光の届かぬ世界






※残酷描写があります


 ドアノブに触れる前に、一息つく。

 どうか、不在でありますように。そう女神に祈って、扉を開いた。


「よぉ、遅かったな」


 どうやら、女神は存在しなかったようだ。死柄木は正面のカウンター席で写真を弄って座っていた。向かいで黒霧がグラスを拭いており、言ってしまえば、まあいつもの光景だ。


「……少しくらいの遅れは勘弁して。高校生活はそう予定通りには進まないものなの」

「だよなぁ。何せ、万全のセキュリティだったはずの雄英に、ある日突然敵が出現したくらいだもんな」

「……その主犯が何言ってんのよ。私、あの日あんた達が来るだなんて聞いてないんだけど?」

「そりゃそうだろ。言ってないからな」


 平然と述べる死柄木に、瞼がピク、と動くのがわかった。

 死柄木が事前に私に雄英を襲撃すると通告しておけば、私はそれを密かに雄英のプロヒーロー達に伝え、敵対策を万全に行えたはずだ。私も緑谷君も、相澤先生も怪我を負わなかった。平和の象徴が、弱々しく保健室のベッドに寝ている姿を見ることもなかった。──全て、今となってはどうしようもない事だが。


「……なんで、教えてくれなかったの」

「言ったところでお前があの場で何ができたんだよ。あの時のお前はヒーローだ。例え計画を知っていたとしても、お前はヒーローの卵として俺に殴りかかってきただろ」


 なら、知っている口は最小限にとどめた方がいい。要は、死柄木は私を、"今回の計画には不要なもの"として切り捨てたのだ。それが今は、とても腹立たしく感じた。つまり私は、彼の頭の中では完全なお荷物、役に立たない歩兵なのだ。


「悪かったよ。次はちゃんとお前も戦力としてカウントするさ。……やっぱ、大勢の雑魚よりも少数の精鋭だよな」

「はあ……まあ、いいわ。その"次"があるなら、その時はちゃんと教えて。それで、何か用があって呼んだんじゃないの?」

「……雄英の体育祭がもうすぐあるだろ」


 今日の死柄木は額に"お父さん"と呼ぶ手を貼り付けておらず、赤い瞳が照明に照らされていた。その瞳が真っ直ぐに私を見つめ、いつもと違う様子に若干狼狽えてしまった。思えば、彼の瞳をしっかりと見るのは久しぶりかもしれない。

 雄英体育祭。今日の教室で上がったばかりの話題だ。クラスメイト達が騒ぐ様子が想起されながら、「そうね」と答える。


「お前、最終種目には出るなよ」

「……まあ、そのつもりではあったけど。一応、理由は?」

「雄英体育祭は毎年、種目が進むにつれて人数が減っていく方式だ。当日は当然テレビやマスコミも押し寄せる。俺たち敵にとっては、雄英の生徒の戦力、個性を把握する絶好の機会だろ」

「……その少ない"テレビに映る雄英生"の枠を、既に個性を把握している私で埋めたくないわけね」


 死柄木は、何も言わなかった。無言ということは、肯定と捉えてしまっても良いだろう。

 私は、この諜報活動が公に出ないためになるべくテレビに映りたくない。死柄木は、情報を入手する為に私にテレビに映って欲しくない。言うなれば、利害の一致だ。


「……わかった。適当なところで負けて敗退すればいいんでしょ」


 「もう用事は終わりよね」と踵を返し、ドアノブを掴む。このアジトは、あまり居心地がいいとは思えない。一秒でも早くここから離れたいというのが本音だ。

 が、


「……おい」


 死柄木が、左手をつかんで引き止めた。彼の個性を思い出し一瞬青ざめたが、彼にそんな気は無いようで、中指だけを浮かせて器用に四本の指で私に触れている。


「……これ」

「……"おい"と…"これ"じゃわかんないんだけど。あんたは亭主か何か……?」

「……俺の個性。痕に、なったのか」


 彼の指が、私の左手。性格には、左手の包帯をじっと見つめる。そこはUSJの時、死柄木に掴まれて皮膚が崩壊した箇所だ。リカバリーガールの治療により全身の傷は完治したが、この左手の崩壊は完全には消えないらしく、将来的には高い確率で痕になるらしい。


「そうよ、あんたの個性のせいでね。あれかなり痛かったんだから、謝って」

「は? 出てきたのはそっちだろ。なんで俺が謝らなきゃいけねえんだよ」

「あんたねえ……」


 どことなく大人しいので傷をつけたことを気に病んでいるのかと思ったが、どうやら見当違いのようだ。死柄木弔という男に、他人を心配する心など持ち合わせていない。ならなぜ聞いたんだ、という疑問を問いかけたところで、彼はきっと本心を語ることはしないのだろう。

