臆する病と書いて






 緊急時のサイレンが鳴り響き、私と天喰先輩、通形先輩は同時に席を立つ。食堂にいた他の生徒達も一目散に廊下へと駆け出すが、大規模校の全生徒半数近くが廊下へと集中した所で、そこで詰まって動けなくなるのは目に見えてわかっていた。しかし緊急時は人の判断を鈍らせるもので、別のルートを探して逃げようとする生徒は極少数、残りは案の定廊下から先には進めず、現場は集団パニックとなっていた。


「先輩! このサイレンが過去に鳴ったことは!?」

「少なくとも、俺らがいる間にはないよね!」

「ああ……だからこんなに騒動が広がってるのね……!」


 2年や3年が一度経験しているものであればヒーロー科を中心に避難誘導もできたものだが、肝心の彼らもパニックに陥ってしまっている。こちらの呼びかけでどうにか変わるものではない。


「個性で様子を確認してきます! 先輩方は、これ以上廊下に人が流れていかないように誘導を!」

「! 両刃さん……!?」


 私の名を呼ぶ天喰先輩を今だけ聞こえないふりをし、私は個性で自身の体を浮かせた。生徒達の頭上を飛び、窓から外に出て状況を確かめよう、と思ったのだが。


「君っ、空を飛べるのか……!? お願いだ! 俺も一緒に外に連れて行ってくれ!」

「わっ、私もお願い!」

「俺も!」

「きゃあ!? は、離してよ……!」


 思考回路が麻痺した人間は、偶に奇想天外な行動に出ることがある。彼らの頭上を飛ぶ私の足を誰かが掴み、そして別の誰かもまた掴み、その数はみるみるうちに増える。私の足を掴む手が増える度に私は高度を落とし、最終的に、私の個性は集団の手に負けた。


「あっ……」


 手に引っ張られ、私は落ちる。下が床であればまだ受け身を取れば良いが、下にいるのは人間だ。受け身を取ってどうにかなる問題ではない。私の身は無事でも、下敷きとなった人が無事では済まされない。

 かと言って、再び個性を使うのは間に合わない。間に合ったとしても、無数の手が私の足を離してくれない以上、また同じ結果が待っている。

 もう、手詰まりじゃない!

 ぎゅっと目を瞑った時、


「両刃さん!」


 私の腰に、何かが巻きついた。それは私の腰をがっちりとホールドした後、私を引っ張った。


「……大丈夫?」


 数秒後、私の腰に巻きついていた何かはパッと離れ、私は重力に従って落下する。しかし落下時間は1秒にも満たず、2本の腕で受け止められた。

 すぐ近くに、天喰先輩の顔があった。私を受け止めたのは先輩の腕で、私の膝裏と背中に回されている。ぱちり、と瞬きをした後、なんとなくだが状況は掴めた。

 天喰先輩の個性は"再現"。その日摂取した食物の特徴を自身の体に宿すことができる。天喰先輩が今朝何を食べたのかは知らないが、私をここまで引っ張ったのは、天喰先輩が個性で再現したものだ。

 納得だ、と再び天喰先輩の顔を見ると、先輩の顔は再び真っ青になっていた。いつものことではあるのだが……何故今。私を静かに床に下ろすと、くるりと後ろを向いてしまった。


「すまない……他意はなかったんだ……ただ、君を助けようとして、結果的に体が触れてしまっただけで……」

「……いえ、別に気にしてませんけど……とりあえず、この混雑時にネガティブ入るのだけはやめてもらっていいですか……」


 私を受け止めるために私の体を触ったことを気にしているらしいのだが、私からすればそんなことはクソほどどうでもいい。けれど天喰先輩は気にするらしく、正直、すごく面倒くさい。


「……ああもう、ちょっと、こっち向いてください!」


 私は粗雑に先輩の腕を掴んで振り向かせる。そしてセンパイの手を、先程救助訓練の情報を聞き出した時と同じように両手で包み込んだ。


「私も先輩の手を触りました! これで、おあいこ!」

「………………」


 私は先輩を真っ直ぐに見つめ、宣言する。当の先輩はと言うと、驚いたように目を真ん丸に見開き、一切の動作を中止して私を見つめ返していた。……否、見つめ返すと言うよりは、私の目を見たままシャットダウンしてしまったと言った方が近い。「先輩?」と語りかけても目の前で手をひらひらと降ってみても、彼は何一つ動かなかった。

 どうしよう。もしかして私は、彼の地雷を踏んでしまったのだろうか。

 若干の焦りも混ぜながら、もう一度「天喰先輩」と呼んでみようとした時。


「大丈ー夫!」


 遠くから、聞きしった声が突如として飛ばされてきた。声の主は、今朝もクラスで話題になった飯田君だ。混雑の遠く前の方で、「EXIT」の標識の上に立っている。かなり不安定なの体勢だが、よくこんな後ろの方まで響く声を出せたものだ。


