百億の思い違い






 昼の食堂の混雑っぷりは今日も相変わらずで、席を探すのだけで精一杯だ。先に席を確保しておこうにも、あいにく椅子に放置しておける小物を持ってはいない。そもそも小物を置いたまま席を離れるのはなんだか不安感がある。そういう訳で今は昼食のカレーを持ったまま席を探してうろついているのだが、なかなか見つかるものではない。

 さて、どうしたものかと考えを巡らせることに気を取られて、すぐ隣の人影に気づかなかったのが悪い。方向転換する時に隣にいる腕がぶつかってしまい、カレーがちょっとだけこぼれてしまった。


「「あっ……」」


 幸いカレーはトレーの中に収まり制服が汚れることはなかったが、同じく相手のトレーに乗っていた味噌汁も少しこぼれてしまったようで申し訳ない。


「すみません、お怪我は?」

「ああいや、大丈夫で、す……」


 相手が私の顔を見るなり、言葉が消える。私も相手の顔を見て、目を丸くした。


「……天喰先輩?」


 青みがかった黒髪に三白眼、尖った耳。何よりそのおどろおどろしい態度が、記憶の縁から呼び起こされた。

 天喰先輩は数秒間口を開けたまま静止していたが、その直後にサッと顔を青くして「そ、それじゃあ俺はこれで……」とくるりと踵を返し、そそくさと戻ろうとする。なんだかその態度が気に食わず、私は先輩の後を追いかけた。


「天喰先輩ですよね? 私の顔見て逃げるってことはそうでしょう?」

「ひ、人違いだ……俺は天喰環なんかじゃ……」


 私は"天喰先輩"としか言っていないのにわざわざ"天喰環"とフルネームを出すことによって、結果的に墓穴を掘っているのに彼は気づいているのだろうか。

 天喰先輩は、私の中学の頃からの先輩だ。3年と1年ともなれば交流した期間は短かったが、不思議な縁なのか何なのか、何故かふとした時に近くにいることが多く、互いに顔見知り程度にはなった。彼

の引っ込み思案は中学の頃から健在で、ちょっとつつくと丸まるダンゴムシのようだった。それがなんだか楽しくて、彼をからかって遊ぶうちに彼の中で私は"苦手な人フォルダ"に分類されたらしく、中学の頃からずっと会う度に逃げられている。というか、3年が1年から逃げているという構図は一体何なのだろうか。

 まあ、彼に逃げられる原因の1番が私なので、流石に反省はしている。中学のようにしつこく話しかけたりはしない。

 けれど、彼の存在が私にとっては、ほんの少しだけ特殊な立ち位置にあるのは否定しない。それを話せば長くなるので、今は割愛しよう。


「天喰先輩雄英に進学してたんですね。驚きでした」

「………………俺も、まさか君がここに入学するとは思わなかった」


 諦めたのか、天喰先輩の歩くスピードは徐々に落ち、今は私の歩幅に合わせてくれている。私と目は合わせてくれないが、ぽつりとそう呟いたのが聞こえた。


「ヒーローになるのが私の悲願ですから。ここでなら、その可能性は高いでしょう?」

「………………」


 そう。"悲願"であって、"夢"ではない。彼が何を思ってヒーローを志すのかは、私にはわからない。ただ、私という存在がこの雄英において、異質であることはなんとなく感じ取っているのだろう。それはそれで構わない。


「おーい! 環ー!」


 私と天喰先輩が歩いていると、ふと前方から声をかけられた。その人物は天喰先輩に向かって手を振り、そして私の方を見て若干驚いた表情をしつつも、ニカリと笑っている。


「あれ!? 要ちゃんだよね!? 雄英に入ったんだ!」

「通形先輩、お久しぶりです」


 通形ミリオ先輩。天喰先輩の昔からの友人で、同じく私の中学の頃からの先輩だ。天喰先輩とは正反対な、明るくにこやかな笑顔は今も健在である。

 どうやら天喰先輩の分の席も確保していたらしく、偶然にもボックス席を取れたものだからついでに私もお邪魔させてもらった。厚かましい後輩だとは思うが、何だかんだと許してくれる分、天喰先輩と通形先輩の人柄が現れていると思う。


