ベッドティーくらいは許される(八戒)


風邪をひいた。
思い当たる節はないのだけれど、昨夜から変にぞくぞくするな、と思っていたら、今朝はもう起き上がれなかった。

「37.8……今日は学校休みましょうね」

目が覚めてすぐ、異変に気付いて連絡をしたら、八戒が飛ぶような速さで駆けつけてくれて、
あっという間に氷枕を頭の下に敷かれ、脇に体温計を差し込まれ、額に濡れタオルを乗せられた。
すごい、一瞬で重病人になった気分だ。
その騒ぎに三蔵と悟空が起きてきて、大事になってしまったな、と私はぼんやり考える。

「光織、風邪!?」
「三蔵、そういうことですから学校に連絡を」
「あぁ」
「俺っ俺も学校休んで看病する!」
「何言ってんだ。……八戒」
「午後の会議に必要な書類はデータで送ってありますから、僕も今日は出勤しませんが」
「それが出来てりゃ充分だ」
「あの」

ご迷惑をおかけして、と言いかけた私の目を、八戒のひんやりした手が覆った。

「さぁ光織、少し休んで」




悟空と三蔵を送り出し、洗濯機を回して洗い物を片付けた八戒は、一度自室に戻った。
まだ寝ているであろう悟浄に書置きを残し、仕事に使っているタブレットを拾い上げてから冷蔵庫のドアを開ける。なにか風邪の時に食べやすいものはなかっただろうか。
鉄板はお粥、冷たい果物、喉の通りが良いゼリーやプリン。
昔悟浄が風邪をひいたときに聞いたら、彼の定番は玉子粥だと言っていたっけ。
悟空は具合が悪くても食欲は残るタイプだけれど、茶碗蒸しを喜んでいた。
三蔵は出汁茶漬けと水ようかん。……そういえば、光織は具合が悪い時に何を欲しがるのだろうか。普段からあまり何が食べたいとか言わない子だから。

「王道でいいですかねぇ」

桃の缶詰を、手に取った。




こんこん、とドアをノックする固い音で意識が引っ張り上げられた。
熱を出した時に見る夢は不思議なものが多い。
今も、ボートの上で横たわっているような浮遊感の中でおかしな夢を見た気がする。

「―――光織?」

もう一度、控えめにこんこん。
ぼうっとしていた私は慌てて身体を起こした。ぐらりと視界が揺れるけれど、朝よりは大分調子がいい。どのくらい寝ていたんだろうか。

「は、はいっ」
「すみません、起こしちゃいましたか?」

顔を見るまでもなく、ノックの主は八戒だとわかる。だって部屋に入るのにノックをするような人は彼しかいないから。
少し眉を下げて申し訳なさそうに部屋に入ってきた八戒の手には、小さな器がいくつか乗ったお盆があった。

「お腹空いたでしょう?もうお昼に近いですから……まずは、はい、お水」

水の入ったグラスを受け取って、口に含む。干乾びた地面に水が染み込むように急速に潤っていく。

「熱は……少し下がりましたね」

汗で額に張り付いた髪を除けてくれる八戒の指が心地いい。

「食事を用意してきたんですけど、何だったら食べれるかなーと」

どこから持ってきたのか、上体を起こした私の膝の上にベッドテーブルがかけられる。
そこに置かれたお盆には、白く水気を含んで光るお粥に、何種類かのお漬物。梅干しに海苔の佃煮、卵豆腐、澄んだお吸い物、ガラスの器に盛られたあれは桃だろうか。

「食べられるもの、ありますか?」

気遣わし気な八戒に、こくこくと頷いてみせる。

「どれもおいしそう」

さっそく手を合わせ、木の匙を握る。
少量掬ったお粥からはふわりと湯気が立って鼻を擽った。
口に運ぶと柔らかく崩れて、お米の甘味が優しい。

「……おいしい。お粥、久しぶりに食べました」

本当に久しぶりだ。……もう、前に食べた時を思い出せないくらいには。
お腹は空いていないと思っていたのに、あたたかいお粥が食道を通って胃に落ちていくのが分かると、途端に食欲が顔を出す。
つるりとした卵豆腐は口当たりがよく、お漬物は歯触りがいい。
器の半分ほどのお粥を食べてお吸い物に口をつけて、やっと人心地がついた。
体が内側からあたたまり、先程までとは違う汗で意識がはっきりする。

「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様でした」

桃はまた後で食べましょうね、と、八戒が温かいほうじ茶を出してくれる。

「こういう、風邪の時のご飯、っていうものに憧れてたので、なんだか嬉しいです」

マグカップを両手で包んで息を吹きかけながらそう言うと、八戒は少しだけ目を丸くした。
―――あ、これはまたアレだろうか。
悟浄に時々揶揄われる世間知らずをまた出してしまったのでは。

「……え、じゃあ今まで風邪をひいたときは何を」
「え、えっと……あたたかい、紅茶……とか……」

食欲もなくなることが多かったので、紅茶をよく飲んでいた。殺菌作用もあるというし。
こんなきちんとした食事を作ってくれる八戒にそんなことを言うのは恥ずかしいことのような気がして、ふとんの上でもぞもぞと指を組んだり離したりしてしまう。

笑うだろうか、呆れるだろうか―――恐る恐る彼の方を見ると、そのどちらでもない色をした深い翠の瞳とかち合った。

「あ、でも本当に効くっていうか、温まるし、勉強しながらでも飲めるし、作る手間も片付けもなくて……」

あまりに心配そうな目をするものだから、思わず言い訳のように言葉を連ねてしまう。
八戒は少しだけ笑って、ぽん、と私の頭に手を置いて、そっと滑らせた。

「僕はまだまだあなたに関して知らないことが多そうですね」

食べ終わった食器の乗ったお盆を、八戒が片手で持ち上げる。

「紅茶を淹れてきますから、食休みがてらお喋りしましょうか」






ベッドティーくらいは許される

「八戒のそういうところ、ほんとうに好きです」
「そういうところ?」
「今までの私を受け入れてくれるところ」



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