優しさという闇の中で


 四月二十一日。

 まだ春ということもあり、夕暮れの時間帯ともなると肌寒い風がアスティの体温を奪った。コンテナキャリーを押しつつグランドを移動すれば、夕日が校舎を橙色に染め上げているのがよく見える。これ以上冷たい風に当てられてなるものかと急ぎ足で目的地のドアを開ければ、中ではすでにユウナとアルティナが運び入れる備品の最終チェックをしていた。両者の名前を呼ぶと、二人は顔を上げてアスティに視線を向ける。


「リストに載ってるの、これが最後だよね?」
「えっと、ちょっと待って……うん、大丈夫。これで私たちの担当は終わりかな」


 アスティは運んできたコンテナをユウナの前に差し出すと、ユウナは手元のリストとコンテナの中身を見比べながらそう告げた。

 《特別演習》の内容がアスティたち生徒に発表されたのは今から四日前、機甲兵教練の午後の授業のことだ。専用列車に分校生と教官全員が乗り込み、サザーラント州へ遠征へ向かう。入学してすぐに演習授業というのは困惑気味の生徒もいたが、それがカリキュラムとして存在しているのならば従うほかない。


「でも夜の九時に出発なら、当然列車の中でお泊りだよね。枕投げでもしちゃう?」
「しないわよ。全く、子供みたいにはしゃいじゃって……」
「冗談冗談、車内で枕投げ大会始めたらさすがのリィン教官も怒るって。でも、もうそろそろ来てもいい頃だと思うんだけどな……」


 普段機甲兵が置かれている格納庫と直結しているホームには、丁度列車が通るための線路が用意されている。当然一般の列車は分校のホームを経由することなどないため、わざわざこの演習の為に線路を敷きホームを作り、専用列車まで用意したのだと考えるとかなり大掛かりなものだ。

 するとその時、皆が待ちわびた汽笛の音が響いた。白銀の列車はみるみるうちに線路を駆け抜け、ぶわ、と巻き起こった風がアスティの髪を揺らした。先頭には《トールズ士官学院・第U分校》の校章が取り付けられており、この列車が分校専用列車であることを示している。一角を額に持った獅子の顔が、夕日に照らされ輝いていた。新品の列車に生徒たち、主に鉄道ファンの面々が歓喜の声を上げていた。そうでなくとも、銀の鉄道車両に感嘆の声を漏らす者も多い。アスティもその一人であった。

 列車が完全に停止すると、車内から鉄道整備士が出てきて車両の最終チェックを行い始める。それと同時に先頭車両の扉が開き、アスティも見知った人物が姿を現した。


「――初めまして。第U分校の生徒と教官の皆さん。鉄道憲兵隊少佐、クレア・リーヴェルトといいます。第U分校専用、特別専用列車、《デアフリンガー号》をお渡しします」


 空色の髪を横でひとつに束ね、軍服に身を包んだ女性。クレアは《第U分校》の面々に敬礼をし、やわらかな笑みを見せた。









 列車が無事到着したため、アスティ達には新たに物資を車内へ搬入するという仕事が追加された。クレアに挨拶をしたい気持ちもあったが、今はこちらの仕事で手が離せない。クレアとリィンが二人きりで話しているのを見た瞬間ユウナが飛び出していったのは少々意外だったが、苦笑いしつつその背中を見送った。


「アルティナー。そっちのコンテナ持ってこれるー?」
「はい。……《クラウ=ソラス》」


 アルティナ――正確には《クラウ=ソラス》は、物資搬入において非常に重宝されていた。重量のあるコンテナを難なく持ち運ぶ《戦術殻》がアルティナと共に車内のあちこちに姿を現し、物資を運んでいく。その隣をアスティがリストを片手に歩き、搬入場所を指示していた。

 ふと窓の外を見ると、リィンとクレア、ユウナ、ランドルフの四名だけだった集団に、いつの間にかトワ、ミハイル、果てはオーレリアにシュミットまで集まっており、先程ユウナの後を追わなくて本当に良かったとほっとする。さすがのアスティも、あの面々に囲まれて平常心で会話ができるほどの度量は持ち合わせていなかった。


「あ、アルティナちゃんー! ごめん、こっちのコンテナ持てたりしないー?」
「……すみません。今は《クラウ=ソラス》の手が塞がっていて……」
「私持つよ」


 申し訳なさそうに断ろうとするアルティナの声を遮って、アスティが向かった。どうやら運びたいコンテナは一つだけであるらしく、これなら十分持てる、とアスティがコンテナを両手で抱えた。リストを抱えたコンテナの上に置き覗きながら道を進むと、アルティナが口を開く。


