海原祭

海原祭は中高大合同で催され、二日間に渡る大規模イベントだ。

学校中はありとあらゆる装飾が施されており、その場にいるだけで圧倒されそうだ。みんなの有り余っている活気もとことん発散されているように見える。

いつも静かな場所に隠れるようにして過ごす私はこの空気にうまく馴染めないでいるのだけど、二日目にもなると多少は慣れてきたように思う。

初日はクラスの催し物の当番だったこともあり忙しなかったけど、今日はまだ落ち着いてゆっくりと校内を回ることができた。

「わっ、すごいねっ。ほんとに当てちゃった」
「これどうすっかなー、苗字は?いる?」
「きっと真田くんが喜ぶよ!」
「真田が?こんなゆるキャラ好きだっけ?」
「···え、ええっと」

ストラックアウトで見事全ての的を当てた丸井くんの腕には、大きめのうさいぬのぬいぐるみが抱えられていた。幼くもみえる彼の容姿にその愛らしいフォルムが揃うととてもお似合いだ。
彼が不思議そうに聞き返すのに対し、どう返していいかわからず固まってしまう。
真田くんはうさいぬが好きそうだったけど、幸村くんには言ってなかったということはつまりあまり知られたくないということなのでは…?

「(真田くんなら欲しがるだろうしでもみんなにうまくバレないようにするにはいったいどうしたら……!?)」
「おーい?苗字?なにそんな悩んでんだよっ」

「随分と可愛らしいものをお持ちですね」
「なんじゃ、子どもでもできよったか」

柳生くんと仁王くんにばったりと会った。
仁王くんが丸井くんの抱えるうさいぬをぽんぽんと撫でる。

「ヒロシって妹いたよな?こういうの好きなんじゃね?」
「ふむ···そうですね。確かにこのキュートな見た目からして好みそうではありますが」
「···あ、あの!みんなで、その…かき氷食べない?」
「ん、かき氷?」
「ちっとばかし暑いからのぅ、ちょうどいい」
「だ、だよね」

ちょうど外に出てたのが幸いだ。あっちだよと指をさして、かき氷の屋台にまでみんなを連れていく。
なんとかうさいぬの話題を逸らしてみる。とにかくこう自然に、なにも違和感のない流れでその子を真田くんに渡すのだとひそかに決意を固めていた。欲しいひとの手元に渡るのが最善手のはずだ。


世間的には秋と呼べる時期ではあったけれど、今日はあまりにも快晴で日がきつく射し込むうえに、人が集まっているのも加わると熱気すら感じられる。
口のなかでシャリシャリ鳴るかき氷は、そんな熱を冷ますのにぴったりだった。氷が溶けないうちに早足で人の少ない敷地を探して移動した。
校舎裏の一角には駐車場が備えられている。ある程度区切られてはいるものの保護者など来客用の車も業者のトラックも駐車スペースは一緒だ。露店も人だかりもおもてに出向いているのもあってここの校舎裏は日陰もあって穴場だった。仁王くんが見つけてくれたらしい。

「頭がキーンってするな」
「一気に食べてしまうからですよ」
「でもこのキーンも含めておいしいよね…ふぅ」
「いまにも天に召されそうな顔しちょる」

駐車場に一台の車がゆっくりと停車した。
黒光りの、いかにもといった風貌の出で立ちだ。見た目の重厚感と反してさっと軽やかに車の扉が開かれる。中年の男性が姿を現した途端、自分の心臓が微かに動いた。

「やけに熱い視線じゃの」

仁王くんの声にはっと反応する。あの車ではなく、彼の興味は私へ注がれているようだった。やっぱり、彼は目ざとい。

「よく見かけていたひとだから」

「え? 知り合い?」丸井くんが反応する。

「日本クラシック協会の副会長」

どのコンクールにも最前列にどんと構えているのだから自然とおぼえる。私がはじめて出たばかりの頃は審査員といて机の前に座っていたが、いつのまにか来賓枠として鎮座するようになっていた。幼いながらにも、あぁ出世したんだな、とぼんやり察していた。しかし、愛想をふりまく発想すらないであろう無骨な態度はいつどんなときでも変わらなかった。いま見た限りでも、そうらしい。

