日常はスープでできている(三蔵)
連載【flavor】後の話になります
スープを作るのが、好きになった。
冷蔵庫のあまり野菜をとりあえず煮るコンソメスープも、何も考えず野菜を切っているときがいい。
少し手のかかるポタージュも、無心になってブレンダーを回しているときが好き。
お味噌汁だって出汁をとって味噌を溶いて……その間、ぼーっとしていられる。
少し放っておくくらいの方が、スープは美味しくなる気がする。
くつくつと煮こまれているうちに、私がどんな弱音を吐いても、スープは全て溶かしてなかったことにしてくれるのだ。
この混乱を極める頭の中もどうかそうなってほしい。
「行ってきます」
ばたん、と閉まるドアの音を聞いて、三蔵は新聞から顔を上げた。
ここ数日、光織はよく出かける。
そう遅くならないうちには帰ってくるのだし、どこに行ってるんだなどと親ぶるつもりも毛頭ないが、
「おい、悟空」
ソファーに寝転んでだらけ切った悟空に声をかければ、まだ寝癖のついたままの頭がぴょこんと起き上がる。
「あいつは―――」
少し考えて。
「―――どこ行ったんだ」
言ってから僅かに悔やむ。これではまるで過干渉だ。
幸いにも悟空はそのことについて特に突っ込むこともなく、んー?と首を傾げる。
「色々じゃね? 図書館とか!」
いつものことじゃん!と返す悟空に、それはそうだが、と三蔵は胸の内を少しだけ燻らせた。
なんとなく違和感がある。
そして光織に関してはだいたいの場面でこういった胸騒ぎや違和感は的中することが多い。
「……お前から見て何かねぇのか、様子が変だとか」
「特にないけど、……あ、でも」
思い出したように悟空がキッチンを指さした。
「最近、味噌汁がしょっぱい」
水が沸騰する直前に、昆布を引き上げる。
「あ」
具にしようと思っていた大根を手にして、確かこれは水の内から入れなければだったのでは、と、光織は少しだけ止まった。
「……まぁ、いっか」
切って、鍋に放る。
今日は水曜だ。一限目の英語の課題はできているし、午後は体育だからハンカチと別にタオルも準備した。
テストも近いし課題も多い。予定が詰まっているのは嫌いではない。時々―――ほんの少し、疲れてしまうけれど。
最近は暇さえあれば後ろ向きな思考に足を取られてしまいがちなので丁度いい。
丁度いいんだ。
味噌を溶かしてぐつぐつと煮える鍋の火を弱めなければいけないと思うのに、手が動かない。
思考が持って行かれる。瞼の裏まで射抜くような、眩いほどの金色に。
「……つかれた、」
ぼそりと、声に出してみる。
中途半端に吐かれた弱音は、ぐらぐらという鍋の音で消えてしまうから、良い。
スープでもお味噌汁でも、これを作っている間は泣きごとタイムだ。
最近の私はおかしい。ずっと胸を占める感情がある。
なんて名前を付けたらいいか分からないそこに、たまに暗雲が立ち込めるように別の感情が覆い被さる。
私はこれからどうするのだろう。漠然とした不安に塗り潰され、まるで迷子だ。
いつか、この家を出て。いつか、私はあの人たちと別れて。
また、一人で生きていくのか。
手にしたものを全て失って―――
ピ、と、背後から伸びた手が、コンロの火を止めた。
「煮詰まってんじゃねぇか」
「さん、」
仰る通り、鍋の中身はぐらぐらを超えてぼこぼこと煮立ち、水嵩も減っている。
「すみません、考え事してて」
どっと得体のしれない汗をかいて、取ろうとした菜箸は手に当たって床に落下。
ああもう、何してるんだか。
「お前は」
顔を上げられないままの私の髪を、煙草の匂いの残る指先が掬う。
「……相変わらず、神経が細いな」
「ぅ」
「また考えても仕方のねぇ事をぐだぐだ悩んでたんだろうが」
「お、仰る通りです……」
私、随分と悲観的になった気がする。
前はこんなに未来のことで悩んだりしなかった。
こんなに、何かを失うことを恐れたりしなかった。
だって、何も持ってなかった。
「悩んだり考えたりする事は必ずしも悪いわけじゃねぇが、お前のは度が過ぎる」
鍋にかかったままのお玉から直接お味噌汁を口に運んだ三蔵は、一口啜るなり眉を顰めて、塩分過多で殺す気か、と呟いた。
ざばざばと雑に水が足されていく鍋を見て、どうしようもないほどの切なさに襲われる。
「ん」
ぼーっと突っ立ったままの私に差し出されたのは、水の入ったグラスだった。
「煮詰まったんなら薄めろ。味噌汁も、てめぇの頭の中もな」
そう、言い残して、三蔵がその場を去る。
気配が消えたのを確認してから、私は膝から折れるようにしてその場にへたり込んだ。
「……誰のせいだと思って……!」
揺れたグラスから零れた水が手首を濡らす。
―――あなたと離れるのが怖い、なんて
「絶対言えない……」
日常はスープでできている
(感情のごった煮)
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