辺りはどこも煌びやかであたたかい光が街を彩ってくれる。歩くひとも眺めて立ち止まるひともどの表情も豊かで、ことおだやかだ。
「わぁ、綺麗···!」
「いいな、ここ」
声をあげる私の隣で彼も顔を綻ばせる。
彼の横顔を見、この間の休み時間をぼんやりと思い出す。
『ぼっちになったツケの分、払ってもらうかんな』
ぽかんとしている私を、机を挟んだ目の前で椅子に跨って座る彼はむっと顔を顰めた。かわいいなと思って、言いそうになって、やっぱりやめた(前にも同じようなことがあり、ついぽそっと言ったら怒られた経験がある)。私はというと、そんな顔をされてもわからないものはわからないのに、と戸惑っていた。理由を尋ねてみると『コンクールの練習で昼飯からなにまで放ったらかしだったろぃ』とのことだった。なんだそういうことか、と思うのと同時に、そんなことで?とも思う。
『そんな子どもみたいに言わなくても』困ったように言ってみる。
『ほんとのことだろぃ』拗ねたふうだ。
『でも途中からは一緒に食べてたでしょう』
『それも毎日十分くらいで終わってたけどな』意外と細かい。
『···つ、ツケってなに?お弁当のおかずは確かにあげられなかったけど···』いよいよ本格的に困ってきた。
満足げににっと笑いながら教えてくれたのが、この場所だった。
広い大通りの道沿いに並んだ一本一本にたっぷりのライトが飾りつけされている。通りにはキッチンカーが停まり、かわいらしい小売の雑貨屋が点々と開かれている。年明けでもまだかろうじて催してくれる場所があるのは知っていたけれど、まさか彼と行くことになるとは思っていなかった。夏が苦手な自分にとってぴったりの季節であることと、人混みもまた苦手なことも考えてくれて、ピークが過ぎたいまだからということらしかった。
てっきりおすそ分けできなかった分のおかずをまとめて持ってくるとか、はたまたお菓子を大量にあげなきゃいけないとか、そういった類のことかと予想していたので、そんな場所へのお誘いだったのは素直に驚いた。なおこのあと「俺のことカツアゲするやつとか思ってんだろぃ」そこそこ強めに怒られてしまい、慌てて平謝りした。(だって丸井くんは桑原くんにたくさん奢ってもらってるから)
「でも丸井くん」
「ん?」
「これってちゃんとお返しできてるの?普通にお出かけしてるだけだよ」
「普通に俺が行きたかったし。はい、これ」
「あ、ありがとうっ。えっと、お金···」
「あげる」
「え?」
「コンクール、お疲れ様ってやつで」
「···へっ!?丸井くんどうしたの?寒すぎるから変になっちゃったとか…?」
「お前ってマジ失礼だよな!」
「だ、だって···」
呆れてため息をつきながら、「ほーら、いいから」受け取らないぞという意思をはっきりと示される。先ほど出店で買ったジャーマンポテトをフォークで刺して、私の口元へずいっと寄越された。動物にあげるときでさえ、もうちょっとやさしいやり方があるのに。「···うん」ひと口めはまだ熱く、はふはふと口のなかで冷ました。
「ほんとのほんとにいいの?」
「そんな小遣いねぇし、全部は奢れねぇけど」
「そ、そんなつもり最初からないよ」
「ま、強いていうなら観に行くくらいはしたかったけどな。言ってくりゃあよかったのに」
彼の言葉に、喉がぎゅっと締まった。
コンクールの日にちを訊かれたけれど、もう終わったのだと返してたいそう驚かれたのは最近のことだ。興味が無さそうだと思ったから、と言い訳がましく言うと「んなわけねぇだろぃ」怒ってすぐ、残念そうにしていたのをよく覚えている。とっくに忘れているものだと思っていたのに、そんなことはなかった。でもどこかでは、彼なら覚えているだろうとも思っていた。
「お前、すげぇ頑張ってたし」
罪悪感が燻る。彼が誘ってくれたのも、ツケでもなんでもなく、練習詰めだった自分をねぎらってのことだろう。あの日聴こえた世界のなかで、震える自分を包んでくれたのは、彼だった。
「今度···コンクールで弾いた曲、丸井くんにも聴いて欲しいな」
彼はとてもやさしいひとだ。
「おっ、いいの?」
「丸井くんのためのミニ演奏会」
「そりゃ期待大だな」
「期待はしないでね」
光がいっぱいに灯された並木通りを背景に、ふたりを一枚撮る。
カメラロールにみんなとの写真が埋まっていく。カフェで食べたケーキ、夕焼けの空、花壇で咲く花のなかに埋もれることなく、探そうと思えば難なく見つけられる。
しばらく眺めていれば「なににやにやしてんだよ」と言われ、ぎょっとする。
