05

新たな来客の後のお話です。


突発的にはじまった、丸井くんとのランチタイム。数回もしたらそのうち自然消滅するのだろうと思っていたのに、丸井くんは変わらず誘ってくれた。学食に行ったりその他部活などの用事がある以外は声をかけられるため、結果的に週に何回も開催された。私にとってはなかなかに高頻度かつ高負荷だった。
しかし私にも案外適応力は備わっていたみたいで、回を重ねていくと、まともに話せるようになっていた。

「今日はオムライス……ん?ソース?」

「え、えっと……それはオムそばでして」

「なるほどな! ひさしぶりに食べるぜ。んじゃあ交換は焼きそばパンな」

「……そ、それは、あまりにも被っているのでは……!」

「あ、バレた?」

「だって、丸井くんにあげる分もちゃんとお肉も入れてるわけだし、不公平というか……」

「苗字も言うようになってきたよなー」

「ごごごごめんなさいっ。な、生意気すぎたよね……」

「?怒ってねぇぞ?むしろいい傾向って意味だぜぃ。ま、購買のパンじゃ分けにくいから今度クッキーとかつくって持ってくるな」

「えっ、丸井くんの手作り、いいの?大変なんじゃ……」

「そうか? すげぇかんたんだし……あ、じゃあ今度一緒に家庭科室でつくってみねぇ?」

吃る回数は減ったし、声が裏返ることはほとんどなくなった。ましになったのは回数をこなしたのもあるけれど、彼の気さくな性格のおかげでテンポよく会話が弾んでいるのがかなり大きい。丸井くんのようなひとは私にはハードルが高すぎるどころかむしろ丸井くんじゃなかったら会話のラリーができるようにまでもっと時間がかかっていたと思う。
はじめはあんなにも身構えていたのに、いまでは純粋に『楽しい』と思えるようになっていた。

なにも私ひとりの力じゃない。
それでも、みんながあたりまえにしていたことが、私にもできるんだ。
ちっぽけだけれど、確実に積み上げていく自信。いつかは私からも誘えるようになりたいな、とほのかに思っていた時期のことだった。


*


今日は中庭でお昼を食べようと約束していた。
丸井くんに、そして桑原くんも一緒だ。いまのところ桑原くんと三人で食べるときの恒例の場所になっている。

中庭のベンチにはすでに桑原くんが座っていた。私を見つけた桑原くんが手を上げ、こちらへ合図を寄越した。

「あれ? ブン太は?」

「ぇっと、その、せ、先輩らしきひとに呼び止められていました」

桑原くんはなるほどな、と相槌をしてすぐ、ポケットから携帯を取り出した。しばらくながめてまた納得したような表情をした。

「ブン太のやつ、長引きそうだからさき食っておいてくれって。どれくらいで来るかもわからねぇから食べておくか」

こくんと頷く。私はぎこちなく弁当箱を開いた。
桑原くんとお昼を食べるのは今日で三回目。しかしふたりきりになるのは、今日が初。いままでは丸井くんというクッションがあった。
桑原くんはとてもいいひとだ。突拍子もない展開ではじまった家庭科の宿題手伝おう会でも、おどおどしていた私の態度にも彼は嫌な顔せず懇切丁寧に教えてくれた。それから彼とは一体一であまり会話していないけれど、わかる。桑原くんはとてもいいひとだ。あの丸井くんのわりと図々しい(と言ったら失礼だけれど)奢られ文句にもなんだかんだやさしく了承している。とてもいいひとなのだ。

「(なに話したらいいんだろう……!)」

問題は、私。
少しでも予想外の状況が起こるとまともに話せない適応力のなさ。
こういうとき、まずはなにから話せばいいんだろう。誰にとっても共通のあたりさわりの話題といえば、

「……て、」

「ん?」

「……て、て、天気……いい……ですね」

後悔しかない。
間を空けたわりに絞り出したのが天気の話題だなんて、なにをしているんだ私は。王道かつ無難すぎるうえ雑な振り方をしてしまった。話を広げる手法を持ち合わせていない私には無謀だった。
どうしよう、桑原くんを困らせてしまう。ちら、と彼の表情を伺う。

「たしかにな。この前も結構雨降ってたし。雨降るとほかの部と練習場所の取り合いになるから結構困るんだよな」

困りがちに笑いながらそつなくこたえる桑原くん。
「(やっぱり物凄くいいひとだ……!)」
はやくも泣きそうになるけれど、ぐっと堪える。問題はここからだ。ここからすぐに会話が終わらないよう、詰まらず、はきはき喋っていくんだ。

