幸せぺろりと飲み込んで


 リィンとアルティナ、そしてルーファスが久しぶりの再会として挨拶を交わしているのを、後ろからぼんやりと眺めていた。端的に言えば、この貴族や政治家の長い挨拶や世辞のオンパレードは苦手中の苦手なのである。自身が貴族なわけでも上流階級の身であるわけでもないが、数少ない付き合いのある人物が揃いも揃って軍人だとどうしても耳に入れる回数は増えてしまう。少なくとも、進んで聞きたい話ではない。

 だがだからと言って避けられるものでもないことを理解はしている。ルーファスの視線が再び自分に止まった事に気づき、ぴくりと肩を強張らせた。


「そなたも久しぶりだな。前回会ったのは、そなたがまだ帝都に居た頃だったか」
「……はい、閣下。ご無沙汰しています」
「そなたもまた随分と様変わりした様子だ。アランドール少佐とリーヴェルト少佐の教育の賜物というべきかな?」
「…………恐縮です」


 ルーファスとアスティの会話が続く中、ユウナの心中は全く穏やかではなかった。主に、アスティのルーファスへの態度である。

 いくら抵抗があろうと、相手はクロスベル州を統括する総督閣下だ。あんなにも“苦手”という態度を全面に押し出しても良いものなのか。――いや、自分も人の事を言えるほど完璧にできていたとは思わないのだが。さらに言えば、その前のアルティナの方がよほどだったのだが。もしかしたら、まともに問答できていたのはリィンとクルトだけなのではないだろうか。さすがは帝国貴族男子。受け答えも完璧だった。

 だがルーファスはそんなアスティの態度に特に憤慨するでもなく、余裕のある笑みを浮かべて言葉を続けた。


「《Z組》での活躍は二人からも聞いている。そなたを推薦した身としては、非常に喜ばしいものだ」
「……え? 推、薦……?」


 ――今、なんて?

 彼の口から飛び出た言葉に、思わず硬直した。アスティだけではなく、ユウナやクルト、アルティナ、リィンでさえも“初耳だ”と言うように目を丸くさせ、アスティに視線を注いでいる。しかしそう凝視されたところで、アスティも全く知らなかった情報だ。今まで自分が推薦を受けていた事すら知らなかった。


「――えええ!? そうだったんですか……!? あの、すみません。私、何も知らなくて……」
「いや、構わない。当時は手続きやらが錯綜としていたからな。混乱を招かぬよう少佐らがあえて話さなかったとしても無理はないだろう」


 絶句。あまりの衝撃発言に言葉を失っていたが、よく考えてみるとこの度の入学はあまりに

 入学手続きで滞りがあったとはアスティも分校長たるオーレリアから聞いている。その結果が、アスティ一人だけが個人部屋という寮の部屋割りに現れていた。しかし実際に志願してから入学までの間、手続きが滞っているという実感は一切なかった。締切がの願書提出だったにも関わらず、だ。

 そこで、ルーファスからの推薦が活きてくるのだろう。何と言っても、彼はクロスベル州総督という大きすぎるにも程がある肩書きを持った人物だ。そんなVIPからの推薦ともなれば、分校側としても例え他の業務を投げ打ってでも最重要案件として処理しなければならない。だからこそ、多少の遅れはあっても皆と同じタイミングでスタートすることができたのだ。

 ……びっくりどころの話ではない。まさか自分が、クロスベル総督からの推薦を受けていたとは。


「良き学生生活を送れているのならこれ以上のことは無い。これからも期待させてもらおう」
「え、えっと……しょ、精進します……!」


 心臓に悪い。悪すぎる。これほど重い期待が今までにあっただろうか。属州総督からの推薦付きという看板を一瞬で持たされてしまった身としては、勘弁してほしい所ではある。彼のおかげで無事分校に入学できたと言っても過言ではないため、口が裂けても言えないが。


「――知っているとは思うが本日、本土から視察団が訪れる。最高レベルの警備体制が敷かれているがそんな中でも気がかりはあってね。結社の動向と――“幻獣”の出現だ」
「幻獣……?」


 ルーファスがリィンに封筒を手渡す中、アスティが聞きなじみのない言葉につい聞き返した。


「……《幻獣》というのは、通常より遥かに巨大で不思議な力を持った魔獣のことだ。帝国での内戦中に何体か出現していたが……――それが、クロスベルの地でも出現したということですか?」
「ああ、つい先日も北部の山道に現れたばかりだ」


