ほんとうを知らない本当のこと


 エマとセリーヌが合流したとなると、問題は誰がどのバイクに乗り込むかだ。が、それはユウナが想像していたよりも案外早くに決着がついた。


「クルト〜クルト〜、私疲れたから運転変わらない? 交換しな〜い? ほら、行きは私が譲ってもらったし〜」
「そこで疲れたからって理由を隠さないあたり、アスティよね……」


 低姿勢でお願いすれば何でも叶えてもらえるとでも思っているのか。そんな苦言がギャラリーから飛び出しそうではあったが、元々クルトもバイクの運転には興味があったため、願ったり叶ったりでもある。比較的体力に余裕のあったクルトはやれ仕方ないと引き受け、アスティはこぼれるようなスマイルでサイドカーユニットに乗り込んだ。

 あれだけ上機嫌でいたのだから発進すればさぞ賑やかだろうと思っていた。しかし、クルトの運転に揺られているアスティは帰路の途中一言も発することなく、ただ流れる景色だけを眺めていた。

 魔獣との戦いが余程疲れたのだろう。《Z組》の中でも彼女はアルティナの次に小柄だ。しかも《クラウ=ソラス》による支援があるアルティナとは違い、アスティは単騎で前線に飛び込んでいく戦闘スタイルでもある。きっと消耗も激しいはずだ。そう思い、クルトは黙って休ませてやる事にした。明日もきっと同じように特務活動は続くのだから。

 リィンとエマの《旧Z組》トークをBGMに街道を進んでいると、クロスベルの街が見え始めたその時、戦闘を走っていたリィンがバイクを緊急停止した。


「あれは……」
「な、なによアレ!?」


 クロスベルからダングラム門方面へと続く線路を、二台の列車が連なって並列走行している。速度は通常の半分以下のスピードで、旅客や貨物用ではないことは明らかだ。そしてその二両目以降に固定されたものを見て、一同目を見開いた。

 列車砲。鉄道路線による移動を想定したRF社の戦略兵器。陸路が使用できないという制限はあるが、その分巨大都市でも半日で壊滅できる分の威力を誇っている。その帝国最大級の兵器をわざわざ国境付近に配備して、一体何をしようと企んでいるのか。しかも、一基のみならず四基も。


「……正気の沙汰じゃないわね」


 このクロスベルで、一体何が起ころうとしているのか。その問いの答えを持っている者は、ここには誰もいなかった。









『さっき突然、総督府から第U分校に要請があってね。本日夜、オルキスタワーで開かれる晩餐会の警備に参加――オリヴァルト、アルフィン両殿下にもご挨拶申し上げるようにって……!』


 エマたちを宿まで送った直後、トワから入った通信を聞いて《Z組》は息をつく暇もなく演習地へと舞い戻った。だが第U分校がオルキスタワーに出向くなど完全に想定外であり、正直なところ何の準備もしていない。とりあえず戦闘続きで埃だらけの制服を着て行くのはまずいだろうとの判断で、軽くシャワーを浴びた後替えの制服に着替えて忙しなく演習地を飛び出して行ったはいいのだが。


「………………」
「君とこうして二人で話すのは初めてだったかな。できることなら君がトールズに入学する前に一度機会を設けたかったのだが、生憎私も多忙な身でね。もっとも、入学前となると君の方もなかなか都合がつかなかったかもしれないが」
「はあ……」


 オルキスタワー36階、VIPフロアの一室。広い空間の中央に座っているのは、アスティとルーファス・アルバレアのみ。

 どうしてこうなったのか、アスティにもさっぱり分からなかった。オルキスタワーの警備に参加することになって、分校生一同へ今回の視察団の面々が紹介されたまでは良かった。だがその後、生徒たちが待機場への移動を促された時、《Z組》とティータだけがリィンに呼び戻されたのだ。なんでも、彼ら彼女らだけで視察団と個別に話す機会ができたとか。

 アスティも当初は《Z組》として視察団への挨拶に向かうつもりだった。だがその時、アスティのみを指名して呼び出したのがこの男、ルーファス・アルバレア。クロスベル初代総督にして、《鉄血の子供達》筆頭。

 シーキュー、シーキュー、こちらアスティ。助けてください。気まずいなんてレベルじゃないです。


「そう身構えることはない。君を呼んだのは、少々聞きたいことがあったからだ。隣に友人がいては君も話しづらいことだろうと思ってね」
「聞きたいこと、ですか? まあ、私に答えられることなら……それで、何のご用件でしょう?」
「君の記憶について」
「……!」


 それは確かに、ユウナたちがいては話せないことだ。

 記憶喪失であること自体は《Z組》発足時点で既に打ち明けていた。だがそれがどの程度のものなのか、アスティにとってどれほど深刻な問題なのか、未だきちんと説明をしたことがない。隠しているわけでもないのだが、順風満帆な学生生活に突然インクを垂らすこともないだろうと思いそっと胸の内に閉まっておいた。

