の写真を取り上げた。


「只、そっちの方が楽しいだろ」


艶やかな笑みを浮かべて写真に軽く口付ける観音に、二郎神が方頬を引きつらせたのは言うまでもない。


「観世音菩薩……」

『社長』


内線のスピーカーから受付の声が流れた。


『玄奘三蔵、猪八戒、共に戻りました』







それから程無くしてコンコン、と丁寧にノックが響き、開いたドアから入ってきたのは八戒と三蔵―――それに、何故か三蔵に抱えられた光織だった。


「只今戻りました」


八戒の挨拶はいつも人当たりがよくにこやかだ。
社内で彼に挨拶を返さない者はいない。
しかし二郎神も、珍しい事に観音までが呆気にとられた様子で、三蔵とその腕のなかで眠っているように見える光織を見つめていた。
よりによって横抱き。所謂お姫様抱っこだ。


「……重い」
「何言ってるんですか三蔵。女子高生一人抱えられなくてどうするんです?」


それに、と


「元はと言えばあなたが悪いんですからね?」


それを言われると三蔵も返す言葉が無いらしく、舌打ちをして光織を抱え直した。
観世音菩薩はこれ以上楽しいものがあってたまるかと笑いだしそうになる口を押えて身を乗り出し、話の続きを促す。


「……で?何がどうなった」




―――八戒の話によると。

光織は、見ている方が息を詰めるほど緊張した声音でゆっくりと、そしてはっきりと言ったという。


私、お金、ありません。と。


思わず八戒と三蔵が言葉を失っていると、光織は畳みかけるように、

今まで両親のお金で暮らしていた事、
家の事、
新たに判明した不動産の事、
それらが“法律上は”自分の所に来るらしいという事、
しかしそうは言われても自分は未だ子供で、とても手続きや管理を一人で済ませられるとは思わない事、
遵ってそれらは誰か然るべき大人が管理するのが一般的ではないかと言う事、

そして―――


そしてなにより、親戚がそれを既に知っていて。
自分が『あなた方の方に行きたい』と言っても、どうしようも出来ない気がする、という事。



「……それで?」
「それでなんやかんやとありまして、結果的にこうなりました」
「おいおい省略しすぎだろ」


こう、と八戒が手のひらを向けた先には三蔵と眠る光織。
いやまさか僕も三蔵が会って間もないお嬢さん相手に全力のハリセンをお見舞いするとは思っていなかったもので、と淀みなく口にする八戒に、再び盛大な舌打ちが社長室に響く。


「つまり?なんやかんやでハリセン喰らわせて無理矢理連れて来たってことか?」
「いえ、気絶してしまいどうしたらいいか我々では判断しかねたのでここは社長の指示を仰ぐべきと思いお連れしたまでです」
「それって誘拐じゃ……」


光織を座らせるための椅子を用意した二郎神は、眉間を押さえて溜め息を吐いた。



「三蔵が責任持って引き取れば誘拐じゃねぇよ」
「ふざけんな。誰が……」
「いいじゃないですか三蔵。しっかりしたお嬢さんですし」
「ならてめぇが飼え」


そう言い、ぐたりと椅子に凭れて眠る光織に一瞥をくれてから踝を返した三蔵を、観音が呼び止めた。


「……未だ何か用か」
「こいつを見ろ」


観世音菩薩社長お手製書類第二段だ、と渡された紙を目で追った瞬間、軽く三蔵の表情が変わった。


「光織にはな、もう行く場所はどこにも無ぇんだよ」


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