うしろの正面


 三台分のエンジン音が東クロスベル街道を疾走する。先頭でリィンがアルティナを乗せ、中間でユウナがクルトを乗せ、そして最後尾をアスティが一人で走行していた。

 導力バイクなるものを生み出したトールズ卒業生、そしてその開発を引き継いだRF社に心から賛辞を贈りたい。彼らのおかげでなんとか日没前に特務活動を終えられそうだ。

 そもそも分校としては導力バイクの提供など想定外であったことから、初期の予定としてはクロスベル周辺を徒歩で探索するというハードスケジュールだったはずである。いくら常駐戦場とは言えど、学生に対してその仕打ちは過酷すぎるのではないだろうか。そんな視線をはるか前方の新米教官に送ったところで、彼自身が特務活動の計画を立てたためではないので全くの無意味なのだが。

 農業と養蜂で有名なアルモリカ村を通り過ぎて街道を進んでいくと、ふとリィンとユウナがバイクを止めた。


「共和国方面の国境門の大規模改築――情報通りですね」


 アルティナが何を言っているのか一瞬分からなかったが、彼女らの視線を追うとすぐに理解できた。

 クロスベル街道のはるか向こう。何十セルジュも離れた場所に巨大な門が堂々と建ち、その頭を木々の上から覗かせていた。クロスベルとカルバード共和国の間に建築されている、ダングラム門である。これだけの距離が開いていてもそのスケールの大きさが伝わってくるが、アルティナ曰く未だ改築途中とのことらしい。完成すれば、帝国最大のガレリア要塞に迫る規模にもなる、とも。

 ユウナが初めて見ると言ったことから、おそらく改築は彼女がクロスベルを離れたここ数ヶ月で決行されたものなのだろう。ただの老朽化による改装にしてはあまりに急ピッチすぎる上に、何よりもあの大きさだ。要塞と言っても良いレベルの門をわざわざクロスベルと共和国の間に造るなど、総督府による何らかの意図があるのは確実と言ってもいい。

 愛した故郷が、余所からやってきた者たちの手で作り替えられていく。ユウナが感じた不快感はアスティには計り知れないが、それでも特務活動だけは終わらせなければならない。幻獣の調査をすることがクロスベルの為にもなるのだと割り切って、一行はバイクを発進させた。

 それからしばらく道なりに進むのだが、数分ほど経ったところでアスティのバイクに異変が訪れた。


「……へっ?」


 パンッと何かが弾ける音が足元から聞こえた直後、突如ハンドルから振動が伝わってきた。非常に小さな揺れではあるが、これまで快適に走れていたことを考えるとやはりその違和感は目立つ。そんなアスティの不安を助長するように、車体は緩やかな蛇行をし始めた。もちろん、アスティ自身は真っ直ぐに走っているつもりである。

 明らかに挙動がおかしい。これはもしかして、もしかするのでは。

 アスティの頭に懸念を表した三文字が過るが、前方で先行する二台が目的地の手前で停まろうとしているのが目に入る。せめてあそこまでは頑張ってくれと自らが跨るバイクにエールを送り、徐々に減速し始めた。

 幻獣が目撃された場所は小さな木戸で閉鎖されており、立ち入りが禁止されている。そのため近くのボート小屋から鍵を借りてこようということになったのだが、アスティがリィンたちに追いついたのはその話が固まった直後だった。


「あっやっと来た」
「遅れていたみたいだが、何かあったのか?」
「ん? んー……」


 ユウナとクルトの問いに曖昧な返事をし、アスティはボート小屋の隣に駐車するとすぐにしゃがんで乗っていたそれを探り始めた。「感覚的にはフロントだったはず」と前輪付近を触るアスティを、二人が不思議そうに後ろから覗き込む。

 やや間が開いて、アスティが「げっ」と声を漏らした。


「あっちゃー……見事にパンクしてるよ」
「ええ!?」


 本人であるアスティよりもユウナが驚愕に顔を染める。見てみて、とアスティに促されるまま前輪タイヤを観察すると、地面と接触するトレッド面に金属製の釘が刺さっている光景が目に入った。

 トラブル対処もできることなら生徒に任せようと静観していたリィンだったが、導力バイクの不具合となるとそうもいかなかった。今回の特務活動における主な移動手段は導力バイクだ。それが使えなくなるだけで、演習の効率は格段に落ちる。ただ使用できなくなるだけならまだしも、パンクしたバイクを押して演習地まで帰る手間は厄介極まりない。


