家について、自分の部屋にあがる。晩飯はもう少し時間がかかるらしい。
ふと今日の昼休みにもらったあの袋を思い出した。
ほんとならご飯前だからって怒られるけど、ちょっとくらいいいよなと言い聞かせて、鞄からお菓子が詰まったそれを取り出した。
小花柄がプリントされた少し大きめの袋には、よくスーパーで見かけるようなものもあれば、来客用に出すような焼き菓子やらもあって、とにかくいろんな種類のお菓子がやや窮屈そうに詰められていた。袋自体は大きめの青いリボンでしっかり結ばれていた。(ホワイトデーみたいだ)
リボンをスルスルほどいて中をのぞけば小さめのメッセージカードも入っていた。
『シュークリームありがとうございました。とても美味しかったです。ささやかですが、お返しです。』
カードにはじゅうぶんな余白があって、中央にぎゅっと字が詰められて書かれていた。綺麗な字だなって、純粋に思った。
「(マメだな....うん、んまい)」
フィナンシェの袋を開けてつまみながら、今日の昼休みを思い出す。
今日のあいつは意外にもけっこう喋ってた。テンパってはいたけど、はっきり話すので案外話すほうなのかもしれない。
と思っていたけど、やっぱりそうでもなかった。
一緒に昼飯を食べてみたけど、口数も結構少なくて、それこそ『おとなしい』。緊張してるんだろうけど、前にシュークリームを食べているときよりももっとおどおどしているようにも見えた。このお菓子をくれたときにみたあれは焦った時にしか見られない咄嗟の反応なのかもしれない。
苗字と初めて昼休みを過ごしたその日、部活の休憩時間をみてまたあの音楽室に寄った。(そのとき仁王もふらりとどっか姿を消したのもあって、ちょうどよかった)
いつもと変わらず、ゆったりとした穏やかなそれが部屋から漏れていた。あの控えめな印象しかないあいつにしては、とても優雅に弾いているように聴こえた。それでいて、どこか堂々としているようにも思える。
この扉を隔てた向こうでは、どんな様子で弾いているんだろうか。
いっそのことここで教室に入って見れば話は早いんだろう。でも内気なあいつならそれを機にもう弾くのをやめてしまうような気もしなくなかった。誰にも目につかない、わざわざ校舎を移動してまでここで弾くってことは、そういうことなんだろう。
そう思うと、この音色を止めてまでそれをするのも気が引けた。
「一緒に食わねぇ?」
初めて一緒に食べた日から一日空けた今日、また苗字に声をかけた。
「え、でも···」
「あ、なんか用あったか?」
「ううん。その、私で···大丈夫?」
「お前がいいなら」
「····大丈夫です」
ちいさく頷く苗字の席の前に座って弁当を広げる。
こうして週に何回か、苗字に声をかけて一緒に昼飯を食べるようになった。
そうしていろいろわかったことがある。
毎回誘う時、申し訳なさげに周りを気にしていること。
それでも俺が強めに押せば承諾してくれるけど、かなり遠慮するタイプみたいだ。
苗字は一人っ子で、お弁当を自分で作っていて、晩飯も作ってるし、いろいろ家事の手伝いもよくしているらしい。
放課後に残って、図書館とか寄って本読んだり勉強したりしているらしい。見た目の印象通り真面目なとこ。
初めのうちは「うん」「ううん」「そうだね」としか返さず口数が少なかった苗字でも、少しずつ距離を詰めていくと結構話してくれること。
「苗字の弁当って毎回うまそうだよな」
「···おかず、良かったらいる?」
「え、まじ?いいの?」
「肉団子なら···はい」
「サンキューっ。んまっ!料理上手いんだな」
「ううん、まだ全然慣れてなくて」
「ってことは最近始めたばっかなのか?」
「うん、中学上がってからちゃんと作るようになったかな」
「へぇー···でも見る感じ色々おかず作ってそうだよな、始めたばっかにしてはすげえじゃん」
「そうかな?そう言われると、嬉しいな...」
えへへ、とはにかむように笑う。ここ最近は笑う回数も増えているような気がする。
「も、もしかして毎回お弁当みてる?」
「あー......実は結構みてた、前から」
「えっ!う、うそ。...そんな変かな」
「いや違くて、なんか美味そうじゃん?お前の弁当。いつもいいなーって思ってた。俺のとか量重視だから茶色いし」
「丸井君、ほんとにいっぱい食べるもんね...。今日の晩御飯、唐揚げにするつもりなんだけど、明日持ってくるね?」
「いいの?」
「うん、お弁当のおかずにするから」
「まじ?楽しみにしとくぜぃ?」
「私も…丸井君と食べるの、楽しみ」
頬をほんのり赤らめて、にっこり笑う。
ふんわり。
そんな表現がぴったりなくらい、すげぇやわらかく笑うのが苗字だった。
あんまりにも嬉しそうにそんな顔をするものだから、こちらまでくすぐったくなるような、そわそわした気分になる。普段がもの静かであまり表情を変えなかったからこそ(焦ってる顔は何回かみたけど)、段違いにほころぶそれにかなりのギャップを感じていた。
思っているよりも感情豊かだったことも、話していくうちにわかった。
苗字の新しい一面を徐々に発見していくこの時間が、俺自身も楽しみになっていた。
「卵焼き、どうかな…?」
「くれんの?ありがとうな。....やっぱうめぇな」
「ほんと?でも、ひっくり返すのがたまに失敗しちゃうんだよね」
「そんな風に見えねぇけど。いつも綺麗じゃん」
「よかった。丸井君と一緒に食べるようになってから、ちゃんと作り方とか研究しなくちゃって思って...もっと美味しいって言ってもらえるように頑張るね?」
ふんわり。
いつものように照れくさそうな笑顔が向けられる。
そうして最近分かった。というか、いつの間にかそうなっている。
この笑顔をみると、変に苦しくなる。
苦しいのに、不快じゃない、変な感覚。
胸の奥がぐっとつままれるようだった。
こんな風に苦しいはずなのに、もっと見たいとか思っちまう。
それに
(俺にあげるおかずとか考えて、毎回弁当作ってんのかな)
さっきの聞く感じ、そう思っていいんだよな?自惚れすぎならだれか言ってほしい。
なんだこれ、むずむずしてくる。
「...丸井君?」
「...あぁ。いや、何でもねぇ」
「?」
とにかく気を紛らわそうとしてこの気持ちにそっと蓋をした。今はまだ、考えなくていい。そう言い聞かせた。
こうして少しずつ心を開いている苗字だけど、まだわからないことがあった。
休日は家事だったり、ひとりか家族で出かけるか、インドアな趣味がメインみたいで家にこもって読書とかしているみたいだけど。
放課後なにしているか聞いたときも、そのことは一切話されていない。
触れてはいけない部分なんだろうか。
でも、ここまでの距離感ならもう聞いてもいいのか。
唾を飲み込む、とまではいかなくてもその質問を発する前に、少しだけ喉がつまった。
「そういえばよ」
「?」
「苗字って、ピアノ弾いてんの?」