そっと指を立てましょう


 午後1時30分、デアフリンガー号ミーティングルームにて。

 結論から言うと、収穫はあった。一つは《緋いプレロマ草》のサンプルの採取。そしてもう一つは、帝国本土に現れたものと同一の幻獣の確認だ。

 プレロマ草に限っては、帝国から赴いたアスティ達よりもランドルフやティオの方が詳しい。彼らは2年前、碧の大樹出現と同時期に同じものを目撃している。しかし唯一、“色”だけが違うとランドルフは述べた。曰く、2年前に出現したものはであり、アスティ達が採取したもののように先端から根まで全てが緋色に染まっているわけではなかった、と。

 そして幻獣についてだが、こちらはランドルフ達クロスベル組よりも、リィン達帝国組の方が専門とも言える。確かに場所自体は過去に特務支援課が遭遇した場所と一致しているが、出現した幻獣の形状は全く異なっていた。

 幻獣アンスルト。旧Z組が、士官学院旧校舎とノルド高原で交戦したものと全く同じ種であった。旧校舎、ノルド、そして今回のクロスベルと3件全てで刃を構えたリィンの証言から、ほぼ確実と言ってもいいだろう。


「――シャロン、単刀直入に聞くわ。こういったことを《結社》は人為的に起こせるのかしら?」
「………………」


 意を決して、アリサはあえて冷静にシャロンに尋ねた。

 彼女が《結社》の人間であるとアスティが知ったのはつい先ほどだ。クルトはアスティよりも前に気づいていたらしく、きっと彼が疑問をぶつけなければアスティも“ちょっと不思議な戦い方をするめちゃくちゃスキルの高いメイドさん”という認識で止まっていただろう。相変わらずクルトの観察眼は目を見張るものがある。

 彼女の身分についてはRFグループと帝国政府が双方合意で保証しており、彼女の方も現在《結社》の方は休業中であると述べている。とりあえず敵対関係になる可能性はないと安心し、アスティは胸をなでおろした。……正直、あのジオフロントでの鋼糸の使い方を見ると、今の自分達では束になってかかっても叶わないと思ってしまうのだ。

 自身の仕える主の問いに、シャロンは「可能性はゼロではないかと」と静かに肯定した。


「ですが結社は基本的に超越技術的オーバーテクノロジーなものを追い求める傾向にあるかと思います。霊的な魔獣である《幻獣》や暗黒時代の魔導の産物《魔煌兵》を利用するのは違和感がありますわね」


 そう聞いて真っ先に思い浮かんだのは、前回の演習の最後に現れた人形兵器の存在だ。神機アイオーン、という名前だっただろうか。確かに、あれは一般企業で開発できる代物ではない。まさに超越した技術オーバーテクノロジーだ。……というか、そもそも《結社》はあんなものを一体作っているのだろう? その答えを聞いても、きっと誰にも分からないのだろうけど。

 そうなると、次なる疑問は緋いプレロマ草の発生原因についてだ。アルティナは指名手配中のロイド・バニングスと共に潜伏しているとされる《零の御子》が原因である可能性を指摘するが、ミハイルはきっぱりとその憶測を否定した。


「先ほど、総督府から連絡があった。今回の件について、バニングス一党を気にする必要は無しそのことだ」
「へぇ……?」


 アスティにとって、それは実に興味深い情報だった。総督府、つまりはあのルーファス・アルバレア直々の連絡だ。――《Z組》が幻獣と遭遇し、緋いプレロマ草と接触し、《零の御子》キーア・バニングスに疑いの目を向けたなど、少し出来すぎた話ではないだろうか。

 偶然も二つ重なれば運命と呼べるが、三つ重なってもなお運命と呼ぶのは少し躊躇するものがある。何故ならその域に達した場合、本当の本当に偶然が重なった確率よりも、最初から確率の方が高くなる。――必然、と。そう呼ぶのが妥当なのではないだろうか。

 勿論、その必然すらも引き起こすのは容易ではない。けれど不思議なことに、世の中にはそれを平然と、まるでチェスの盤面を進めるかの如く淡々とこなしてしまう天才が存在する。アスティの知る限り、ルーファス・アルバレアもその一人だった。