「とりあえず怪我はないか? アスティ」
「あ、はい。割と初期の段階で気づけたので」


 アスティに代わり、リィンがパンクしたタイヤを覗き込む。接地面は凹み、深く突き刺さった釘がこれ以上走ることは難しいと物語っていた。


「教官ー。どうしましょ……」
「まあ、焦ることはないさ。バイクの荷台に非常用キットが入っていなかったか?」
「非常用……あっ」


 リィンの言葉で何かを思い出したかのように、アスティがバイクの荷台の中を物色する。特務活動中に使う道具を入れられるようにとRF社の整備士が取り付けてくれた小さなものだが、貰った段階で既に最低限のものが入れられていた。


「……あった! 修理キット!」


 暫しの間の後にアスティが取り出したのは、パンクの応急処置をするための修理キットだった。初心者用に使用方法が細かくまとめられた説明書も同梱されており、すぐに開いて上から下へざっと目を通す。


「さすがRF社、サポートも手厚いですね」
「そ、それで、なんとかなりそうなの?」
「うーん……まあ、演習地に帰るまでならこれで大丈夫そうかなぁ。素人作業だし、帰ったらティータに見せなきゃいけないけどね」


 キットを開封し、パンクした箇所と説明書を見比べる。脳内で作業手順のリハーサルを終えると、立ち上がってリィンたちを振り返った。


「じゃあ教官。私はここでバイクの修理してるので、鍵の方はお任せしてもいいですか?」
「ああ、それは問題ないが……一人で大丈夫か?」
「問題ないですって。別に難しい作業じゃないですし」


 両手を腰に当てて笑顔でそう告げると、リィンも時間がないと分かっているのか「何かあったらすぐに呼んでくれ」と言い残しユウナたちを連れてボート小屋へと姿を消した。その後ろ姿にひらひらと手を振って、よしやるかと袖を巻くる。

 アスティが述べたとおり、説明書に従えば作業自体はそれほど困難ではない。簡潔に述べると、刺さった異物を抜いて修理剤で穴を埋め、乾くのを待つだけ。細かく言えばもっと多くの手順はあるのだが、順調に行けば30分程度で終わる工程である。バイクの修理など生まれて初めて行うが特に問題もなく着々と工程を進めていき、残るは表面の乾燥を待つだけとなった。

 管理人か誰かと話しているのだろうか。リィン達が小屋から出てくる気配はなく、街道の脇道はアスティ一人が佇むだけで閑散としている。少し寂しいが、特務活動中のちょっとした休憩と思うことにしよう。

 そうしてバイクから一歩離れた瞬間――視界の端に、黒い球体が映り込んだ。


「!?」


 一体いつからそこにいたのか。少なくともリィン達が小屋に入っていった時にはいなかったし、アスティが修理をしている時に現れた気配はなかった。

 即座に二、三歩退いて、臨戦態勢に入る。いつでも駆け出せるよう片足を引き、剣のグリップに手をかけた。

 しかし、その球体はいつまで経っても動き出さない。烏羽の表面に紫色に発光するラインが何本も入っているそれは、宙に浮かんだままじっと静止し続けている。中央の楕円状に窪んだ部分がアスティを凝視し、まるで不気味な目に監視されているかのようだった。

 一応無機物のようだが、目視での観察だけでは材質等は判断がつかない。だが――これに似たようなものを、どこかで見たことがある気がする。頭が混乱しているせいか、それが何であったのかすぐに思い出すことはできなかったが。少なくとも人形兵器ではないことは確実だ。

 さらに数秒経ったところで、一向に動き出さない球体に違和感を感じ少しだけ警戒を解く。敵対の意思はないのだろうか。一歩、また一歩とアスティが恐る恐る近づいたところで、特に反応はない。球体は上下に揺れつつ浮遊し、アスティを見上げている。

 そしてあろうことか、アスティはその右手を剣のグリップから離し、ゆっくりと持ち上げて球体に伸ばした。

 まるで子供が抗いきれない甘美な誘いに乗るように。あるいは、孤独な研究者が未知の世界の叡智に足を踏み入れるように。

 もう少しで指先がその輪郭に触れる。あとほんの数リジュで――。


「……アスティ?」


 びくん、とアスティの肩が跳ねた。伸ばしていた右手も引っ込め、胸の前で左手が押さえつけている。何故かはわからないが胸が早鐘を打ち始め、全身の血が沸騰するような感覚を覚えた。


「えっ、きょ、教官!? もう終わったんですか!?」
「あ、ああ……すまない、驚かせる気はなかったんだが」


 ぎょっと目を見開き、視線を右往左往させるアスティを、小屋から帰ってきたリィンは怪訝な顔で見つめた。その一歩下がったところで止まったユウナらが、何だ何だと彼の後ろから視線を飛ばしてくる。