 詳細を知っているのは、おそらく事情を聞いているであろう《旧Z組》とアルティナを含むその関係者、そして《子供達》。ユウナとクルトは、何も知らない。


「君が今現在、自分自身の記憶についてどれだけ把握しているのか、それが気がかりでね。あれからどれほど進展があったのか……君を第Uに推薦した身として、知りたいと思うのは少々過干渉気味だったかな」
「……いいえ、構いません。隠したいことでもありませんから。でもその代わり、最後に私の質問にもひとつ答えていただけますか」


 膝の上で握り拳をつくる。なんたって相手はあのルーファス・アルバレアだ。レクターやクレアと同じ《鉄血の子供達》とはいえ、四人の中でも親睦は浅い。その上アスティの推薦者であることで、同時にアスティの後ろ盾の役も担っている。その人物に取引を持ち掛けるだなんて、緊張しない筈がない。


「いいとも。それこそ、私に答えられる限りにはなってしまうがね」


 寛容的な態度に胸を撫でおろすと、すぐに脳内で情報を整理し始めた。帝都で目覚めた時から今日までを振り返り、まとめ、推測し、言葉に落とし込む。


「……まだ全部を思い出したわけじゃないんですけど……《蒼の騎神》が鍵になることだけは分かりました。私はきっと、その《蒼の騎神》の近くにいたんだと思います」


 前回のサザーラントでの演習時、ハーメルで《結社》と対峙した時に一瞬流れた記憶。そして、先日セドリックが分校を訪れた際にリィンとの会話で口にしていた単語だ。

 《蒼の騎神》オルディーネ。リィンが駆る《灰の騎神》と同等の存在。騎神を見て思い出したのが《蒼》なのだとしたら、おそらく過去のアスティにとっては《灰》よりも《蒼》の方がより深く印象に残っているのだろう。


「私には二年前の内戦の記憶はありませんが、《灰の騎神》に乗ったとされるリィン教官は、今は《灰色の騎士》として帝国内で英雄視されています。一方、《蒼の騎神》についての話を聞くことは滅多にありません。《灰》の武勇に隠れて忘れ去られたか、もしくは……《灰》に側だった可能性があります」
「…………」
「色々なパターンが考えられますが……《蒼の騎神》が《灰の騎神》に負けたのだとしたら、《蒼》の傍にいた私は、もしかしたら…………《Z組》の、敵だったのかも、って」


 それは、想定した中で最も最悪な可能性だ。

 争いが起これば、そこには勝者と敗者が生まれる。勝者はのちに英雄と知られ、敗者は悪として書かれれるか、もしくは歴史に名を残せないまま舞台を去るのが世の決まりだ。《蒼の騎神》がその例にもれず、《灰》に敗北し脱落したのだとしたら、きっと自分も同じ立場だったはずだ。

 自分がどこまで内戦に関係していたのかは分からない。もしかしたら《蒼の騎神》の起動者と個人的な関わりがあった程度で、戦いには参加していなかったのかもしれない。《Z組》と剣を交えた記憶がない以上、今は全て憶測で語る事しかできなかった。

 だが一度最悪の可能性を考えてしまえば、額に銃口を突き付けられたのと同じことだ。想像通りであれば弾が脳を突き破り、それ以外であれば銃は静かに下ろされる。


「でも、それだとよく分からないことがあって」
「ほう?」


 ルーファスが演劇の転換シーンでも観ているかのように眉を上げたが、アスティは構わず話を進めていく。


「《Z組》には私の記憶について、帝国政府からかん口令が敷かれているとリィン教官は言っていました。それは単に、私に記憶を思い出させないようにするためだと思ったんですけど、よく考えるとそれもおかしくて」
「おかしい、とは?」
「帝都にいた時、私とミリアムさんを遠ざけたのは彼女が《Z組》だったからでしょう? そうまでしてかん口令を敷いている割には、私が記憶を思い出そうとする動きを制限する様子はありません。むしろレクターもクレアさんも、貴方だって、私が真相に辿り着けるように手助けしてくれていますし」
「私が君の手助けを、か。フフ、一体私のどの行いを見てそう思ったのやら」
「? だって、第U分校に推薦してくれたでしょう?」


 ルーファスがクロスベル総督という名を使って推薦状を書かなければ、アスティは分校に入学する事も叶わなかった。そうなれば、アスティは今でも帝都の屋敷で一人過ごすことになっていただろう。帝国で起こっている現状を一切目に入れることなく、レクターとクレアから聞いたことだけを世界だと信じ込んで。


