煮ない焼かない噛みつかない


 《魔煌兵》が消えるとほぼ同時にサブ端末も処理を終了し、ふう、とアスティは一息ついた。ユウナとアルティナ、クルトの三名が各々の武器をしまいつつアスティに駆け寄り、無事を確認する。


「アスティ、怪我はない!?」
「うん。みんなが引き寄せてくれたおかげで、私も端末もオール無傷。ありがとう〜」


 緊張感がないなとクルトが呟いたが、アスティの無事以外にももう一つ気になることがあった。


「……さっき、端末を操作しながらアーツを駆動したように見えたんだが」
「え? あ、あ〜……なんか、できちゃった」


 クルトの問いにアスティはへらりと答えたが、実際本人もよく分かっていないのである。

 モニターに反射する光景を見て、《魔煌兵》の攻撃が自分に迫っているのは分かっていた。だがそれを受け止めるためにはどうしても端末から手を離さなければならない。絶対に手が離せない状況で唯一対抗する手段は、アーツの駆動以外になかったのだ。

 ……我ながら、よくあの状況でアーツを使えたなと思う。


「えっと、アル……? 普通、機械いじりながらアーツって使えるものなの?」
「アーツの使用には集中力が必要なので、駆動中に他の動作をすることは困難なのですが……まあ、アスティさんであれば可能かと」
「……ん? それって、どういうこと?」
「……失礼、噛みました」


 アルティナの発言には、以前から不思議な点があった。いや、それも納得はしている。アルティナもまた、以前のアスティ・コールリッジを知っている人間であるからだ。


「………………」


 何故アルティナは、アスティが導力端末とアーツを同時に使用できたことにすんなり納得したのだろうか。いくら分校での授業の成績が良くとも、それとこれとは全く話が別である。いくら腕の優れた技術者であろうと、いくらアーツの使用に慣れた者であろうと、それらを同時に行う事は困難だと話したのは彼女のはずだ。

 そしてアスティは、そのどちらにも属していない。せいぜい分校での成績が良いだけで、技術者でもなければアーツの使用に長けているわけでもない。半端者であるアスティがそれを成し得ると理解できる方が逆に不自然だ。

 ならばアルティナはアスティの何を見てそう確信したのか。仮説だが、おそらくアスティの知らない、アスティ・コールリッジだ。


「アルティ……」
「! 気を付けろ!」


 彼女の名前を呼ぼうとしたアスティの声を遮って、リィンが注意を促した。バッと端末室の中央を振り返ると、先ほどと全く同じ光が部屋の中心に集結している。


「うそ……」
「もう一体か……!」


 新たに表れたのは、たった今リィンが両断した《魔煌兵》と全く同じタイプの別個体だった。一度倒した相手と再び戦うのは、行動パターンが分かっているという点では戦いやすいと言える。だが苦戦を強いられた直後の連戦は体力的に厳しく、今まともに動けそうなのは参戦していなかったアスティとまだ余裕のあるリィンしかいない。たった二人であの《魔煌兵》相手に戦いを挑むのはさすがに分が悪すぎた。


「きょ、教官……?」
「まさか……“あの力”を!?」
「いや――この距離なら“彼”を呼べるかもしれない」


 ふとリィンが太刀を収めた様子を見てクルトが前回の演習で使った“例の力”を懸念するが、リィンは首を横に振った。であれば、彼が戦闘中に刀を収める理由はただ一つ。二つ名である《灰色の騎士》の名の由来にもなった、《灰の騎神》を呼び出すためだ。


「――来い! 《灰の騎神》……」
「その必要はないわ!」


 しかし、リィンの言葉を遮って凛とした女性の声が端末室に響き渡った。

 直後にどこからか一本の矢が放たれ、《魔煌兵》の足をかする。アスティには聞き馴染みのない声であったが、リィンは珍しく動揺した様子でその矢が放たれた場所を凝視した。

 そこに立っていたのは、二人の女性だった。一人は導力弓を携え、金色の髪をなびかせて《魔煌兵》を見据えている。たった今矢を放ったのはおそらく彼女だろう。もう一人はメイド服を着た女性で、特に武装らしい武装はせずそっと佇んでいる。その二人を見て、ティオが小声で「……間に合いましたか」と呟いた。

