望まなければ良いのか






 体育祭当日。その日は、案外早くやって来た。


「皆準備は出来てるか!? もうすぐ入場だ!」


 開催式が目前に迫っている今、1-Aの控え室には私を含む21名がわいのわいのと緊張を和らげるように談笑をしていた。委員長の飯田君だけが秩序を保とうとしているが、何だかんだで興奮気味な皆をまとめるのは困難だと思われる。

 他学科との公平を期すためヒーローコスチュームの着用は不可、全学年共通の体操着の着用が義務付けられている。それは全く持って良いのだが、ひとつだけ不便なのは、死柄木に付けられた左腕の傷跡を隠すことができないということだ。一応傷跡そのものは目に触れないように包帯を巻いているが、予想通り「両刃さん、その腕……」と麗日さんが声をかけてくる。


「ああ、これ? USJの時の傷跡があってね。テレビに映すようなものでもないし、今日は1日包帯巻いてようと思って」

「傷跡って、大丈夫なん!? 痛くない……?」

「傷自体は塞がってるから大丈夫よ。動かしても何の問題もないし」


 あまりにも麗日さんがびっくりした顔を向けるので、ほら、と左手をぷらぷらと振ってみた。何ともないことが分かると、彼女は安堵の息をつく。


「良かったあ……でも、無理はせんといてね! 治ったと思った時が一番重要なんやし!」

「分かったわよ……貴方も世話焼きね、麗日さん」

「そ、そうかな……?」


 やってしまった、と少し恥ずかしそうに、麗日さんは両手を頬に当てた。そのうち芦戸さんや葉隠さん達も「何何ー?」と寄ってきて、控え室には女子だけのスペースが出来上がってしまった。少し離れた場所で峰田くんと上鳴君が羨ましそうにこちらを見ていたが、生憎ここは男子禁制だ。大人しく男子のスペースへ帰ってほしい。


「緑谷」


 ふと、轟君が緑谷君に声をかけた。轟君が自分から誰かに声をかけるなんて珍しい、とクラスメイトの大半が注目し、耳を傾ける。


「轟くん……何?」

「客観的に見ても、俺の方が実力は上だと思う」

「へ!? うっうん……」

「お前、オールマイトに目ぇかけられてるよな。別にそこ詮索するつもりはねぇが……」

「!」


 それは、私も思っていたことだ。オールマイトが緑谷君に向ける目と、他の生徒達に向ける目は明らかに違う。オールマイト本人は隠しているつもりなのだろうが、元々嘘がつけない性格故に一部の生徒にはモロバレ状態である。

 しかし、オールマイトが私に向ける目が他の生徒達と違うことも、また事実である。それは緑谷君に向けるものとは違い、何かの負い目を孕んでいる目であったが──兎にも角にも、私も客観的に見て"特別扱い"を受けている以上、あまり緑谷君の事についてとやかく詮索はできない。


「お前には勝つぞ」


 クラストップの宣戦布告に、誰もが目を開いた。咄嗟に切島君が「急に喧嘩腰でどうした!?」と間に入るが、「仲良しごっこじゃねえんだ、何だって良いだろ」と一蹴され黙る。


「轟くんが何を思って僕に勝つって言ってんのか……は、わかんないけど……そりゃ君の方が上だよ……実力なんて大半の人に敵わないと思う……客観的に見ても……」

「緑谷もそーゆーネガティブな事言わねえ方が……」

「でも……!」


 緑谷君が両手に握るのを、見逃さなかった。


「皆……他の科の人も本気でトップを狙ってるんだ。僕だって、遅れを取るわけにはいかないんだ」


 思い起こされるのは、わざわざ普通かから1-A(ヒーロー科)に宣戦布告しに来たあの男子生徒。彼以外にも、ヒーロー科を目指し、この体育祭が絶好の機会だと手を伸ばす生徒は大勢いる。


「僕も本気で、獲りに行く!」


 緑谷の固い声が、控え室に響いた。


「………………」


 目を逸らす。どこまでも、私は緑谷君と対称的だ。敵である私に「ヒーローになれる」と、私よりもボロボロに怪我をして言った彼の言葉だから、尚更だろうか。

 本気で、獲りに行く。その言葉が、胸に重くのしかかった。




***




『雄英高校体育祭! ヒーローの卵たちが我こそはとシノギを削る、年に一度の大バトル!』


 こちらが怯むほどの熱気が、スタジアム中に蔓延している。四方八方どこを向いても人の顔だらけで、普段から人目につかないようにと心がけている私にとって、この空気は正直苦手だった。何処へ行っても、見られている感覚が拭えない。


『どうせてめーらアレだろ、こいつらだろ!? 敵の襲撃を受けたにも拘わらず鋼の精神で乗り越えた奇跡の新星!』


 実況はプレゼント・マイクが務めるらしく、彼の司会がスタジアムに響き渡っている。


『ヒーロー科! 1年! A組だろぉぉ!?』


 プレゼント・マイクがそう呼びかけた瞬間、観客が歓声に沸いた。

 かつてのオリンピックに代わる催しともあり、一般の客はもちろん、外国から見に来た観客、マスメディアや報道陣が一斉にカメラを向ける。そのレンズの先は、大半が1-A私達だ。


