人間関係アップデート中


 分校校舎から数十アージュほど離れた敷地の端にひっそりと建つ、アインヘル小要塞。分校の設立と合わせて特別に建てられた、特殊訓練用施設だ。《[組》《\組》は今現在入学時のオリエンテーションを行っているが、リィン率いる《Z組》は特例として、この小要塞での実験を兼ねた実力テストを行うらしい。周囲の森林とは一線を引き金属覆われた建造物は、豊かな自然の中では異質の雰囲気を放っている。

 アスティ達の前方では導力関係の特別顧問として赴任したシュミットと、《\組》のティータ・ラッセルが小要塞について何やら談義している様子だ。現在オリエンテーションと行っているはずの《\組》の生徒が何故この場にいるのか疑問に思ったが、彼女は所属こそ主計科だが実質的な師と呼べる存在はシュミットに当たるのだろう。


「ちょ、ちょっと待ってください!」


 会話を続ける軍服の教官――ミハイル少佐と、リィン・シュバルツァー。具体的な説明もなしに連れてこられたアスティら四名は一方的な話を淡々と受け入れるばかりだったが……とうとう、桃色の髪の少女が痺れを切らした。


「黙って付いてきたら勝手なことをペラペラと……そんな事を……ううん、こんなクラスに所属するなんて一言も聞いていませんよ!?」
「適正と選抜の結果だ。クロフォード候補生。不満ならば荷物をまとめて軍警学校に戻っても構わんが?」
「くっ……」


 クロフォード候補生と呼ばれた少女はそうミハイルに切り捨てられ、黙るしかなかった。詳しい事情はアスティには知る由もないが、黙ってしまうということは彼女にも何かしら戻れない理由があるのだろうか。会話が途切れたところで、「……納得はしていませんが状況は理解しました」と淡い群青色の髪の青年が口を開く。


「それで、自分たちはどうすれば?」
「ああ――シュバルツァー以下五名は小要塞内部に入りしばし待機。その間、各種情報交換と、シュバルツァー教官には候補生にARCUSUの指南をしてもらいたい」


 そう言ってミハイルがリィンに五つの球体を手渡す。五つが簡単に手のひらに収まってしまう程しかないその球体は宝石のように光に反射して輝いており、一見装飾品のようにも見えるがそんなものを士官学校で配給するはずもない。なんだろう、と思って見ていると今度はシュミットが口を開く。


「フン、これでようやく稼働テストが出来るか。グズグズするな、弟子候補! 十分で準備してもらうぞ!」


 ……ああ、《\組》の女の子。正確にはまだ弟子“候補”だったんだ。

 シュミットにそう告げられ、彼女はパタパタと慌ただしく小要塞内へと駆け込んでいく。それに続き「俺たちも行こうか」とリィンに先導され、アスティら四名も小要塞の中へと消えた。

 要塞内の景観もあまり外側と差異はなく、一面が金属に覆われた機械仕掛けの部屋だった。ここに一日中いたら気が狂いそうになるなとぼんやり思いながら、アスティは周囲を見渡す。何度見ても、実験場にしか見えなかった。


「――で、概要についてどこまで知っているんだ?」
「――詳しくは何も。地上は一辺五十アージュの立方体、地下は拡張中という事くらいです」


 リィンが銀髪の少女にそう尋ねると、少女は外見よりもだいぶ大人びた口調でそう答えた。その二人の様子に青年が知り合いかどうかを尋ねると、リィンは「さすがにこんな場所で合うとは思わなかったが」と肯定する。


「――それはともかく、“準備”が整うまでの間、互いに自己紹介をしておこう。申し訳ないが、到着したばかりで君たちのことは知らなくてね」
「……?」


 リィンがそう生徒に向き直って告げるが、その言動にアスティは不可解さを覚えた。

 リィンがアスティら三人を知らないというのは分かるが……だとしたら、先ほどの入学式で自分の顔を見たときのあの動揺は一体何だったのだろうか。いやしかし、気のせいということもある。まだ出会ったばかりの人物に深く聞きこむのは、さすがにはばかられた。

 俺は、とリィンが名乗ろうとするが、「名乗る必要なんてないでしょう?」と桃色の髪の少女が言葉を遮った。


「《灰色の騎士》リィン・シュバルツァー。学生の身でありながら一年半前にあった帝国の内戦を終結させ、クロスベル戦役でも大活躍した若き英雄。帝国どころか、クロスベルでも知らない人はいないくらいの有名人じゃないですか」
「………………」
「補足すると、その後も在学しながら帝国各地の事件や変事を解決し……昨年十月の《北方戦役》では、オーレリア・ウォレス両将に協力する形でノーザンブリア併合に貢献したらしい」
「……へえ、そんなにすごい人だったんだ」


 感心したようにアスティが声を上げると、その場にいた彼女以外の全員がアスティに視線を向けた。特に桃色の髪の少女は信じられないとでも言うように目を真ん丸にし、アスティに向かって「ほ、本気で言ってる!?」と告げた。


「《灰色の騎士》なんて、今じゃ子供でも知ってる有名な話よ!?」
「あ、あはは……そういう時事的な話は優先順位が低くて、あんまり勉強してないんだよね……」
「ど、どこの箱入り娘よそれ……!」