 そして瞬きの間に、メイド服の女性は張り巡らせた鋼糸を使って《魔煌兵》を拘束してしまった。身なりこそ非戦闘員のそれだが、速さにおいてはこの場の誰よりも上のレベルに立っているだろう。

 何より、鋼糸を使った戦闘スタイルはこれまで本の中でしか見たことがなかった。ピンと張った糸は時に刃にもなり得るというのは、帝都にいた頃に小説で身に着けた知識である。まさか本当に糸を武器にして戦う人物がいたとは、とアスティは興味を抱いたように若干目を光らせた。

 メイド服の女性が作った隙を金髪の女性は見逃さない。炎を纏った矢と共に鋼糸も《魔煌兵》の図体を裂き、たった一瞬にして残骸すら残さずに倒してしまった。


「……すご〜。人間業とは思えないかも」


 特にあのメイドの方は、とアスティは残った鋼糸を見る。一切の気迫を隠した佇まいもそこからのスピードも、どこを切り取っても桁違いと言わざるを得ない。

 リィンとティオは数秒ほど部屋の様子を探るが、完全に沈黙したと判断すると、生徒たちも各々の武器をしまい始める。窮地に駆け付けた女性たちは《Z組》一行にそっと歩み寄り、金髪の女性はリィンの瞳をじっと見つめた。


「……っ…………!」


 すると金髪の女性は堪え切れずにといった様子か、弾かれるように走り出してリィンの胸に飛び込む。

 驚愕。そしてどことない既視感。こんな事が前にも起こらなかっただろうか。そう、例えば前回のサザーラントでの演習とかで。


「えっと、クルトくーん? 男女が熱いハグを交わすの、帝国じゃ普通の挨拶にカウントされるんだっけ?」
「されるわけがないだろう……」


 ならあれが二人の距離感なのか。もしかしたらそういう関係だったりするのか、という疑問はラウラの時にすでに空振りだったので置いておくとして。


「健全な青少年の前で白昼堂々は、ちょーっといただけないんじゃないかな〜。私困っちゃう」
「……と言いつつ、とても楽しそうなのですが」
「気のせい気のせい」


 アスティの中の天使は「公衆の面前でいちゃつくな」と不満を述べているが、一方悪魔は「別にいいんじゃない? 面白いし」とGOサインを出している。そしてこういう話は大抵の場合悪魔が勝つものなのだ。つまり現在アスティが満面の笑みで彼らの熱い抱擁っぷりを眺めているのも、全て悪魔のせい。悪魔のせいである。


「――久しぶりだ。直接会うのは一年以上ぶりか。綺麗になったな……正直、見違えたくらいだ」
「ふふっ、貴方の方こそ……でも一目で、声を聞いただけで分かった。貴方が私の――私たちの大切な人だって」


 完全に二人だけの世界だった。ユウナは前回に引き続き顔を真っ赤に染めて、ちらちらと視線を泳がしながらそれでも気になるのか二人をじっと凝視している。クルトは前回のラウラで慣れたのかあまり動揺は示しておらず、アルティナは完全に慣れ切ったのか半目でリィンの背中を見つめていた。


「な、なんて空気……」
「……その、彼女も?」
「旧Z組ですが……さすがに予想外です」
「……話は聞いてましたけど、ちょっとラブラブ過ぎません?」
「さすが教官。《灰色の騎士》は度胸も一般人のそれとは格が違うねぇ」


 狼狽える、もしくは若干引き気味の外野の中で唯一興味津々なアスティに視線が集中するが、当の本人は何のそのとニコニコと笑みを浮かべていた。基本、こういうイベントは楽しんだ者勝ちだと思うのだ。

 そしてこれはなのだが、《灰色の騎士》の弱点発覚のまたとない機会を逃すのは少々惜しい。人の弱みを握れそうなタイミングは掴んでおかなければ。あくまで常識の範囲内で、なのだが。


「うふふ……想い、焦がれた日々の長さゆえでしょう。熱いベーゼの一つくらいはご容赦くださいませ」
「あっなるほど〜! それなら私たちの事は気にしないで、どうぞ存分に……」
「しないからっ!!」