「ただのマスコミです! 何もパニックになることはありません! 大丈ー夫!」


 廊下にいる全ての生徒が飯田君を見上げポカンと口を開けている。しかし数秒後、ようやく事態が飲み込めたのか一斉に動き始めた。しかしそこには直前までの緊張感はなく、緊急事態でなくて良かったと安堵の氷上を浮かべている者がほとんどだ。


「あっいたいた! 環ー! 要ちゃんー!」

「通形先輩。今までどこに?」

「いや、あの集団の中で何人か喧嘩始めちゃってさ。仲裁してきたんだ!」


 徐々にその場から解散し、人口密度も若干減ったと思えば、前方から通形先輩が歩いてきた。人混みの真ん中にいたのか、制服はしわくちゃだ。


「一息ついてるところ悪いんだけど、もうそろそろ予鈴鳴るんだよね! 要ちゃんのクラスの担任相澤先生だろ? 遅れたらあの先生かなり嫌味言ってくると思うんだけど……」

「あっ……そ、うですね。じゃあ、私は教室に戻ります。……えっと、天喰先輩は……」

「あれっ環フリーズしてる。おーい環ー」


 通形先輩が天喰先輩をばしばしと叩いていると、「ミリオ、痛いから……」と唸った。わたしが話しかけても反応しなかったのに、通形先輩はすんなりフリーズ解除した。これが長い付き合いの賜物か……と考えつつ、私は「失礼します」と一言断って1-Aの教室の方向へと足を進めた。


「……あ、天喰先輩」

「……」

「先程は、ありがとうございました」


 そういえば集団に引っ張られた時のお礼をまだ言えていなかったなと思い、私は途中でくるりと振り返った。そして一言だけ伝えると、また前を向いて足を動かし始める。

 暫くして、背後からゴツリと何かを壁に叩きつけるような大きな音と、「環ー?」という通形先輩の声が聞こえたが、全力で聞こえないふりをした。

 教室に戻ってから、テーブルに放置してきた学食のカレーを片付けていないと気づいたのだが、後から聞くとその後天喰が片付けてくれたらしい。今度またお礼を言わなければ。




***




「──で、見事に進展なしを決め込んできたってことだよね!」


 隣でミリオが太陽のような笑顔で笑う。その輝きが増す度に、俺の心に生えたキノコは猛スピードで増殖していく。「元気出しなよ」と俺の背中をバシバシ叩く度に、俺の気分は沈んでいった。

 ──2年ぶりに再会した初恋の人物は、2年前と何一つ変わった様子はなかった。

 久しぶりに彼女の姿を見た時、息が止まるかと思った。実際数秒の間していなかったと思う。俺は3年で、彼女は1年。中学の頃と変わらないこの距離感が、俺の心を締め付けた。

 間に一学年挟むと、互いの距離はぐんと開いてしまう。同時に、同じ場所で、同じ時間を過ごせるのはほんの僅かな期間だけだ。中学を卒業する時、ミリオは想いを伝えるべきであると言ったが、俺の答えはNO一択であった。卒業してしまえば、それで終わり。俺は高校に、彼女はそのまま中学に。たとえ彼女が中学を卒業する時が来たとしても、高校が別れてしまえばその先一生会うことはないだろう。そんな相手に、何を、どう伝えろと言うのか。伝えたところで相手を困らせるだけ、第一俺は彼女にとってただの"先輩"の一人であり、パートナーとしての候補にすら上がらない存在だ。伝えない方が、彼女のためにもなるのだ。そう思って、俺は中学を卒業した。彼女に、何も言わずに。

 もう会うことはないと思っていたのだから、彼女が自分と同じ雄英を選んだことに驚いたとしても、誰にも文句は言われないだろう。再会した時はなんとなく気まずくて、つい彼女から逃げ出してしまったのだが。この2年間、胸にあるのは彼女のことだった。女性モデルがCMに出ていてもあの服は彼女に似合うだろうかと考えた時は、我ながら末期だと悟った。

 だから、嬉しい半面、不安な反面もあるのだ。彼女と同じ学び舎に通えるのだと知っても、また中学の時と同じく足踏みをしてしまうのではないか、と。彼女にだって、目標はある。ヒーローになることを志す者に、色恋沙汰は不必要だ。想いを伝えても、やはり彼女は困ってしまう。

 それ故に、しまっておくことにした。2年前と同じように、彼女が気づかないうちに、俺の心の中で潰して、殺してしまおうと。


「……ミリオ、予鈴」

「やっべ!」


 丁度よく鳴った予鈴は、なんだか俺の頭を打ち付けているように思えた。

 心の奥に芽生えたこの感情の扱い方を、俺はまだ考えあぐねている。

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