 呆れたように半目を開く少女に、アスティは苦笑いを浮かべた。「なんかすみません、教官」とリィンに一言断ると、「いや、構わない」と大して気にした様子もなく首を横に振り、「それでも改めて名乗らせてくれ」と口を開いた。


「リィン・シュバルツァー。トールズ士官学院・本校出身だ。先月卒業したばかりで、ここ第U分校の新米教官として本日赴任した。武術・機構兵訓練などを担当、座学は歴史学を教えることになる。《Z組・特務科》の担当教官を務めることになるらしいからよろしく頼む」


 随分と若いなとは思っていたが、まさか新卒だったとは。

 リィンが口を閉じると、アスティの隣に立っていた青年が「――では、自分も」と続けて名乗った。


「クルト・ヴァンダール。帝都ヘイムダルの出身です。シュバルツァー教官のことは一応、噂以外にも耳にしています」
「ヴァンダール――そうだったのか」


 リィンが納得したように、ヴァンダールの名を口にする。どうやらクルトの親族とは面識があるようで、ゼクス、ミュラーの名を出すとクルトはそれぞれ叔父、兄の関係だと話した。


「――それはともかく、その眼鏡は伊達ですか? あまり似合っていないので、外したほうがいいと思いますよ」
「……随分ドストレートに言うね、君…………」


 クルトが眼鏡を指摘すると、先ほどまでリィンを睨みつけていた少女がこらえ切れずに吹き出した。どうやら自分でも似合っていない自覚があったらしく、うっと小さく唸ったリィンの横で、「まあ、需要はありそうですが」と銀髪の少女が謎のフォローを入れた。

 クルトの紹介が終わると、続けて視線はアスティとは反対側で笑っていた少女に移動した。低く唸った後、「ああもう、わかりました!」と若干投げやりに答える。


「ユウナ・クロフォード。クロスベル警察学校の出身です。正直よろしくしたくないけど……そうも行かないのでよろしく!」
「クロスベル出身か……なるほど」


 クロスベルという名は、エレボニア帝国の所有する州のひとつであるという地名としての知識しかアスティにはなかった。どうにも昔は帝国とカルバード共和国とで領土を取り合っていたらしいが、アスティの記憶がある半年前の時点ではすでにエレボニア領となっている。正直、「色んな問題があるらしいけどそんなに詳しくは知らない」というのが現状だ。ユウナが帝国に対してあまり良い感情を抱かず、教官陣や周囲の帝国人に対して強く当たっているのはその辺りが関係してくるのだろうか。現にリィンがクロスベル軍警学校と口にすると、併合前は警察学校だったと憤慨している。互いにすぐに謝罪を述べたが、やはり彼女にとって帝国とクロスベルとの関係はあまり喜ばしいものではないらしい。当然と言えば当然なのだが。


「それじゃあ……次、頼む」
「はーい」


 ユウナの次はアスティの番のようで、重くなった空気を払拭するかのように視線が向けられた。


「アスティ・コールリッジって言います。何故かはわからないけどここ半年より前の記憶が無くて、出身とかは答えられないんだけど……まあ、よろしくお願いします」
「! ……記憶喪失か」
「ああ、リィン教官は今朝赴任したばかりなんでしたっけ。んー……まあ、あのミハイルって人に聞けば、大体の情報は分かるんじゃないでしょうか。私の情報、たぶん学校側にも伝わっているでしょうし」


 記憶喪失、と告げると、ユウナは「え……」と声を漏らした。記憶喪失となった人間に遭遇する確率など極めて低いのだから、当たり前の反応だ。クルトもわずかに目を見開き、銀髪の少女は観察するようにペリドットの瞳をアスティに向けていた。リィンは少し考え込むような動作を見せたが、すぐに「わかった。君の事情については、後でミハイル少佐から聞いておこう」と納得した面持ちで述べる。「よろしくアスティ」とリィンが締めると、「最後は私ですね」と頭一つ分程低い位置から声が聞こえた。


「アルティナ・オライオン。帝国軍情報局の所属でした」
「……!?」
「帝国軍、情報局……」
「一応、ここに入学した時点で所属を外れた事になっています。どうかお気になさらず」


 お気になさらずにいられるわけがない。

 思わぬ爆弾発言に、聞き捨てならないことを聞いた気がするんだが、と突っ込んだクルトは限りなく正解に近かった。


「情報局って、噂に聞いた……って、それより“事になってる”って何よ!?」
「失礼、噛みました」
「はぐらかし方が雑すぎない? それ……」


 さらりと告げるアルティナに、アスティも苦笑いを浮かべるしかなかった。

 エレボニア帝国軍情報局は、少なくとも大っぴらに姿を露わにするような組織ではない……が、アスティにとっては“全くの無関係”というわけではない。もちろん組織自体と何かかかわりがあるわけでもないが。……ならば、“彼”と面識もあるだろうか。

 深く考えそうになったところで、『お待たせしました!』とアナウンスが部屋に響く。


『アインヘル訓練要塞、LV0セッティング完了です! 《ARCUSU》の準備がまだならお願いします!』





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