「そこがよく分からなくて。私が内戦時に“悪”だったとして、私を捕らえるために記憶を取り戻させようとするのなら、《Z組》にかん口令を敷く必要はありません。放っておけば誰かに教えてもらって思い出すこともできますから。でも私に思い出してほしくないからかん口令を敷いたのだとしたら、今度は思い出させようとする貴方たちの目的が不明瞭で」
「……君は、自分が二年前の内戦で主軸に近い場所に立っていたと思っているようだが。そう思う根拠はどこにある? 自分が末端の脇役だと考えたことはなかったのかね?」
「あー、その線は考えたんですけど、ほぼ諦めてます。そんな取るに足らない小娘、わざわざ政府で保護するはずありませんし」


 どこの世界に、たった一人の凡人に入れ込む政府組織があるというのだろう。わざわざ保護し、かん口令を敷き、政府の手で囲い込んでまで飼っている人間がただの一般人だったなんて、そんなことはあり得ない。アスティとしてはそちらの方がありがたいのだが、そんな希望は分校で記憶を取り戻すと決めた時点でとっくに捨てていた。


「一つ、君に尋ねてもいいかな」
「? はい」
「仮に君が、君自身が思い描いたような悪人だったとしたら、君はどうする?」


 即答はできなかった。これまで可能性として散々提示してはいたものの、そこにアスティの心情は挟まれていなかった。最悪なパターンの話を考えることは、まるで自分がどうやって死ぬかを考えるようで怖かったから。

 数秒の静寂が訪れたのち、アスティが口を開く。


「……正直、まだ分かりません。私が首を落とされるくらいじゃ足りないくらい悪い人だったとしても、その行動に何か理由を持っていたのだとしたら、きっと抵抗するでしょうし。でも……」


 不安を消して、前を向く。その顔には一切曇りがなく、迷いもない。


「いづれにせよ、そうなった時は分校を辞めます」


 《Z組》がこの先も上手く回ってくれるように。ユウナとクルト、アルティナ、そしてリィンの道行きに、汚点を残さないために。


「……なるほど。それが君の、現時点での結論か」


 ルーファスの姿はどこまでも飄々としていて、その真意は一切読み取れなかった。何故アスティの記憶について尋ねたのかも不明で、まるで姿の見えない怪物を相手にしているようだ。


「見事だ。さすがはレクター君とクレア君……いや、《灰色の騎士》殿の薫陶によるものかな。正直、言葉すら話せなかった君がこの短期間でここまで至れるとは、推薦状を書いた当時は思ってもみなかったことだ」
「はあ、そりゃどーも」
「フフ、一応本心だったのだが」


 アスティの態度は部屋に入った頃に比べて多少は崩れている。思考をまとめて話すことに気を使いすぎて、振舞いのことなどすっかり頭から抜けていた。


「それじゃあ、今度は私の質問に答えてもらえますか?」
「ああ、もちろん。そういう約束だったのだから」


 聞けることは一つだけだ。レクターでもなく、クレアでもなく、相手がルーファスでなければならない問いを構築する。

 だがその内容は、もう随分前からアスティの胸にあったことだ。


「《鉄血の子供達貴方たち》は、私についてどこまで知っているんですか」


 アスティは人の感情の機微に敏感だった。だから、レクターとクレアがこの問いに答えられないことを知っている。訊かないでほしいと思っていることも知っている。

 人間は接する回数が増えれば増えるほど、情が湧くようにできている。案山子や氷などと揶揄されるレクターとクレアも例外ではない。二人が自分にある程度の親しみを持ってくれていることは見抜いていた。これを聞けば二人が言葉を濁すであろうことも、全て察していた。

 だがルーファスは違う。数える程度しか顔を合わせたことがない彼は、アスティに対して何の情も抱いていない。そうアスティは信じていた。ならば、その彼から聞いた言葉こそが、最も真相に近い。


「ふむ……その問いは些か曖昧だが、私たちが君を保護した経緯について、ということでいいだろうか」


 アスティが頷く。

 なぜ自分は、《鉄血の子供達》の手元に置いておかれたのか。なぜ自分は、帝都の屋敷で軟禁状態にされなければならなかったのか。半年間、ずっと聞きたくても聞けなかった謎だ。ついに聞けるのかと思うと手が震え出しそうだった。

 怖いくらいの静けさだ。隣か、その隣の部屋で今も《Z組》が視察団を会談をしているのだと考えないと、まるで自分だけがここに取り残されたように思えてしまう。

 沈黙の末、ルーファスがやっと言葉を放った。


「私たちが君を保護した理由だが……実のところ、のだよ」
「――は?」


 思わず立ち上がった。敬語も何もかもを忘れて、ただただ叫んだ。


「待ってよ! じゃあ、私、なんで……!」
「知らないということも情報の一つだ。言い換えれば、“知らない”ということを知っている。《蒼の騎神》という単語一つからここまで推測してみせた君なら、分かることだと思うが?」


