揃わない足並み


 エリンの花が詰まった袋を抱え大聖堂へ足を運ぶと、弦楽器の音色が聖堂中に反響して美しく旋律を奏でていた。曲名も知らなければ一度も聞いたことのない旋律であったが、その心地よさはイストミア大森林でかき乱されたアスティの心をやさしくなだめてくれているようで、ついため息が出る。音の中心には一人の男性が立っており、彼の奏でるヴァイオリンの音に《Z組》だけではなく他の礼拝者も皆目を伏せて聞き入っていた。

 橙色に近い茶髪の奏者の姿を見てアルティナが「あの方は……」と小さく呟き、その隣でリィンが頷いた。丁度そのタイミングで演奏も終了し、大聖堂を拍手喝采が包み込んだ。一礼する奏者はアスティたち《Z組》の存在に気づくと、片目を閉じてウインクをして見せる。


「聞いたことがある……帝都でデビューしたばかりの天才演奏家がいるって。――察するに教官のお知り合いですか?」
「ああ。――エリオット・クレイグ。トールズ旧Z組に所属していた、君たちの先輩にあたる人物さ」


 あの人が、と中央の奏者を見る。暫くして礼拝者たちが皆気分が晴れた顔で大聖堂から立ち去ると、アスティたち《Z組》とエリオットは中央に集まって言葉を交わしていた。


「――初めまして、新しいZ組のみんな。前のZ組に所属していたエリオット・クレイグだよ。よろしくね」
「……お噂はかねがね。Z組出身とは知りませんでしたが」
「よろしくお願いします……! 演奏、とっても素敵でした!」
「あはは、ありがとう。君たちの事は先週、リィンから聞いたばかりでね。アルティナ……ちゃんだっけ。うーん、随分雰囲気が違うねぇ?」
「まあ、以前お会いした時は敵同士でもありましたし。隠密活動に特化したスーツも着ていましたから」


 アルティナの爆弾発言にアスティを含め他の生徒たちが苦笑いを浮かべるが、いつもの光景でもある。守秘義務があるものは決して口外しないが、それに縛られていない内容は隠す気はないらしい。一体彼女が情報局で何をしていたのかは《Z組》の謎のひとつになっているが、それはアルティナ本人とリィン、情報局関係者のみが知りうる事であった。


「それに……アスティちゃん、だよね」
「……ええ、どうも。どうやらその顔は、私の事情についてご存じみたいですね?」


 エリオットがアスティに視線を向け、困ったように「うん、一応リィンから色々聞いてるよ」と答えた。“事情”とは勿論、彼女の記憶喪失についてだ。


「その……なんて言っていいかわからないけど……」
「あはは、別に構いません。確かに記憶は取り戻したいけど、でも記憶が無いからって今は特に不便していることもありませんし、ゆっくり解決していけばいいことだと思ってますし……巡りあわせっていうか、こうして《Z組》の一員になることもできましたから」
「……そっか」


 エリオットがほっとした顔でアスティに笑いかける。その顔をどこかで見たことがあるような気がして、ああ、とアスティは思った。

 彼の表情は、分校を出発する直前の――“分校での生活は楽しいか”と尋ねてきたクレアの顔に、よく似ている。

 決して面立ちが似ているわけではないが、アスティに向ける表情、態度、気遣いの全てが、あの時のクレアと酷似していた。思い返せば、いたるところに引っ掛かりがある。冷静に考えれば気づけたはずなのに、どうして今まで何も思わなかったのだろう。

 入学当日、グラウンドで目が合った時のリィンとトワ。初対面の時のアルティナの態度。デアフリンガー号に乗る直前のクレアに、今のエリオット。皆、アスティの顔を見て多少表情は違えど共通して“動揺”を示していたような気がした。

 ――もしかして彼らは、以前の“私”を知っている?

 そんなひとつの疑惑が頭に浮かんだ。それからはエリオットとリィンたちの話はちっとも頭に残らず、全て耳から耳へと抜けていってしまっていた。

 もしも彼らが以前の私を知っているとしたら、どうしてそれを私に伝えない? なぜ私に何も教えてくれない? 彼らは私に嘘をついている? ――いいや、そんなはずはない。

 アスティは彼らを――実力テストの時、記憶を取り戻せるように協力すると言ったリィンを、信じていたかった。きっと、自分の勝手な思い込みのはずだ。彼らが真実を知っていながら自分に隠しているだなんて、そんなことはしないはずだ。


「……アスティさん?」
「……アルティナ?」
「どこか不調でも? 顔色が優れませんが」


 これから街の子供たちに音楽教室を開くと去ったエリオットを見送りながら、アルティナはアスティの顔を覗き込んで心配そうに眉を下げた。アルティナの顔を見て先ほどの疑惑がよみがえったが、そんな思考をすかさず消して「なんでもないよ」と微笑む。クラスメイトで、友人であるアルティナが自分を騙しているなど、とても考えられない。


「さてと、エリオットさんの応援ももらったことだし、大司教様にエリンの花渡しに行こっか?」
「そうね……ってアスティ、なんか妙にやる気ね?」
「そう? ま、そう見えるのは別に良い事じゃん? 早く行こうよ、時間もそんなにないし」