「環と要ちゃんは雄英に来ても仲良いよね! 俺いいと思うよ!」

「ええまあ、さっき再会したばかりですけどね。と言っても、天喰先輩の方はさっきからずっとこんな感じで」

「うっ……辛い……何がとは言わないけど、辛いっ……」

「いつも通りだよね!」


 私の斜め向かいに座る天喰先輩は、親子丼を口に運びながら縮こまっている。もそもそと食べる天喰先輩の姿がやっぱりダンゴムシだよなあと思っていると、通形先輩が「そうだ」と口を開いた。


「そういえばそろそろ、1年はあれをやる時期だよね」

「……? あれ……?」

「救助訓練! 要ちゃんの個性なら色んな状況に対応できると思うんだよね!」

「救助訓練……それって一体どういう……?」

「それは教えられないよね! 初見でどう動くかとかも見るから、俺が教えちゃったらルール違反になるし!」


 なるほど、救助訓練。確かに、ヒーローは戦闘だけではないのだから、救助・救命救急などの授業も取り扱うだろう。また市街地を模したグラウンドでの訓練だろうか。敵が絡むものなのか災害なのかによって状況は異なるが、私のサイコキネシスはシンプルな分扱いやすい。オールラウンダーとしても動くことができるだろう。

 しかし、もう少し情報が欲しい。こうみえて通形先輩は後輩に容赦がないし、正義感があるからあくまで公平を保とうとする節がある。よって通形先輩から情報を引き出すのはほぼ不可能だ。

 ならば、と思い私は席を一つ隣にズレる。具体的には、天喰先輩の正面の席へ。


「……天喰先輩っ……!」

「────っ!?」


 がし、と天喰先輩の手を両手で包んだ。天喰先輩は目をこれ程かというまでに丸くし、瞳を泳がせる。私はそのゆらゆらと揺れる瞳をじっと見つめ、情に訴えることにした。

 救助訓練について、何か教えてくれませんか。

 無言の時間だった。ただただ私は天喰先輩を見つめ続け、天喰先輩は顔を青くしたり赤くしたりを繰り返し、通形先輩はずっと隣でニコニコしている。というよりも、通形先輩はせっかく自分が隠した情報を隣で漏洩されそうになってるけどいいんですか。

 そんな時間が数秒間続き、


「……………………っ俺の時と同じなら、場所はおそらくUSJ……火災や水難、倒壊とかの色んな災害を模した施設での訓練……だと、思う…………」

「! ありがとうございます、天喰先輩……!」


 とうとう天喰先輩が折れた。顔はずっと私でも通形先輩でもない通路側を向いて、子鹿のように震えていた。隣で通形先輩が「環……」と、それはもう、「あーあ、折れちゃったかあ……」とでも言うような哀れみの視線を天喰先輩に送っている。天喰先輩はそんな通形先輩と目を合わせることもできず、「何も言わないでくれ、ミリオ……!」と目を瞑っていた。

 天喰先輩の協力により、救助訓練の内容は災害を想定したものであることはわかった。問題はどの災害であるかだが、ここはヒーロー科だ。安易に想像できる災害は一通り授業で取扱うに違いない。


「……まあ、私の個性は基本何にでも使えますし。少しの情報さえあれば、まあなんとかなるでしょ……」

「……要ちゃん。それは、」


 私が呟いた途端、天喰先輩と仲睦まじげにはなしていた通形先輩の顔がスッと険しいものになり、また天喰先輩も何かを考え込むように瞳をふせた。その二人の様子が気がかりで、通形先輩の都築の言葉を待ったのだが、その続きが通形先輩の口から出ることはなかった。

 言葉を出そうとしても、その出したかった言葉はかき消されたのだ。突如として校舎全体に鳴り響いた、サイレンによって。

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