「……運動部は、た、大変ですよね」

「今年はテニス部も優遇してもらえるみてぇだけど、来週から雨の日が多くなるっていってたしどうなることやら」

「……そ、そうですよね」

「……」

「……」

「そういや、あれから家庭科の宿題は進んだか?」

「へっ? ……あ、はい。な、なんとか……」

「よかった。苦手だっつってたけど、苗字は手先器用そうだからすぐにできそうだよな」

「ぜ、ぜ、ぜん、全然……」

こんなに、喋るの下手だったっけ。昨日までなんともなかったのに、どうしていまになって? たいして長くもない沈黙が息苦しい。つぎはなに話せばいいんだろう。でもこんな喋りじゃ苛つかせてしまうんじゃないか。でも黙ったままだとそれこそ失礼だ。でも、でも、でも。
頭のなかに単語がぐるぐる巡っては中心に吸い込まれるように消えていく。唇のすき間から溢れるのはか細い息だけ。幸村くんと丸井くんとならまだいけたのに、どうしてひとが変わっただけでこうなるんだろう。慣れない相手と対面すると途端に言葉が出なくなったのは、いつから?

────なに言ってんのかわかんない

みんながあたりまえにしていることが、私にはできない。
結局ひとりじゃ、なにもできないんだ。


「話すのって、難しいよな」

ゆっくりと顔を上げる。やんわりと笑う桑原くんが私を見つめている。息ができたような安堵感の後すぐ、罪悪感が胸を占有していく。

「ご……ごめん、なさい。私……全然だめで……」

「あぁ、悪い。責めてるわけじゃないぜ? 苦痛なら無理やり喋っても余計つらいしな」

彼がかけてくれるフォローは少しの澱みもないものだと頭では理解いるのに、いまの私はただただうしろめたさを受けとめるのにせいいっぱいだった。

「わ、私が、わ、悪くて……下手で……」

「下手っていうか、緊張してるだけだろ? ブン太の前では普通に話せてるみてぇだし。俺ら、互いに面識あるわりに意外とこうやって話したことなかったよな」

「……で、でも、こ、こ、こんなにもひどいのは……よくない、から」

フォークを持つ手の力が緩まる。脆くなりかけた涙腺をどうにか繋ぎとめる。

「一回つまずくと……いや、つまずいて、それを笑われたり、指摘されたら、話すのがこわくなるよな」

彼は見開く私の目をしばらく見つめ、それからどこをともなく向こうを見つめた。

「俺、小学生のときに日本に住みはじめたんだ。あっちで日本語勉強して準備もそれなりにしてたけどよ、やっぱいざってなると流暢には喋れなくてな。ちょっとした会話にもついていくのに必死だった。慣れの問題もあるだろうしそれまでの辛抱だって前向きになってたんだが……話すのが嫌になった時期があったんだ」

校舎の開いた窓から生徒たちの弾んだ声が漏れている。風がそよそよとふたりの脇を通り過ぎる。

「特に嫌なのは、音読の時間だった。先回りして授業に出そうな箇所は練習して読んでたけど、ほかの教科の日本語読むのにも時間がかかっちまうから、国語だけ何ページも予習できるほど器用なわけじゃねぇし。授業で読むとたまに引っかかって、クラスメイトからからかわれたり、真似されたり……段々、日常会話でも変な発音してないかとか、またつぎも馬鹿にされるんじゃないかとか考えちまうようになった」

あかるくはない過去の話なのに、彼の声と表情には張りがある。うしろめたさなんて微塵もないみたいに。

「でも、あいつだけは笑わずにいてくれたんだ。いつも真剣に聞いてくれてた。それがすげぇうれしくてな。クラス会でも、笑ってやるなよって率先して言ってくれたのも心強かった」

