はにかみナイフ


 アナウンスの声の主は、先ほどシュミットに指示を出されていた主計科の女子生徒で間違いない。「了解だ、少し待ってくれ!」とリィンがスピーカーに向かって声を張り上げると、これは持っているかとポケットからある導力機器を取り出した。


「ええ、それなら――」
「送られてきたヤツね。まだ起動はしてないけど……」


 リィンが取り出した導力機器と同じものは入学前の段階で既に送られてきていた。アスティもポケットに閉まっていたそれを取り出し、開く。


「戦術オーブメント――所有者と連動することによって様々な機能を発揮する個人端末だ。導力魔法オーバルアーツが使えたり、身体能力が向上したりするが……この最新端末《ARCUSU》では更なる新機能が追加されている」


 折り畳めばポケットに入るくらいの大きさにはなるが、展開すると案外大きく感じる。中央やそれを取り囲むように窪みがあり、それぞれがラインで繋がっているそれは、アスティにも見覚えはあった。


「《ARCUSU》……」
「新機能……《ARCUS》の方は見たことありますけど、それほど見た目に大きな変化はありませんよね」
「ENIGMAとは違う、帝国製の戦術オーブメントか……」
「正確には、帝国ラインフォルト社とエプスタイン財団の共同開発ですね。いよいよ実戦配備ですか」
「ああ、新機能についてはおいおい説明するとして――四人とも、これを受け取ってくれ」


 リィンはそう言うと、ポケットから続けて先ほどミハイルから受け取った球体を差し出した。朱色や翠など様々な色の宝珠を、一一つずつ配っていく。相変わらずそれは宝石のように輝きを放っていて、よく見ると中に何かの紋様が描かれていた。


「エニグマにもあった……たしか“マスタークォーツ”でしたっけ」
「ああ、基本概念は同じなはずだ。開いたスロット版の中央に嵌められるからセットしてくれ」


 リィンは朱色、ユウナは橙、クルトは翠、アルティナは紫……と、それぞれマスタークォーツの種類は違う。それぞれの適性や戦闘スタイルに合わせた結果だろうか。アスティはというと、銀色の球体の中に雲と月が描かれている。あとで名前を調べてこう、とクォーツをつまみ、端末の中央の窪みに嵌めこんだ。

 その瞬間、《ARCUSU》とアスティ自身の身体が一瞬淡い光を放った。「わっ……」と声を上げるとちょうどユウナ達も同じ体験をしたようで、目を見開いて端末を凝視している。リィンによれば、これは端末と所持者の同期作業が完了した合図らしい。今この瞬間をもってそれぞれが持っている《ARCUSU》はその人物本人専用の端末となったため、アーツも正常に使えるようになったとのことだ。


『――フン、準備は済んだか』


 戦術オーブメントのセッティングが終了すると、見計らったようにスピーカーから声が流れた。先ほどの主計科の女子生徒ではなく、今度はシュミットの声だ。いつでも行けます、とリィンが答えると、『ならばとっとと始めるぞ』と返ってくる。


『LV0のスタート地点はB1、地上に辿り着けばクリアとする』
「……ん? B1って、地下一階ってこと……?」


 けれど、今自分たちが立っている階層は紛れもなく“地上”一階だ。地下へと続く階段やエレベーターは周囲には見当たらない。ならばこれから出現させるのだろうか。この建物は機械仕掛けの訓練施設であるし、管制室からエレベーターまでの道を作ることも容易いはずだ……と思っていた矢先に、『は、博士……? その赤いレバーって……』と主計科の女子生徒の困惑する声がマイクに乗って聞こえてきた。


『ダ、ダメですよ〜! いきなりそんなの使ったら!』
『ええい、ラッセルの孫のくせに、常識人ぶるんじゃない……! ――それでは見せてもらうぞ。《Z組・特務科》とやら』


 ……不穏だ。何故かはわからないが、ぞわりと鳥肌が立つ。


『この試験区画を、基準点以上でクリアできるかどうかを――!』
「! みんな、足元に気をつけろ!」


 いち早くリィンがそう警告するのも一歩遅く――五人が立っていた場所の床が、突如傾いた。


「え――」
「なっ……!?」
「わぁっ……!?」


 突然の浮遊感に対応が遅れたユウナ、クルト、アスティは、傾いた床をずるずると滑り落ちていく。「バランスを取り戻して、落下後の受け身をとれ!」と頭上でリィンが叫んでいるが、そこまで頭が回らない。落ちた先に何があるのかわからない以上、無様な格好で床に叩きつけられるのは避けたかった。


「ふっ……!」


 とっさに腰に差した剣を鞘から引き抜き、全力を込めて傾斜になった床に突き立てた。自重でガリガリと床を削りながら滑り落ちるが、何とか地面に落ちる前に止まることはできた。ふう、と安堵の域を吐くと、「アスティ」と声がかかる。上を向けばリィンがちょうど滑り降りてきてアスティの横で止まった。