 彼についての情報は帝都にいた頃からよく耳にしている。何せ、目覚めてからは娯楽という娯楽がなかったのだ。唯一楽しめるものと言えば、レクターが稀に持ってくるカードゲームの類かクレアが持ってくる小説か、あとはドアの向こう側から聞こえる噂話だけ。その噂話の中に、クロスベル州初代総督に就任した若き策謀家の話も当然のように混じっているわけで。

 噂に聞いた彼の内戦時での働きが本当であれば、時期を見計らって情報を流すなど容易だ。そして当然、それにはが存在する。何故彼は、ここまで用意周到に《零の御子》……否、《特務支援課》に接触する機会を絶っているのか。

 そう考え始めると止まらない。オルキスタワーのエレベーター内で思い浮かんだ“果たしてロイド・バニングスはルーファスから逃げ続けられるのか?”という疑問が再び湧きあがり、アスティの脳を支配する。

 そして、ひとつの仮説が浮かび上がった。


「もしかして、」
「……アスティ? 何か分かったの?」


 点と点を強引に結びつけた、極めて身勝手な仮説だ。証拠もなければ証明する方法もない。けれど、筋は通る。

 ――ロイド・バニングス一党は、潜伏などしていない。既に総督府の手の内にあり、何らかの事情で干渉できないように仕向けられているという可能性。ルーファス・アルバレアが《特務支援課》……このクロスベル全域に仕向けた陰謀なのだとしたら。

 確かめるための最短ルートは、彼と同じ支援課メンバーであるランドルフとティオの二名だ。ルーファスがロイド・バニングスをターゲットにする目的など、《特務支援課》以外にありえない。では何故、ランドルフとティオの二名だけはその手から逃れることができているのか。色々と回り道をして探る方法はあるのだろうが、こればかりは直接聞いた方が圧倒的に早い。

 ランドルフ教官にティオさん、とアスティは声をかけようとして――一切の動きを止めた。

 それは、ある意味での拒絶だった。訊くな、と。頼むから聞かないでくれ、と言いたげな彼らの目に、アスティは口を閉ざすしかなかった。


「……アスティさん? 大丈夫、ですか?」
「……なんでもない。……なんでも、ないよ」


 これ以上は、いけない。踏み込んではいけない場所に、踏み込むことになってしまう。

 気付かない方がいいことがたくさんあるように、聞かなくてもいいことも世の中には山ほどある。特に、自分のようなクロスベルの歴史も苦労も何も知らない、半端者の部外者が興味本位で首を突っ込んだってプラスになる事なんて何もない。ただ傷を抉るだけの行為だ。

 それに何より――今のランドルフとティオの目が、自分を見るレクターとクレアの視線と一瞬重なったような気がした。









「さあて、演習だよ演習ー! なるはやで終わらせて、パンケーキの美味しいカフェでお茶でもしたいなぁ、なんて!」
「はあ、随分元気ね……」


 デアフリンガー号でのミーティングを終えると、《Z組》はクロスベル市内での演習を再開した。かなりの大仕事を終えた感はあるが、これでもまだ要請にあった幻獣の調査は片方しか終わっていない。もう少し踏み込んだところまで調査を行うためにも、もう一方の出現場所に足を運ぶ必要はあった。先ほどの調査の間にアリサの用事の方も無事終了したらしく、ここからはまだ《Z組》だけでの特務活動となる。

 クロスベル市内の街並みは午前中と変わらず、唯一変わった点と言えば、オルキスタワー上空に今までになかったものが浮かんでいるということだ。


「パンタグリュエル……街道からも見えていたが」
「……フン。偉そうに見下ろしてくれちゃって」


 あまりにも規格外なサイズに、“大きいなぁ”という至ってシンプルな感想しか出てこなかった。

 帝国本土からやってきた巨大な飛空船を見上げる人々の反応はまちまちだが、好意的な印象を抱いている人物は少ない印象だ。少なくともアスティの隣にいるユウナは終始睨みっぱなしであるし、クルトだって複雑そうな顔をしている。クルトはさておき、クロスベル人が帝国由来のものに抵抗感を抱くのは、“併合”という背景を考えると多少は仕方のないことだった。