「今日の来賓一覧には目を通していたのですが、あの方でしたか」

「そんなやつが来るようなこととかなんかあったっけ?」

「午後の立海ホールの演目で吹奏楽部の演奏を鑑賞されるようです」

「あーそういうのか。最近うちの吹部、テレビにも出てたもんな」

「クラシックと吹奏楽部はまた違ったジャンルではありますが…」

「ん? そうなのか?」

「でも、あのひとが来ただけでも注目されてる証にはなるんじゃないかな。…本人は畑違いの余興としか思ってないかもしれないけど」

ほんとうに関心があってここまで来たのかどうか怪しい。

「お前さんにしては厳しい言いかたじゃの」

「なんか、あいつに言われたことあんの?」

「そんなことはないんだけど、」

そこまで言いかけて、言葉が出てこなかった。



控え室から出たあとだった。
白くてつめたい壁に沿って歩いていく。廊下のつきあたりで彼は立っていた。付き人と淡々と会話をしている折にふと彼の視線が私を捉えた。そうして唇がゆっくりと動いていた。


______機械仕掛けだな


「可もなく不可もなく、だったかな」

評価基準の項目に沿えばなんのうたがいもなく満点だった。
そのはずだった。
それでも、認めてはもらえなかった。

丸井くんの口が僅かに開いたときだった。

「取り込み中悪いな、少しいいか?」

柳生くんのもとへ先輩らしき人が駆け寄る。腕に腕章をつけているのを見ると生徒会だろうか。ぴしゃりと会話が止まる。

「なにかございましたか?」

「吹奏楽の楽器の搬入が遅れているみたいだ。午後の演目のスケジュールを大幅に変えないといけない」

「それは…目処はどれくらいで?」

「それがまだ。午後に出る他のメンバーの演目順を相談し合う必要もあるからな、少し手伝ってくれないか」

「ええ、すぐに」

歯切れの良すぎる返答に険しい面持ちが変わることもない。切羽詰まっているという表現がぴったりだった。柳生くんは丁寧に一言断りを入れ、先輩と慌ただしくその場を後にした。
張り詰めていた余韻が周辺にまだ漂っているようだ。

そういえば、と丸井くんが口を開く。

「吹部のやつが遠征の帰りで、楽器持ち帰んのにトラブってるとか聞いたけど」
「そうなの?」
「なんかあちこち行ってるよな。すげぇ忙しそう」
「スケジュール、そんなにきついんだね…」
「俺らんとこでいうビッグ3の状態かのぅ」
「テニ部も全国終わってから取材来ること多くなったよな。いまは落ち着いたけどこのあいだまで幸村くんたち忙しそうだったし」
「なにもなく、終わったらいいな」

じわじわと不安が襲う。丸井くんが察してくれたのか「苗字は吹部の練習、よく聴いてたもんな」声をかけてくれる。浮かない雰囲気を醸し出してしまっている自覚はあった。上手く隠せないまま苦笑いで返事をする。

「ずっと聴いてて好きだったから、せっかくだから大勢のひとに届いたらいいなって」

「音が好きっていうのは、よう分からんの」
不思議だと言いたげな含みだった。彼の苦手科目をふと思い出す。

「聴いて『いいな』って思っただけで、いいと思うよ」

「いいな」
覚えたての子どものように、ぽつり。なにかを思い出しているよう。

「あんな音が出せたら、ほんとうに素敵だよね」

「お前さんの言い方は、いつも他人事みたいに聞こえる」

「羨ましいの。私にはできないことだから」

「謙虚すぎるっちゅうのも、悩みもんじゃ」

どうしようとも取り戻せないものがある。嫌というほど、知っている。


*


一通り屋台を見回った後は、そのまま丸井くんと一緒に立海ホールへ向かった。
(うさいぬいぐるみは一旦教室へ置いていくことになり、ひとまず安心した)


ホールの中はというと、空席を探すのに時間がかかるくらいに人は埋まっていた。生徒だけではなく保護者もなかなかにその人数を占めているようだ。こういうのは大抵中央から後方あたりの席は埋まりがちなので、前方へ腰をつけることになった。思っていたよりも近距離で舞台が目に入る。

すでに演目は始まっていて、数独大会があちらの舞台で繰り広げられているようだった。
失礼かもしれないけど、繰り広げられるなんて言い方はこの演目に対しては本来なら誇張表現だろう。けれど、立海テニス部のデータマンがとてつもない速度ですらすら解いているのだから、それはもう圧巻といった光景だった。

「柳ってやっぱすげーな!」
「柳くんの頭のなかってどうなってるのかな···。私なんか、新聞に載ってるの、なんとなくで解いたことしかなかったや···」
「いや、それが普通だろぃ」

