汚れるための覚悟をください


 四月二十六日。《結社》の二人と人形兵器による傷が残る演習地に、一人の人物が足を運んでいた。情報局の所属であるレクター・アランドールがたった一人でこの演習地に来たということは、目的はただ一つ、昨夜の《結社》についてである。彼の姿を見てアスティはつい声をかけたくはなったが、重要な案件で訪れていることを察すると遠くから横顔を眺めておくだけに止めておいた。

 緊急会議を行う教官たちの外で、生徒たちはそれぞれ演習地の復旧作業に取り掛かっていた。主計科が中心となって被弾した機甲兵や列車装甲の修理を指示し、戦術科と特務科はそれに従って機材や部品の運搬を行っている。昨夜の出来事があったせいかあまり良く眠れていない生徒も多く、アスティもその一人であった。寝坊ギリギリであった前日とは違いユウナが起こしに来る前には既にベッドを整えていたせいか、彼女には余計心配をさせてしまっていた。


「……アスティ、本当に大丈夫?」
「んー? もう、平気だってユウナ。こんなピンピンしてるの、分からない?」
「でも……」
「もー、君ってばホントに心配性だなぁ。寝不足なのはみんなも同じだし、疲れてるのもみんな一緒。私一人だけへこんでちゃいられないって」


 作業の手を緩めずにそう返すアスティにユウナは懸念の表情を浮かべたが、アスティの発言にも一理あることは確かである。《結社》の爪痕は、正直《第U分校》のみで対処するには少しばかり人手が足りなかった。鉄道憲兵隊TMPの支援は無く、たったの三週間ほどの研修しか受けていない主計科と、応援に駆け付けたリィンの同窓生で技師見習いのミントのみが頼りの綱である現状、一人でも多くの手が必要である。


「って、ティータ! それ重たいから私持つよ!」
「いえいえ、全然平気です! それくらい……!」
「いや言ってる傍からフラフラじゃん……! ほら貸して。ティータは頭脳労働担当、私は肉体労働担当、おけ?」


 見るからに重量のあるコンテナを運ぼうとするティータを見かねて、アスティが手を出した。彼女は礼を述べつつ両手の荷物を差し出すと、「一号車までお願いしてもいいですか?」と言った。それに二つ返事で首を縦に振ると、アスティは軽々とコンテナを持ち上げて列車へと向かう。外から一号車へ直接続く扉はあるが、その付近では戦術科が工具を広げて作業をしていた。横を通ってもいいが、邪魔するのは悪いので列車内を経由して通ることにする。

 が、この時アスティはすっかり失念していた。今の時間は教官たちとレクターが二号車で緊急会議を開いていることに。


「昨年末以来の“儀式”――早くやっていただきましょうか?」


 扉の向こうでそう告げるリィンの声が聞こえ、アスティは足を止めた。そこでようやく緊急会議のことを思い出し外を回って迂回しようと思ったのだが、その言葉の先が気になって足が動かなかった。立ち聞きだなんて趣味の悪い行為に罪悪感が募るが、好奇心には勝てそうもない。どうか暫くの間は誰もここを通りがからないでくれと強く念じつつ、扉の向こう側の会話に耳を傾けた。


「――いいんだな? 北方戦役で懲りたと思ったが」
「俺が貴方たちのやり方に納得することはないでしょう。だが、そこに危機が迫り、何とかする力があるのなら……トールズ出身者として、《Z組》に名を連ねた者として俺は見過ごすことはできません」
「……上等だ」


 レクターとリィンの声が、アスティの鼓膜を振るわせる。会話の内容はアスティには理解ができないものであったが、続いてぺらりと紙がめくれる音が聞こえた。


「《灰色の騎士》リィン・シュバルツァー殿――帝国政府の要請オーダーを伝える。サザーラント州にて進行する《結社》の目的を暴き、これを阻止せよ」
「その要請オーダー――しかと承りました」
「……なるほど、そういうカラクリか」
「はい、請けざるを得ない状況をいつも突き付けられて……」


 ひゅ、と力が抜けそうになった。

 レクターが情報局で何を行っているのか、そして帝国政府がリィンに一体何をやらせてきたのかを、アスティは知らなかった。分校に入るまでは、《灰色の騎士》の存在さえ知らなかったほどだ。与えられるものを与えられるだけ受け取って、与えられないものは“自分には不要である”と勝手に認識して深く追うことはなかった。