 リィンが受け取った要請書の中には重要調査項目と題された項目があり、そこで幻獣の調査についてが述べられている。ユウナ曰く一年半前の独立宣言前後にも現れたらしいが、未だ詳しいことは判明していない。アルティナが《結社》の関与の可能性を指摘するが、それも未だ不明のままだ。


「……了解しました。この後、演習地にも伝えます。それと合わせて、幻獣が現れた山道の調査をする形でしょうか?」
「いや、そちらの幻獣は既に倒されてしまっていてね。できれば過去に出現した別の場所の調査を頼みたいのだ」
「倒されてしまった……?」


 幻獣がリィンの言葉通りの存在であれば、帝国軍の中でもかなりの手練れでなければ討伐は難しいだろう。だが帝国軍が幻獣の討伐に成功したなどという情報は今のところ耳に入っていない。もしもそうであれば、ミーティングの段階でミハイルから説明があっただろう。

 帝国軍が動いたのかというクルトの問いにルーファスは首を横に振ると、「指名手配中の“とある人物”とその協力者たちに倒されたらしい」と述べる。


「指名手配犯が討伐……?」


 妙な話だ、とアスティは首を傾げた。指名手配がかけられるほどの犯罪者が、わざわざ命の危険を冒してまで幻獣を倒しに向かうだろうか。しかも何の見返りもなく。ユウナやリィン、アルティナはその人物に心当たりがあるようだったが、クロスベルに詳しくないアスティとクルトは“さっぱり分からない”と顔を見合わせた。


「――だが、このまま手配犯たちに任せるわけにもいかないだろう。その意味でも、君たちの活動には大いに期待させてもらいたい。それではよろしく頼む――灰色の騎士殿、そして新Z組の諸君」









「……息詰まって死ぬかと思った……あの人ホント苦手だ……」
「こっちもヒヤヒヤしっぱなしだったわよ……」
「というよりも、アスティさんの場合は新情報のインパクトが強烈すぎたような気が」


 帰りのエレベーター内では、ルーファスから聞いた話で持ちきりだった。アスティにとっての一番の衝撃は、やはり自分への推薦の話である。


「本当に、総督から聞くまで何も知らなかったのか?」
「な、なんかすごく手続きがスムーズに進んでるなー、不思議だなーとは思ったことあるけど、まさかあの人からの推薦を受けてたせいだとは思わなかった……てっきりレクターかクレアさんのおかげだとばかり」


 入学にあたってのあれやこれやの情報は、事前にアスティに明かされることは一切なかった。特に訊き出すようなこともしなかったのだが、今思えばもう少し興味を持っても良かったのではないかと思う。……実際、勉強漬けだった当時にそのようなことを気にする余裕があったのかどうかは定かではないが。

 それから話題はリィンの方へと移り変わっていった。ルーファスの弟であるユーシス・アルバレアはクロイツェン州を治める《アルバレア公爵家》の代理当主にして、《旧Z組》の生徒――すなわち、リィンの元同級生でもある。それ以外にも内戦でも出来事等々、リィンとルーファスの間には共通の事柄が多い。執務室を立ち去る際リィンだけが呼び止められていたのは、きっとそれに関しての事なのだろうとアルティナの考察だった。


「……そういえば話の途中でかなり気になってたんですが。その“彼”というのは……?」
「あ、それ私も気になってた!」
「フフン――クロスベルの“真の英雄”よ!」


 話題が落ち着いたところで、クルトが控えめに疑問を切り出した。ここぞとばかりにアスティもそれに乗っかり、リィンが口を開くよりも先にユウナが自慢げに語り始めた。


「かつて邪悪な教団事件を解決し、独裁者の大統領を逮捕した、ね!」
「教団事件に、大統領逮捕……?」
「――併合前のクロスベルには《特務支援課》という部署があった。そのリーダーとしてメンバーを率い、数多の“壁”を乗り越えた捜査官……それが現在指名手配中の、ロイド・バニングス捜査官だ」