「……両刃さん、大丈夫? 顔色悪いけど……」

「大丈夫。なんて言うか……あのテレビカメラを通して知り合いが見てると思うと……」

「ああ……やっぱり、緊張しちゃうよね。僕も家で家族が見てるから、その気持ちはちょっと分かるな……」

「………………」


 緑谷君がそう恥ずかしそうに頬をかく。さっき控え室で堂々と轟君の宣戦布告に答えたんだからシャッキリしなよ、とは言わないでおく。

 家族、という言葉が胸に突き刺さる。私を産む前から既に敵として何人もの命を奪い、幼い私と弟に暴力を振るい、そしてヒーローに殺された、私の両親。彼らが今の私を見たら、何と声をかけるだろうか。いくら考えても、記憶にない人格のことは検討もつかない。

 けれど、これだけは予想がつく。もしも彼らが生きていたとしても、決して私にとって利をもたらす存在では無いということを。

 やっぱり、私の家族は弟だけで十分だ。


「選手宣誓!」


 バチン、と床を叩く音が聞こえ、ステージを向く。今年の1年の主審は18禁ヒーローミッドナイト先生であり、相も変わらず際どい、まるで女王様のようなコスチュームを着用し、鞭を床に打ち付けていた。生徒達も観客席もその姿にザワついたが、「静かになさい! 選手宣誓!」と一喝されて黙り込む。


「1-A、爆豪勝己!」


 ……これは、驚いた。あの爆豪が、学年代表。

 爆豪勝己という人物を知っている者は皆一斉に爆豪を振り返り、「え? マジで?」とアイコンタクトを交わしている。しかしミッドナイト先生が嘘をつくはずもなく、当然爆豪は周囲をガン無視して壇上へ登る。


「せんせー」


 ゴクリと息を飲む。


「俺が一位になる」

「絶対やると思った!」


 思わず切島君が叫んでしまっても無理はない。そしてその叫んだ言葉は恐らく、1-Aの総意だ。

 元々ヒーロー科、特に1-Aだけが優遇されている現状に不満が溜まっているB組、他クラスの生徒からの批判は、当然沸き起こった。「調子乗んなよA組オラァ!」「ヘドロヤロー!」「何故品位を貶めるようなことをするんだ!」彼の個性そのままに、不満は大爆発している。最後の声だけは、A組の委員長であったが。

 「せめて跳ねの良い踏み台になってくれ」と一言残すついでに親指を下げ、爆豪は降壇した。緑谷君はそんな爆豪をじっと見つめていたが、何か思うところがあるのだろうか。彼らは幼馴染だとは聞いていたが。


「さーて、それじゃあ早速第一種目行きましょう! いわゆる予選よ! 毎年ここで多くの者が涙を飲むわティアドリンク!」


  ミッドナイト先生の声で、ステージ中央に位置するスクリーンが起動する。スクリーン上の文字は次々と入れ替わり、そして止まった。「コレ!」とミッドナイト先生が声を上げた時には、障害物競走と豪快に書かれていた。


「障害物競走……」

「計11クラスでの総当りレースよ! コースはこのスタジアムの外周約4km!」


 コースから外れなければ、何をしても良い。もちろん、個性の使用も可能。教師がここまで言うのだから、十中八九"何か"あるのだろう。

 まあ、私は早々に負ける予定なんだけど。わらわらと、できればなるべく前の方の位置につこうと皆スタート地点へ移動する。私は後ろの方でもいいなとゆったり歩いていると、後ろから来た生徒に肩をぶつけられた。大した威力でもなかったので別段怒るようなことはしなかったが、その生徒の顔を見て「げ」と呟いてしまう。


「邪魔だ、どけクソサイコ女」

「……爆豪」


 たった今、選手宣誓でヘイトを集めまくった首席だ。私を睨む双眸はいつもの様に怒気を孕んではいるが、今日のはどちらかと言えば静かに燃える炎のようなものだった。彼も体育祭というプレッシャーに何か思う所があるのか、大声で怒鳴るような真似はしない。

 触らぬ神に祟りなし。すっと道を避けると爆豪は空いたスペースをずかずかと通り過ぎる……と思いきや、爆豪が視線だけでこちらを振り向いた。


「クソデクもムカつくが、お前も大概だな」

「はあ…………?」

「精々死ぬ気で来い。お前の全力を、俺が上からねじ伏せる」


 それだけ言うと、彼はさっさと人混みの中へと消えてしまう。何なんだ…と呆気にとられていると、ひょいと横から出てきた切島君が「爆豪が緑谷以外に宣戦布告なんて珍しいな……」と声を漏らす。


「両刃お前、爆豪となんかあったのか?」

「何もないと思うけど……」


 本当に、心当たりがない。爆豪と言葉を交わす機会など、USJの時くらいしかなかったはずだ。あのたった1回で、彼から私への好感度は地に落ちたとでも言うのか。

 「訳わかんない……」とボヤいているうちに、全員がスタート地点へ到着した様子だった。緊張感が走り、先頭集団などまるで目の前に敵がいるかのように張り詰めた雰囲気だ。

 そしてカウントダウンが開始し──ミッドナイト先生の声と共に、スタートが切られた。

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