 死柄木弔は、ずっと私には隠し事ばかりしている。


「もういいでしょ。私は帰るから」


 ヤケになって、私は死柄木の手を振りほどいた。彼の目はほんの少しだけ上下に開き、行き場をなくした己の手をじっと見つめる。

 今度こそバーを出ようと扉のノブを掴む手に力を込めた時、「待ちなさい、両刃要」と死柄木ではない別の声が私を引き止める。


「今度は何!?」

「相当キレてんなお前……」

「ええそうよ、誰かさんのせいでね……!」


 「めんどくせえ……」と死柄木が唸るような声を出すが、知ったことではない。今の私は機嫌が悪いのだ。


「数ヶ月前から、この周辺一帯で薬物の流通を行っている人物がいるとの話がありまして」

「薬物ぅ……? そんなの勝手にさせておけば………………ああ、そういうことね」

「ええ。ですので、なるべく"穏便に"片付けて頂きたいと思いまして」


 違法薬物は、超常社会となっても尚出回っている。そしてそれは、裏社会で幅を利かせようとする者にとっては大きな驚異だ。

 まず薬を流すだけで、手元には金が集まる。弱小なグループが手っ取り早く資金を集めるために薬に手を出すケースも多い。しかし最も脅威なのはその薬の"依存性"である。一度薬に手を出した人間に、「言うことを聞けば薬を以前の半分の値段で譲る」と甘い言葉を囁けば、いとも簡単に人材まで手に入る。薬を流し、金を集め、人材を確保し、そうやって徐々に裏社会に派閥を作り上げていく。

 しかしそれは、これからヒーロー社会をかき乱そうとする死柄木にとっては、邪魔な存在だった。


「……で? そいつら、今は何処にいるの」




***




『弱いな……』


 ドサリ、と最後の一人が倒れて、私は手を払った。バーから少し離れた路地の奥が、グループの溜まり場であった。黒霧の個性でその近辺まで送ってもらい、"両刃要"という人物であることがバレないよう、黒霧が用意したガスマスクを着け髪をひとつに括り、パーカーのフードを被って奇襲を仕掛ける。

 敵としての私の個性は「ウェポン」。身体中の至る所から、"自分が武器だと認識したもの"を錬成することができる個性だ。雄英生としての私が使う「サイコキネシス」は先天性であり、「ウェポン」は後天性、つまりは、両親が殺害され弟が奪われたあの日、オール・フォー・ワンによって授けられたのがこの個性だ。

 人から個性を奪い、またその個性を己のうちに溜め込み、そして人へ受け渡す個性を持つのがオール・フォー・ワンだ。十中八九このウェポンの個性も、元は誰かの体に入っていた個性なのだろう。強制的に他人の臓器を体内に入れられた気分だ。使っていてあまり気持ちの良いものではない。


『私も殺しはしたくない。正直に答えろ。この薬は何処から入手した』


 ガスマスクには変声機が搭載されているため、もしもこの先倒れている男が雄英生の私と遭遇したとしても気づくことはないだろう。


「だ、れが……話すかよ……」

『早く吐いた方が楽だぞ。肉体的にも、精神的にもな』


 あくまで、男は口を割らないようだ。仕方ない、と私は個性で刀を錬成し──男の指を跳ねた。鮮血は舞わず、ただただ切り離された己の指を見て、「……あ?」と男が声を上げた刹那、切り口から紅が飛び出した。


「あッぁぁ、がああああ!!!」

『今は小指。次は薬指。左手が終わったら右手だな。……箸やペンが持てないのは不便だろう』


 男はどくどくと血が流れる左手を押さえつけて、痛みに悶えている。私はすかさずその手を踏みつけ、さらに薬指へと刃をあてがった。


『もう一度言う。この薬はどこから入手した』

「話す! 話すから、もう、やめ、や、やめてくれッ……! お、おね、お願い、しますから……ッ!!」

『……………………』


 男がそう泣き叫んだので、私は個性で作った刀を消した。足は男の手首を踏みつけたままで、『薬の入手経路は』と問う。


「さっ、最近、ヤクの流通で勢力拡大してる極道の連中がいるだろ……ッ! 俺は、そいつらから一定量を貰ってこの近辺で売り捌いてるだけだ……!」

『極道……? その組織の名前は』

「死穢八斎會だよ……!!」


 死穢八斎會、という名には聞き覚えがある。確か、話していたのは警察の人間だ。

 ヒーロー社会になってから極道は解体が進んだが、それでも尚、ごく少数だが活動を続けている組織もある。大半はヒーローにも敵にも目をつけられないよう細々と水面下で動いているものだが、しかしある組織だけは、各方面から注視されていた。その組織が、死穢八斎會。


