骨の髄までお花畑


「難しい……!」


 日中のグラウンドにて、アスティの声が響き渡った。単純に見ればそれなりに目立つ行いをしているはずなのだが、アスティの他にも同じように頭を抱えて疲労困憊を訴えている生徒がいるので、ある意味では周囲に何の違和感もなく溶け込めていた。そんなアスティを、苦笑いをしつつ《Z組》のクラスメイトが迎え入れる。


「君の戦い方だと、重さのある機体は扱いが困難だからね」
「でも、その割には結構張り切って剣振り回してたような……」


 クルトの冷静な解説にユウナが苦笑いで答える。アルティナが「お疲れ様です」とタオルを手渡してきたので、ありがとうと述べつつそれを受け取った。

 トールズ士官学院ならではの特別なカリキュラム。そのひとつが、機甲兵訓練の実施だ。本校ではすでに行われているらしいが、分校では本日からの実施となる。戦術科、特務科の生徒は全員基本的な操縦方法を学ぶべく一通り搭乗させられ、二人一組でリィンもしくはランドルフの乗る機体と模擬戦を行っていた。アスティとアルティナの組はもれなく惨敗であったが。


「でも、やっぱり私は生身で戦ってる方が好きかな。機甲兵の腕を動かすのと実際に腕を動かすのじゃ、やっぱり全然感覚が違うし」
「アスティさんは相手の意表を突いて接近するタイプの方ですから、確かに機体の種類以前に機甲兵そのものとの相性が悪そうですね」
「うーん、そうね。アスティってこう、戦ってるといつの間にか背後に回り込んでるイメージっていうか……」
「そこに居るだけで存在感を放つ機甲兵では、君の持ち前の隠密性が十分に発揮できないんだろう」
「……君らさ、私のこと暗殺者か何かと勘違いしてない?」


 アルティナ、ユウナ、クルトが言いたい放題に検討した結果、“やはりアスティは機甲兵に乗らない方が敵になった時に面倒くさい”にまとまった。それはそれでどうなのかとは思ったが、人の評価にいちいち口を出すような事はさすがに控える。

 ふとグラウンドの中央に目を移せば、ランドルフと戦術科の生徒二名の模擬戦が丁度終了した頃だった。機甲兵に乗ったまま待機しているリィンが生徒たちを見て口を開いた。


「次はそうだな……アッシュにゼシカ、行けるか?」
「ええ、望むところで――」
「ハッ、お断りだな」


 真っ向から拒否を示されたリィンが動きを止める。そのアッシュの様子に周囲の生徒は動揺を隠しきれず、共に名前を呼ばれたゼシカは彼に向けて敵意をむき出しにした。そんな彼女にアッシュは、共闘に文句があるわけではないと補足する。


「――ランドルフ教官。ヘクトルを貸してくれねえか? どうせだったら一対一でシュバルツァー教官の胸を貸してもらいたいと思ってね」


 トールズ分校には、二種の機甲兵が配備されている。ひとつは《汎用機甲兵》ドラッケンU。最も基本となる形の型であり、現在リィンが搭乗している機甲兵だ。もうひとつは、《重装機甲兵》ヘクトル弐型。現在ランドルフが搭乗しているもので、ドラッケンUよりも五割ほど高い出力を誇る機体である。その分初心者が乗りこなすには少々“コツ”が必要となる為、今回の機甲兵訓練で生徒が搭乗するのはドラッケンのみであるのだが、アッシュはヘクトルの使用を要求した。


「――いいさ。その条件でやってみようか」


 リィンがすんなりと許可を出すと、ランドルフが渋々アッシュと交代をする。その一部始終を見て、ユウナが「さすがに生意気すぎない!?」と憤慨していた。


「ユウナさんは人のことは全く言えないと思いますが」
「実力テストの時にリィン教官に向かっていっぱい吠えてたじゃんね〜」
「むぐっ……」


 アルティナとアスティにばっさりと切られ、ユウナが押し黙る。その間にもアッシュはリィンに対し挑発をしてにらみ合っていた。

 ――アッシュ・カーバイトという人物に関して、アスティはほぼ情報を持っていない。同じ学校で、隣のクラスの生徒。猛々しい性格だが、実技も筆記も成績は優秀な男子生徒。そんな、この分校に所属していれば誰でも知っているであろう表面だけの彼しか知りえない。それでも一向に問題はないし、知らないからと言って学校生活に支障をきたすわけでもない。