 怒られてしまった。

 冗談も程々に、彼女らが運んできた整備パーツを使ってティオがてきぱきと端末作業を進める。アスティも手伝おうかとも思ったが、端末上の操作はともかく物理的なメンテナンスはさすがに専門外だったので諦めた。大人しく本業に任せて周囲の警戒に努める。


「それにしても驚きました。まさか、端末制御とアーツ駆動を同時にこなしてしまうなんて」
「へ……私、ですか?」


 メンテナンスも無事終了した後。導力弓を携えた女性、アリサ・ラインフォルトと、そのメイドであるシャロン・クルーガーを連れて向かった先は、デアフリンガー号のある演習地だ。クロスベル市内でどこか落ち着いて話せる場所を探すのでも良かったのだが、さすがに一般人も大勢通りがかる場所で《魔煌兵》や幻獣についての話をするのは憚られる、という判断だった。

 デアフリンガー号内の会議室に集まり一通りの挨拶も済ませたところでふとティオから話題を振られたのは、今まで沈黙を貫いて席に座っていたアスティだった。


「でもでも、咄嗟にできちゃっただけの偶然の産物みたいなところも大きいんですけど……」
「いえ、おそらく完全な偶然ではないと思いますよ? “並列思考”というものをご存じでしょうか」


 聞き馴染みはない。おそらく一般常識の範囲には入るのだろうが、教科書的な教養以外のほぼ全てを切り捨てたアスティにはその文字から推測できる程度の知識しかなかった。


「簡単に言えば、同時に二つ以上の物事に着手できる能力のことですね」
「ええ。聞きながら書く、喋りながら運転するというように、同時に複数の事を考える脳の動きを並行思考と呼んでいます」


 アルティナとティオの説明で、大体の概要は掴む事ができた。おおよそ読んで字の如くである。


「通常、同時に行うタスクの難易度が上がれば上がるほど、並行思考の難易度も上昇します。ですがアスティさんの場合、元々その能力が一般人よりも遥かに発達しているのではないでしょうか」


 書く事と導力端末の制御をする事、聞く事とアーツを駆動する事では必要な集中力に雲泥の差がある。後者同士を同時に行うことは一般的には不可であるとアルティナは端末室で話していたが、ティオ曰くアスティは例外中の例外らしい。

 並外れた並列思考能力。導力端末で例えるならば、人間の脳にあたるCPUが二つ以上搭載されているようなものだ。


「それって、複数ある思考が同時に一つのものを考えると、とんでもない処理能力になるんじゃ……」
「はい。人間の脳の構造は現段階でまだ全て解明できていませんが、導力端末においては並列処理が最も効率の良い稼働方法だという結果が出ています。そちらも未だ実現は不可能なのですが、もしもアスティさんの脳内で実現が可能になったとすると……」


 一般人よりも遥かに速い処理速度で脳を動かせる。それこそ、氷の乙女アイスメイデンの二つ名で知られるクレア・リーヴェルトと同等かそれ以上に。まさしく、“天才”と呼ぶに相応しい才能だろう。

 ……なのだが。会議室にいる皆の視線がアスティに突き刺さり、終始無言を貫いている。


「……ないわね」
「クレア少佐には程遠いかと」
「ちょっと」


 普段からアスティと関わりのあるユウナとアルティナの結論は、総じて“あり得ない”だった。

 あのクレア少佐と同じ処理能力? あり得ない。何ならアスティよりも主計科担任のトワの方がよほど近い立ち位置にいる。即決とは失礼な話ではあるが、簡単に信じられるものでもなかった。


「まあ、あって困るものではありませんし、ちょっとした特技の一つとでも考えていただけると。これから伸びていく可能性は大いにありますし」
「うーん……あまり実感はないけど、ティオさんがそう言うなら」


 かのエプスタイン財団の主任を務めるほどの人材だ。《特務支援課》にいた頃はその天才的な頭脳を多くの問題に活用してきた人物だと聞く。そんな彼女の見解ならば、実感はなくとも“まあそんなものなんだろうな”とアバウトに捕らえざるを得なかった。


