酸化する蒼


 ピピ、と電子音が鳴って意識が覚醒する。毎朝の恒例行事にアスティは布団の中から右手だけを伸ばしてアラームを止めようとするが、不思議なことに目覚まし時計に触れても振動を感じることはなかった。なんだアラームじゃないのかと右手を引っ込め、いや待てよと思考を巡らせる。

 昨夜の行動を思い返そう。アスティは昨夜、ベッドに寝転がって目覚まし時計を一度セットした。が、「そういえば明日は自由行動日で授業がないんだったな」と思い出し、どうせなら昼まで寝てしまおうとそのアラームのセットを取り消している。では、今現在鳴っている電子音はどこから発せられているのか。がばりとベッドから起き上がると、サイドテーブルの上に鎮座している《ARCUSU》が居場所を知らせていた。やはり、《ARCUSU》の着信音であった。

 自由行動日に誰からだとアスティはやや不機嫌そうにそれを開き、「……はい」と応答した。


『――自由行動日にいきなりすまない。悪いが、今から小要塞に来られないか?』
「え」









 リィンの突然の招集に何事かと急いで小要塞へ行ったが、どうやらシュミットによる小要塞のテストの依頼らしい。前回の自由行動日ではリィン、アルティナ、丁度リーヴスに足を運んでいたミリアムと共に行ったようだが、今回は《Z組》の《特別演習》へ向けての訓練も兼ねて行うようだった。アスティと同じように他の三名も呼び出されており、シュミットの傲岸不遜な態度にユウナは終始怒り心頭な様子であった。

 テスト後は平謝りをするティータと共に食堂で昼食を取り、一同は解散となる。今日一日は自室でだらりと過ごそうなどと考えていた昨日のアスティはどこへやら、午後はティータと共に料理同好会の菜園の様子を見に行き、あっという間に時間は過ぎて行った。

 そして、午後三時過ぎ。「まあ気晴らしに夕焼けのリーヴスの街でも見てから帰ろうかな」という軽い気持ちで屋上への階段を上ったアスティは、その直後に後悔することとなる。

 屋上へのドアを開けて数歩前に出ると、何やら話し声が聞こえて反射的に足を止めた。


「――さんと、……――ですよね」


 会話の内容は風のせいも相まって上手く聞き取れなかった。が、その声には少しばかり聞き覚えがある。物陰から少しだけ顔を出してその人物を確認すると、アスティは顔を歪めた。

 セドリック・ライゼ・アルノール。このエレボニア帝国の皇族の一人であり、第一皇位継承権を持つ皇太子。アスティの紺色の制服とは違いトールズ本校の赤色の制服に身包んだ彼は、リィンと二人きりで言葉を交わしていた。彼が分校に来ているということは知らなかったが、こんな場所で《灰色の騎士》に折り入って相談とは一体何の用件だろうか。立ち聞きは良くないとは思いながらも、向こうがこちらに気付いていないことを良いことについその会話に耳を傾けてしまう。


「“あの時”――今も……覚えています……――と一体となり――……ったこと」


 やはりこの距離では、セドリックの小さな声ではアスティまでは届かない。リィン以外には聞こえないようにしているのだからそれが当然ではあるのだが、それでももどかしいものだ。もう少しだけ身を乗り出して耳を澄ませてみるが、次に聞こえた言葉にアスティはつい声をあげそうになった。


「そして――《蒼の騎神》の――……を……――ってしまった時のことも」


 《蒼の騎神》。

 アスティがサザーラントでの演習にて思い出した、蒼き騎神の姿がフラッシュバックした。余りの同様に少しばかりふらついてしまったが、何とか壁に手をついて倒れ込むのを防ぐ。

 どうして彼が、あの《蒼の騎神》について知ってるのだろうか。《灰の騎神》であれば、目の前のリィンがその乗り手として名を轟かせているのだから理解はできる。けれど、たった今セドリックが放った言葉は《蒼の騎神》であった。灰と違って蒼の騎士人形は、帝国のメディアでは一切取り扱われていない。アスティが思い出すまではその名前すら知らず、騎神はリィンが使用する灰色一機しか存在しないと思い込んでいた程に。