 しかし、アスティにとっては看過できない問題もあった。先週、自由行動日の前日。蔵書室にてアッシュの腕が触れた瞬間発生した“黒いモヤ”について、未だに納得のいく説明がなっていない。アッシュ自身も意図して発生させたわけではなく、そしてそれはアスティにも同じことだ。不慮の事故、という言葉がもっとも当てはまるのだが、そもそもあのモヤが一体何なのかすら解明できていないのである。

 アッシュから発生したモヤがアスティの身体に吸収されて以降、特に変わった様子はない。体調に大きな変化はなく、五体満足に動かすこともできる。調べようにも人生で初めて見た現象に、どこから手を付けてよいのかわからずに放置していた。

 心当たりがあるとすれば、アスティ自身の身に宿る“力”だ。とは言っても、アスティ自身にも不明な点は多くある。ふとした時に出てしまう、強大な力。今のところそれが自信に牙をむく様子は微塵も見せないが、もしもそれが己にとって、もしくはこの分校の仲間たちに害をなす存在であったとしたら、自分は。


「――アスティ!」


 ユウナが己を呼ぶ声で、アスティは意識を現実世界へ引き寄せた。引き寄せられた、と言う方が正しいかもしれない。「……ユウナ?」と目をパチパチと瞬きさせると、ユウナは眉を八の字に下げて心配そうに尋ねた。


「大丈夫? 何度呼び掛けても返事なかったから……」


 アルティナもアスティの顔をのぞき込み、クルトも万が一アスティが倒れた時に備えてすぐに支えられる位置にひっそりと佇んでいた。紳士的な行いにやはり帝国貴族の子息なのだなと実感すると、安心させようと「大丈夫」と笑う。顔を上げるとリィンとアッシュの模擬戦はとっくに終了しており、アスティらからは遠く離れた場所で言葉を交わしていた彼らの視線が一瞬アスティに向けられたように感じた。


「全くもう……さっきのアッシュって人もあんなんだしアスティはこうだし、ほんっと帝国人って自由人ばっかりなんだから……」
「あはは、ユウナったら本当面倒見がいいよね。お母さんみたい。その場合は、クルトがお父さんになるのかな?」
「おかっ……!? ちょっとアスティ!」


 その後は午前中のみで機甲兵訓練を終了することとなり、真っ赤になって憤慨するユウナをしきりにからかうアスティというどう見ても騒がしい構図のまま昼休憩の時間を迎えた。クルトは巻き込まれまいと昼休憩が始まって早々に同じチェス部のシドニーを探してどこかへ消えてしまった。現在は《Z組》女子勢が食堂のテーブルを囲って談笑している。


「それにしても……」
「ん?」
「ほんっと食い意地張ってるっていうか……そんなに食べておなか壊さないわけ?」


 やや呆れ顔でユウナが口を開く。その視線は終始、テーブル上に鎮座したアスティが注文した食堂のメニューの数々に注がれていた。オムライスにバゲット、ゼリーと種類も数も豊富で到底女子一人では食べきれない、男子でも危うい量の料理の数々をアスティは一つずつ丁寧に完食していく。こうしている間にもカレーライスを食べ終わり、次のグラタンへと手を伸ばしていた。


「でもこのくらい食べないともたないし……人よりもカロリー消費が多いっていうか……」
「な、なんだか聞いてると腹が立ってくるわね……特にカロリーのところ……」


 大食らいには基本的に何を言っても無駄である。摂取カロリーが、一日の栄養バランスが、と口うるさく訴えたところで、その説教を聞いている間にも皿を一枚空にして終わるだけだ。ユウナも入学したての頃のアスティには自分の弟妹に言うように栄養バランスについてよく指摘していたが、いくら言っても直らないアスティの暴食、偏食っぷりにはさすがに折れてしまったらしい。

 ユウナの隣で黙ってジュースを飲んでいたアルティナが、「そういえば」と口を開いた。


「アスティさんは料理同好会へ入部したそうですね」
「え。いかにも“食べ専です”って感じのアスティが?」
「私だって料理くらい作るってー! 食べるのが好きな人は、料理するのも好きなものなの!」


 そう言い訳を述べつつ、アスティの頬には汗が伝っていた。

 正直なところ、料理同好会への入部を決意した理由は単純に料理が作りたかったわけではない。自分が食べる料理の材料費を経費で落とせないかと考えたからで、純粋な料理への興味とは言い難い。