 もしも、レクターや帝国政府がリィンに、リィンにとって好ましくない要請を半ば脅しのような形で突きつけ、彼の力を利用しているのだとしたら。

 彼がそんなことをしているとは思いたくはない。何の記憶も持たない小娘に、一人の人として接してくれた人だ。何の知識も持たない子供に、一から物事を教えてくれた人だ。何の感情も持たない人形に、“楽しさ”を教えてくれた人だ。――だが、それが事実だ。誰よりも軽薄でおちゃらけていて、そして誰よりも命令に忠実な人。

 それから先の話を聞くのが怖くなって、アスティは踵を返した。呼吸が荒くなっていくのが分かる。指先が氷のように冷たくなってゆき、瞳が震える。どうして教えてくれなかったのかなんて、そんなことはとっくに理解していた。アスティはただの一般人で、レクターは軍人だ。軍の裏の事情なんて、ちょっと政府に縁のある一般人ごときにそう易々と話すものではない。隠し事をしていても仕方がない。理解している。

 ――そんなの、あたしじゃなくて他に聞くべき人がいっぱいいるはずでしょ?

 ふとアスティの脳内で思い起こされたものはレクターとの記憶でもなんでもなく、昨夜のシャーリィの一言だった。










「アスティ……!」
「え、どうしたのユウナ。そんな慌てて」
「どうしたの、じゃないわよ……! リィン教官が、帝国政府からの要請で分校から離れて行動するって、たった今トワ教官に聞いて……!」


 ティータから頼まれたコンテナを一号車まで届け、ついでに自分に割り当てられたベッドに戻ってほんの五分だけ気持ちを落ち着かせてからユウナたちの元へ戻ると、ユウナがアスティに駆け寄っては必死の険相でアスティの肩を揺さぶった。たった今立ち聞きしてしまった内容は既に生徒にトワが話したらしく、あちこちで《灰色の騎士》についての話題が上がっていた。一足先に情報を手に入れてしまっていた事とユウナの慌てっぷりを目の当たりにし、荒れていたアスティの心中は次第に穏やかになっていく。


「そうなんだ。それじゃ、私たちの今日のカリキュラムってどうなるんだろ」
「……って、なんであんたはそんなに落ち着いていられるのよ……!?」
「なんでって言われても……」


 さっき立ち聞きをしたから、などと答えられるはずもなく、なんでだろうねと笑って言葉を濁す。


「でもほら、噂をすれば」


 アスティが列車に目を向けると、丁度話が終わったのか話の渦中にいるリィンが車内から姿を現した。後ろには旧《Z組》のエリオット、ラウラ、昨夜の銀髪の少女――フィー・クラウゼルが控えている。ユウナはそれに気づくと、リィンの元へ駆け出した。クルト、アルティナもユウナを追いかけて駆け出し、これは私も行かないといけないやつかなとアスティも急ぎ足で後を追う。


「い、いまトワ教官から聞いたんですけど本当ですか!? 帝国政府からの要請で教官は別行動になるって――!」
「アランドール少佐が来ていたのはこのためですか」
「それで――どうなんですか?」
「ちょ、ちょっとみんな落ち着いて。そんないっぺんに質問しても、教官答えられないでしょ?」


 質問攻めにするユウナたちを、アスティは控えめに諫める。暫しの間目を伏せ考え込むリィンだったが、「本当だ」と口を開く。


「特務活動は昨日で終了とする。本日は[組・\組と共にカリキュラムに当たってくれ」
「そ、そんな……!」
「了解しました。では、わたしだけでも――」
「――例外はない。君も同じだ、アルティナ」


 いつもよりも少し低くなったリィンの声色に、え、とアルティナは困惑の声を漏らす。


「……ですがわたしは教官をサポートするため――」
「……経緯はどうあれ、今の君は第Uに所属する生徒だ。一生徒を、“俺の個人的な用事”に付き合わせるわけにはいかない。レクター少佐も了解している」
「…………」
「これも良い機会だと思う……ユウナやクルト、アスティと行動してくれ」