 白き巨大飛空艦、パンタグリュエル号。内戦時は貴族連合の旗艦として利用され、現在はエレボニア皇室の所有物とされている。その艦体がわざわざ帝国からクロスベルに来た時点で、伏せられていた視察団が一体誰であるのかはもう確定したようなものだった。

 今はもう撤収されてしまっているが、クロスベル市内の至る所に設置されたモニターにはその男、オリヴァルト・ライゼ・アルノール皇子の姿が先ほどまで映し出され、次いでアルフィン皇女、レーグニッツ帝都知事、そしてRFグループのイリーナ会長の姿が中継されていた。なるほど、これは事前に名前が伏せられるのも納得の顔ぶれだ。もしも彼らの身に何かがあれば、冗談抜きで帝国が揺らぐ。テロリストや暴動などの可能性を考えると、公表しないというのが一番の安全策だ。

 ……事情は分かってはいる。それでも、クルトとユウナは先程の中継の様子をすぐに飲み込めるほど大人ではなかった。クルトは自分の兄でオリヴァルト皇子の側近であるミュラー・ヴァンダールの不在を。ユウナは本来なら視察団を出迎えるべきであるマクダエル議長の不在を。それぞれ疑問と不安に胸中に巣くわせながら、ただ白い艦体を見上げることしかできなかった。


「――2人とも、とりあえず今は特務活動に集中してくれ」


 教官として、生徒の命を預かる立場の人間として、あえてリィンは冷淡にそう言い放つ。

 今の《Z組》の目的は幻獣の調査だ。通常の魔獣の何倍も凶暴なあれを、今度はシャロンの助力なしで対処しなければならない可能性だってある。そうなると、少しの判断ミスが命取りだ。ほんのちょっとの気の迷いが、大きな怪我になって自身に返ってくる場合も十分にあり得る。だから、今は一旦捨て置くくらいが丁度いい……というのは、自分のかつての経験談も入ってるのだろうか。

 リィンに諭され、両名は気持ちを入れ替えるかのように深呼吸をした。良かった、なんとかなりそうだ。ただの情報収集ならともかく、戦闘面でカバーできるほどアスティも手練れというわけではない。半人前が二人分のフォローを入れようとして共倒れ、なんていう情けないにも程がある未来はどうにか回避できそうだ。


「ふ、ふん、教官の方こそ油断したりしないで下さいよ? なんか、妙に優しい顔で思い出し笑いとかしてましたし」
「えっユウナ何それ、詳しく教えて」


 ユウナの一言で、空気が急変する。

 じとり。先ほどまでの緊張感は一体どこへ消えてしまったのか、生徒からの形容しがたい視線がリィンに突き刺さった。


「どうせさっき別れたアリサさんのことでも思い出してたんだろうけど」
「いや、それは……」
「いえ、先ほど映像に映っていた女子2名のほうではないかと。アルフィン殿下にそのお付きの令嬢――特に後者はリィン教官にとって誰よりも大切な方でしょうから」
「教官ー!? 私それ初耳! 誰!? 誰!?」


 リィンに弁明する機会など与えられることはなかった。女三人寄れば姦しい、とは何処の誰が言った言葉だろうか。特に年頃の女子というものはこの手の話題に厳しく、一度気配を察知するとなかなか掴んで離れない。

 しかし、相手がリィン・シュバルツァーともなるとそんなものはもう男女関係ない。無自覚タラシ。朴念仁。初恋泥棒。罪を作り過ぎちゃった系男子。彼を指す言葉は数多く、そしてその大半の意味を彼自身が理解していない。そんなことがあっていいと思っているのか、振り回される身にもなってみろ、と見ているこっちが匙を投げたくなってくるようなそんな男の……誰よりも大切な、相手? 気にするなという方が無理がある。