 ……しかし、もうひとつ理由を上げるとすれば。


「もしかして、料理を食べさせたい相手でもいた?」
「……ごふっ」


 思いっきりむせた。

 料理の横に置いてあるコップをつかみ取り、お茶を食堂へと流しいれる。それでも咳は止まらなかったが、涙目になりながら「な、なにを……」と口を開いたところで、アスティは数秒前の自分を殴ってやりたい気分になった。

 ユウナは必ず、自分がやられたらやりかえす女だ。拳ならば拳で、言葉ならば言葉で。――恋バナならば恋バナで。

 にやり、とユウナが口角を吊り上げるのと同時に、アスティの心臓の鼓動がバクバクと激しくなるのを感じた。


「へ〜〜え、そう。料理作ってあげたい人がいるんだ〜〜へえ〜〜〜〜」
「……ユウナ。停戦協定を結ばない? 私は今後一切、ユウナとクルトに関して言及しません。ユウナも、私について言及しません。おけ?」
「おけ、なわけないでしょ! 自分だけ勝ち逃げしようったってそうはいかないんだから!」
「うっ、やっぱりそうなるか……!」


 まるで犯人の取り調べを行う警察官のごとく、ユウナはアスティにテーブル越しに詰め寄った。ああ、そういえばユウナがいた前の学校は警察学校だったなと頭の片隅で思いつつ、どうやってこの話題を切り抜けるか必死に頭を動かす。

 料理を作ってあげたい人と言われて一番に思い付いたのは、つい最近見た例の赤髪だ。喋れば喋るほどチャランポランが露呈する彼に兎鍋を作ると言ったのは記憶に新しい。

 だからと言って、彼がアスティの想い人であるかと聞かれればそれは微妙と答えるほかない。何といっても、アスティはまだ半年と少し程度しか人生を経験していない。記憶を失う前の自分がどうであったかなどは知る由もないが、少なくともたった半年の間一番面倒を見てくれたというだけで惚れてしまうのは……さすがにそれは、チョロすぎやしないだろうか。

 信頼を寄せている、という点に関しては事実である。しかしこの感情が恋愛、あるいはそれに相当する感情であるかどうかは判別がつかなかった。

 しかし厄介なのは、ユウナの中ではアスティが誰かに恋愛感情を持っていると認識されてしまったところだ。いくら訂正をしようとしても、「そんなに照れなくても」と要求を突っぱねられる。では恋愛感情ではなくて何なのかと聞かれては、現状押し黙るしかない。戦況は圧倒的に不利であった。


「……ああもう、じれったい! アル、どう思う!?」
「どう、と言われましても……まあ、概ね予想はつきますが」
「え!?」
「おおーっとアルティナ〜! それ以上は口開いちゃだめね〜! お口チャックしてほしいな〜!」


 失念していた。我関せずといった態度でジュースを飲んでいるアルティナだが、彼女は帝国軍情報局所属。つまり、噂の彼――レクター・アランドールと同じ所属である。加えて昨日のアスティとレクターとの掛け合いを、リィンの隣で全て見ていたわけで。

 これ以上彼女に喋らせてはいけない、とアスティはアルティナの口にスコーンを突っ込んだ。むぐ、と小さく声を漏らした彼女だったが、スコーンを食べ進めているうちに賄賂に屈し「失礼、先程の発言は全て記憶違いでした」と堂々と嘘を述べる。ユウナは不服そうではあったが、ひとまずは安心だ。


「……とにかく! 私はこれ以上情報開示しません! はい、お話終了!」
「えー!」
「それより、午後から《特別カリキュラム》の説明会だけど、もう少しで予鈴鳴るよ?」


 ほら、とアスティが時計を指さすと、時刻は午後の授業が開始する十分前を指し示していた。それを見てユウナは焦燥の表情を浮かべ、恋バナなど頭の片隅に追いやって残りのパンを食べ進める。アスティはちゃっかり全ての食事を終えており、「それじゃあ私はお先に〜!」と半ば逃げるような形で食堂を飛び出した。

 後ろから「あ、逃げた!」という声がかけられたが、今は全てシャットアウトする。友人を置いて来てしまったことに若干の罪悪感を感じつつ、頬に集まる熱を冷まそうとふらふらと廊下を進んでいった。





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