 アスティが率先して大司教の部屋に向かうと、やれやれとユウナたちも後に続く。アスティの様子にリィンはふと引っ掛かりを覚えつつも、その正体に行きつくことはなくとりあえず保留とした。

 数分後。大司教は大量のエリンの花に満足げに頷くと、リィンの目を見て「よき薫陶を受けていると見える」と話す。しかしリィンは、大司教の言葉に首を横に振った。


「いえ、自分は教官として見届ける立場に過ぎません。あくまで生徒たちの頑張りかと」
「…………」


 アスティの瞳に、光が灯る。

 ――やはり、教官は嘘などついていない。全部私の勘違いだ。こうして生徒をきちんと評価して、信頼してくれる彼が、私に隠し事なんてするはずがない。リィン教官は、信用するに足る人物だ。

 ぐらついたアスティの心境はリィンの一言ですっと静まった。ああ、良かったと安堵する声は心の内にだけ留めておく。

 大司教にエリンの花を渡し終えると、どこかすっきりした気分で大聖堂を出た。セントアーク周辺でできる要請は全て終え、そろそろパルム周辺へと活動場所を移すべきだというクルトの意見に賛同した一行は、セントアークの駅へ向け足を動かす。

 ――たったひとつ、アスティの心に黒い染みが浮かんだことを、アスティ本人も気づかないまま。









 パルム方面での列車の脱線事故の情報がヴィヴィから知らされたのは、セントアークの駅に到着してからだった。一時は街道を徒歩で移動することになるのかと懸念したが、そこに救いの手を差し伸べたのはハイアームズ侯爵、正確にはハイアームズ家の執事であるセレスタンだ。準備が済んだら南口に来るよう伝えられ、いざ向かった結果が現在である。


「馬……」


 列車の脱線事故の一報を受けてハイアームズ侯爵が《Z組》の為に手配した三頭の馬が、アスティたちの前に静かに佇んでいた。鹿毛と白毛の馬が一頭ずつと青毛の少し小さめな馬が一頭、セレスタンの隣でじっとアスティたちを見据えている。


「一頭は俺に任せてもらうとして、もう一頭はクルト、頼めるか?」
「ええ、任せてください」
「あっズルい! あたしだって乗りたかったのに!」
「いや、初心者がいきなりはさすがに危ないだろう。今回は手本を見せるから君は後ろに乗るといい」
「えっと、それはちょっぴり抵抗があるっていうか……」


 ほんのり顔を赤く染めて頬をかくユウナだったが、リィンの後ろには乗りたくないという意志とクルトの後ろに乗る抵抗感を天秤にかけた結果、クルトの後ろに乗った方がまだマシであると判断したらしい。アルティナとクルトは訳が分からないといった表情でユウナを見るが、アスティはにやにやとした笑みを浮かべ、リィンは苦笑いでその様子を見守る。


「さて、残るはアスティとアルティナだが……アスティ、君は乗馬の経験は?」
「全く乗ったことがないって訳じゃないので、街道を走るくらいならできると思いますよ? さすがに道の通ってない中を突っ走るってことはできませんけど」
「なら、最後の一頭は君に任せても大丈夫そうだな」
「あ、ちょっと! それならあたし、アスティの後ろでもいいんじゃないですか!?」
「いや、馬に乗ったことはあるけど、後ろにもう一人乗っけて安定して走れる自信ないや……」


 ユウナの申し立てはアスティによってあっさりと却下された。恨めしそうにアスティを見るユウナだったが、駄々をこねても仕方ないことは理解しているので大人しくクルトと共にし鹿毛の馬に乗る。リィンとアルティナが共に白馬に乗り、それに続いてアスティも青毛の馬にまたがった。


「……っていうか、アスティって分校に入学する前はずっと帝都にいたのよね? 帝都って結構交通面が発達してるから、貴族とかじゃない限り馬に乗る機会なんてないと思ってたんだけど」
「まあ確かに、帝都は今や導力車と路面鉄道導力トラムの時代だもんね。私の場合は、レク……じゃないや、家庭教師っていうか保護者っていうか、まあそんな感じの人がたまたま連れて行ってくれてね」
「連れて……って、どこに?」
「帝都競馬場」
「それ、家庭教師が教え子連れて行くような場所じゃないわよね……」


 クルトの馬とアスティの馬が並走しつつ、クルトの後ろのユウナが話しかける。二頭の前でリィンとアルティナの馬が進んでいるが、おそらくそちら側にも会話は聞こえているだろう。アスティの言葉にピンときたリィンが苦笑いを浮かべた。

 当時、帝都競馬場では乗馬をより一般市民にも親しみのあるものにしようと、市民向けの体験乗馬のイベントが開催されていた。アスティの乗馬スキルは、そのイベントで習得したものだ。連れ出した本人は競馬場へ着くなりきっちり馬券を確認しに行っていたが、おそらくあの日はレクター自身の休暇と、四六時中勉学と鍛錬に励んでいたアスティの息抜きを兼ねたものだったのだろう。まさかそれが分校の授業で役に立つとは、数ヵ月前のアスティは露程も思っていなかったが。