「よくあの状態から持ち直したな。初見じゃなかなか厳しいと思うんだが……」
「あはは……なんか、身体が勝手に動いちゃって。でも、よく考えたら訓練施設なんだし、そう警戒することもなかったかなあって思うんですけど」
「いや……今回は結果的にそうだっただけだ。これがもしも実践だとしたら、落ちた先が罠である可能性も否めないからな」


 瞬間的な状況判断としては満点だ、と言われ、アスティはなんとも形容しがたいむずがゆさを覚えた。「あ、ありがとうございます」とだけ述べて視線を逸らすが、それでもこの雰囲気に耐え切ることは難しい。「とりあえず、ユウナとクルトと合流しましょうか!」と告げ、剣を床から引き抜いた。勢いが軽減されたことで先ほどよりも滑り落ちるスピードは緩く、着地は余裕すぎるほどだった。……やはり万が一を想定して着地地点の床は弾力性のある床に変えられていたので、心配する必要はなかったのだが。

 さて、ユウナとクルトは……と顔を上げたところで、アスティは動きを止めた。


「…………えっと」


 これから同じ学び舎で生活する者がラッキースケベに遭遇している場面を見て、誰が冷静になれようか。

 下敷きとなったクルトがユウナの胸部に顔面をうずめており、やっと状況を把握したユウナは羞恥から「な、な、な……」と同じ言葉を繰り返している。クルトも受け身に成功し、そのクルトが下敷きとなったおかげで両者に怪我はないようだが……これは何とも痛ましい事故だ。

 後から滑り降りてきたリィンも状況を確認すると、「こ、これは――」と言葉を失っている。そのさらに後からアルティナが降りてきて、すっと着地した。


「しかしまた、リィン教官のような不埒な状況になっていますね」
「えっ教官、不埒な状況になったことあるんですか!?」
「だから誤解を招くようなことを言わないでくれ」
「でもでも、教官って顔面偏差値高いですし、そういう状況になってもあんまり訴えられそうにな……」
「……アスティ」
「あっはい黙ります」


 アルティナの爆弾発言についマシンガントークが始まりそうなアスティだったが、リィンに威圧され口を閉ざした。やはり内戦を終結させた英雄ともなれば威圧の格が違っていた。あくまでアスティの体感だが。

 やっと立ち上がったユウナはプルプルと震えながらクルトを睨み……クルトはというと、覚悟を決めたように息を吐きユウナと目を合わせる。


「……事故というのはこの際、関係なさそうだ。弁解はしない。一発、張り飛ばしてくれ」
「ふ、ふふ……殊勝な心がけじゃない……そんな風に冷静に言われるのもそれはそれで腹が立つけど……」


 「遠慮なく行かせてもらうわっ!」とユウナが叫ぶと同時に部屋中に乾いた打撃音が響き……アスティは目を背けた。









 両者は互いに背を向けて、クルトはヒリヒリと痛む頬を押さえ気まずそうに瞳を揺らしている。ユウナはユウナで完全に意地を張ってしまい、「これだから帝国の男子っていうのは……!」とだいぶ主語の大きい分類へと文句をつらつらと述べては「別に帝国どうこうは関係ない気もしますが」とアルティナに突っ込まれていた。災難だったな、とリィンがクルトを気遣うも、修行不足である自分の責任だとクルトは述べる。

 「どっちもどっちな気がしなくもないけどね……」とぼそりとアスティが呟くが、ユウナにぎり、と睨まれて「おっと」と口を押さえた。一言多い性格のアスティがこのまま口を開いては余計な争いを生みかねない、とリィンは四人の無事を確認すると、小要塞の攻略を宣言した。

 こんな茶番に付き合うのかとユウナは驚いたが、あくまでシュミットは本気だ、無事ここを脱出するためにも事前に全員の戦闘スタイルは知っておきたい、とリィンは話す。


「分かりました。――自分はこれです」


 するとクルトが真っ先に己の剣を抜き、二本の剣で流れるような剣捌きを見せた。淀みなく洗練された双剣術は、彼がこれまでに行ってきた鍛錬の成果だ。少なくとも、並みの努力ではこの年齢でこの域に到達することはできない。リィン自身も初めて目にした様子で、目を見開いて白銀の剣身を見つめていた。


「……なるほど。ユウナ、君の方はどうだ?」
「っ……勝手に話を進められているみたいで面白くありませんけど……士官学校の新入生として一応、弁えているつもりです」


 その割にはあまり殊勝な態度ではないなとアスティはつい口から出そうになったが、先ほどから二回連続で遠回しに黙れと言われている身である以上あまり言葉を挟むべきではないなと口を閉ざした。

 ユウナが取り出したのは、トンファー型の警棒だった。ユウナ曰く、これはガンブレイカーと呼ばれるクロスベル警察で開発された武装らしい。トンファーとしての扱いをするモードと、搭載された銃機能を使って射撃を行うモード。二つのモードを切り替えて臨機応変に戦うのが、彼女の戦闘スタイルであるようだ。