 バクバクと心臓が激しく鳴る。まさか、彼もまた己の過去に関係する人物だとでも言うのだろうか。そう目を見開いた時、後ろから声がかけられて思わず肩を揺らした。


「アスティ?」
「ユっ……!? クルトにアルティナも……!」
「? そこに誰かいるのか?」
「あ、今は……!」


 アスティが制止するよりも早く、クルトはアスティよりも前に出てしまう。そしてセドリックの姿を瞳に移した途端、その目を大きく開けた。


「で、殿下……!?」


 クルトの動揺っぷりを不思議に思ったユウナとアルティナもその後に続き、そして立ち止まる。こうなっては仕方がない、とアスティも物陰から姿を現すと、リィンは教え子たちの名を呼んだ。


「やあクルト、久しぶりだね。半年ぶりか――会えて嬉しいよ。でもまさか、君が第U分校なんかに入ってしまうなんてね」
「殿下……本当に殿下なのですよね?」
「……?」


 そりゃあ殿下に決まっているだろうとアスティはクルトの態度を不思議に思ったが、その疑問について深く考える時間もないままに話は進んでいく。あの嫌味や皮肉を孕んだ言い回し、それから分校を見下すような態度も、全てアスティが彼に初めて会った当初からのものだ。それ以前はどうであったのか、アスティには知る由もないが。呆然と立ち尽くすクルトに向けてセドリックは不敵な笑みを浮かべると、その両手を広げて言葉を紡いだ。


「丁度いい、君もリィンさんと共に本校に移ってくるといい。そして望みどおり、僕の護衛を務めながら切磋琢磨して欲しい。――政府の決定ごとき、僕の一存でどうとでも出来るからね」
「………………」


 ――随分とまあ、荒業に出ちゃって。

 アスティがセドリックを見る目はどこまでも冷ややかである。確かにヴァンダール家が皇族の護衛職から外されたことは事実であるが、クルト本人をセドリックから遠ざけようとしているわけではない。クルト自身が本校への転校を望み、尚且つセドリックがクルトを“学友”として迎え入れるのであれば、それは政府としても止める理由にはならないのだ。なぜなら、政府が目を向けているのはあくまで“ヴァンダール家”なのであり、決して“クルト・ヴァンダール”という一人の青年ではないからである。


「ちょっと君、何様のつもり!? なんか似た制服を着てるけど、関係者なわけ!?」
「いや、ユウナ――」
「トールズ本校の制服ですね。こちらの方は、セドリック・ライゼ・アルノール。エレボニア帝国の皇太子殿下であらせられます」
「え」


 ユウナが黙ってはいないとは思ったが、やはり予想通りの展開になった。これが公式の場であれば不敬罪に問われていたであろうが、幸いなことにこの場にいるのはセドリック一人である。そして、彼はこの程度で傷つけられるような安いプライドは持ち合わせていなかった。「僕の顔を知らないとは、外国人か属州民なのかな?」とユウナのことなど端から気にも留めていないといった様子で、視線をユウナの隣のアルティナに移す。


「黒兎のお嬢さんも久しぶりだ。君の話はレクター少佐やルーファス卿から聞いているよ。まあ、リィンさんが本校に移ったら君も移ることを認めてあげよう」
「はあ…………本校に移る?」
「って、何それ……!?」


 ユウナたちにひとしきりの混乱を撒き散らしたところで、セドリックはアスティと視線を合わせた。


「君も久しぶりだね、アスティさん。分校へ行ってしまったと聞いていたけれど、壮健そうで何よりだ」
「……殿下こそ、お変わりないようで」
「フフ、堅苦しい言葉遣いはよしてくれと前も言ったでしょう。君とは対等な関係を築きたいんだ。そうそっけなくされてしまうと、さすがの僕も傷ついてしまうね」
「申し訳ございません。ですが、お互いに“立場”がある以上、そういうわけにはいかないかと」