「まあ、私の話はこれくらいにしておくとして。次は、幻獣が現れた場所の調査、ですよね?」
「ああ。――トワ先輩。いざとなったらヴァリマールを動かすかもしれません」
「了解。ミハイル教官にはわたしの方から言っておくね」


 帝国由来の《魔煌兵》が何故かクロスベルにも出現していること。ここ二年は姿を現す事のなかった《幻獣》が出現するようになった事。両者はきっと完全な無関係という訳ではないのだろう。

 需要調査項目にもあった幻獣調査をするべく《新Z組》の面々が席を立つと、アリサが「提案がある」と引き留めた。


「提案……ですか?」
「ええ――まず一つは貴方たちに使って欲しいと思って持ってきたものがあるの。整備車両に積んであるから出発前に付き合って欲しくて」









 アリサの演習地来訪と共に、彼女の管理するRF社の整備車両がデアフリンガー号に連結されていたのは知っている。間近で見るRF製品の数々にティータが目を輝かせていたのを覚えていた。

 アリサの案内で列車を出てRF車の整備車両付近に行く。事前に打ち合わせでもしていたのか、準備万端とでも言うように隅々まで完璧に調整された“それ”が三台横並びで佇んでいた。


「察するに導力駆動の小型特殊車両でしょうか」
「ああ……サイドカーユニット付きの《導力バイク》だな」


 帝国にある大都市などでは既に導力車が普及しているが、この《導力バイク》は車とは全く形状が異なるものだった。四人乗り以上が一般的な導力車と比べ、導力バイクは一人もしくは二人でしか乗ることができない。外装にあたる部分も皆無で、搭乗者は体がむき出しの状態で走ることになる。

 その分、導力車よりも何倍も小型化されていた。細い脇道も難なく入っていけるだけのコンパクトなサイズになっており、安全面という課題はあるが少人数で扱うには比較的便利なアイテムと言えるだろう。

 元はリィンやアリサの先輩でトワの友人が学生時代に制作していたものらしく、その設計図をアリサが引き継いで正式にRF社で生産ラインを確立できたらしい。量産化に成功し交通法もクリア済みだそうで、現在は各地から受注依頼が殺到している。


「……もう一つの提案はさすがに予想外でしたね」
「ええ――そちらの方に調査を手伝っていただけるとか」


 導力バイクからアリサの隣にいるシャロンに視線を向ける。とろんと垂れた翡翠の瞳は何とも優艶だ。今や帝国の重工業メーカーを代表するラインフォルトのメイドに相応しく、スカートを指先でつまむ動作でさえ優雅さを帯びていた。


「――改めまして。ラインフォルト家に仕えるメイドのシャロン・クルーガーと申します。お嬢様が新装備の引渡しをするまでの間で恐縮ですが……新Z組の皆さんに誠心誠意、ご奉仕させていただきますわ」


 語尾にハートマークが付いていそうな台詞だ。ジオフロントでの戦闘で実力があるのは確かなのだが、どうにも人を駄目にしてしまいそうな危険がある。まだたった数十分ほどの付き合いなのにそう感じてしまうのは何故だろうか。

 アリサやトワ、ランドルフやティオに見送られて演習地を出発すると、リィンによる導力バイクのレクチャーが始まった。《Z組》に渡されたバイクは全部で三台。リィンと、他誰か二人はバイクを運転しなければならない。


「――とまあ、基本は大体こんな感じだな。あとは乗って覚えてもらうとして、もう二台の操縦は誰がする?」
「はいっ! あたしがやります!」
「では僕が――」
「はいはーい! なら私が……」


 同時に上がった手が三本。自信満々に掲げた手と、控えめに上がった手、ピンと伸ばされた手はそれぞれ顔を見合わせ、そしてバチ、と視線が交わった。


「えっと、大丈夫か……? 感覚は馬に似ていそうだし、僕が操縦した方がいいような」
「いーや、あたしの方が向いてるハズよ! 警察学校では導力車の運転訓練だって受けたもん!」


 どうしてもバイクに乗りたいのかユウナはそう強気に宣言する。確かに導力車に乗った事はあるようだったが、導力車と導力バイクでは運転方法が全く違う。同一視するのはさすがに、とクルトは反論したが、「男の子が細かいこと言わないの!」と押し込められてしまう。若干不服そうではあるが、一台はユウナの操縦で確定だった。