 「ちなみにランディ教官もメンバーの一人だったみたいだな」とリィンが語ると、ユウナはまるで自分の事のように誇らしげに笑った。

 現在指名手配中。つまり、ルーファスの述べた“とある人物”がロイド・バニングス本人であり、幻獣を討伐したのも彼とその仲間たちなのだろう。


「幻獣も倒せちゃう捜査官って、ただの捜査官の域に収まってないような……」
「でも、指名手配中とは……何か問題でも起こしたんですか? 帝国からの独立を目指してテロを企てようとしたとか――」
「じょ、冗談じゃないわよ!?」


 クルトの言葉を遮って、ユウナが叫んだ。

 ロイド・バニングスは確かに帝国から指名手配を受けてはいるが、あくまで“重要参考人”としてだ。決して犯罪者と罵られるような行為をしたわけではなく、そんな窮地に立ちながらでも救いの手を差し伸べることを止めたりはしない。今回の幻獣討伐も、クロスベルを想ってのことだ。


「――その意味で、あの人は犯罪者なんかじゃ絶対ない! 協力者も含めて、当然の主張をしてるだけよ!」
「ああ……“悪人”からは程遠いだろうな」


 ユウナの述べた言葉に、リィンは少々困り顔をしながらも同意した。現代において英雄と呼ばれる者同士に面識があったとは初耳だ。ユウナの追求にリィンは「指名手配前に一度やり合ったことがある」と首を縦に振り、ロイド・バニングスという人物に対する見解を語った。

 当時、ロイドはリィンを上回った。互いに相反する立場ではあったが、彼の信念、チームワークの前に、リィンは負け惜しみを言うしかなかったのだと。憧れの人物が素直に称賛されていることにユウナはより一層花を高くすると、ぽかんと様子を眺めていたアスティとクルトに視線を向ける。


「――確かに言えるのは、あの人と《特務支援課》が“真のヒーロー”だってこと! クロスベル市民にとってはどこかの“騎士”さん以上にね!」
「……むう…………」
「あー、アルティナ? 多分張り合っても無駄だと思うよ……」


 一方的にロイドを、《特務支援課》を持ち上げるユウナに、アルティナは不服そうな顔で俯いた。彼女は情報局のエージェントとして、この二年間ずっとリィンの補佐を務めあげてきたのだ。その自分が支えた人物が、貶されるとまではいかないものの低い評価を受けてしまっては面白くないのも理解はできる。

 ――ただアスティが見る限り、ユウナがリィンに抱える感情がひとつだけとは言い切れないような気はするのだ。複雑な乙女心、と言ってしまえば途端に陳腐なものに聞こえてしまうが、人には感情と行動の一致ができないケースがあることをアスティは知っていた。断言できるのは、決してリィンが嫌われているのではないという事だけだ。


「……でも、そのロイドさんって人。指名手配が本当の事なら、かなりのって感じはするかも」
「……? どういう意味だ?」
「だって……」


 あのルーファス・アルバレアから逃げ続けることができるなど、よほどの工作スキルがない限り難しい話だ。鼠一匹逃がさない彼の策謀の腕前は、帝都にいた頃から聞き及んでいる。彼か彼の仲間に逃亡のプロフェッショナルがいるのか――はたまた、だけなのか。


「……いーや、やっぱなんでもないや」


 しかし、それをユウナに話すのは間違いなく悪手だろう。今のユウナを繋ぎとめているのは、《特務支援課》の不在という逆境そのものだ。彼らの代わりに自分が、と己を奮い立たせることでやっといつもの調子を取り戻している。そこにとわざわざ冷水を浴びせることもない。

 アスティの様子に他の《Z組》は疑問符を掲げたが、エレベーターのチャイムが鳴った事で会話は終了した。警備員に会釈をしエントランスへ向かうと、聞き覚えのない声に呼び止められる。


「ははっ――早速会えたか、リィン」
「マキアス……!」


 深緑の髪の青年がこちらへ向かってくるのが見えた。リィンが彼の名を呼び返すと、青年はシルバーの眼鏡のブリッジを押し上げた。


「えっと、ひょっとして」
「そちらの方も――」
「ええ、《旧Z組》の一人で現帝都知事の息子さんですね」
「帝都知事の……!」


 そういえば、と昔新聞で見た知事の顔を思い出す。確かに風貌がそっくりだ。

 そしてもう一つのポイントと言えば、アルティナが述べた《旧Z組》の一人……つまりは、アスティらのにあたるということだ。


「《黒兎》のお嬢さんか……話は聞いたが、本当に見違えたな。そちらの三人もよろしく、マキアス・レーグニッツだ。クロスベルには《司法監察院》の出張で来ていてね」
「……確か、司法の立場から行政機関をチェックするという……」