 目を見開くリィンら四名の横で、アスティはさらりと告げた。不敵な笑みを浮かべるセドリックの姿はアスティにとっては非常に不愉快この上なく、決して表情には出さないがじわじわと怒りが心臓を焼くような気分だ。

 セドリックは、アスティの事情を全て知っている。後ろ盾がレクターとクレアであることも当然理解しており、アスティが皇族に不遜を働いたと知れれば後ろ盾二人の評価にも響くと知った上で、あえてそう口にしたのだ。手も足も出せないアスティを見て愉悦を感じている目の前の男に殴りかかりたい気持ちを抑え、アスティは目を伏せる。

 するとそんなアスティに興味を失くしたのか、セドリックはリィンに向き直って話を続けた。


「――返事は後日、改めて聞かせてもらいましょう。いい返事を期待していますよ? リィン・シュバルツァー教官」


 気づけばアスティたちの背後には二名の護衛役とミハイルが佇んでおり、セドリックはそれだけ伝えると護衛と共に校舎内へ姿を消した。ミハイルもセドリックの行動には頭を抱えたが、彼が皇族である以上口出しすることは許されず、黙って従うほかない。

 セドリックとその護衛の足音が遠のき、ミハイルも校舎内へ戻ってから最初に口を開いたのはユウナであった。


「何よあの態度! 皇太子だか何だか知らないけど、いきなりノコノコやってきた割には生意気すぎない!?」
「ユウナー、あれ殿下の通常運転。怒るだけ無駄無駄」
「……って、なんでアンタはあの皇太子と知り合いなわけ!?」


 呆然とセドリックの消えた方向を見るクルトとは対照的に、ユウナはその怒りをぶちまけた。先ほどの品性方正な態度はどこへやら呆れたようにひらひらと手を振るアスティに対し、思い出したように彼との関係を言及する。アスティの身分は貴族階級や政治家の一家などではなく、あくまで一般市民である。そのたかが一般市民の一人がどうして皇族である彼と面識があるのかと疑問に思うことは、別に不思議なことではない。


「うーん……知り合いがちょーっとだけ帝国政府? 軍? に関係しててね」
「また随分と曖昧ね……」
「いーでしょ別に! まあ、その人の縁で一回だけ、偶然会ったことがあって」


 具体的な人物はぼかして伝えたところ「え、アスティって結構お嬢様だったの?」と再度質問を投げかけられたため、「まあそんな感じ!」と投げやりに誤魔化した。記憶を失う前の自分の身分がどうであったは知らないが、少なくとも分校に入学する前は中流貴族の令嬢と大体同じような生活はさせてもらえていたため、嘘はついていない。

 その後もセドリックや他の皇族、帝国貴族の話題に尽きることはなかったが、もうじき日が暮れるからとリィンに帰宅を促されその日は大人しく寮で過ごした。明日の機甲兵教練は無事に何事もなく終わるようにと祈ってから就寝するが、願った通りにはならないものだと思い知らされるのはその十数時間後の事である。

 翌日、機甲兵教練の時間にて《Z組》は目を見開いた。

 緋色の機甲兵。アーム部分に取り付けられた有角の獅子のエンブレムは、それがトールズ本校の所有物であるということの何よりの証拠である。分校に配備されたドラッケンの上位種、シュピーゲルSが格納庫からグラウンドに姿を現すと、ヘクトルに乗ったままのランドルフが真っ先に止まるよう警告した。

 緋色の機甲兵の両側の二機は通常と同じ塗装であることから、あの緋色の機甲兵だけがその乗り手の特注品なのだろう。トールズ本校の紋章に、特注品の機甲兵。なんとなくだがアスティにはその乗り手が想像できてしまった。