「……アスティさんは、パワーがおありですよね」
「えっそう? まあ、そうなるのかな……?」
「はい。アスティさんの筋肉量とそのコンテナの重量からすると、アスティさんの力では到底持ち上げることはできない筈なのですが……」


 アルティナの視線が、アスティの腕に注目する。しかし彼女の言葉とは矛盾し、アスティはコンテナを難なく持ち運ぶことが出来ていた。

 アスティは特別筋肉質な体型というわけではない。むしろ分校に来る前は温室で育った故か、アスティの年齢の平均よりはだいぶ華奢な方ではある。そんな彼女が楽々とコンテナを運んでいる姿にアルティナは疑問を覚えたが、その理由となる材料は現時点では存在しない。

 一方アスティには、何となくだが見当はついていた。理由、原理は不明だが、おそらくアッシュと接触した時に一端を見せた“例の力”が原因だろう。アスティとしては使うのに抵抗があるのだが、こうして徐々に“漏れ出て”しまう力に関してはどうしようもない。実質的な害はないが、それが後々大きな厄災を引き連れてこないとも限らない。

 勘弁してほしいと思ったが、その件をアルティナに告げて余計な心配をかけたくはない。「あはは、なんでだろうね〜」と軽く受け流しつつ、物資の搬入の方へと話題を逸らした。

 ――数刻ほど時間が経ち、物資の搬入が無事終了し簡易的な出発式を終えた後。《デアフリンガー号》へと乗り込もうとするアスティを呼ぶ声に、彼女は振り返った。


「クレアさん!」
「お久しぶりです、アスティちゃん。三週間ぶりでしょうか」
「……さっきご挨拶に行きたかったんですけど、物資を運び入れる作業が残ってて……」
「ふふ、構いませんよ」


 クレアの元へ駆け寄ると、彼女は気品あふれる笑顔でアスティを迎えた。クレアの隣にはリィンの姿も見え、「知り合いだったんですか?」と彼が問う。クレアの代わりに口を開いたのはアスティだった。


「クレアさんは、私が分校に来る前に色々と面倒を見てくれた方なんです。レクターと一緒に分校に入学する手続きをしてくれて……」
「……そんなに大それたことをしたわけではありません。アスティちゃんが入学できたのは、アスティちゃんが頑張ったおかげですから」
「クレアさん……!」


 クレアに対するアスティの態度を見て、レクターの時とは随分対応が違うなと苦笑いをこぼす。実際アスティにとってレクター、クレアは兄姉のような存在であり、妹が姉を尊敬し兄に反抗するという図はよく見られる光景かもしれない。


「アスティ−! ごめん、ちょっと手伝ってー!」
「! わかった! ……すみません、クレアさん。私もう行きますね」
「いえ。こちらこそ呼び止めてしまってすみません」


 車内から自分を呼ぶ声に今行くと伝えると、アスティはくるりと列車へ足を向ける。


「――アスティちゃん」


 やわらかなクレアの声が若干低く、その名を呼んだ。アスティが再度クレアの顔を見ると、彼女の顔はいつものような笑みではなく、悲しそうに、何かをこらえるように歪んでいる。一体どうしたのか、とアスティが問いかけるよりも早く、クレアが口を開いた。


「……分校での生活は、楽しいですか?」


 質問の意味がわからない。クレアのその言葉と同時にリィンの眉が若干ひそめられたのが見えたが、アスティは何の事情も知らなかった。だから、正直に言葉を紡ぐ。


「――はい、とっても!」


 紛れもない本心だ。ユウナと共に予習をして、クルトと共に鍛錬をし、アルティナと共にティーブレイクを楽しみ、リィンの授業を受ける。レクターやクレアといた時期が楽しくなかったわけではない。ただ、同じ速度で歩んでいく友人と共にいられることは、何よりも楽しかった。


「だから、ありがとうございます、クレアさん。私を、この学校に入れてくれて」


 安心させるようにそう笑うと、クレアは歪んだ顔を緩ませ、眩しいものを見るように「……良かった」と呟いた。


「こちらこそ、ありがとうございます、アスティちゃん。その言葉、レクターさんも聞いたら喜ぶと思います」
「へ、レクターが?」
「はい。ぜひ、今度会ったときは言って差し上げてください」


 レクターかぁ、うーん……。

 確かに、クレアに対して抱く恩と同じだけの想いを、レクターにも抱いている。今のアスティ・コールリッジという人物は、この両名がいないと成り立たなかった。「まあ、次会ったら、考えておきます」とだけ伝えると、今度こそアスティは列車の中へと消えた。その背中を、クレアとリィンがじっと見つめていた。





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