「写真、そろそろ整理しようかなって…」見返すときはいつもそういう顔なんだろうかと、心配になる。
「俺の写真見てかっこいいなーとか思ってたか?」
「···思ってたよ、うん」
「すげぇ嘘っぽいな」
「でも、ほら。丸井くんとあったこと、いろいろ思い出してたよ」
「いろいろって?」
「丸井くんとはじめてお弁当食べたことも、おかずの交換したことも…放課後誘ってくれたこととか、ぜんぶ」
クラスに友達がいることがこんなにも楽しいんだとはじめて知った。授業のちょっとした愚痴。テストの山はり。移動教室のあいだの会話。最近できたばかりのお店のこと。
「ほんとうに、すごくうれしかったの」
ふわふわして、いっぱいはしゃいでいた。
些細なことにみえて、けれどとびっきり大切なものがあの瞬間には詰められているような気がした。ほんとうにうれしかった。ずっととっておきたい、大事な思い出。
彼は早速次に食べるものを探していた。長い石畳を歩いていく。
「クラス替え、どうなるのかな」
「クラス替え?」
「誰と一緒になるのか、気にならない?」
「まぁそろそろだけど、にしても早くね?」
いまは一月だ。
「今年も丸井くんと一緒のクラスになれないかな」
「どうだろうな」
「柳君に聞けば一緒になれる確立とかわかるかな」
「まぁ俺でなくても、他のやつと一緒になれるかもしんねぇだろぃ?」
「そうかも、だけど」
歯切れの悪い返事に、どうした?と、彼が伺う。
ひゅう、と張り詰めた風が吹く。
「どうなっちゃうか、わからないから」
「どうなるって?」
「クラス離れたら···あんまり、話さなくなっちゃうかもしれないし」
ついこの間席の後ろで女の子たちが、もし二年になったら、と話をしているのが耳に入った。自然とクラス替えの話題も出てくる。期待と不安が半分ずつ混じった声を聞いたなら、そわそわとこころもとない感覚が舞い込んできた。
変わること。なにも悪いことじゃないはずなのに、時おりとても不安になる。止めようとするのは烏滸がましく、そもそも止めることなどできないもので、折り合いをつける必要があると重々わかったうえでも。
私の心境を知ってか知らずか、彼は「つっても同じ学校だろぃ」さらりと、なんにも気にすることがないでしょうと言ってのける。
「お弁当も食べなくなっちゃうかもだし」
「俺、苗字の唐揚げ好きなんだよな。卵焼きも」
「丸井くんの作ったほうがおいしかったよ」
「お前のじゃねぇとやだし」
「もしかしたら丸井くんに彼女とかできて、部活とそっちばかりになるかも」
「ないな」
「そう? 来年は彼女と一緒にここに来てるかもしれないよ」
「絶対ねぇよ、そんなの」
あまりにも潔いから勘ぐってしまう。どうしてそこまで断言できるのかわからない。
ふいに手をとられ、握られる。私よりもちいさな手。
手は不思議だ。ただ触れているだけでも包み込まれるように感じるし、その温もりが一瞬離れただけでも、ぽっかりと穴があいたような感覚になる。
いまに至ってはふたりとも手袋をしているので皮膚の感触はわからない。それでもとてもあたたかい。不思議だ。
「来年もお前と来る」
な?と、彼が首を傾げながら朗らかにこちらを見てくれる。
きゅっと縮こまって、ふわっと浮いてくる。目の端のほうからじわりと痛みはじめた。
「絶対なんてこの世界にないんだよ」
「次もお前と来れたら、それでいいんだって」
絶対にそれが正解だといわんばかりだった。絶対はないのに。
蒸し暑かったあの日と同じ。彼はときどきこういう物言いをする。
「私と来るよりも、もっと素敵な夜になると思うけどなぁ」
「多分、来年のいまも、お前といたいって思ってんだろうな」
お互い思い思いにひとりごとを言っているだけになった。
「そうだと、いいな」
マフラーに口元を埋めながらだったので、もごもごして彼にうまく伝わっていないかもしれない。頬かじわりと熱を持ちはじめる。
「さらっとそういうこと言っちゃうんだね」
「照れてんのかよぃ」
「も、もう。からかいすぎはだめだよ」
「別に本心だし?」
「···あのね」
「へいへい、わかったって」
彼に手を引かれるままついていく。時おり風が鳴り、お互いに寒いさむいと言い合った。体を寄せながら、煌びやかな通りを過ぎていく。繋ぎあっている手同士にぎゅうっと力が籠った。くっつきすぎて歩きにくいと言われて、悪びれもせずにごめんねと返し、また笑いあっていた。
「ここでも撮ろう?」
「ん」