 でも、とアルティナは反論を述べようとしたが、リィンの意思は固かった。リィンとアルティナの付き合いの長さはアスティの知り得ることではないが……おそらく、彼と彼女は要請のたびに共に戦地に赴いた、多少美化して言い表すならば“相棒”のようなものだったのではないだろうか。二人の立場が変わり呼称が変化したとしても、アルティナはずっとリィンの隣で彼を支えることができると思っていた。……だからこそ、こうして明白な“拒絶”を突き付けられたことは、少なからず彼女の心に傷を残したのではないだろうか。アルティナ本人がそれを感じ取り、そしてリィン自身がそれに気づいているのかは定かではないが。

 俯いて黙り込むアルティナの代わりに、クルトが「……一つだけ聞かせてください」と口を開く。


「見れば、アルゼイド流の皆伝者を協力者として見込んだ様子……ヴァンダール流では――……いえ、僕の剣では不足ですか?」
「…………ああ――不足だな。“生徒だから”とは別にして。いくら才に恵まれていようがその歳で中伝に至っていようが……半端な人間を“死地”に連れて行くわけにはいかない」


 リィンの突き放すような言葉を聞き、クルトは酷く胸に突き刺さった様子で「失礼します――!」と子声で告げて走り去っていってしまった。

 見事なまでのすれ違いが起きている、とアスティは思う。リィンとしては、大事な教え子を死ぬかもしれない危険な場所へ連れて行きたくないというだけなのだろう。どうすれば生徒たちが諦めてくれるのかと考えた結果、クルト自身が抱え込む“悩み”に付け込んだ。それを正面から言葉通りに受け取ってしまったクルトがあのように逃げ出してしまうのも無理はないだろう。

 誤解を解くことはできるが、それをすれば果たしてこの場は大団円でまとまるのだろうか。《Z組》を連れて行きたくないリィンと、連れて行ってほしいユウナたち。両者の意見ははっきり白黒別れてしまい、その間に妥協点などは存在しない。いくらアスティがユウナたちを宥めようとも、ここでリィンが生徒たちを連れて行くという選択肢を取らないことには彼女らは決して納得しないだろう。そしてそれを、リィンは絶対に良しとしない。

 その先にあるのは、決別だけだ。


「……何よ、ちょっとは見直しかけてたのに」


 アルティナの腕を掴んでクルトと同じように走り去っていくユウナの後姿を見つめる。ふう、と一息つくリィンに、「教官ってば、結構不器用ですよね」と声をかけた。


「……その様子だと、君にはお見通しみたいだな?」
「お見通しってほどでもないですけど……教官が不在の間は、なんとかこっちでも頑張りますよ。……まあ、あの行動力の化身ユウナたちを止められるかどうかは分からないですけど」
「ハハ……頼りにしているよ。……けど、昨夜の件があったばかりだ。君も無理はしないでくれ」
「あはは、了解です。教官もお気をつけて」


 冗談も込めて緩く敬礼をすると、リィンは少しばかり口角を上げて旧トールズの仲間たちと演習地を出て行ってしまった。どうやら昨日セレスタンから借りた馬は彼らが使って行ってしまうらしく、これでもう移動手段は徒歩に限られる。ということは、演習地にいる皆がもしも外に出るようなことになったとしても、精々セントアークかその少し先辺りまでしか出歩けないという事だ。

 馬を走らせるリィン達を見送る影が、アスティの他にももうひとつ。アスティの中で渦巻く漠然とした不安の中心に近い人物、レクター・アランドール本人である。

 今朝は話すことができなかったが今ならいけるかと思い足を踏み出したのだが、アスティよりも先に彼を呼び止めた人物の出現によりその歩みは止まる。


「アッシュ……?」


 レクターとアッシュが知り合いであるとは予想もしていなかった。アスティの立ち位置とレクターたちの立ち位置は遠すぎるため、会話の内容は全く聞こえない。アッシュの方は後姿であるため一体どんな表情で彼と言葉を交わしているのかは不明だが、レクターの方はアスティに見せる顔を何ら変わらない、いつもの飄々とした笑みである。

 疑問に思ってそちらの方を眺めていると、ふとレクターと目が合った。その瞬間一号車での彼の声が思い起こされてドキリと心臓が鳴ったが、片目を閉じてウインクを飛ばしてくるレクターの姿で瞬時に力が抜ける。飛んできたウインクをはねのけるように手の甲を振り、ジト目で彼を見つめ返して「し、ご、と、し、ろ」と声に出さす口の動きだけで伝えると、彼は得意げに笑って見せた。その笑顔がなんだか無性に腹立たしく、顔に集まる熱を誤魔化してアスティはユウナたちが向かったであろう車内へと足を動かし始めた。