こうして入賞した読書感想文や演劇部の披露へと進んでいく。

「なんか···感動しちゃった」
「うーん、そうか?」
「えっ、シンデレラっていつみてもいい物語じゃない?」
「靴拾ったくらいで付き合えるとか単純すぎね?俺そんなの女子が川に落とした靴拾ったことあっけど、別になんもなかったし」
「そ、そういうことじゃなくてね。こう···ロマンチックな展開が素敵というか」


ここでアナウンスが入った。マイクの前に柳生くんが立っていた。

どうやら演目の順番が入れ替わるらしい。
パンフレットを見る限り、吹奏楽部の演奏は本来なら次の次だったけれど、それを差し置いて後ろの演目を繰り上げるといった内容だ。
前方の席に座っているということもあり、舞台すぐ左隣の簡易的な控え場所辺りの様子は目につきやすい。楽器をすでに手にしている子達の様子からすると準備は万全かに見える。ただ、面持ちはいいものとはいえなかった。きっと、演奏前特有の緊張感からくるものじゃない。先の柳生くんと生徒会の先輩のやり取りを思い出せば、簡単に察することができた。

「大丈夫かな···」
「どうだろうな」

事情を知ってしまうと雲行きの怪しい光景にしかみえない。少しだけ丸井くんも気がかりな表情を浮かべていた。

「あの偉いおっさん、なんかイライラしてね?」

彼の目線は舞台のすぐ右寄り前方に設けられた、来賓席のほうへ向いていた。

さっきまで噂をしていた、例の人だ。
手元の扇子を大きく広げることもなく、少し開いては閉じるを繰り返す。ただ持て余しているだけ。彼の言う通り、気分が優れているとは言い難い雰囲気だった。

「あの人がわざわざ来るってことは、今日をきっかけにもっと吹奏楽部を広められるチャンスにしてるのかな」
「これからのコネ的な?」
「もしかしたら...。そういう人がみんなの演奏を認めたっていうだけで、かなり評判は上がると思うから」
「このためにわざわざ来たなら今の時間って普通に暇だよな」
「そもそも、ほんとうに来たかったのかな」
「ん?」
「言い方はあれだけど···『ぜひ見に来て欲しい』って強引に誘ったとも言い切れないし」
「興味なかったりしてな」
「それなら今の状況はほんとうに良くない」
「自分から誘ったくせに、遅刻しちまう的な?」

端的なおかつ棘があるものの、彼の表現は的確だった。
とにかく無礼のないように。癖のあるひとには慎重すぎるくらいでちょうどいい。

あの人の専門はそもそも古典的なクラシックで、オーケストラだ。吹奏楽部とは少し違う。それこそ彼の言う通り興味があるのか疑わしい。
加えて、あの頃と変わらないままなのであれば、あの人は権威主義的な人間だった。これまた酷い言い方だけど、そんな人がいち中学生の演奏を気にかけるとも思えない。もっと高尚で格式高いものこそが素晴らしいと考えているような人なのだ。学校側の意図はわからないが、迎え入れる相手様に彼が選ばれたのは、彼にとっても学校にとっても不運だ。

「なんつーか、狭い考え方だな」

彼の言葉は、空気のなかにぽんと投げられたように小さく浮いた。

「音は自由なのに、もったいないね」

「苗字が弾いてるみたいな、ああいうのがいいってことだよな」

「あの人は私のピアノ、好きじゃなかったよ」

「は?なんで?」

驚くような、嫌悪感も交えた顔でこちらを向く。そこまで反応することだろうか。

「まぁ、いろいろ」

「いろいろって」

「相手に響くかどうかは別問題だから。あの人は、『いいな』って思わなかっただけ」

「俺はお前のピアノ上手いし、『いいな』って思うけど」

「全然、そんなことないよ」

「なんか、」

「?」

「仁王が言ってた意味、わかった気がする」

「仁王くん…? なにが?」

「なーんか説教くさくなりそうだから、また今度な」

丸井くんがふいっと舞台のほうへ顔を背けた。
その先が気になったものの、次のエントリーが始まったので問うことは阻まれた。

進行が進んでいくなかで舞台両端をちらちらと観察する。どうしても気になってしまう。
不安を浮かべるみんなと険しく座るあの人を見比べる度に胸騒ぎがした。果たして状況が好転するのだろうかと。


箏曲部、合唱部。ごく自然な流れで舞台は進んでいく。アナウンスが流れ、パンフレットを再度手に取る。

吹奏楽部以外の全ての演目が終わったようだった。
  

神さまの通り道

scene