「ボーダーに入んない?」


ボーダー基地から帰ってきた迅に、遊真がいきなり言われた言葉だ。

迅はボーダー本部ではなく、玉狛支部の人間だ。玉狛には近界に行ったことのある隊員が多いため、遊真にボーダーのことを話すには玉狛が一番適しているだろうという迅の考えである。もちろん、狙いは他にもあるのかもしれないが。


「さあ着いた。ここが、我らがボーダー玉狛支部だ」


遊真は玉狛に行く条件として、修と千佳も一緒に行くことも提示してきた。御琴は元々玉狛で元の世界に戻る方法を教えてもらう約束があったため、たとえ断られてもついてきただろう。

迅が玉狛支部の玄関を開けて一番最初に目に入ったのは、カピバラのような生き物に乗った子供。まだ幼稚園くらいだろうか? なぜかゴーグルのついたヘルメットをかぶり、「……しんいりか……」と無駄にキメながら言う。なんか無性に苛つくな。


「あれっ、え? 何? もしかして、お客さん!?」


「やばい! お菓子ないかも!」と、ドタバタと大荷物を抱えて駆けだしたのは、メガネをかけた玉狛支部の女性。


「どらやきしかなかったけど……でもこのどらやきいいやつだから、食べて食べて。アタシ宇佐見栞。よろしくね!」


応接室に通された4人は、チャームポイントであるメガネを輝かせて言う宇佐見に、困惑する、縮こまる、堂々とする、礼を言うという四者四様の姿を見せた。ちなみに、順に修、千佳、御琴、遊真である。

宇佐見は、どう見ても戦闘員という雰囲気ではなかった。胸元までのびたロングの黒髪に、カーディガン。とても落ち着いている。御琴の隣では、遊真と先程の子供、林藤陽太郎がどらやきの取り合いをしていた。実にくだらない。きっとこの支部は、隊員内の仲も良いのだろう。チームワークも武器になりそうだ。


「そういえばキミ、珍しいトリガー持ってるって本当?」


ふいに、宇佐見が御琴に声をかけた。いきなり声をかけられたので少し驚いたが、すぐにその問いに返答する。


「本当だよ。ま、あたしから見ればこっちのトリガーの方がよっぽど珍しい武器だけどな」


そもそもトリガーじゃなくて《脳内魔導起機》だし。


「……じゃあ、ちょっとの間で良いからそのトリガー、うちに貸してもらえないかな?」
「は……いや、何のために? 解析して今のトリガーに応用する、とかだったらお断りだな」
「あ、いやいやそうじゃなくて。さっき迅さんから聞いたんだけど、キミのトリガー、こっちのトリガーにまったく効かないんでしょ?」
「………………」
「うちには近界民の技術者もいるからさ。もしかしたらキミのトリガー、こっちのトリガーに対応するようにできるかもしれないんだよね」


なるほど、迅の頼みか。確か迅は、未来を予知する能力ーーサイドエフェクトを持っていた。ならば、無駄になる行動はしないだろう。この先、《脳内魔導起機》を使って戦う未来でもあるのだろうか? どちらにせよ、《脳内魔導起機》がトリオンに効かないのは致命的だと、御琴もわかっていた。


「……わかった。だが、その代わり一つだけ教えてくれ」


左耳に装着した《脳内魔導起機》をコトンと机に置き、御琴が呟く。宇佐見は「何?」と優しく笑って御琴が喋り出すのを待った。御琴が口を開く。


「こちらの人間が近界へ行く方法。それを教えて欲しい」


本当に、御琴は近界の人間だったのかもしれない。御琴がいままでいた世界も実は近界にある国の一つで、それに気付いていなかっただけ。

あのクズで馬鹿な有栖真之介も、クソむかつくエリートお嬢様も、無駄に胸のでかい裏切れなかった裏切り者も、みんな。みんな、近界民だったのかもしれない。なら、御琴が帰る方法はひとつだけ。

近界へ行くこと。そうすれば、あのうざい仲間たちに、もう一度会える。


「そうだなー……近界民が来る門に無理矢理入って行く方法もあるけど、あんまりオススメはしないし……一番はやっぱり、ボーダーのA級になって選抜試験を受けることかな」


ボーダー内では、三つのランクに分けられる。入隊したばかりの訓練生C級、正隊員となった主力B級、そのB級のさらに上の精鋭A級。年に何度か、ボーダーも遠征という形で近界にボーダー隊員を送り込む。そのボーダー隊員たちは、A級隊員の中から選抜試験に合格した隊から構成されるのだ。


「そう……ボーダー……」


御琴は、近界民だ。こちらの人間に、あまり良い目では見られないだろう。でも、帰れるのなら。あの酷く美しく、酷く残酷な世界に帰れるのなら。


「よう、4人とも」


そこで部屋に入ってきたのは、他の誰でもない迅悠一だった。


「親御さんに連絡して、今日は玉狛に泊まってけ。ここなら本部の人たちも追ってこないし、空き部屋もたくさんある。宇佐見、面倒見てやって」
「了解」


迅の指示に、宇佐見は軽く敬礼をする。それから迅は遊真と修を連れて、支部長室へ向かった。残された宇佐見、千佳、御琴は「おしゃべりでもしてよっか」と、トリガーやボーダー、近界民というガールズトークあるまじき会話をかわす。


「そういえばキミたちの名前、聞いてなかったよね。アタシ、宇佐見栞……って、さっき言ったか」
「雨取千佳です」
「倉花御琴。よろしく、宇佐見栞……サン」


あやうく、近界について色々教えてくれた恩人を呼び捨てにしてしまうところだった。危ない危ない。え? 何? 迅悠一? 知るか。


「御琴ちゃんって、近界にいた頃は何をやっていたの?」
「え? えっと……」


少女を殺して世界中飛び回ってました、は流石に誤解を招くだろう。こちらの人間にあまり迷宮病や《脳内魔導起機》について詳しく教えるのは、あまり良いことではないと分かっている。どうしたら良いのか。


「……世界を救う仕事」


これしかなかったのだ。咄嗟に、「少女を殺して世界を救いましょう」という性格の悪い女教師の謳い文句が口から出てしまった。笑うなら笑え。


「世界を救う……なんだか、ヒーローみたいですね」


ヒーロー。正義の味方。実際、ヒーローなんかじゃない。正義とは程遠い、悪の所行だ。何せ、人殺しをしていたのだから。


「あの」


と、思い詰めた様子の千佳が言った。


「ボーダーに入るには、どうしたら良いですか?」


この千佳の一言が、全てのきっかけになった。
夜の軋む音がした



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