 リィンが言い残した通り、《Z組》は戦術科・主計科と合同のカリキュラムを組むこととなった。その辺りはトワ、ランドルフが機転を利かせ、特務科がどちらかのクラスばかりに入り浸らないよう演習内容を組みなおしてくれている。現在は昼休憩の時間として、《Z組》はキッチンで昼食をとっていた。


「二人とも、お疲れ! はい、クルト君。こっちはアルね!」
「アルティナは確か、ミルクの方が好きだったよね?」


 ユウナとアスティは意気消沈気味のクルトとアルティナの為にホットドリンクを作り、ユウナが彼らに手渡した。二人は普段よりも若干小さな声で礼を述べると、マグカップを受け取る。


「……あの、先ほどから気になっていたのですが。“アル”というのは、一体?」
「へ……ああ、そういえば何となく縮めちゃったっていうか。でも呼びやすいし、いいと思わない?」
「ふう、ユウナさんまで誰かみたいなことを……まあ、構いません。お好きに呼んでもらえれば」
「えへへ、そう? そんじゃアルに決まりね!」


 何やら、ユウナとアルティナの間で随分と微笑ましいやりとりが行われていた。「青春だよねぇ」とアスティが呟くが、クルトは無言のままである。そして、急に立ち上がって外へ向かおうとした。


「ちょっ、どこ行くの? ……って、まさか」
「心配いらない。ただの稽古さ。……半端者だが、一人で飛び出すほど愚かではないつもりだ」
「クルト君……その、あの人にあんな風に言われたからって――」


 “半端者”を強調するあたり、今朝のリィンの言葉はクルトの胸の奥深くまで突き刺さったままなのだろう。一見拗ねているだけなのかと思ったが、クルトはユウナの言葉を遮って「別に落ち込んじゃいないさ」と呟くと、アスティたちに顔を向ける。


「……とっくに分かっているんだ。あの人が、僕らを危険から遠ざけるためあんな態度をとったことくらい。僕らには――いや、僕には荷が勝ちすぎる。……彼の判断は何も間違っていないさ」


 情けなくはあるけどね、と彼は自嘲気味に笑った。乾いた笑みは部屋に響くことはなく、すっと空気の中で消えていく。

 この情けなさは自分自身の不甲斐なさからくるものだと、彼は拳を握りしめた。あるか分からない“次”を信じて、今は鍛錬に励むだけなのだと、そう自分自身に言い聞かせているようにも見える。そんな彼に、ユウナはため息をついて笑った。


「……はあ、まったく。男の子って不器用よね」
「え……」
「――あのね、クルト君。格好つけて物分かりがよさそうな事を言ってるみたいだけど……そんな悔しそうな顔してたら説得力ないよ?」
「……っ…………」
「別にいいじゃない。“置いてかれて悔しい”で。あんな風に遠ざけられて、納得なんて出来るわけない。私も、アルだって同じだよ」


 急に名前を出されたアルティナは困ったように視線を外すが、概ね同意見だと述べた。


「これでも一年近く、教官の任務をサポートしてきた実績もあります。形式上“生徒”になったとはいえ、それを理由に外されるのは……正直“納得”いきません」
「そっか……って、やっぱりそんな関係だったんだ。……まったく、あの薄情教官はこんな子にここまで言わせて……!」
「……分かってるさ。そんなことは、僕だって」


 吐き出すようにクルトが言葉を紡ぐ。それはずっとクルトが内に秘めていた我慢、不満、鬱憤……そんなものが混ざり合った、激しい憤りなのかもしれない。一度吐き出してしまえば、止まることはなかった。


「だけど――だからって、どうすればいい……!? 未熟さも、置いていかれた事実も何も変わりはしないのに……!」


 ヴァンダール家。代々皇族の護衛に任命される名誉ある一族で、帝国の双璧とも呼ばれるヴァンダール流の使い手。けれど、クルトはその剛剣術を扱いきれるだけの体格を持って生まれることができなかった。そのため仕方なく双剣術の道を選び、いつかセドリック皇太子の護衛任務につけることを目標に日々鍛錬に励んでいた――はずだった。鉄血宰相によって皇族の護衛任務を解かれ、帝都から遠ざけられたヴァンダール家の一族の姿を見て、それまでクルト・ヴァンダールを形作っていたものはあっけなく崩れ去ってしまった。