 残るは一台。クルトがアスティのどちらが乗るかだ。


「クールト。分校の学食一回分でどう?」
「賄賂を使ってまでバイクに乗りたいのか……?」
「あったりまえ! バイク乗れるの、かっこよくない? それに、少しだけ……」


 ――懐かしい、などと。そう感じてしまうのは何故だろう。

 言葉を切って俯いたアスティにクルトが声をかけ、「なんでもないよ〜?」と顔を上げる。リィンは瞳を閉じ、そっと様子を見守った。


「……仕方ないな。今回は君が運転するといい」
「えっいいの? ありがと〜クルト〜」


 先に折れたのはクルトだ。ユウナにもアスティにも大人しく譲る姿勢の彼には称賛しかない。三人の中で、彼が最も“大人”だった。……少しだけ不服そうではあったので、後でリィンがドリンクでも奢るとして。


「では、わたしはまたリィン教官の後ろでしょうか?」
「あ、アルティナは私と一緒ね」


 アルティナがリィンに向け一歩足を踏み出すと同時に、ポンとアスティが彼女の両肩に背後から手を乗せた。その顔はいつもと変わらないニコニコとした笑顔だが、どこか“重さ”を感じさせる圧がある。目も口も笑っているはずなのに、両手が置かれた方がひんやりと冷たく感じた。

 アルティナには特に断る理由も感じられなかったため、大人しく彼女に背を押され導力バイクのサイドカーユニットに乗る。アスティの笑顔には確かに含みこそあったが、別に敵意は無かったからだ。もしも彼女がアルティナに危害を加えようとしたら、まず《クラウ=ソラス》が迎撃するはずである。

 そもそも、この二ヵ月間で彼女が意味もなくそのような事をする人物ではないと分かってはいる。――二ヵ月ならば、話は別になるが。

 先頭をリィンとシャロン、その次をユウナとクルト、殿をアスティとアルティナのバイクが駆け抜ける。前回馬に乗った時とはまた違う感覚だ。一直線に風を切り、アスティの燃えるような赤い髪が後方へなびく。


「……それで、どうされたのですか」
「んー?」
「わざわざ私に声をかけたのは、何か用件があったからだと推測しますが」
「……アルティナは鋭いねぇ」


 アスティは困ったように眉を八の字に下げ、前方のユウナたちとの距離を測った。小声で話す程度であれば、彼女らに聞こえることはないだろう。当然、そのさらに前方にいるリィンたちにも。


「……ミリアム・オライオン……情報局の彼女についてのお話を、ちょっとね」
「…………ミリアムさんの?」


 その名前を出すとアルティナは少々警戒レベルを上げアスティを見上げた。何やら誤解が発生したため「別に危害を加えようとしてる訳じゃないって」と否定する。


「大体彼女、アルティナのお姉さんか何かでしょ? 同じファミリーネームなんだし」
「その解釈には異議を唱えます。あくまで、わたしと彼女は“起源”が非常に近いというだけの事ですので」
「? それを、姉妹って言うんじゃ……?」


 少々妙な言い回しだった。起源が近い、つまりは同じ親を持つという意味だとは思うのだが。血が繋がっている事を否定したいほど仲が険悪には見えないが、アルティナにとってはそこに細かいこだわりがあるらしい。前々から彼女に関しては疑問に思うところもあったが、もしかするとアスティには想像もできない程の深い事情が渦巻いているのかもしれない。

 アスティは苦笑しつつ「まあ、話を戻そうか」と咳払いをした。


「私が自分の記憶に辿り着くヒントをくれるようなものとでも思ってよ。君たちについて、そこまで詮索するつもりはないからさ」
「はあ……まあ、わたしに答えられる範囲であれば」


 前方を確認する。《幻獣》が確認された場所まではもう暫くの時間があり、ひとまずは安心した。これならば落ち着いて話ができる。


「ミリアム・オライオン――彼女も、《鉄血の子供達アイアンブリード》の一人なの?」


 控えめに、冷静に、そうアスティは尋ねた。アルティナは暫し考えた後に淡々と答える。


「はい。彼女も、レクター少佐やクレア少佐、ルーファス総督と同様に《鉄血の子供達》の一員です」
「…………そっか。なら、次の質問。彼女も、《トールズ旧Z組》の一人?」
「はい。と言っても最初から入学したわけではなく、あくまで情報局の任務の一環で編入したそうですが」
「………………そう」