しばらく歩くと、ひときわ広い並木道へ辿り着いた。ここがきっとメインスポットだからか、ひとだかりも盛んだった。背景にしてスマホの画面を自分たちへ向ける。
シャッターボタンを押そうとしたときだった。彼が大きくよろけて、そのまま体ごと私のほうへと重心が傾いた。
「う、お」
「わっ」
ふっと頬にちいさく、かさついたぬくもりが触れる。
やわい感触はあっという間に離れ、反射的に横へふり向けば、彼の大きな瞳がすぐそこにあった。
お互いに見つめ合う。じっと、だんまりと。頭のなかが真っ白で、のろまになる。
どれくらい固まっていたのだろう。
彼が口を開いたあと、ようやく時が動いた。
「悪ぃ。ぶつかっちまった」
「あ、その、大丈夫?」
「俺はいけるけど、苗字は?足とか···踏んでねぇよな?」
「うん」
「写真、うまく撮れたのかよ?」
「あ、忘れてたっ。もう一回撮ってもいい?」
「オッケー」
そそくさともういちど画面を向ける。撮ったものを再確認してみるけれど、ふたりともどことなくうまく笑えていない。ようにみえる。
「ありがとう」
「おう」
「······」
「······」
なにこの沈黙。ものすごく気まずい。
なにか言わなければと思考を巡らせても、切り抜けかたがてんで思い浮かばない。そういうスキルは彼のほうが特段優れているはずなのに、どうしてここで発揮してくれないのか。いや、勝手にひと任せにしてるのもこっちも悪いけれど。
「キス···みたいになっちゃったね」
言ったあとでぶわっと感情が込み上げて、慌てて「頬っぺたに」とつけ加えた。わざわざ状況を説明する必要があったのか。でも、そうでもしないとこの精神が保てない。へらっと笑ってみせて、冗談めかしたふうには装ってみる。
「そう···だな」
瞬きをしてみて、おかしい様子がないかしつこく凝らして見てみる。けれど、どうやら気のせいではない。
彼の顔もじわじわ赤く染まっていくではないか。
日はとっくに暮れているが、ライトアップされた街並みではそれもはっきりと見えてしまう。
そんな反応をされてしまったら、どうしたら。彼のことだから、余裕めかしてスルーするものだと期待していたのに。
あったかいのが、急激にあつくなって、かちこちになってしまう。
「ままま丸井くんまでそんな顔しなくっても」
「いや、だって」
「丸井くんは慣れてるかなって思ってたのに」
「なんでそうなんだよ」
「その、丸井くんは女の子の友達多いから、えっと」
「はぁ!?女子になら誰にでもするとか思ってんのかよ!」急にキッと眉を釣り上げた。
「いや、その、そういうことじゃなくて···!」
「···お前までチャラいとか思ってんのかよ」どうしよう、また拗ねそうだ。
「ちっ違うよ!変な意味じゃなくって、丸井くんは異性慣れしてるから、これくらいなんともないのかなって思って、その···丸井くんまでそんな顔されたら、私まで恥ずかしくなっちゃって、どうしていいかわからなくて、」
うまい具合の理由を伝えたくても、結局は彼の気分がよくない方向にしか話せていない気がする。とはいえ、こっちだっていっぱいいっぱいだ。
「丸井くんにはもっと堂々としていいというか、して欲しかったの」
「んなの···相手がお前なのに、平気でいられるわけねぇだろぃ」
どこか恨めしそうな声でもって視線を逸らされる。
彼って、こんなだったっけ。
「そ、そうだよね。せっかくだから私よりも他の子とのほうが、こういう事故もラッキーかも、だよね」
あははと笑ってみる。
「······お前ってマジさ、」
「え?」
「あーくっそ!なんかむかつく!」
「へっ!?ごごごめんなさい!」
反射的に謝ってしまったが、さっきの発言のなにが気に障ったのか正直わからない。そもそもさっきのは予期せず発生してしまったアクシデントなのだから、どちらにも非はないはずでは、と冷静さを取り戻す。怒られてもどうしようもないよ、と、言おうとしたときだった。
「じゃあさ」
ぐっと彼が目前まで寄る。いくらでも見てきた顔は、知らない誰かにみえた。
「ほんとうにそういうことになったら、どうすんだよ」
俺と。
全く揺らぎのない瞳に捕えられる。なん段階にも胸が跳ね上がって、いまにも止まってしまいそうだ。後ろへ引こうにも両手ともども彼によって掴まれていた。いつからこうなっていたのか、覚えていない。暖色の灯りによってパープルの瞳はきらきらしていた。真っ赤な髪もより鮮やかに映えている。
口を開いても「あの」のひと言しか発せない。もう言葉にできそうだと思った途端、またもたつく。