『死穢八斎會は、その薬を売って何をしようとしている。金を集めるには、何か理由があるはずだろう』

「んなもん俺が聞きてえよ……ッ! 俺はただ、このヤクを売っぱらってこいって脅されただけで……!」

『死穢八斎會に関する、最近何か話題に上がったことは? 噂話でも何でもいい』

「噂ァ……? ……そういや、何年か前に若頭がガキを一人拾ったって……そ、それだけだ! 他は何も知らねえ!」

『………………』


 ガキ。子供を一人拾った? 極道が何の目的で、というのは野暮だろうか。孤児を拾い、育て、将来的に自分の組織の構成員にするというのはよくある話だ。今は気にとめておく程度で良いと思った。

 どうやらこの男は死穢八斎會に使われているだけであり、死穢八斎會の構成員ではないようだ。それならば、その金の用途、目的等も聞かされていなくて当然だ。

 私はすっと男の手首から足を離す。


「…………え、……」

『お前が詳細を知らないと言うのなら、もうお前に興味はない。さっさと仲間を連れて何処へでも行け。……ただし、もう二度と此処へは来るな。次にお前が此処へやって来た時、お前の首にその頭が乗っているかは私もわからない』


 手を汚したくはない。せめて、弟を抱きしめるまでは、綺麗な手でありたかった。

 私は踵を返し、バーから来た道を辿る。後ろの方で男が他の仲間を抱き起こしている様子が聞こえたが、振り返りはしなかった。




***




「要……俺はちゃんと、"片付けろ"っつったよな……?」

「正確には、あんたじゃなくて黒霧がそう言ったわね。それに、片付けろとは言われたけど、殺せとは言われなかったから」


 仕方ないのでバーに戻り、報告とばかりに切り落とした男の小指を死柄木に投げて寄越す。彼は飛んできた指をキャッチすると、「は、きったね……」と五指で触れて塵へと還してしまった。

 ガスマスクを外して、適当な机に置く。返り血はそんなに付いていないため、そのまま置いても黒霧には何も言われなかった。


「激甘かよ、お前」

「じゃあ何よ。私を、殺す?」


 ぐっと死柄木に顔を近づけて視線を合わせれば、赤い瞳が開いた。「チッ……」と舌打ちをして、死柄木の方から目を逸らす。これは、勝ったと言ってもいいのではないか。


「さっさと帰れよブス」

「はあ〜〜〜? 私、あんたの為に貴重な放課後の時間を使ってやったんだけど……?」

「沸点低すぎだろお前本当に大丈夫かそれで……」


 急降下した気分をなんとか押さえ込み、私は乱雑にパーカーを脱いだ。パーカーさえなければ、私は他の雄英生と大して変わりはない。本来ならば制服の上にパーカー1枚で敵として過ごすなど避けたいところなのだが、何分今回は着替えがなかった。


「もういい! 私帰るから! 黒霧、ゲート!」

「私はタクシーではないんですがね」

「似たようなものでしょ! そこの死体男が腕負傷してて出られないから代わりに行ってあげたって言うのに」

「……おや。気づいておられたので?」


 黒霧の問いに、私は首を縦に振る代わりに鼻を鳴らした。死体男、もとい死柄木は、USJでの一件でプロヒーローの反撃に遭い四肢を負傷している。よって暫くはこのアジトから出られず、その死柄木の代わりに私が薬物グループへの牽制に出させられたのだ。

 このままずっと負傷したままで良いのに、と思ったのは死柄木には内緒である。


「……どうだっていいでしょそんな事。ほら、黒霧。早くゲート」

「やれやれ……」


 黒霧がため息をつきつつ、私の自宅までのゲートを開く。自宅の場所を知り、なおかつ何時でもそこへ繋げられる手段があるのでは、もはや私のプライベートなど無いに等しいのではないか。警察側と交わした書類などを家に置いていなくて良かった、と心底思う。

 死柄木の方をチラリと見るが、彼はこちらを見向きもせず、額に"お父さん"を付けて顔を隠していた。そちらから何も言葉がないのなら、私も何も話すことは無い。「じゃあね」と一言残して、私はゲートを潜った。

 ゲートが閉じた後で、「激甘なのはどちらですかね……」と黒霧がこぼした事など知らないまま。

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