 今彼が手にしているものが、失望感だけだ。その悔しさの矛先は誰にも向けることが出来ずに、ずっと心の中にしまいこんでいたのだ。ずっと、自分自身に剣を突き付ける形で、どうすればこの霧を払うことができるのかと悩みながら。


「――そんなこと、動いてみないと分からないじゃない?」
「!」


 そんなクルトを諭すように、きっぱりとユウナは断言した。


「納得できないことがあるならとにかく動くしかない、でしょ。足掻いて足掻いて、足掻きまくって、いつか“壁”を乗り越えればいい……――私が尊敬する人たちも、いつだってそうしてきたんだから」
「………………」
「そもそも、一ヵ月程度の付き合いで足手まとい呼ばわりとか失礼な話でしょ。思い知らせてやろうじゃない――そっちの目が曇ってたんだって。あたしたちも協力するから――ね、アル、アスティ?」
「……断る理由がありません。Z組のサポートが現状任務ですし」
「まあ、みんながそうするなら私も文句なんてないよ。教官がちょーっとだけ不憫な気もするけど……」


 思いやりが見事に空回りしたリィンにささやかな憐みの念を送りつつ、アスティもユウナの言葉に頷く。いつの間にか《Z組》の重鎮となっていたユウナに、クルトは「……本当に前向きというか、どこまでも真っ直ぐだな、君は」と呟いた。

 誰かが立ち止まれば一緒に立ち止まり、後ろを向こうとすれば手を引いて歩き出す。この《Z組》の重鎮となっているのは、間違いなくユウナだ。警察学校での経験の有無だとか、そんなことではない。ユウナ・クロフォードという人間だからこそ成し得る、一種の“カリスマ”のようなものだ。


「――そこまで言うからには、何かいいアイディアでもあるのかい? この件を解決しようとしている教官たちに追いつくための」
「え。えっとまあ、それはその。あるような……ないような?」
「まさか、何の案もなしにあそこまでの発言を……? 逆にちょっと感心しました」
「ノープランかあ……ユウナ、大胆と無謀って違うんだよ? 知ってる?」
「う、うるさいわねっ。これから皆で考えればいいでしょ!」


 ユウナが赤面してアルティナとアスティを睨む。彼女のリーダーシップには素直に称賛したいのだが、無鉄砲さには呆れてしまう。けれど、いつもの《Z組》に戻ったことにほっと安堵し、皆その顔に笑みを浮かべる。

 アスティに関しては、別の意味で安心していた。リィンからユウナたちを頼むと言われた以上、彼女たちが突飛な行動に出ないようきっちりリードを握っていなければならない……のだが、ノープランだと言うからにはきっと心配しているような状況にはならないだろう。ユウナたちには悪いが、ここは手出しをせずに成り行きを見守ることにしよう。

 そんな期待は、秒で打ち砕かれることとなった。


「――ふふっ、よかった。元気を取り戻されたみたいで」


 《Z組》の生徒ではない別の女子生徒の声に、皆そちらに目を向ける。

 \組・主計科の、ミュゼ・イーグレット。入学して二週間ほど経過した頃、アッシュに絡まれた《Z組》の前に偶然通りがかった少女だ。ミント色のふんわりとした髪を揺らし菫色の瞳を細める優雅な振る舞いに、アスティは一瞬目を奪われる。


「ふふ、ちょっとだけお耳に入れたいことがあるんです。――もしかすると、皆さんのお役に立てる情報かもしれなくって」
「え」
「……どういう意味だい?」


 もしや、今の《Z組》の会話を聞いていたのだろうか。立ち聞きとは、と非難の念が湧きあがったが、アスティも今朝同様のことを教官たちの緊急会議の時間に行っていたため口を塞ぐ。けれど、その彼女の笑みにどことなく嫌な予感はした。

 アスティの脳内で警報が鳴り始めたとき、クルトの背後の扉が開く。


「――クク、なにやら面白ぇ話をしてるみてぇだな? その話、俺にも聞かせろや」
「アッシュ・カーバイド……どうして君まで……?」


 突如集まったミュゼとアッシュに、アスティの不安はさらに強まった。……これは、ユウナたちのお目付け役を任された身としては、少々不都合な展開なのではないだろうか。だが、リィンを見返すチャンスを目の前にぶら下げられて黙って見過ごすユウナたちではない。ミュゼの情報を聞こうと六人はテーブル席へ座り、ミュゼの言葉を待つ。


「……実はこの周辺の地図で気になる“場所”を見つけまして――」


 ――約十分後。彼女の情報に、アスティとミュゼ以外の生徒はやる気に満ちた表情で顔を見合わせていた。ふふ、と微笑むミュゼの隣で、アスティは顔をサッと青く染める。

 ……随分と、よろしくない方向に向かおうとしている――!