「……何かあったのか?」
「え、えっと……」


 言おうか言わまいか数秒迷って、包み隠さず明かそうと決心した。「今ここに……」と説明を始めつつ、球体が浮かんでいた場所を振り返る。


「……え」
「? どうしたのよ?」
「……いない」


 しかしアスティが再び目を向けた時には、球体は忽然と姿を消していた。そこにあったという証を一切残さず、まるで空気の中に溶けて消えていったように消滅している。周囲のあちこちに視界を移動させて探してみたものの、やはり同じようなものは見つからなかった。


「あっれぇ……? 見間違いかな……?」
「何よ、まさか立ちながら寝てたんじゃないでしょうね?」
「わ、私がいくら寝坊助だからって、そんな器用な真似できるはずないでしょー!?」


 そう反論するも、ユウナはどうだかとまるで信用していない様子だった。これに関しては日頃の行いが悪かったというべきか、アスティの普段の寝起きの悪さ、どこでも寝始める睡眠欲への無抵抗さから、ユウナのアスティに関する睡眠絡みの信用は地の底に落ちていた。その不信用さがかえって“アスティなら絶対立ったまま寝られる”という不本意極まりない、ある種の信用を勝ち取る結果につながっているのだが。


「うーん、本当に見た気がしたんだけどなぁ……?」
「……まあ、今は気に留めておく程度にして、先に幻獣の調査の方を進めるべきだろう。ここに来てからそれなりに時間が経ってしまっているしな」


 球体が消えた虚空をじっと見つめるアスティに、クルトがそう促す。そう言われて小屋に立て掛けられていた時計を確認すると、既にバイクを止めてから長針が半周していた。それもそうだねと返し、球体のことは一度捨て置くと決める。

 バイクのパンクもすっかり修理剤が固まり、問題なく走れるようにまでは回復している。……RF社から貰ったばかりだというのにもうパンクさせたと言えば、ティータはどんな顔をするだろう。彼女だって主計科の演習で疲れているだろうに、バイクの整備もさせるのは少々忍びなかった。この演習が終わったら美味しいご飯でも振る舞ってあげようかとも思ったが、料理についてはアスティよりもティータの方がよほど美味く作れるので諦めた。


「そういえば、小屋の中で誰かとお話ししてたんですか?」
「ああ。ルーグマン教授という方と偶然出会って、少しな」
「ルーグマン教授?」


 タイヤの様子を確かめつつ、ふとアスティがリィンに尋ねた。小屋から出てくるのが遅かったのは、やはり誰かと言葉を交わしていたかららしい。

 聞けば、そのルーグマンという男は帝都学術院で教鞭をとっているのだという。地質学研究の一環でこの沼地の先を訪れたところ、緋い花が咲いていたのを見たと話していた。

 なるほど、それは惜しいことをした。導力バイクのパンクさえなければ、自分もそのルーグマン教授から直接情報を聞けたのだが。


「それにしても帝都学術院かあ。私見たことないなー、どんなところなんだろ」
「アスティと学術院って、なんだが結びつかないわね……」
「常に赤点回避を第一目標に掲げているアスティさんと学術院、ですか……」
「そこ、がっつり聞こえてるからね!?」


 ビシ、と指をさしたアスティだったが、ユウナとアルティナにはまるで効いていなかった。効くどころか「本当のことでしょ」と一蹴され、逆にアスティが言葉に困る始末である。確かに自分が学術院に通う姿など想像もできないし、勉学よりも実戦で体を動かす方が好きな自分にとって学術院は息が詰まりそうだ。

 それでもここで負けを認めてしまうのはアスティのプライドが許さなかった。負けを認めた瞬間敗者というレッテルを貼られてしまうような気がして、なんとか頭の中で返せそうな言葉を探し始める。隣でクルトが「君も大概負けず嫌いだな……」と言葉を漏らしたが、アスティはそれをまるきり無視した。


「で、でもさあ、まだわからないじゃん? 確かにちょーっと勉強は苦手だけど、将来は案外インテリな仕事に就いてるかもしれないし?」
「ないわね」
「ないですね」
「……せんせー! ユウナちゃんとアルティナちゃんが、ひどいこと言ってきます!」


 日曜学校か、というツッコミはクルトは口に出さなかった。さっきひとしきり無視されたばかりなので。

 ぷんすかと憤慨するアスティを嗜めて、それぞれバイクとサイドカーユニットに乗った。これまでと引き続き、アスティは一人で最後尾を走ることになる。

 ――ふと背後を振り返る。球体が出現した場所に再び変化が怒ることはなく、見つめたところで何も返ってくることは無かった。気持ちを入れ替えるように一度深呼吸をし、それからクラッチレバーを握った。

 最初にリィンのバイクが、その次ユウナが、最後にアスティが発進させ、一行は沼地の奥へと向かう。小屋の前の広場には、もう誰の影も存在していなかった。

 それだというのに――どうしてこんなにも、視線を感じるのだろう。





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