考えずとも、すぐに思い浮かんだ。
桑原くんも、彼に助けられていたんだ。

「……く」私のか細い声を拾いとろうと、桑原くんが相槌を打つ。

「……桑原くん、いつもすらすら話せてるから、わ、わからなかった……」

「お、そうか? やっぱひとから違和感ねぇって言われるのが一番自信つくわ」

「桑原くんは、とても、すごいです。ほんとうにとてもすごいです……」

「自分の話ばっかしちまったな、わりぃ」

何度も首を横に振ると、桑原くんは苦笑した。

「自慢したかったわけじゃねぇけど、一生懸命喋るお前見るとほっとけなくなってな」

私は顔を下へ背けた。

「一生懸命に見えても、全然、実力が伴ってないです。わ……私は、もっと、ひとの何倍も努力しなくちゃいけないのに……に、逃げてる、から」

「さっきみたいに積極的に話そうとしてるやつが、努力してないなんて思うかよ。それに俺も努力はしたけど、一番は環境にもダチにも恵まれてたってのもあるしな」

桑原くんは謙虚だ。親友に恵まれていたのかもしれないけれど、彼の必死の努力がありきの話だ。とても自慢話みたいには聞こえない。学年が上がれば覚えなくてはいけない単語も漢字も当然増えてくる。おそらくいまも普通に授業を受け、課題をこなすだけでも大変なはずだ。
桑原くんの努力に比べたら、私は────

「でも、お前も恵まれてるんじゃないか?」

「?」

「ブン太も幸村も、お前が喋ってるのを見て馬鹿にするようなやつは俺の周りにはいない。もちろん俺もだ。そういうやつらの前でだけでも堂々としていれば、あとはどうにかなるんじゃないか?」

桑原くんがあかるく笑った。

「気にすんな……って言っても苗字は気にするかもしんねぇけど。でも、あんま気にすんなよ。完璧にしようって思い込むときほど失敗するもんだ。無理だって思ったら無理しなくていいからな」

大切なことを見失いかけていた。
きっかけをつくってくれた幸村くんがいて、それを保ってくれる丸井くんがいる。つらい過去を話してまで、励ましてくれる桑原くんがいる。拙い私の声を最後まできいてくれるひとがいる。身に有り余るものをこんなにももらっているのに、また悲観してばかりいたんだ。私はひとりじゃなにもできない。だけどいまは、ひとりじゃない。
少し目を凝らすだけで、世界はずっと広くなる。

ぽろぽろと涙を落とす私に、ぎょっと桑原くんの顔が歪む。

「大丈夫か!?……ほんとに責めてるつもりはねぇんだぞ?」

「な、泣くのは、いいつものことなので、気にしないで、ください。ゆ、ゆきむらくんも、何回も見てるので、もう気にしてないです」

「そう言われてもな……」

「あれ、食べてねぇの?もしかして待ってくれてた?」

丸井くんがやって来たらしい。目を擦りながら顔を合わせると、案の定丸井くんが目を丸くした。

「うわ、ジャッカルお前なに泣かしてんだよ!」

「ま、待て!これはだな…!」

桑原くんが弁明しようとするも、最適な言葉が見つからず狼狽えている。「すみません、すみません。桑原くんはなにも悪くなくて」私は唾を飲み込み、息をそっと吐いた。

「桑原くんが、やさしいから、泣いてる……だけです」

焦燥でみちていた彼の顔がじわじわとほぐれていく。安堵と苦笑の混じった目が、やさしく細められた。私は肩の力と一緒に顔もまるごとなさけなくゆるんでいた。
会話をつづけられないどころかいきなり泣くなんて迷惑極まりない。でも不思議と自責の念以上に、はれやかな感情が胸を埋めつくしていた。

丸井くんが声を立てて笑いながら、勢いよく桑原くんの肩に腕を回した。その拍子で上半身をよろけた桑原くんが困惑しながらも丸井くんを睨みあげる。

「ジャッカルってすげぇやさしいよな! 飯でもお菓子でもなんでも奢ってくれっし!」

「好きで奢ってるわけじゃねぇんだがな……!」

「苗字がジャッカルのよさに気づいた祝いにジャッカルがなんか奢ってくれるってさ」

「なんでそうなるんだよ!」

「わっ、私がご迷惑をおかけしたので、私が奢ります!」

「お、ノリいいな!」

「苗字も真面目に受けるなよ……」

「じゃあさっそく今日の放課後にでも三人でなんか食いに行かね?」

それからようやく私たちはお昼に手をつけた。泣いて体力を消耗したせいかご飯がよく進む。もちろん丸井くん専用のおかずをお裾分けするのを忘れずに。美味い美味いと箸を伸ばす丸井くんを横目に桑原くんは呆れていた。私は今日も、笑っていた。
  

神さまの通り道

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