彼の唇ばかりに目がいきそうで、嫌になる。身長差がそうないことがこんなにも恨めしかっただろうか。
あからさまにからかってくれたらいいのに。
そんなにも、真っ直ぐにならなくたっていいのに。
ブーツが地面を踏む音、ひとの行き交う声、食べものの焼いた匂い。感覚をあちらへやることに慎重に集中していた。それはもうとても。
ずっと長くそうしていたら、ふぅ、と息をつくのが聞こえる。
「悪ぃ、変なこと言って」
胸からお腹にかけられたおもりが、すとんと落ちる。「びっくりした」と言うだけで精いっぱいだった。
「ごめん。こっち、みてくんね?」
気後れした声なのに不安は煽られなかった。むしろ、ほっとした。顔を上げると、私の知る彼がいる。肩の力が抜けおち、鼓動が落ち着きを取り戻し始めた。ふたりのあいだに漂っていた空気が徐々に緩む。周囲の音も声も匂いも、神経から遠ざかっていく。
「ほんとうにびっくりしたんだから」
「そういうつもりじゃなかったんだけどな」
「冗談かなとは、思ったけど」
「その割には赤すぎだろぃ」
「だって、それは」まだまだ熱が引けない。
「実は期待してたんじゃ···って!いででっ!」
「ちゃんと反省して!」
ぎゅううと彼の頬をつねって、ここぞとばかりに引っ張る。「ほんほにいへぇって!」顔を歪めていたので、ひとまずは許すことにした。薄そうで、実はもちっとしている頬っぺた。ほんとに痛ぇってって言ってたと思う。指を放せば、彼が自身の頬をすりすりして労わっていた。
「んな怒んなよ」まだちょっと痛そう。
「お軽いひとはだめなんだよ」
「だーから、それは違ぇって。俺、真面目だし。いつも」
「ほんとうに?」
「ほんとに」
「ならいいよ」
「多分な、多分」
さぁどうでしょう。とでも言いたげな余韻に、うーん、と唸る。
彼は誰に対してもフレンドリーだ。距離感を詰めるのがとても上手だけれど、かといって、軽はずみな行動をしてひとの気を集めるようなことは決してない。だからだろうか、そういうつもりじゃなかったと言った彼の言葉を、どこかですんと信じられずにいる。あの瞬間、なにもかもに確かな意志が含まれているかのようにみえたから。どうすべきなのかわからなくて、こわくなる。そうだ。なにかが変わりそうなときにどことなく襲う、あの不安と似ている。
空っぽなことの虚しさはいくらでも知っている。ならばどうして、はっきりと形を成して存在していることにまで、怯んでしまうのだろう。
「なあに、その言いかた」
むっと探るように見つめても、からっと笑うだけ。いつも通り変わりなく。
「どうしてぇのか、よくわかんねぇよな」
なんか。最後にそう呟いていた。
強いて違っていたのは、その声がほんの、ほんの少しだけ、さびしさを帯びていたこと。
―――――なんとなく、俺の知らねぇところな気がする
彼にも思うときがあるのだろうか。変わることを拒みたいときが。
訊くのは躊躇った。私の知らない、確かな意志を孕んだ彼を知りそうだったから。
「ホットチョコレート、飲む? さっきあそこにあったよ」
「あり。つーかもっと食おうぜぃ」
「お小遣いなくなっちゃうよ」
「お年玉、まだあるからオッケーだろぃ」
「ご利用は計画的に」
「それ、どっかで聞いたことある」
「はい、あーん」
「サンキュ。···なんか、慣れたよな、これにも」
「? 丸井くんが遠慮なくばくばく食べてるのはとっくに慣れてるよ?」
「そういうんじゃなくて。って、また失礼だな!」
「ご、ごめんってば! その、丸井くんがいっぱい食べてるの、かわいいんだよ」
「かわいいってお前に言われるとなんか複雑なんだよな」
「褒め言葉なのに」
「ま、いいけど」
彼が私の手を引いた。真っ白な息はほどなくして消える。
ふと見渡せば、そういうふたりはあちこちにいる。どのふたりともいとおしそうにしている。いまの私たちもまた、誰の目からみてもそういうふうにみえるのだろうか。いまさらになって、ここでようやく私たちを客観視できた。
「今日くらいはいいだろぃ?」
「いいのかな」と問うと、余裕げな、彼の明るい笑顔に胸が高鳴った。
雑踏を通り過ぎていく。静かで、けれど豊かなひとの表情と街並み。淡い光がふたりを包み込んでくれる。
次もその次も絶え間なく続いてはいかないと思うのに、いつまでこんなふうに過ごせるだろうかと、結局はその先を考えている自分がいた。絶対はないのに。
「丸井くんとはずっと友達がいいなぁ」と言えば、「つーか、そうだし」笑っていた。安心したように。受けいれて、すべてわかったように。