 アスティ、ユウナ、クルトの3人で即座にアイコンタクトが交わされる。

 ――さっき映ったお付きの女の子、知ってる?
 ――いいや知らない。名前も知らない。
 ――でもたまに新聞の写真に映り込んでるのは知ってる。

 結論、知らない。でもすごく気になる。

 あらぬ誤解が発生する前に説明できる部分は説明した方が身のためだと理解したらしいリィンはわざとらしく咳ばらいをすると、重い口を開いた。


「……まあ、なんだ。俺の妹でね」
「妹!?」


 驚愕。続けてアルティナが追い打ちをかける。


「しかも義理です」
「義理!?」
「いや、別にそこは反応する所じゃないだろう」


 声を揃える生徒3名にリィンは冷静にツッコんだが、いやいやそんなことはないだろうとアスティは脳内で反論した。義理の妹と言えば、あれだ……いや、何だ? 

 思えば、この時のアスティは少し冷静さを欠いていたのかもしれない。アスティに限ったことではないのだが。

 聞けば、話題の中心であるリィンの妹とアルフィン殿下は学友同士で、その縁でリィンもアルフィンと面識がるらしい。ああ、なんだそんなことか、と納得しかけたのも束の間。


「……面識がある程度では無かったと記憶していますが?」


 ……なんだと?


「内戦時、あのパンタグリュエルに囚われていた殿下を“お姫様抱っこ”で解放していたくらいですし」
「お姫様抱っこ!?」
「ちなみにその際、わたしは教官に2度も不埒なことをされました。具体的には無防備な寝顔を見られ、あられもない格好にさせられました」


 驚きも一周回ると“無”になるのかもしれない、とアスティは大して回りもしない頭でそう考えた。この感情をなんて言い表すのが正しいのだろう。

 いやいや、教官が“そういう人”だということは知っていた筈なのだ。それが全て善意100%で、無自覚で行ってしまったが故の行為ではあるのだと。でも……妹の同級生であるアルフィン殿下や、当時はまだ教え子ではなかったとはいえうんと年下の子供にまで手を出すのは……うん。少し、いやたいぶ。いただけない。うん。

 リィンは「誤解を招く言い方をしないでくれ」と自分の名誉を守ろうと努力はしたが、「全て事実ですが、何か?」と切れ味抜群に両断され、言葉を詰まらせる。そして言葉を詰まらせるという事自体が、自分の行いを認めたようなものだった。


「さ〜てと、市内を確認したらとっとと東の街道に出よっか?」
「そうだな、可能な限り生徒だけで片付けたいし。アルティナもどうだ?」
「異存はありません。アスティさんもこちらへ」
「はいは〜い。まずはどこから行こっか?」
「いやちょっと、あのな……」


 多勢に無勢。4対1ではリィンに勝機なんてものは何処にもなかった。せめて誤解を解かんと言葉を紡ぐ間にも、リィンと生徒たちの距離は心理的にも物理的にも離れる一方である。


「ほらアル、モタモタしてたら不埒なことされちゃうわよー?」
「……セドリック殿下だけじゃなく、アルフィン殿下もお守りするべきだったか」
「いやいやクルトは悪くないよ。それより、次にアリサさんたちと会った時どんな顔すればいいんだろ……」


 そもそも彼女たちはリィンとアルフィン殿下のパンタグリュエルでの出来事を知っているのだろうか。知らないのであれば彼女たちが不憫に思えてくるし、知っていたら知っていたで彼女達も中々に中々だ。ところでアルフィン殿下の方は、リィンをどう思っているのだろう。彼女からすればリィンは自分を敵地から救い出してくれた、白馬ならぬ灰色の騎士人形に乗った王子様なわけで……。

 うーん、とても面白い。とても面白いのだけど、残念ながらこの状況下でリィンをフォローする気にはなれなかった。ごめんね、教官。


「ちょっとユウナ君ー? クルト君にアルティナ君、アスティ君もー」
「なんですか?」


 ……生徒からここまで冷ややかな視線を向けられるのは、《Z組》発足以降初めてかもしれない。あれこれ考えていた考えていた言葉はすぐに消え失せ、「何でもないです……」と珍しく肩を落とす彼の姿がぽつりと寂しく残されていた。





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