 問いを投げかけるたびに、答えが返ってくるたびに、アスティの脳内で捏ねているが形作られていく。点と点が繋がり、俯瞰するとぼんやりと一つの図へとなっていく。それと同時に、心臓がぎゅう、と締め付けられるような痛みを発した。

 黙り込んだアスティに「ですが、何故このような質問を?」と今度はアルティナが疑問をぶつける。どうしようかと迷ったが、彼女の身内に関する情報を彼女自身の口から喋らせておいて何も伝えないのもどうかと思い、ぽつぽつと昔の情景を思い返しながら口を開いた。


「――私の最初の記憶は、帝都にあるとある屋敷のベッドの上。体は全然動かなかったけど、目を開くとすぐ近くにレクターとクレアさんがいて……少し離れた場所に、ルーファス総督と鉄血宰相が立ってた」
「それは…………」
「だけど……そこに、ミリアムさんの姿は


 エレボニア帝国の宰相たるギリアス・オズボーンが傍にいて。その《鉄血宰相》の直属の部下たる《鉄血の子供達》も三名揃っていて。にも関わらず、ミリアムだけがその場にいなかった。同じ子供達でありながら、ミリアムだけが。


「最初はただ都合が合わなかっただけなのかとも思ったし、そもそもただの小娘の目覚めを勢ぞろいで待つ意味も分からないんだけどさ……でも彼女が《Z組》だって聞いて、ちょっとだけ確信した。ミリアムさんは、意図的に私と会わないようにしてたんだなって」


 アスティ・コールリッジの過去を知っている《旧Z組》。ミリアムのその一員ならば、当然彼女も過去のアスティについての情報を持っているはずだ。それが、アスティが目覚めた時に彼女だけが居なかった理由。彼女が他の《子供達》と違う唯一の要素。

 ならば、そこには必ず動機があるはずだ。前回の演習の帰りの列車で、リィンはアスティの記憶にはかん口令が敷かれていたと言っていた。リィンだけではなく《旧Z組》全員に下されている命令をミリアムが守ろうとしたのなら、うっかり口を滑らないようにアスティから距離を取ったのも頷ける。実際のところどうなのかはまだわからないが。

 そもそも、何故かん口令が敷かれているのか? 帝国政府が記憶が何なのか、アスティにはまだ分からなかった。

 ここまでが、自身のに関する現在の見解だ。もう一つのわだかまりが、


「……ミリアムさんは、どうして《鉄血の子供達》になったんだろう」


 気付けば、声に出してしまっていた。

 ミリアムは明らかに自分よりも年下だ。アルティナと外見年齢はさほど変わらず、それでもアルティナ同様情報局のエージェントとして活動している。そして、《鉄血の子供達》としての活動も。


「……わたしには詳細は分かりかねます。目覚めた時にはオズボーン宰相や《子供達》が傍にいて、彼女の場合はその場で《子供達》に迎えられたとしか」
「それって……」


 ――まるで、私と同じ。

 いや、明らかに違う点がある。ミリアムはその場で《鉄血の子供達》の仲間入りを果たした。まるで、最初から《子供達》の一員となることが目的であったように。

 けれど、アスティは違う。目覚めた経緯は似ているが、その先は違う。少なくとも、ギリアス・オズボーンはアスティに対し《鉄血の子供達》という名を出すことはなかった。

 ならば何故、何のために彼らは自分を保護した? 何故、ミリアムと同じようにレクターとクレアを教育係に就かせた? 何故――


「――どうして、私は《鉄血の子供達》にはなれなかったんだろう」


 ミリアムと同じ道を辿っていながら、なぜ自分だけはその仲間に入る事ができないのか。レクターも、クレアも、ルーファスもで、自分は違う。自分、違う。

 その問いに対する答えだけは、アルティナは持っていなかった。誰も、何も言葉を発さないまま、バイクのエンジン音だけが街道に響いていた。





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