 そして、その予感は的中する。


「トールズ士官学院《本校》所属、セドリック候補生以下三名です。第U分校の機甲兵教練への、特別参加を希望し参上しました」


 アスティとアルティナは顔を見合わせ、「聞いてた?」「いいえ」とアイコンタクトを交わす。クルトが思わず駆け出してどううことか事情を聞き出そうとするが、今の自分の実力をリィンやクルトに知ってもらいたいと引き下がる様子はなかった。


「三機、出してください。本校と第Uの親善試合と行きましょう。――できれば相手は《Z組》を希望しますが」
「!」
「……とても自分たちの権限では認められません。せめて自分たち教官が稽古を付ける形ならば――」
「面白い――私が許可しよう」


 セドリックな無茶な提案に許可を出したのは、他でもない分校長であった。彼女の後ろではトワが項垂れ、ミハイルが「こんなことが上に知られたら……!」と昨日と同じように頭を抱えていた。分校長とセドリック、そして帝国政府軍との板挟みになっている彼には同情しかないが、素晴らしくやる気に満ちている分校長を説得できる人物などこの分校には存在しない。


「――行こう、クルト君! ここまで言われて引き下がってもいいの!?」
「……っ…………――分かった。畏れ多くはあるが……!」


 だがやる気に満ち溢れているのは、分校長のみではなかった。ユウナが先導してクルトに駆け寄り機甲兵に乗るよう提案すると、クルトの方も覚悟を決めた様子で頷いた。


「でしたら、私とアスティさんのどちらかが三機目となりますが」
「私、機甲兵の扱いは苦手だから親善試合とかはちょっと……」
「ハッ、こんな面白いイベント、てめえらだけで独占すんじゃねぇよ」


 苦い表情で辞退を申し出るアスティの後ろで、自信に溢れたテノールが聞こえた。《Z組》に在籍していないもののアスティ達にとっては馴染み深い声で、振り返らずとも誰かは理解できる。


「――ランドルフ教官! ヘクトルを貸してもらうぜ!」
「アッシュ……」
「こんな時だけ教官呼びって、図々しいっていうのかちゃっかりしてるっていうのか……」
「誰だっていいわよ! ギャフンと言わせてやりましょ!」


 セドリックに敵意を燃やすユウナの圧に押されたランドルフが渋々アッシュに機体を譲り、セドリック以下本校生徒二名とユウナ、クルト、アッシュの計六名による機甲兵がずらりと並ぶ。双方武器を構え緊張感が走る中、リィンの開始の声と同時にぶわりと風が舞い上がった。

 ――十数分後。ユウナのガンブレイカーがガキンと大きな音を立ててセドリックの剣を弾く。セドリック以外の本校生徒の機体は既に膝をついて沈黙をしており、彼の機体の手から離れた剣が第U分校の勝利を露わに示していた。

 仲間の勝利に試合を見守っていた第U分校の生徒は皆手を叩いて喜びを表面に出し、中には腕を上げてガッツポーズをとる者もいる。アスティもそこまで露骨ではないものの、同じくサポートに徹していたアルティナを顔を合わせピースサインをひらひらと揺らしていた。


「――負けは負けですから今日は大人しく退散しましょう。クロスベルでの演習の準備を邪魔するつもりもありません」


 落ちた剣を拾い機体から姿を現したセドリックは、機甲兵の型に立ち太陽を背景に悠然とした笑みを見せていた。この敗北が彼にとってあまりに屈辱でそれを隠そうとしたが故の態度なのか、はたまた今回の親善試合の勝敗など最初から関心はなかったが故の笑みなのかはアスティには分からない。そこまでの深い心情を読み取れるほど、彼と親しいわけではなかった。

 最後にリィンに向けて“諦めるつもりはない”と言葉を残すと、本校生徒を連れて悠々とした姿で格納庫へと帰っていった。

 次の演習地がだという、波乱を巻き起こす情報を置き去りにしたまま。





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