「ほ、ホントにやる気? そりゃ教官を見返したいっていうのは分かるんだけどさ、ちょっと落ち着こう? そんなことしたらどうなるか……」
「勿論。ここまできたら、行動するっきゃないでしょ!」
「駄目、でしょうか」
「駄目に決まってる……!」


 ミュゼから提案されたある“作戦”。それは、リィンが最も避けたかった状況だ。けれど完全に熱が入ってしまっているユウナたちに、その作戦を決行しないという選択肢はなかった。もしも教官にバレたら、謹慎処分は免れない。アスティは椅子から立ち上がって、必死に作戦の取りやめを訴える。


「私たちの役目って、演習地で大人しくしてることじゃん? 勝手に抜け出したら、かなーり怒られると思うんだけど……」
「ハッ、そんなに“良い子ちゃん”でいてぇなら、お前だけここに残っても構わねぇんだぜ?」


 引き留めようとするアスティに言葉を返したのは、意外にもアッシュであった。“良い子ちゃん”でありたいという願望はなかったが、見る者によってはそう見えるのだろうか。言葉に詰まっていると、クルトが口を開く。


「……無理強いはしないさ。けど、これはリィン教官の言葉を体現することにも繋がると思う」
「体現……?」
「そう。私たちの《Z組》がどういうものなのか見出していくといいって言ったのは、他でもないあの人でしょ。これも、特務活動の範囲内だと思うのよね」


 パルムを出立する直前に、リィンが述べた言葉を思い出す。彼自身も、自分の言葉がこんな風に解釈されているとは思ってもいないだろう。何を捨て、何を拾い上げるのか。《Z組》が自ら考え行動し、答えを導き出す。それこそが特務活動の根幹であり、ここで《Z組》がリィンを追うと決めるのも、その理念に従ったまでだ。途中ミュゼの助言やアッシュの参入などもあったりしたが、それでも最終的に判断を下すのは《Z組》、そして生徒一人一人である。


「……決めるのはアスティさん自身ですから、わたしからは何も」
「アスティは、どうしたい?」
「私は……」


 自分はどうだろうか。リィンの言うことを聞いて、演習地でじっと耐えていれば、それで大団円へとなるだろうか。リィンが最終的に向かう先は、おそらく昨夜の《結社》の二人組の元だろう。あの二人は、確実にアスティの記憶についての鍵を握っている人物だ。言われた通りに動き、何も見ず耳を塞いで、無くした記憶への手がかりもあっさり手放し、優等生でいれば満足だろうか。

 ――こちらの戦鬼の娘は違いますけれど、確かにわたくしと貴女は以前会ったことがあります。
 ――けれど、その時の貴女は今の貴女のようにうじうじと、何かに遠慮しているような優柔不断な娘ではありませんでしたわね。

 昨夜の女騎士の言葉を思い返す。“うじうじ”という形容は、まさに今の自分にそのまま当てはまる言葉だとアスティは自嘲気味に笑った。

 ――上等だ。


「……分かった。ついてく」
「! アスティ……」
「でももしも危険があって、それが教官の足を引っ張ってしまうようなことになるとしたら、私はすぐに引きずってでも帰るからね! おけ?」


 うんうん、おけおけ、とアスティに満面の笑みを見せるユウナがむず痒くて、「その顔やめて……」とそっぽを向いた。

 それから決行は何時にするだとか、具体的な案が練り終わる頃にはとっくに昼休憩の時間は過ぎ、《Z組》とミュゼ、アッシュはそれぞれのカリキュラムについた。幸いなことに次の演習は特務科・戦術科合同で周辺の哨戒であるため、こちらにとっては好都合である。

 この時、時刻は午後一時を指し示していた。





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