 一瞬で頭に血が上ったアスティを前にしても、ルーファスは冷静そのものだった。完全に崩れ去った敬語を咎めることもなく、ただ事実のみを押しつける。冷酷に、残酷に。

 彼の氷のような言葉で、アスティの脳は再び動き始めた。

 ルーファスは知らない。レクターも知らない。クレアも知らない。ならば知っているのは、彼らを、《鉄血の子供達》を束ね、動かしている人物。


「……私について知ってるのは、《鉄血宰相》だけ、ってこと……?」


 無言は肯定だった。

 アスティの待遇について、帝国政府自体が動いているわけではない。動いているのは宰相自身で、《子供達》に保護するよう命を下し、そうして今に至る。きっと分校に入る事すらも宰相の筋書きだ。アスティがここにいる理由も目的も、全てあのギリアス・オズボーンが直接握っている。


「ただ、もしかするとレクター君だけは察しているかもしれないがね。彼の“勘”については、君も知っているだろう?」
「……レクターが…………」


 レクター・アランドールの第六感は、人間のそれを遥かに上回っている。そこに至るまでの論理、推理の過程を全て飛ばして、結論だけを手繰り寄せる先天的シックスセンス。彼であれば、少なくともこの先何が起きるのかは予想がついているのかもしれない。

 訊かなかったのはアスティだ。だから、レクターが知っていたのに言わなかったのも、彼には何の罪はない。

 ふっと体の力が抜けたような感覚だった。天と地の境目があやふやで、自分が無重力空間に放り出されたような心地だった。

 目を見開いたまま固まって動かないアスティを尻目に、ルーファスは立ち上がってドアの方へ足を進める。


「機会があれば、あの方に直接尋ねてみるといい。実のところ私も疑問には思っていてね。……君が何故、宰相の手の内にありながら《子供達》ではないのか」
「……!」
「全てが明かされるとは限らないが、少なくとも君が望んだ答えは得られるだろう」


 ルーファスが扉を開け放つ。正に今、皇族両殿下との会談を終えたばかりの《Z組》とティータが廊下を歩いており、リィンが現れたルーファス、そしてその奥で呆然と立っていたアスティを見て瞠目する。


「話は終わったようだね?」
「ルーファス総督」


 彼が《Z組》に声をかけたという事は、自分との話はこれで終わりなのだろう。複雑に絡まった思考を一旦すべて飲み込んで、アスティも彼らに向かって歩む。


「アスティとの話はもう?」
「ああ。大事な教え子を突然借りてしまったことは謝罪しよう。アスティ君も、付き合わせてすまなかった」
「……いーえ、割と有意義ではありましたし」


 アスティが笑う。ルーファスを訝しむユウナとクルトを少しでも安心させるように。だがリィンに対してはそれが逆効果だったようで、アスティとルーファスの顔を交互に見て静かに投げかけた。


「……彼女とはどんな話を?」
「何、ちょっとした世間話だ。教官として彼女を心配する気持ちも分からなくはないがね」


 そう怪しまれるのは心外だ、と言うように苦笑する。事実、接点はあれど親しそうにも見えない男が突然二人で話したいなどと申し出て、戻ってきた生徒が真っ青な顔で立っていたら誰だって疑うだろう。ルーファスもそれは理解していたので、その疑念は正当だと大人しく認めていた。


「丁度いい、リィン君だけ少し話に付き合いたまえ。個人的に話したい事があってね。――なに、時間は取らせない」
「それは……」


 アスティが終わったので、次はリィンの番だ。リィンは先に戻っているよう生徒たちに伝えると、アスティを入れ違いで、部屋に入っていく。扉の中に二人の背中が消えたのを見送って、生徒たちは警備員の立つエレベーターに乗った。

 自動ドアが安全確認をし、ゆっくりと閉まる。

 音もなく廊下の景色が遮断された瞬間、がばりとユウナがアスティの両肩を掴んだ。


「アスティ、大丈夫!? あの総督に何かひどいこと言われたりとか、ヘンなことされてないわよね!?」
「ちょ、ちょっと待って、ユウナ、いくら何でも心配しすぎだって! 大丈夫だよ……!」


 本人がいなくなったのをいいことに、やれ何を話したんだと質問の嵐だ。当然“記憶についての考察を少々”などと馬鹿正直に話せるわけもないので適当にはぐらかすが、その態度がまた日に油を注いでしまったらしい。アルティナとクルトが諫めるまでユウナのルーファスへのブーイングは止まなかった。


「だが、本当に何もなかったんだよな?」
「あっはは〜、クルトも心配性だねえ。大丈夫だよ」


 ユウナに肩を揺さぶられながら、アスティは笑顔を取り繕った。


「大丈夫」


 そう思わないと、やっていられなかった。





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