 街道を暫く進むと、脱線事故の現場が見えてくる。事故が起こった車両の近くには鉄道憲兵隊の特務車両が止まっており、近くではミハイルが整備士と何やら言葉を交わしていた。ミハイルは通常ならば分校演習地にて演習を行っていたはずだが、脱線事故の情報を聞きつけ一時的に本来の職務である鉄道憲兵隊に戻っているらしい。ユウナが馬から降りて声をかけると、情報共有のため一度近くまで来るよう促した。


「本日11:52――落石が原因の脱線事故が発生。幸い、落石も大きくはなく直後に砕けたことで先頭車両の損傷も軽微。負傷者も少数で全員軽傷――先ほど手当ても終わっている」


 車内の確認を行ったところ不審物等は一切存在せず、単純な自然崩落としての見解が強まっていた。

 しかし、偶然というには少しタイミングの良すぎる事故だ。人形兵器が周辺で複数体確認され、不審な人物達の情報が入ってきている中、普段滅多に起こることのない落石事故。勘ぐり過ぎという可能性もあるが、用心するに越したことはない。

 すると、ミハイルの《ARCUSU》に着信があった。ミハイルはその発信者を確認すると、仕方ないと呟いて《ARCUSU》の画面を《Z組》へ向ける。


『お疲れ様です、皆さん。――どうやら本当に人形兵器が現れたようですね?』


 《ARCUSU》の画面に映し出されたのは、クレアの顔であった。前世代機とは違って《ARCUSU》には映像通信機能が搭載されているらしいが、実際に目にするのはこれが初めてだ。先程人形兵器と交戦、他二ヶ所での調査をこれから開始するとの旨を伝えると、クレアは「くれぐれも気をつけてください」と言葉を述べた。


『列車事故も起きたそうですし、念のため私もそちらに――』
「――その必要はない」


 クレアの言葉に被せて、ミハイルが真っ先に口を開いた。


「現状、想定の範囲内だ。君まで残る必要はなかろう。情報局のバックアップもある。予定通り帝都に戻るがいい」
『で、ですが……』
「弁えろと言っている」


 ミハイルの強い口調に、アスティは眉間にしわを寄せた。恩人であるクレアがそのように言われているのを見て、あまり良い気分ではない。


「鉄道憲兵隊としてもそうだが、閣下の帰投命令が出ているのだろう」


 “閣下”という言葉に、クレアはピクリと肩を動かした。それは《Z組》も同じで、クルトは「まさか……」と言葉を漏らし、リィンは静かに目を伏せる。当然アスティも、その“閣下”が一体誰を指す言葉なのかという事は理解していた。悲しげに眉を下げ、了解しましたと述べるクレアの姿に胸が締め付けられるのを感じる。


『リィンさん、ユウナさん。アルティナちゃんにクルトさん、アスティちゃんもどうかお気をつけて。第U分校の初演習、そして特務活動の成功をお祈りしています』
「……ありがとうございます。少佐もどうかお気をつけて」


 その言葉を最後に、通信は切れた。クレアの他の任務について尋ねると、ミハイルはTMPでの優先順位の問題だと話す。彼女の表情から、次の任務が彼女にとってはあまり気乗りしないものであるのだろうと予想はつくが、生憎その状況をどうにかする術を《Z組》は持っていない。彼女は鉄道憲兵隊の所属で、アスティたちはただの士官学院の生徒である。軍の内情に口を出せる立場ではない。

 どうやら話し込んでいる間に列車も整備が完了したようで、脱線した車両は元通りの運行が可能となった。整備士たちを乗せて去っていく整備車両を見送り、《Z組》は再びパルムへの道を進み始めた。


「ああもう……! なんなのよ、あの石頭教官は! あたしたちに対してもだけどクレア教官にも失礼だったし!」
「まあ、軍人としては珍しくもない態度だろうが……」
「うげ、ああいう堅物が軍人の模範になるの? それなら私、帝国軍には所属したくないなー……」


 鉄道憲兵隊の姿が完全に見えなくなってから、ユウナが溜まりに溜まった不満を吐露した。彼女時自身もクロスベルにいた時にクレアに世話になったことがあるらしく、帝国軍の中でもクレアに対してだけは特別な思い入れがあるらしい。アスティもミハイルの態度を思い出し舌を出すと、乗馬中にそれは噛むからやめろとクルトにやんわりと注意をされ大人しく引っ込める。

 ミハイルが「情報局のバックアップ」と話していたが、この件に関してはアルティナは関与していないと話す。だが人形兵器といい不審な人物達の目撃情報と言い、アルティナ以外の情報局が動いていてもおかしくはない状況だ。しかし様々な憶測だけが立つばかりで、現状その正体にたどり着くことはできそうもない。この時点でとっくに正午を過ぎており、少々急がねば今日中に人形兵器の調査が終わらないとそこからは一言も発さずに馬を走らせた。





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