「――わかった。その武装の性能は、実戦で確かめさせてもらおう。見たところ扱いにも慣れているようだからな」
「と、当然です! 警察学校で訓練しましたから! 帝国人が使う、昔ながらの剣なんかよりは役に立つはずです!」


 後半はわざとクルトの方を見ながら喋ったところを見ると、二人の間には余程の溝ができてしまったことが伺える。しかしながら、“剣なんか”と言われることに対してはアスティも些かの不服はあった。その辺りもお互い実戦で確認するといいだろう、とまとめると、「次は……アスティ」とリィンがアスティに目をやる。


「はい。……私は、これです」


 アスティが腰から剣を引き抜き、逆手で構えた。通常の構えで戦う人物は珍しくはないが、逆手となるとその数はぐんと減る。同じ剣を使うクルトが物珍しそうに「その構えは……」と言葉をこぼした。


「逆手の構えって、対人戦だと結構有利なんですよ。正確なリーチの長さを相手に隠すことができますし、“突く”動作に関しては通常よりも威力が上がりますし」
「ああ……それはよく知っている。俺も数年前同じ構えの人物と対面したが……正直苦戦したよ。かなりトリッキーなスタイルにはなるよな」


 ……一瞬リィンが目を伏せたような気がしたが、気のせいだろうか。次の瞬間にはいつもの顔に戻っていたため今となっては確認する術もないが、そのまま自然と会話を続けるリィンに流されて「そうなんですか」と続けた。どこか彼の行動は気にかかるが、それを確かめるのは今ではなくとも良いはずだ。


「まあ、その話は別の機会にするとして。次は――アルティナ」
「はい」


 名前を呼ばれたアルティナが数歩前に出る。


「って、何気にさっきから突っ込みたかったんですけど……こんな小さい子がどうして士官学校に入っているんですか?」
「……僕も気になっていた。情報局出身という話ですが、さすがに戦闘には参加させられないのでは?」
「私も……まあ、一応子供でも各地で働いている子はいるけど……」
「……まあ、個人的には同感だよ」


 それでも、彼女を最初に見たときは“なぜこんな年齢の子が?”と思ったのは事実だ。初対面のユウナやクルト、アスティはともかく、以前から付き合いのあるリィンも同じように思っているというのもまた驚いたが。しかし彼らの心配に、アルティナは「懸念は無用です」ときっぱり言い切る。


「私の身体年齢は十四歳相当。小さい子という程ではないかと」
「し、身体年齢? って、十分小さいんじゃ――」
「そして情報局に所属していた根拠たる“武装”もあります」


 ユウナの声を遮って、アルティナが右手を高く上げた。そして次の瞬間、何もなかったはずのアルティナの背後の空間から、黒い傀儡が姿を現した。

 艶があって金属光沢にも見えるが、金属というにはあまりにしなやかすぎる。パーツは大きく分けて三つに分かれており、腕二本と胴体一つに見えなくもないが、この傀儡を人間のパーツに当てはめていいのかは悩んでしまう。何せ、アスティの記憶にはなく、また想像もしていなかった形状をしているのだ。残る二人も初めて見たと目を大きく見開いていることから、やはり記憶喪失という事を抜きにしてもこの反応は間違いではないのだろう。


「クラウ=ソラス……《戦術核》という特殊兵装の最新鋭バージョンとなります。秘匿事項となるため詳細は説明できませんが、それなりの戦闘力はあるかと」
「……えっと、帝国ってあんなのが普通にあるわけ?」
「そんな訳ないだろう……僕だって初めて見た」
「私が記憶喪失になってるから知らないって訳じゃなさそうだね……」


 アルティナは説明を終えるとクラウ=ソラスを消す。アスティにはさっぱり仕組みが分からなかったが、本人も秘匿事項であると断言した以上、詳しく聞こうとしても意味のないことだ。


「疑問はご尤もだが、さっそく行動を開始しよう。――ああ、ちなみに俺の武装はこれだ」


 最後はリィンが自らの刀身を抜き、構える。東方に伝わる“刀”と呼ばれる類の特殊な武器で、クルトやアスティの使う帝国製の剣とは違い、刃が片側にしかついていない。曰く、《八葉一刀流》と呼ばれる流派らしい。

 へえ、と彼の刀身を見た瞬間……アスティの頭に、一瞬痛みが走った。実際には痛みという程のことでもなかったが、不快感を覚えたのは確かだ。気がかりには思うが、「それじゃあ攻略を始めよう」というリィンの一言で引き戻された。その声に応じ、部屋で唯一の出入り口を向いて武器を構える。


「現在B1、地上に出ればこの“実力テスト”も終了だ。実践のコツ、アーツの使い方、ARCUSUの機能なども一通り説明していく。迅速に、確実に――ただし無理はしないようにしっかり付いて来てくれ」


 教官としてきっちり指示をする彼に多少の反発はあれど、五人は地上を目指して歩みを踏み出した。





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