 言ってしまえば、行政機関とは対立の関係にある立場である。さらに言えば彼の父であるレーグニッツ知事でさえもその対象だ。司法を司る者として各機関を監査し、場合によっては然るべき手段に出る必要がある。アルティナはそれを“茨の道”と述べたが、実際はその通りだと彼は首を縦に振った。

 「だが、そんなものは他のみんなだって同じだろう?」とマキアスはリィンと拳を合わせる。サザーラント州でアスティが会ったエリオットやラウラ、フィーも、まだ見ぬ他の《旧Z組》の皆も、そして目の前にいるリィンも。

 旧友同士の再会を見ていたアスティは、ぐっと締め付けられるような息苦しさを覚えた。

 ――きっとマキアスも、自分の過去失った記憶について知っている人物の一人なのだろう。そしておそらく、嘘や隠し事が下手なタイプだ。先ほどからちらちらと視線が向いているのが全く隠せていない。……まあ、それに関してはどうだって良いのだが。

 自分には記憶が無い。最初の記憶は半年前で、それ以前の約十六年と少しの間はぽっかりと穴が開いてしまっている。大きな空虚の上に突如自分と言う自我が現れた事に、困惑や不安が一切ないと言えば嘘になる。

 ――少しだけ、羨ましくも思えたのだ。互いに信用し、何年にも渡って“己”という存在を証明してくれる他者の存在がいてくれる事が。

 ルーファスに挨拶しに行くというマキアスと別れると、早速受け取った要請書の中身を確認し始めた。


「エプスタイン財団からの依頼と、市内の店舗調査……?」


 エプスタイン財団と言えば、アスティ達の所持する《ARCUSU》の開発元の一つだ。そのクロスベル支部からの依頼と、もう一つはクロスベル軍警からの依頼だった。


「は〜、あの総督が用意したにしてはマトモなものばかりで安心っていうか」
「仮にもクロスベルの総督だ。下らない要請は出さないだろう。――しかし幻獣の件については緊急度は意外と低そうですね」


 それぞれの要請の下の欄に、執務室で確認したとおりの重要調査項目が記されていた。幻獣の調査場所は市街計二ヵ所であり、ユウナ曰くそのどちらも過去に幻獣の出現が確認された場所らしい。退治とは書かれていないところを見ると、あくまでの調査なのだろう。


「それで、どれから片付けましょうか? 初手から幻獣調査はハードル高そうですけど」
「そうね……先に市内の要請を片付けましょうか?」
「ああ、必須のものもそうだが街も一通り回ってみるべきだろう――といっても、この街は広いから全て回ったら一日が終わるはずだ。今回は、要請が出ている街区のみ回ってみることにしよう」
「そうすると《港湾区》《東通り》、それに《西通り》ですか」
「《西通り》!? ……あ、ホントだ…………」


 ユウナがパッと声を荒げて要請書を覗き込むと、三つ目の任意要請が丁度西通りの店からの依頼だった。一体いきなりどうしたのかとアスティ、クルト、アルティナは疑問符を浮かべたが、ユウナは愛想笑いを浮かべるだけである。


「――とりあえず最初は《港湾区》から行きませんか? そこから《東通り》に抜けて最初の《中央広場》を通って……最後に《西通り》っていうのがあたし的にはオススメなんですけど」
「……ははーん? その《西通り》とやらが怪しいと見た」
「あ、怪しいって何よ!」


 にやにやとからかうアスティの隣でアルティナは「確かにそう回るのが効率的ですね」と冷静に分析を下したが、ユウナは依然顔を引き攣らせたままだ。クロスベル出身なだけあって市内の回り方には詳しいが、あからさまに《西通り》を意識しているのがバレバレである。


「ね〜ユウナ〜。誰? 誰がいるの《西通り》に〜」
「ちょっと、わざわざ勘繰らないの! アスティが期待するような人じゃないし……」
「あっでも、人っていうのは当たりなんだ〜」
「か、カマかけるのやめなさいよね!?」


 ユウナの肩をちょいちょいとつつくアスティにリィンは苦笑すると、そろそろ市内を回るようやんわりと促す。そうして案内役としての自信に満ちたユウナを先頭に一行はオルキスタワーの外へ出て、特務活動が再開されたのだった。





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